4/30/2024

映画のエキストラ

 私はあまり乗り気じゃなかったのだけど妻が応募したので行ってきた。
その映画のタイトルとか詳細はまだわからない。
ある音楽ライブのシーンの撮影。
俳優陣は寺尾聡さんとディーン・フジオカ、佐藤栞里、石倉三郎、
松坂桃李、松坂慶子、三宅裕司さん他。
2日にわたる撮影だったので2日とも同じ服装で行かないといけなかった。
2日目に来ていない人がいて急遽代役でカツラをかぶされていた人もいた。

しかし「待ち」時間が長い。
1日目はライブ会場に入るまで3時間以上待たされた。
会場はブルーノートのような感じにセットされていて、
私たちは3列目くらいのテーブル席だった。
座れて良かった。
あとの人は後ろの立ち見席の役割だった。
そこで寺尾さんが歌を歌うシーンの撮影。
ディーン・フジオカは非常にサービス精神のある人で
待ちの時はほとんど話をしてくれた。
やり直しはほとんど無かったけれど、同じシーンを別アングルで
何度も撮影する。その都度同じことをしないといけない。
・・・でも写っているかどうかは不明。

2日目は寺尾さんのバンド(そうそうたるメンバー)が生演奏をして
それに合わせて寺尾さんが歌を歌った。
歌は同じ歌2曲を何度も設定を変えて撮る。
これは非常に面白かった。
音が良かったせいもあるけれど、全然飽きない。
待ちの時間があると寺尾さんが勝手に関係ない歌を歌い出し
バンドも一緒になって1曲演奏してしまったりした。
助監督さんはあきれていた。

この日の最後のシーンは観客席の撮影だった。
私たちのテーブルの隣のテーブルに松坂慶子さんが座り
そのすぐ後ろに松坂桃李や石倉さんらがいて、
妻は松坂慶子さんと50センチも離れていなかったので
あれはたぶん一緒に写っていたと思う。
私は妻の隣席だったけれどたぶんセーフだったと思う。

ほとんどの俳優さんがその日で撮影終了だったので
舞台挨拶が見れてよかった。

私たちは座っているだけだったから良かったけれど、
立ち見役の人は疲れたと思う。
朝8時から夕方6時過ぎまでだから。
途中昼休みが約50分くらい。

俳優さんから「差し入れがありましたー」とアナウンスが何度も
あったけれどエキストラには基本的にまわってこない。
でも松坂慶子さんからのお茶のペットボトルは回ってきた。
私はやらなかったけれど、階段途中に「誰さんからの差し入れ」
と書かれたお菓子や食べ物がたくさん置いてあったのを
勝ってに持って行った人もいた。

長い2日間だったけれど、
もうやりたくない。


4/29/2024

夢はいつも変だ

 変な夢を見た。
長い夢だったけれど断片的にしか覚えていない。

私は彼女とホテルの部屋にいた。
しかしそこには彼女の友人2人もいた。
彼女はその友人と話をしている。
私は二人っきりになりたかったのにと腹を立てる。
非常に苛立った。
そして私は外に出てしまう。
彼女も何か言いながら一緒に歩くが私はまだ怒っている。
そうだ部屋に荷物があった、と思い出し荷物を取りに行く。
荷物は一抱えもある透明なプラスチックのケース。
下にキャスターが付いているのでそれを転がしながら
車のところまで持って行こうと思う。

道路を押してあるいて行くと古本屋がある。
そこでプラスチックのケースの中を開けると古い本が
詰まっている。その本を店の主人が一つずつ見て関心している。
「この本に書かれているのは私の父のことだ・・」とか言う。
他の大きな本にも興味があるらしい。
ああ、この本達は父が残したものだった。と思い出す。

「いくらになるか計算しましょう」と主人が言う。
私は初めは売るつもりは無かったけれど、
売れるなら売ってしまおう、と思う。
しばらくして主人が「時間がかかるので明日お知らせします」と言う。
なんで明日なんだ?と思いながら、仕方ないので家に帰ろうと思う。
彼女も一緒だ。

店を出ると崖の上で向こうは海と島が見えている。
島はかなり近くにそびえるようにある。
その島に大きな波がかぶさる様に立っている。
海は濃紺で波がしらは白、遠くの空は水色だ。
「ああ、きれいだなあ~」と思う。

後ろに向き直ると空の上に星が無数に見える。
しかもその星々は星座の形に花のようなものが並んでいる。
「あの花はどうして空の上にあるんだろう?」と思う。
空は黒く、星は白く、その花はクリーム色だ。

道を歩いて行くが家がどこだったかわからない。
確かこの道だ。
と家が立ち並んだ間を歩いて行く。
家々は昭和の文化住宅のような家だ。
(三鷹の住宅をデフォルメしたような感じだ)
道はますますわからなくなる。
夢の中で記憶をたどっている。

次のシーンは仕事場(会社)のシーンだった。

4/28/2024

怖い?

 夢を見た。
朝まだ暗いうちにトイレに行く。
トイレのドアーを開けると奥に一人の女性が立っていた。
私が「誰?」と聞くとその女性は何も言わずドアーの外に出て行く。
誰だったんだろう?
見たことも無い知らない人だった。

・・・という夢だった。
以前なら大声をあげて目が覚めるところだが
今回は少しも怖いとは思わなかった。

朝方目が覚めてトイレに行くときに、
ベランダ側の窓から外の公園が見える。
まだ真っ暗で公園の街灯が3つ4つ点いている。
目を凝らして誰かいないかなぁーと探す。
この1年半、誰も見つけられなかった。
「なんでそんな怖いことしてるの?」と言われる。
でも少しも怖くない。

映画「残穢」が怖くて面白いと言うので、
先日見た。
全く怖くなかった。
まあ、そういうこともあるかもなぁ、という感じだった。
「リング」にしてもおどろおどろしいけれど、
怖いというより暗いなと思った。

映画で怖かったのは、あれだ、邦題で「ゼログラビティー」。
あの宇宙空間に回転しながら放り出されるシーン、
あれは心底怖かった。
映画は2,3回見たけれど毎回怖い。

果てしない何も無い空間に、しかも回転しながら
放り出されるなんてぞっとする。





無から生まれる

 「無」というものは「無い」と思う。
当たり前のような気がする。

つまりここのある範囲の空間に在る物、
例えば空気や塵を全部取り除いて(それは可能だと思うけれど
限度があるかもしれない)ほぼ真空になった時、
(そのほぼというのも取り除けた場合)
そこには空間だけが在る。
その空間を取り除いた時、そこには何も無くなる。
つまり空間も無くなるのだから、その空間があった場所は
一瞬にして爆縮したように1点になってしまう。
1点というのは数学的な1点だ。
大きさは無い
それを「無がある」というのは奇妙な話だ。

何を考えていたかというと、
ビッグバンの前には無が在ったとか言う人がいるから。
無が在ったというのは「何も無かった」つまり「空間も無かった」
ということになる。
しかしビッグバンが起きたということは少なくとも
空間は在ったと言うべきではないだろうか?
空間の中で星々が生まれるビッグバンが起きた。
というなら納得できる。

さっきの空気や塵を全て取り除いた空間、
例えば1メートル立米の空間には何もないわけじゃない。
何も無かったらその空間さえ存在しない。
その空間にはあらゆる物理法則や数学の法則、因果律等が
ぎっしり詰まっている。
そうでなかったらその空間の中では2つの磁石が引き合う
ことも起きないし、1+1が2にもならない。

(空間の中で1+1が2だと立証するにはどうしたらいいだろう?)

それにその1メートルの立方体の中に人間を入れたら死ぬだろう。
もしも何も無いなら死ななくてもいいはずだ。
そのままの状態で生きているだろう。
しかし人間には酸素が必要で1気圧の空気の圧力が必要で
体の水分を保つため空気中にはそれと平衡状態にある湿度が必要で
体温を保つためにある程度の室温が必要で、
また自分の居場所を確認するために光りも必要だ。
とかななんとか、もろもろが必要だ。
そういう必要条件は一体どこからくるのだろう?
もしも空間が数学的空間だけだったらそんな法則は存在しない。

この空間にはそういう法則が存在している。
その実体が何かはまだ人類は知らない。
しらないけれど、人間には計り知れない「法則」がこの空間に
あることは太古の昔から知られている。

ビッグバンを何も無い空間から作り出したのも
その法則なのだと思う。
決して無からビッグバンが生まれたわけじゃない。

4/26/2024

103   茶・黒・オレンジ

 テレビにサブウーハーを付けようと思って、サブウーハー用の
スピーカーを買ってサブウーハーのアンプを作ろうと思った。
部品は残っていたものを使うつもりだった。
それで簡単に抵抗とコンデンサーでローパスフィルターを
作ろうと思った。

思ったのだけど0.01μFって表記何だっけ?
と考えてしまった。
回路の仕事をしていた頃は何も考えずに数値はすぐにわかったはず。
しかしどうしてもわからない。
102か?103か?104か?
勘としては103だった。そうだ10X10^3 pFだ。
それで合っていたのだけど、記憶に自信がなくなった。
やっぱり使っていないものは忘れてしまうようだ。
それじゃあ10KΩは?
これは、茶・黒・オレンジだろう、とすぐわかった。
だけどその次の誤差の色って何だっけ?
これは忘れている。
調べてみてやっと思い出した。

16進数と2進数とかも直観ではもうわからないだろう。
今はもう使われることはないだろうけれど、
Z80のコードももうほとんど忘れている。
あれは何を使っているのだろう?
ラズベリーパイ。
へえー、32ビットなんだ。
16ビットだと思ってた。

まあ、時代は変わったね





4/22/2024

ドローン音楽

 最近DTMだかDAWだかをまた始めたということは書いたけれど、
どうなんだろう?
1からコツコツ楽譜を書いて曲を作ることもできるけれど、
DAWのクリップを並べて行くだけでも音楽(らしいもの)はできる。
はい音楽です!って言ってもいいのだけれど、
どうなんだろう?

前にちょっと愚痴ったことで、ノイズ音楽や偶然の音楽とかが、
もっとプリミティブなエレベータ音楽よりも高尚なもののように
扱われているのは何故? と思ったことがある。
だってクリティカルな発振ポイントを見つけて面白そうな
音を出しているだけだ。
あるいはシンセサイザーのやはり音の共振あるいは音の発生原理
そのもののせいで音が変化するのを「音楽」だというのは
どうなの?

たぶん抽象絵画に近いものがあるのだろう。
適当にキャンバスに絵具を跳び散らかして「アート」ですって。
それに近い。というか同じだ。

しかしピカソに代表されるような抽象絵画は全く別だ。
練りに練って自分の絵を描いている。
結果的に両方を見ると同じように見えるかもしれないけれど、
全く別なものだ。と思う。

偶然性を狙った芸術は猿にでもまかせておけばいいと思う。
そうそう、今回のタイトルのドローン音楽だけど、
最近は「ドローン・シンセ」と居直ったような名前のシンセがある。
たぶん適当につまみをいじればそれっぽい環境音楽(アンビエント)
が勝手に鳴り始める。
それはもう音楽ではなくて、そのまま「環境音」なんじゃないだろうか。
自然音だ。
だからもう蜂の羽音をマイクで拾っても同じだ。

だからどうした?ということだけれど、
シンセを鳴らしているとほとんどシンセ任せなような音で
曲を作っているんじゃないか?と心配になる。
自分はこの音(音楽)にどこまで関与しているんだ?
という疑問だ。








4/21/2024

夢は夜開く

もうどうでもいいことなんだけど、
昨日車でラジオを聴いていたら「夢は夜開く」がかかった。
ああ、小林勝也さんの番組だ。
それで「十五、十六、十七と~」と歌っているのだけど、
明らかに「じゅうひち」と言っている。
前にも書いたけれど、私はごく最近まで「7」は「ひち」だと思ってた。
ずっとそう使ってきた。それを誰かに注意された。
「ひち」は”間違い”で「しち」が正しい、と。
家に帰って来て藤圭子の歌を改めて聞いてみた。
2種類聞いて、どちらも「ひち」と言っている。
これは間違いない。
ʃ
の音は聞こえない。
明らかに[ ç ]「hi」と言っている。

よくよく調べてみると、やはりある割合で「ひ」と言ってる人がいるようだ。
”決して”「ひ」は間違いではない。
ということがわかった。

だからどうした?

4/20/2024

インセプション

 今朝妻が観ていたので一緒に観ていた。
途中で思い出したのだけどこの映画はまずい。
そうだ子供が出てくるんだった。
それで途中で抜けてきた。

私の夢に子供達が出てくる。
ほとんどまだ4,5歳のままだ。
私は「ああ、良かったまだ子供だったんだよね」
と安心して抱きしめる。
そういう夢を何度も見る。
辛い



           
 











4/19/2024

Echoic memory エコーイックメモリー

 これはおもしろいなぁ。
カクテルパーティー効果を調べていてこの言葉があった。
確かになあと思う。
特に雑踏の中で、ある言葉の断片が聞こえたらそれに続く「音」を待って
先の言葉を判断する、というようなものらしい。
英語の聞き取りなんかでもそうだが、この場合はもっと時間が短い
ものを言うらしい。
たぶんある音の前後を判断しているのではないだろうか?
ある断片的な音(はっきりした音)の前にある小さな音も必要だし、
それに続く小さな音も必要だ。
これは何かに似ている。
音声圧縮などの時にやはり前後の音を参考にしながら
カレントの音を決めて行く。それに似ている。
耳の中(頭の中)でこれをやってるらしいというのは面白い。
ドラレコが衝撃の前後も録画しているのに似ている。

・・・と思うのだけど、はたしてこの解釈で合っているのか?



4/18/2024

昨日の夢

 合宿だった。
何の合宿だったのだろう?
たぶん高校生時代。
いや、それの同窓会だ。
私は無視されている。
何か発言するが無視される。
私は何もしゃべらないことにする。
私以外のところで皆楽しんでいるようだ。
いやな感じだ。
前に見た夢の場面を思い出す。(夢の中で)
(あいつは面白くない、みんなに無視される)
その会がお開きになる。
私は一人そこを去る。
次のシーンは札幌らしい。
私とオリーブと吉野と他にだれかいる。
皆でバス?を待っている。
吉野がチケットをくれる。
もうすでにオリーブは嫌いだから
私は話しかけない。
吉野が何か話しかけてくる。
私は笑って何かこたえる。
何だったか覚えていない。
いる場所は坂道の終わりの古い駅前のようなところ。
道路、広場は舗装されていない、泥道だ。
しばらく待っていると坂の上からおかしな車が
猛スピードで降りてくる。
良く農場で見る農薬の散布車の大きな感じのやつだ。
後ろに長い箱のようなものを引っ張っている。
それが広場に着くと皆それに乗り込むが
その時小学生が大勢とさっきの同窓会の人達も一緒に
乗り込んでくる。
箱の中は思ったよりもずっと広く
電車の2両分くらいある
私はその真ん中くらいに吉野の隣に座る
「これ飛行機に間に合うんだろうか?」
とわたしが言う。
吉野は「だーいじょうぶ、だいじょうぶ」
といつものように軽く言う。

間に合ったかどうか知らない。
時計を見ると4:30
外はもう少し明るいようだった。
また寝た

4/17/2024

DTM

 私はMTRで生録音で音楽を作っている。
それでずっとやってきたので慣れているというか
それが自然だと思っている。
一方DTMだけれどもう20年以上前はそれでやっていた時もあった。
STEINBERGのCubaseを使っていた。
その頃はクリップとかの概念は無く(有ったかもしれないけど使っていない)、
まあMTRとほぼ同じ使い方をしていた。
違う所はパートの入れ替えや開始終了タイミングを自由に変えられるところ、
細かな編集が画面上でできることだろうか。
たぶん当時でも音声のピッチを自動で修正できたと思う。
でも使っていなかった。
まあ、MTRと同じ使い方をしていただけだ。

それで最近DTMをやってみようと思った。
理由はドラムやパーカッションのクリップの種類がたくさんあって
それをベースに作ったらどうか?と思ったからだ。
それでDTMソフトをいろいろやってみると、
なんていうか、もう全てをソフト任せでも曲が作れることがわかった。
そうなると一体人間は何をしてるんだろう?と思う。

ドラムスのリズムを適当に選んで並べて、ベースを重ねて
ブラス、ストリングス、エレキなどのクリップをそれらしく
並べると曲としては(言わなければ)それっぽく曲に聞こえる。
少なくとも動画のバックかなにかで流す分には十分だ。

世のオリジナルの曲なんかも半分くらいはそんな風に
作っているのではないだろうか?と思ってしまう。
別にベースが弾ける必要も無いしドラムをたたく場所も要らない、
少なくても歌う声は要るだろうと思うけれど、
それだって歌詞を入れれば歌ってくれるアプリもある。
そうなると音楽っていうものの存在が怪しくなる。

前から思っていたのだが公の場で流れているBGMというか
環境音楽というかエレベータ音楽と言うかを良く聞いてみると
人間性が感じられない。
あれ、たぶんそういう自動ソフトで作っているんじゃないか?
と思う。
他にもそういうものはたくさんあると思う。
音楽はやっぱり手作りであって欲しいと思う。

そんなわけでDTMで曲を作ってみよう!
と思う。


4/16/2024

パスタとデジャヴと夢

 このブログを見ている人が最低4人いるようだ。
つまり最低4人で多い時は十数人。
その4人の人2人くらいまではわかるけどあとはわからない。
と言うのも自分からここを教えた人が2人だから。
こんなねえ、単に自分の記憶と記録と思い付きを書いただけのブログ
を読んでいるとは本当にわけがわからない。
だいたいタイトル文句を検索してもここは出てこない。
よっぽど300回くらい深く検索したらでるかもしれないけど。

そう、それが何の問題があるかというと、
ひょっとしたら私は誰かがここを読んでいることを意識して
書かなくてはいけないのだろうか?ということ。
でもそんなことはしない。
消えてしまうと困るので公開はしている。
だからって誰かが読むことを意識して書くとFBみたいになってしまう。
・・・ので、やらない。

昨日お昼にパスタ料理を作っていた。
キッチンでフライパンに入れた具材とパスタを混ぜていた。
その瞬間「あ、これは夢のシーンだ」とわかった。
今から3年くらい前、まだ横浜にいた時に見た夢だ。
その夢ははっきり覚えている。
「広い、あたらしいキッチンはいいねえ~」と言いながら
パスタを混ぜていた。
そのシーンだ。
「ああ、このシーンだったのか!」と思った。
デジャヴのように、
記憶が蘇った。
そのイメージはしばらく頭に残っていた。

何度かそういうシーンのことを書いてきたけれど、
今回のはかなりはっきりしていた。

この写真はネットにあったものだけれど、鍋の色と
トングが今使っているのと同じだ。
こういう感じのシーンだった。