アマゾンで「幸せの黄色いハンカチ」と「遥かなる山の呼び声」と「駅」と
「鉄道員」のブルーレイ盤を買った。
高倉健のファンではないけれどもう一度映画を見たかった。
これらの映画には70年代のリアルな北海道が映っている。
それが見たかった。
「鉄道員」以外は全部見た。
「鉄道員」はもう初めから見るのが辛いから
たぶん見ないだろう。
「駅」は何度見たかわからない。
既にDVDを持っていたから。
「幸せの黄色いハンカチ」は2,3回は見ている。
「遥かなる山の呼び声」は通して見るのは多分初めてだと思う。
いずれも倍賞千恵子が出てくる。
この人どこかで会ったことがあるような気がする。
気がするだけなのだけど。
年齢を重ねた姿はそれはそれでとても好きだ。
ふと、若い頃の自分と今の自分は同じ人なのだろうか?と思う。
誰かが言っていた「同じ記憶を持っていれば同じ人だ」と。
でもそれだけだとAIとかが記憶として同じものを持っていたりしないか?
私はそういう確認ではない方がいいと思う。
言い方を変えるけれど、同じ人間が成長したら同じ人間ではない、
と言う方がいい。
20代の私と30代、40代の私とその後の私は
全部別な人間だとしてほしい。
30代40代の私はもう自分から消したい。
それは抹消登録の手続きを提出したい。
どこか市役所かどこかに。
そして「はい!これであなたの3,40代は消去されました」って。
とてもすっきりしそうだ。
その当時の私を知ってる人に万一遭ったとしても
「ああ、あれは私ではありません」と言える。
そして夢からもその頃の自分を消せたら消してほしい。
いちいち思い出さずに済むから。
映画の中の北海道は今とは全然違う。
車や町や人々が、
見ていると昔の感覚が戻って来てうっとうしい。
「ああ、車はこんな風に汚れていてどこかへこんでいたなあ」とか
「道はほとんど舗装していなかった、砂利道が多かったなあ」とか
「お店の中も宿も全部こんな感じで汚れていたなあ」とか
それがリアルな映像として残っているのはちょっと怖い。
だけど20代の頃私もそこに居たということを実感できる。
そう、
だけど私は倍賞千恵子さんにどこかで会っていると思う。
どこかはわからない。
会っていないかもしれない。
忘れているのかもしれない。
でも「黄色いハンカチ」も「遥かな呼び声」も「駅」も
倍賞さんを見るたびに懐かしさで涙が出てくる。
さっきまで吹雪だった。
あんなのはこっちに来て初めてだ。
雪は懐かしくも悲しくも恐ろしくもある。