最近目が調子悪い
見えないわけじゃなくて、ボケるというか
ガラスに水をかけた時のような感じだ。
しばらく目をぱちぱちしてると治る
けっこう頻繁になる
でも全く見えなくなるわけじゃないから
たぶん涙の成分がおかしいのかもしれない
「手紙は憶えている」という映画を前に観た
あれは、なんていうか正義漢ぶって自分の行いを
正当化しようとすると思いもかけないことがわかって
自分の墓穴を掘るはめになるということだ
そう、だから僕も自分の過去はあまり掘り下げないことにしよう
時々昔のことがフラッシュバックする
それを追求すると生きて行けなくなりそうだから
サクソフォンで静かなバラードの曲を聴くと
札幌の雪の中をドライブした時の映像が見える
路面も視界も真っ白の中を走っている
どこかはわからない
どこか遠くに通じている道だ
一人だ
果てしなく一人だ
帰ろうか・・・
時々無意識に言っている
いったいどこへ?
人にも帰巣本能があるのだろうか?
どこ?というのは場所ではないだろう
時間だ
いつかのあの時あの場所
いつか帰ることができるだろうか?
免許返納? って何だろう?
と思う
先日免許返納した高齢者が無免許でつかまった
なぜ返納した? なぜ運転した?
返納するって何だろう?
おそらく「私はもう運転しない」という意思表示なのだろう
でも返納する必要もないだろうに
返納して「絶対に運転しない!」という強い意志を持っていればいいけど
いつか、ある時、どうしても運転しないといけない時があるかもしれない
例えば・・・二人で乗っていて運転者が運転できなくなった時とか?
ああ。この前の無免許の人は北海道の人だった。
北海道は絶対に車が必要だ。
なんで返納しちゃったんだろう?
確かに「私は返納します!」っていうと恰好いいけど
精神的にも身体的にもまだ運転できるのであれば返納する必要は無い
と思う。
一度返納したらもう一度取るなんて不可能だ。
自分はもう自信が無いというなら乗らなければいいだけだ
免許を保持していればいつか何かの役に立つかもしれないし
免許を返納したのにまた(無免許)運転するなら
返納せずに持っているべきだ。
非常の時以外運転しなければいい
そう決めればいい