9/28/2024

映画 Contactをまた観た

 約3カ月くらい前に買ってあったブルレイを今日やっと見た。
テレビで何度か見たのだけどじっくり見たいと思っていた。
それで見て思うのは、この映画はカールセーガンの話にどれくらい
忠実に描いているのだろう?ということ。
ちょっと小説の方を読んでみようと思う。
疑問はこんな感じ

今まで前に見た感じでは「宇宙人は(あるいは他の星に知性人は)
存在するか?」がメインテーマだと思っていた。
しかし(映画では)最初から最後まで流れているのは
「あなたは神を信じるか?」 あるいは
「神は存在するか?」だ。
宇宙人だのSETIだのはどうでもいいのだ。
前半のテーマは「宇宙人の存在は神を冒涜する」ということ
だと思う。
彼女(主人公)は科学は信じるが神を信じることはできない。
後半のテーマは「あなたは科学の結果を信じることができるか?」
だと思う。
科学的な実験の結果は自分しか経験できなかった。
それを他の人に「信じろ」と言えるのか?だ。

ただ単に「宇宙人は存在する」ということをテーマにするなら
もっと別な表現方法があったと思う。
あんなに面倒なストーリーにする必要が無かったと思う。
しかしカールセーガンは(たぶん)あの彼女と同じ
苛立ちをいつも持っていたのだと思う。

原作を読んでみないとわからないけど。

一つ今回気が付いたことがある。
それは、以前にも書いたように秘密基地が北海道にあるのだけど、
その北海道の大きさをあまりに小さく考えている。
あれだと伊豆大島くらいの大きさしかない。
装置の大きさを考えるとあれでは小さすぎる。