約3カ月くらい前に買ってあったブルレイを今日やっと見た。
テレビで何度か見たのだけどじっくり見たいと思っていた。
それで見て思うのは、この映画はカールセーガンの話にどれくらい
忠実に描いているのだろう?ということ。
ちょっと小説の方を読んでみようと思う。
疑問はこんな感じ
今まで前に見た感じでは「宇宙人は(あるいは他の星に知性人は)
存在するか?」がメインテーマだと思っていた。
しかし(映画では)最初から最後まで流れているのは
「あなたは神を信じるか?」 あるいは
「神は存在するか?」だ。
宇宙人だのSETIだのはどうでもいいのだ。
前半のテーマは「宇宙人の存在は神を冒涜する」ということ
だと思う。
彼女(主人公)は科学は信じるが神を信じることはできない。
後半のテーマは「あなたは科学の結果を信じることができるか?」
だと思う。
科学的な実験の結果は自分しか経験できなかった。
それを他の人に「信じろ」と言えるのか?だ。
ただ単に「宇宙人は存在する」ということをテーマにするなら
もっと別な表現方法があったと思う。
あんなに面倒なストーリーにする必要が無かったと思う。
しかしカールセーガンは(たぶん)あの彼女と同じ
苛立ちをいつも持っていたのだと思う。
原作を読んでみないとわからないけど。
一つ今回気が付いたことがある。
それは、以前にも書いたように秘密基地が北海道にあるのだけど、
その北海道の大きさをあまりに小さく考えている。
あれだと伊豆大島くらいの大きさしかない。
装置の大きさを考えるとあれでは小さすぎる。