7/11/2022

選挙に行った

 選挙に行った。投票に行った。
投票に行こうと思うとちょっとしたジレンマがある。
投票行ってもいかなくても自分の一票なんか
何の役にも立たないだろう。ということ。
ジレンマとは何かひいてみた。
 
 ジレンマとは、相反する二つの選択肢からどちらか一方を選ばなければいけず、
 かつそのどちらを選んでも不利益を被りかねない状態のこと。

不利益ねえ。
投票に行った時の不利益とは何だろう?
入れた政党や候補者がその後主張を覆したりすることがあるね。
あるいは投票した候補者が落選して
「ほら、投票したって落ちるんだし・・」とか思うこともあるし、
あるいは安易に入れてしまったことを後で悔やむこともあるかもしれない。
あるいは速報を見ていて入れた候補者が落ちた時にがっかり感とか。

投票に行かなかったときの不利益とは何だろう?
たぶん自分の、何百万分の1票が失われたことだろう。
それ以外にあるだろうか?

ここが問題だと思う。
行かなくたって全然損しない。
行かない人のほとんどはそれじゃないだろうか。
まあ、わずかだとは思うけれど自分の意志・主張で行かない
という人もいるとは思うけれど。

選挙制度を変えるか、行かなかった半数の人達に投票させる気を
起させるためのなにかをするしかないだろうな。
スマホで投票できたら変わってくるかもしれないという期待は
あるかも。

7/09/2022

鯉にパンくずをあげに行こう

 近くの川に鯉がたくさんいる。
橋の上からそれが見える。
同じ川には鴨もいる。
鷺もいるしカワセミもセキレイもいる。
その鯉に餌をやりに行こうと思ってふと考えた。
「鯉に餌をやってもいいのか?」ということ。
いや、正確には
「鯉に餌をやったら”アンチ餌やり派”からクレームが来ないか?」
が正しいかも。
それで、近所には池もあってそこに鴨が訪れるのだが、
あの鴨には餌をやっても「文句を言われない」だろうか?

検索してみるとアンチ派ばかり出て来る。
要するに「野生の鳥に餌をやると自分で餌をとらなくなる」。
「渡り鳥が”本来”渡るべきところへ渡らなくなる」
からだと言う。
それがどうしたというのだろう?
しかし彼らアンチ派も「冬は自然に餌が無いから餌を与えてもいい」と言う。
何かがおかしくないだろうか。
それってほとんど人間目線の観察ではないだろうか。
「鴨に餌をやるな!アホンダラ!」とか言っている人さえもいる。

家の庭先に餌台を置いているうちが多いイングランドでは
本来ドイツからスペインあたりに渡る鳥たちがイングランドにとどまる数が多い。
とかいう記述もあった。
彼らも背に腹は代えられないからねえ。

アンチ派はどうも自分の考えが世界で一番正しいからそれに従え、
と言ってるように思える。
人間が自然から森を伐採し彼らが食べる木の実を激減させてきて、
沼や池も埋めて人間の住む家を建て、
川べりの野草を、火災の元だからと(都筑区)全て刈り取り、※
小川を暗渠にしてしまい水面すら見えなくしている。
それらを認知したうえで彼らは「野鳥に餌をやるな」と言っているのだろうか。

その前に(先に書いたけれど)彼らだって背に腹は代えられないのだ。
もともと渡り鳥が渡るのも彼らが生きてゆく上でその方が都合がいいから
渡るのだろう。
何も「渡ることが決まっているから」(人間が不安にならないように)
渡るわけではないだろう。
もしも人間がこのまま生息し続けるなら、人間の生活に合わせた
生き方を彼らが今後してもいいのではないかと思う。
だって彼らから自然を奪ったのは人間なのだから。
人間は責任を持って彼らが生きるに必要な餌をやり続けなくてないけない。

・・・というのはどうだろう?
あとで川の鯉にパンをやりに行こう。


誰かが川べりの草に火を点けて消防車が出動したことがある。
私はそのそばのビルの窓からそれを見ていた。
その時からか、毎年秋になる前に川沿いの草を全部借り始めた。
その藪の中には鳥の巣が結構あった。
もう一つ印象的な出来事があった。
その川の脇に大きな”高級”老人ホームが建つことになった。
そのエリアは奇麗な草原で真ん中に桜の木が1本あって、
毎年奇麗な花を咲かせていた。
ある日、その広いエリアの草木を全部刈り取り始めた。
私は橋からそれを眺めていた。
刈り取られるにに従って鳥たちが騒ぎ始めた。
そして草木がほとんどなくなった場所の上で、
ヒバリが数羽ずっと鳴きながら飛び続けていた。
痛ましくて見ていられなかった。
その鳥たちの声がまだ耳に残っている。

7/06/2022

昨日の夢の覚書

 娘と窓に並んで外の景色を見ていた。
遠くに山並みが見える。
薄茶色の岩山で木々は全く生えていない。
その真ん中あたりが噴火して煙を上げている。
それを眺めていると大きな噴火が起きた。
そしてその噴火は両側に広がって行った。
ずんずんという音と共に、手前にも広がってきた。
まるで絨毯爆撃のようにズンズンと近づいてきた。
私は娘を抱いて窓から離れて逃げようと思った。
窓から離れると部屋に母がいた。
母は泣きながら座っていた。
失禁していて部屋の床が水浸しだった。
私は「大丈夫だから、僕がやるから」と言って
タオルで床を拭き始めた。
しかしいくらやっても床の水は無くならない。
母はまだその中に座っている。
私は母を抱き上げて別の部屋に運んだ。
水浸しの部屋の水はさっきよりも増えていた。

目が覚めた。
さっきエアコンをつけっぱなしで寝てしまい、
何もかけずに寝ていたようだ。

今更わかったこと

 浜松フォトニクスのYouTube動画を見ていて「ああ、そうだよね」
と理解したこと。
音は段々小さくしてゆくと連続的にどんどん小さくなって、
最終的にはゼロに限りなく近い値になってゼロになる。
じゃあ光は?という実験なのだけれど、光はどんどん弱くなるけど
最後は限りなくゼロに近い値になって消える、ということにはならない。
強さが一定の単発の光がポツポツと現れて、その数がどんどん
少なくなってゆくだけ。つまりものすごく弱い光というのは現れない。
これは、まあ、よく考えればあたりまえのこと(というか高校あたりで
習ったこと)なのだけど、映像として見せられると納得させられる。
光は粒だ。

もう一つ面白いと思ったことがある。
例の二重スリット問題だけれど、自分的にはあれは量子が確率で
現れるからだと納得していたのだけれど、
さらに別な考えがあるようだ。
それは「空間は量子で埋められている」という考えだ。
これは画期的かもしれない。
その考えによると光も音や水の波と同じような挙動になる。

つまり水の波で言えばタライ(死語か?)に水を入れて、手前の水に
指を入れるとその波が向こうまで伝わる。
伝わるのは波であって指のとこの水が向こうに行くわけではない。
それと同じように、量子で満たされた空間のこっち側から
光を(1発だけ)発射すると、その光(粒子としての)は一番手前の
量子にぶつかりその振動が向こうに伝わって行く。
並べたビー玉のはしっこの1個をはじくと向こうの一番端の
ビー玉が飛び出す感じ。
電子回路のFIFOみたいな感じ。
それで二重スリットを考えるとスリットが2つある場合は、
たとえ光子が1発でも干渉を起こしそうだ。

そしてその光子の進行具合を「観測」したら、その観測行為によって
実験条件は観測した時点でリセットさえてしまいそうなことはわかる。
その考えはもう少し追及してみたい。

7/05/2022

税金

 税金を払った。
去年の会社の決算から会社を閉鎖した日まで3か月の間があったので、
その間の法人税と法人県民税、法人市民税を払えというので
彼らの言うがまま税金を払った。
「払ったよ」という連絡を税務署にした。
その時の担当は「払え」と言っていた人なのだけれど、
「これ以上無いでしょうね?」と聞いたら、
それでは法人税の担当に代わりますとか言って、その担当が出た。
それで会社解散から税金を払ったところまでの経緯を話したら、
「そのお支払いいただいた税金は払う必要は無かったですねえ」
とか言う。
「え?どういうことですか?」と聞くと、
「なんだらかんだらの予定納税の請求書を送ったようです」
と言う。
それで結局払った分は返してくれることになった。
それはすごく助かる。
来月の支払いまでに間に合うとほんとに助かる。

しかし、「もう無いですね?」と聞かなかったらそのお金は
永遠に戻って来ることはなかっただろう。
私のようにトロい経営者は結構損しているかも。

7/02/2022

贈呈本

 昨日ブックオフに本を探しに行った。
目的は確定申告について簡単に書かれた本を探しに行くことだった。
その手の本は過去に少なくとも3冊は買っているけど、ろくに読まずに
そういう面倒なことは結局誰かに任せていた。
で、その本は¥200で見つけた。
それから他の棚も見ていたらこの本があった。


前田さんの写真集は北海道にいた頃に大きな写真集を2冊持っていたけれど、
印刷が悪くてどうにも前田さんの写真の質に合っていなかった。
それはたぶんどこかで処分してしまった。
それで昨日見つけたこの本は写真は小さいけれど非常に奇麗な印刷で
また写真の数もたくさん載っていた。
これを¥750で買って帰った。
さっき改めて見てわかったのだけど、本の見返しにサインがあった。
これが本物だとすると前田さんの息子さんが誰かに贈呈したものらしい。
贈呈された人がブックオフに売ってしまったのだろう。

前にも書いたけれど前田真三さんとはほとんど事故のようなきっかけで
電話で会話したことがあるのだけど、娘さんはたぶん一度は会っているように
思う。でも息子さんとは会ったことが無いと思う。
偶然手に入れた本にサインがあって驚いた。

こういう出会いは今回が初めてではない。
やはり古本は私が行くのを待っていてくれるような気がする。

6/30/2022

会社を止めた 新しく会社の口座をつくろう

 もう去年のことなのだけれど、前の社長が1985年くらいに作った会社を
解散した。もうずっと一人だし資本金だけ大きくて税金も大変なので
やめることにした。
まあ、そこまではいいのだけど、個人会社に切り替えようと思って、
個人会社の屋号の銀行口座を作ろうと思ったらこれが意外に面倒。
家の隣にある信用金庫でつくることにした。
するとまあ、税務署に開業届を出したのでそれを持って行けばいいだろう、
と思っていたら前の会社の通帳を見せたり、家の仕事場とか機材とか
を見に来るという。
それであわてて部屋を片付けてまあ見れる状態にした。
バンクマンがやってきて機材の多さに驚いていた。
いろいろ写真を撮って行った。
話しでは1週間から10日くらいかかると言っていたけれど、
3日目にして口座を作れます、ということになった。
よかったよかった。

しかし年の途中なので青色申告は来年からだ。
こういうところが計画性の無さが効いてくる。
いままでずっとそうだった。
まあ、いまさらその根性はどうしようも無い。

6/28/2022

Back to 1969 フォークゲリラコンサート

 誰かがFBに「フォークゲリラ」の写真を揚げていた。
ちょっと違うかな?と思いながら考えていた。
その「広場」のことではなく日比谷野音で行われていた高石友也さんの
コンサートのことを。
フォークゲリラのことは「After the gold rush」に詳しい。
その中でこのコンサートのことも書かれていた。
フォークゲリラがそのコンサートに「乱入」した様子が
レコードに残っているようだ。そのレコードを私は持っていない。
その時の高石さんとこちらのメンバーの会話が書かれていた。
それを読んでいて、その時のことを鮮明に思い出した。
私はステージに上がる前までは「西部戦線」という黒い旗を持っていた。
ステージに上がってから他の人がその旗を持って先頭に立って
高石さんのところに近づいて行った。
私(とmurayama)はステージの少し後ろにいて先頭の(jiro)と
高石さんのやり取りを聞いていた。
聴衆は最初何が起きているのかわからないようだった。
暫く高石さんとのやり取りがあってから、
会場から「帰れ~!」の声があがった。
私は聴衆を見ていた。
彼らは何を考えているのだろう?と考えていた。
フォークソングファンなのだろうけれど、なんだろう?
全く違う人種のように思えた。
少なくともその時はそう思っていた。
私が向こう側にいたらどうだったかわからないけれど、
あの当時に限れば、向こう側には居なかったと思う。

しばらく二人のやり取りを聞いていたけれど、
全く高石さんの話が分からなかった。
聞き取りにくかったこともあるけれど。
この時の趣旨は前日に話し合ったように
「高石さんはなぜフォークゲリラという名前のコンサートを行ったのか?
高石さんの歌はフォークゲリラとどう関係あるのか?」
だったように思う。
私の記憶ではそういう話だったように思う。
とは言ってもそれは「西部戦線」側で話した内容だったけれど。
西口あるいはその他の人達がどういう趣旨だったのか私は知らない。

そんなわけで私達は何もすっきりせずステージを追い出されるように
その場を去った。去った時に聴衆から大きな歓声が上がったように思う。

After the gold rushに小さな写真があるけれど、
この写真が当日のその場の写真だとすると、
写真の一番手前左の長髪が私のように思う。
その右にいるのがMurayama。
間にあるギターは私のギターではない。
たぶん私の旗を渡した人かJiroのギターを私が預かったのだと思う。
向こうの右側の黒い旗が西部戦線の旗だ。

6/23/2022

タナトフォビア

 死の恐怖症を「タナトフォビア」と言うことを知った。
私が学校時代に苦しんだ死の恐怖症はそういう名前だったようだ。
このタナトフォビアは単に死ぬのが怖いとか、死ぬとどうなるんだろう?
とか親が死んだらどうしよう?とかいう怖いという感情ではない。
それは突然やってくる。
その正確な状態を今は思い出せないけれど、
・・・たぶんずっと忘れようとしてきたから・・・
その時の衝撃は覚えている。

何かちょっとしたことが原因で起きる。
最初のそれは映画「ベンハー」を家族で見ていた時だった。
衝撃が来た。
胸はドキドキしっぱなしで、
耳の中は「キーン」という音でいっぱい。
思考が「あ、死ぬんだ、人はみな死ぬ、僕も死ぬ」だけになる。
何も考えられない。
幸いその最初の時は母が隣の席に座っていた。
私は母の肩に顔をうずめるようにしてじっとしていた。
たぶん母は怖いシーンだったので私が単に怖がっているのだろう
と思っていたと思う。

その次(記憶にあるの)は、大阪に引っ越して新しい学校の校庭に
立っていた時だった。その時は一人だった。
まだ友達もいなくて一人で校庭にいた。
その時(考えないようにしていたのに)「死ぬ」という言葉が浮かんでしまった。
その瞬間衝撃が来た。
これはほんとに衝撃だった。一人だったし、
たぶん他の人から見たら「変だ」と思ったにちがいない。
完全に止まっていた。動きも思考も。
じっと耐えるしかなかった。
頭の中は騒音でいっぱいで、「死ぬんだ、死ぬんだ」という考え
だけでいっぱいだった。
小学校5年生だった。
しかし私があの衝撃を今受けたら耐えられないかもしれない。
今の私は小学生よりも弱いと思う。

それが何分だったかわからないけれど、最初にできた友達の
田辺が後ろから私の肩をたたいた。
救われた。
ショックから少し外れた気がした。
田辺は私に向こうの草むらの所に行こうと言って、
校庭の端の草むらの所に行って座った。
私もその隣に座った。
田辺はそのまま仰向けになって空を見ていた。
田辺はいわゆる秀才だった。勉強もよくできた。
その隣で同じように仰向けになって空を見た。
青い空が怖かった。
できるだけ考えないようにした。
休み時間が終わるころには気分は正常に戻っていた。
あれはほんとに田辺に救われたと思う。

その後も中学くらいまで教室や遊んでいる時に何度も衝撃が襲ってきた。
最後は何時だったか覚えていないが、中学生の時だったと思う。
その頃には対処の仕方というか、どうすれば深刻な状態にならずに済むか
というのがわかって来て、とにかく「死」という考えを排除
するようにしていた。
高校生以降はその衝撃は受けていないと思う。

その恐怖症の名前がタナトフォビアだと知って、
いろいと調べたら大人になってもその恐怖症になる人がいるみたいだ。
たぶんその衝撃を知らない人は「なんで死ぬことをそんなに怖がってるの?」
と思うだろう。
しかしそんなものじゃないんだ。
他の人の話を聞いても私が経験したのと同じだ。
「それは突然やってくる」
みなそう言っている。

大人はみな基本的に一人だ。
そばに頼もしい人がいれば幸いだけれど、たいていはいない。
その時にあれに襲われたらと考えるとほんとに怖い。
これを書いている今でもいつあれが来るかもしれないという恐怖がある。
だからもうやめよう。

追記: これを書いて1時間くらいして大事なことを思い出した。
   その衝撃の間、不思議な騒音が鳴っているだけじゃなかった。
   見ている視界がとてもまぶしくキラキラ輝いていた。
   まるでものすごく明るい照明を当てられたように。
   その衝撃の間ずっとそうだった。
   そのことを忘れていた。

札幌 ディビークロケット

 以前のブログにも書いたけれど、札幌にディビークロケットというレストランがあった。
場所は南一条西25丁目だったと思う。
「と思う」と言うのはもう一つ考えられるのが西野の平和の滝につながる道沿いにあった
レストランがそれだったのかもしれない。そのもう一つの名前を思い出せない。
でも南一条の方が記憶が強いからそっちだと思う。
お店が出来た時に行った。
ちょっとアメリカンな感じの奇麗なお店だった。
最初だったので記念品をくれた。
その記念品を実家で見つけてきた。
これが残っているとは思わなかった。
とても懐かしい。
店名だけどずっと「デイビークロケット」だと思っていたけれど、
よく見ると「ディービークロケット」みたいだ。



6/21/2022

バイクに乗った

実際問題、年齢的にも体力的にも中型バイクに乗るのはもう最後だと思っていた。
それで千歳でバイクを借りて近場を走ってみた。
バイクはロイヤル・エンフィールド350のメテオ。
予約では黒に近い色だったのだけど、当日それが修理中とかで
このブルーのやつになった。
実はこの色がいいなと思っていたから奇跡的にこれに乗れた。


 単気筒350ccだけれど、重さが200キロ近い。乗ってみた瞬間に重いなと思った。
走り始めると単気筒の音と振動がなんとも気持ち良い。
あらかじめGoogle Mapでどこを走るかを決めていたのでそのルートを走った。
バイクショップが南千歳の駅前だった。36号線とは線路の反対側。
だから国道に出会うことなく田舎道ばかりを走ることができる。
南千歳の駅から少し南に下ると牧場地帯だ。
馬の。
広々した草原と延々と続く並木道。
前回確か沙流川(日高の方向)の近くの牧場地帯に行った時に
道東まで行かなくても広々した景色はある、と書いたけれど、
今回そこまで行かなくても広々したところはある、とわかった。
実に千歳空港から20分もかからないところだ。

生憎の雨っぽい天候だったけれど、パラパラする程度で
時々太陽も青空も見えた。
景色はとてもきれいだった。

途中、踏切の前でバイクを停めた時、左足の下が砂地だったため
足を滑らせてしまった。
そのままバイクは傾いて横になってしまった。
すぐに起こそうとしたのだけどびくともしない。
本当に「これは無理だ!」と思った。
幸い車が来ないところだったので邪魔にはならなかったけれど、
どうしよう?と思った。
暫く、5分くらいバイクを前にして水を飲みながら考えた。
バイクを起こすのはたぶん数十年ぶりだ。
教習所で習った方法を思い出そうとした。
なんとかハンドルの向きと右手の持つ位置を決めて、
起した。
起せるとは思わなかったけれど、起こした。
しかしもう二度とできないと思った。
汗だくになった。

そんなこともあったけれど、6時間くらい走って
事故も起さずに済んだ。
達成感は無かった。
「もうこれが最後だな」と思った。
もし乗ることがあっても小型のスクーターだろうな。

6/13/2022

バイクに乗ろう!

 木曜日から北海道に行く。
次の日にバイクを借りて走ろうと思う。
もう今回がバイクは最後かもいれない。
知れないけれどまた秋に乗ってる気もする。

今回は千歳空港で借りてそのあたりを走ろうと思う。
時間に余裕があったら日高の方まで行きたい。
でもたぶん今回は近場だけかもしれない。
ビデオを撮ろう。
だから景色の良いところを走るつもり。

景色の良いところってうのはかなり限られる。
北海道をバイクか車で走ると景色の良いところはほんとに少ない。
なぜなら両脇がほとんど木々しか見えない。
ま、自然の中を走ってる感は十分ある。
しかし見晴らしの良い道路なんてほんとに少ない。
長野の霧ヶ峰のような見晴らしの良い高原なんて、車からは無理。
あれ、要所要所の木を道路から5メートルくらいの幅で無くしてくれたら
もっと景色は見えると思うのだけど。
まあ、冬場はあの木々が無いと地吹雪で大変かもしれないけど。

それで、走るところは牧場のあたりを走ろうと思う。
前回は沙流川の近くの牧場に行ったけれど、
今回は千歳近辺の牧場。
それでも十分きれいな景色になるはず。
特に走りながら撮るにはもってこいだと思う。

もう1日時間がとれたら日高の方にも行ってみようと思う。
後は天気だ。
晴れて欲しい。
少なくとも降らないでほしい。