ピンク・フロイドだけど、いつから聴くようになったんだろう?
第一のきっかけは新宿のロック喫茶「ソウルイート」で聴いたから。
というのが考えられる。
それまでピンク・フロイドは聴いたことがなかった。
・・・・そうかぁ?
ちょっと思い出してみよう。
最初にあのお店に入った時のことを。
1970年だ。
その時知っていた曲は?
グランド・ファンクの「ハートブレーカー」が流れていた。
その曲は知っていた。
レッド・ツェッペリンの「移民の歌」も知っていた。
ピンク・フロイドの「ウマグマ」がかかっていたけれど、
その記憶はその最初の時のだろうか?
ウマグマは1969年だから1970にはお店でかかっていてもおかしくない。
だけど問題はその時私はそれがピンクフロイドだと知っていただろうか?
大いに疑問だ。
知っていたとしたらどうやって知った?
FM放送かなあ?
(いや、これにはもう一つの記憶と関連がある)
ある日の午後、三鷹の家の縁側で寝ていた。
部屋のラジオをつけっぱなしでFM放送が流れていた。
それを聞きながら空を眺めていたら、変な曲が流れだした。
それは
オートバイか車か戦車かの走り始める爆音で始まった。
その音の時はそれが音楽(曲)だとは思わなかった。
すこしすると爆音を遮るように演奏が始まった。
エレキとベースとドラムスだ。
「えー!何この音楽?!」と思った。
その曲は優に20分はあった。
これはなんの音楽だろう?と思った。
音楽が終わって曲の説明が無くコマーシャルになってしまった。
「あれは何だったんだろう?」とずっと思っていた。
その曲は結局ピンクフロイドの「原子心母」だったのだけど、
いつそれを知ったんだろう?
たぶん、それは(後になるまで)わからなかったと思う。
そうだ、それが先だ。
その謎の音楽のことはずっと心に残っていた。
そうだ!それからソウルイートだ。
「ウマグマ」と「原子心母」をかけていた。
それは確かだ。
あのサイケデリック・ブレックファーストのコーンフレーク
を食べる時のムシャムシャいう音を覚えている。
だけど「原子心母」の曲はその時は覚えていなかった。
お店では曲をかける時はDJの前にそのレコードジャケットを
立てていたから、それを見てピンクフロイドを知ったのだと思う。
それから、そうだ、1971年の箱根だ。
箱根でピンクフロイドは最初に「原子心母」を演奏した。
それはオートバイの走り出す爆音から始まっていた。
それがあの三鷹の縁側で聴いた曲と同じ曲だとはその時は
気が付かなかった。
だいぶあとで「ああ、あれがあの曲だったんだ!」と分かった。
そこでもう一つの疑問がある。
レコードの「原子心母」は決してオートバイの音では始まらない。
オーケストラの静かな出だしで始まる。
じゃああのラジオで聞いたオートバイバージョンの演奏は
どうやって放送したんだろう?
その2年後にFM東京は、ピンクフロイドの東京都体育館での
演奏をプライベートに録音して演奏者もタイトルも言わずに
放送してしまった。
「これはいったいどこのグループのなんという曲でしょうねえ・・」と
いうアナウンサーの録音がテープに残っている。
だからたぶんそのアナウンサーはどこかでライブ版の「原子心母」を
手に入れて勝手に放送してしまったのだろう。
だから曲名も言わずに終わってしまったのだろう。
今なら絶対にありえないことだけれど、
当時はそれができてしまったのだろう。
その2年まえまでFM東京は「実験放送・FM東海」だったのだから。
やっていてもおかしくない。
担当者はよっぽどのロック好きだったのだろう。
だけどその縁側で聴いた曲の不思議な感触は
今でも覚えている。