9/25/2024

アパート(マンション)を買った時のこと、売った時のこと

 離婚して(正確には離婚届けはまだ出せなかった)一緒に
暮らし始めたのは、仲町台のイトーピアという単身者用の
マンション(アパート)だった。そこに二人で住んだ。
6畳くらいの一間にバスとトイレそれに簡単な台所がついていた。
そこは単身者用だからほんとは二人はダメなのだけれど
他の部屋にも二人で住んでいる人は結構いた。
とにかく家賃が安かった。
それに鉄筋だったから音も響かなかった。
そこにどれくらいいただろう?
香港の娘もそこに来たことがあった。
どうやって寝たんだろう?
まったく思い出せない。
とにかくそこで喧嘩しながらしばらく住んだ。
喧嘩の原因は元妻がなかなか離婚をしてくれないことだった。
そのころのことは思い出したくない。

たまプラの会社にもそこから出かけた。
あれはいつ頃だったろうか?
たぶん2000年代の最初のころ、
ある日、仲町台からセンター南まで二人で歩いた。
そしてセンター南へ行くぺディスタルのところで
妻が「このマンションいいわね」と言った。
新し目のマンションだった。
私も「そうだね」と言いながら駅に向かった。
駅の構内の左側に不動産屋があった。
「ここで聞いてみようか?」ということになり、
お店に入って「あそこのマンション空いてませんか?」
と聞いた。
するとその男の店員さんが、奥へ行って書類を持ってきた。
「実はつい先日あそこから引っ越す人が出ました」
という。
そのマンションは築3年でその人が最初の退去者だった。
早速「そこを買いたい」という話をした。
まだ前の人が住んでいたけれど中を見せてもらった。
その部屋は2LDKの北向きだった。
そのころは北側は何も無かった。
遠くたまプラや武蔵小杉まで見渡せた。
すっかり気に入って買う方向で話を進めた。
その時の金額が¥2300万円だった。

しかし手持ちのお金はほとんど無かった。
たぶん20万円くらいしか無かった。
頭金も払えないのでどうしたもんだろう?と考えた。
すると私は父から土地を相続していた。
その土地は病院の駐車場になっていた。
毎年その病院から100万円が入ってきていた。
しかし他に宛が無いのでそこの土地を売ることにした。
水戸の不動産屋に連絡して水戸まででかけた。
そして病院にも話を持って行ってくれた。
病院は土地を買わなかった。
しかし駐車場の管理会社が買ってくれることになった。

そこで問題は、親戚関係だ。
猛反対にあった。
妹や親戚から怒られた。
しかしそれしか私には無かったので怒られながらも
うる手はずを進めた。
土地の登記簿の間違いがあり土地の区画を確認するために
いなかの隣の土地の人とも立ち会ってもらった。
その人も同じ姓の人だった。でも気持ちよく対応してくれた。
しかし少し遠くから見ていたやはりその近所の人達がいたが、
明らかに私の方を指差しながら不満を言っていた。
つまり地元以外の人間に土地が渡るのが許せなったのだろう。

そんなこともあったけれどその土地は売ることになった。
手続きがあるのですぐに現金化できるわけじゃない。
市役所の登記簿の書き換えがだいぶかかるようだった。
でも売買の話は進んでいた。
確か4500万円くらいだった。

それで購入するマンションの方だけれど、
最高に良い場所だったので他の人にでもすぐ売れそうな
物件だった。
その頭金が無かった。
水戸の方はあと2週間はかかりそうだった。
2週間で済むかどうかもわからなかった。
それで妻が実家から借りられるかも、ということになり。
幸いお母さんが400万円を貸してくれた。
それで手続きを進めた。
家は1か月後にリフォームして入れることになった。

問題は即金で全部払うか、ローンにするかだった。
まだ離婚できていない前の家族には毎月お金を送っていた。
その頃は毎月40万円を送っていた。
それが問題だった。
会社の方は前の社長が降りて私に会社を譲るという話が
その前に進んでいた。
それまではその社長から役員報酬でお金をもらっていたのだけど
会社は一度解散するのであとは自分で稼がなくてはいけない。
それまで社員が10人ほどいたけれど全員別な仕事に就いたので
とりあえず私ひとりでやらなくてはいけない。

その頃はもう一人長野に住んでいる人と一緒に仕事をしていた。
各地の工場に収める検査機を作っていた。
なんとかそれでやっていたけれど、一人の力量ではどうしても
無理がある。いろいろ仕事を受けたけれど、どれも満足のいく
結果にはならなかった。
だからお金もそんなに入らなくなった。

そんな時だったから現金は欲しかった。
それでマンションはローンで買うことにした。
当時50歳だった。
25年ローンだった。
よくそんなローンできたな、と今は思う。

土地を売ったお金が入ってきたけれど、それが時期になくなるのは
目に見えていた。
なぜなら毎月前の家族いお金を送っていたら10年ももたない。
しかもちょうどその頃、会社に置いていたサーバーが乗っ取られるという事件
が起きて、そのサーバーの一部を貸していた会社の
ホームページと顧客データが取り出せなくなった。
それの修復に300万かかるとか。
会社には金が無かったから自腹ではらった。
そのほかにも百万単位でお金が出て行き、
残りが半分くらいになってしまった。
しかたなく元の家族には送る金額を減らしてもらって送った。
それで案の定10年しないうちに土地のお金は無くなった。

しかも長野の人と二人でやってきた仕事も止めたので、
あとは一人で仕事をして行かなければならなくなった。
その頃まだビデオ映像やレコードやカセットをDVDやCDにするという需要が
結構あったので、それを会社としてやることにした。
最初はDVDデッキ2台とビデオデッキ2台だった。
それをフル稼働して毎月250万くらいの売り上げになった。
宣伝はインターネットのホームぺージだけだ。
ホームページをYAHOOの上位に持っていかないといけないので、
そのための費用が結構かかった。
今思うとあんなに躍起になってトップ掲載をしなくても
良かったんじゃないかと思う。

それで会社の家賃や諸費用と家のローンと元家族へのお金、
保険料だとなんだので毎月ほぼトントンか少し赤字。
それでなんとかやって行った。
たまプラは家賃が高いのでセンター南で安い事務所を借りた。
安いといっても事務所だから17万くらいした。
(たまプラは50万だった)
しかしなんとかやって行ったと言っても毎月赤字ギリギリだった。
そんなことをしているうちに香港の娘をこっちに呼ぶことになって、
一緒に住むことになった。
当時は中学生だったから良かったけれど、
すぐに高校入学ということになった。
私立だったから入学金が必要だ。
でも手持ちがないのでお金を借りることにした。
横浜信用金庫からかいしゃ名義で300万を借りた。
その中から娘の学費も出した。
・・・ちょっと待て、横浜信金は娘が大学に入る時だったかもしれない。
しかしまあなんとか大学も卒業させることができた。

そのうちオーストラリアに留学していた香港の息子が日本に来る
ことになって狭い家に4人で住むことになった。
その時はほんとに大変だった。
狭かった。
しかも私はその前に事務所を借りるのをやめて自宅で仕事を
することにしたので、家のリビングはもうなんだかわからない
状態だった。
それでも昔からおお客さん(幼稚園、小学校、中学校、高校、ダンススクール、ピアノスクール、一般のお客さん)が来てくれたのでなんとかローンを
払えるくらいの売りあげにはなった。
しかしローン以外の出費がきつかった。

それで市民税が払えないということが2回あった。
1回目は区役所に行って相談した。
そしたら「どこかで借りて払えませんか?」と役所の若いのが
言うので、頭に来てどなった。
そしたら奥から上司らしいのが出てきて、分割でいつまでにという
話になって、
それはそのまま払えた。

2度目も区役所に行った。
払えないと言った。
すると「一度差し押さえになりますが、いいですか?」と言う。
出せるものは無かったので、なんでもやってくれと言った。
そして差し押さえの書類を渡された。
「一応、資産を調査しますが、よろしいですか?」というので
どうぞと言った。
もう土地のお金も無いし。
それで数日後に呼び出された。
区役所に行くと担当者が、
「使えるお金が見つかりましたのでこれを充てます」と言う。
何だろうと思ったらずいぶん前に入っていた保険が満期のままに
残っているという。
その分が60万くらいあった。
それで払えなかった住民税を払って、かなり戻ってきた。
良かった。
そんなお金自分じゃ絶対探し出せなかった。

とかやっているうちに、年金が入る歳になった。
早速年金の手続きをしよう思った。
すると前妻から年金は年金分割にしてほしいと言う。
もう前妻に送るお金も無かったので、分割にする手続きをした。
だから年金は自分のところには半分しか入らない。
それでも良かった。
前妻はそれで離婚の手続きに判を押してくれた。

それで少しは平和になった我が家だった。
それからしばらくセンター南のその家に暮らしていた。
仕事も細々やっていたので年金+それでなんとかやっていた。

マンションに20年くらい住んだ頃に、
ポストにたくさんチラシが入るようになった。
それは「家を売ってください」というものだった。
「へえ~」と思っていた。
その頃は北側に大きなマンションが建ってしまったので
景色は武蔵小杉の方向がほんの少し見えるだけだった。
うちはまだましで、東側にもマンションが建ったので
東側の人はほとんど景色は見えなかった。
西側もショッピングビル、南側はまだ道路があった。

それでいくらくらいだろう?と思った。
妻がいくつかの不動産屋に聞いてみた。
最初のとこはあんまりはっきりしなかった。
2件目のところはいろいろ調べてくれて、
「4000万出すところがあります」と言う。
「え!?」と思った。
大きな不動産会社だからでたらめではないだろうと思った。
それで他にいろいろ来たけれど、そこに頼むことにした。
同時に転居先のマンションも探してもらった。
今住んでいるところなのだが。
そっちの手配もやってくれた。
結局2300万で購入したものが4000万で売れた。
それとローンの残り(実にまだ数年残っていた)も解消した。
新居の方は息子のローンにした。
その頭金だのなんだのでだいぶ減ったけれど、
まだ手元にはいくらか残っている。

聞いたところ前のマンション(2LDK)は5000万で売れたとか。
センター南はすごいと思う。
まあ、駅まで走れば3分だったから。
それを買えたのはラッキーだった。