7/09/2022

鯉にパンくずをあげに行こう

 近くの川に鯉がたくさんいる。
橋の上からそれが見える。
同じ川には鴨もいる。
鷺もいるしカワセミもセキレイもいる。
その鯉に餌をやりに行こうと思ってふと考えた。
「鯉に餌をやってもいいのか?」ということ。
いや、正確には
「鯉に餌をやったら”アンチ餌やり派”からクレームが来ないか?」
が正しいかも。
それで、近所には池もあってそこに鴨が訪れるのだが、
あの鴨には餌をやっても「文句を言われない」だろうか?

検索してみるとアンチ派ばかり出て来る。
要するに「野生の鳥に餌をやると自分で餌をとらなくなる」。
「渡り鳥が”本来”渡るべきところへ渡らなくなる」
からだと言う。
それがどうしたというのだろう?
しかし彼らアンチ派も「冬は自然に餌が無いから餌を与えてもいい」と言う。
何かがおかしくないだろうか。
それってほとんど人間目線の観察ではないだろうか。
「鴨に餌をやるな!アホンダラ!」とか言っている人さえもいる。

家の庭先に餌台を置いているうちが多いイングランドでは
本来ドイツからスペインあたりに渡る鳥たちがイングランドにとどまる数が多い。
とかいう記述もあった。
彼らも背に腹は代えられないからねえ。

アンチ派はどうも自分の考えが世界で一番正しいからそれに従え、
と言ってるように思える。
人間が自然から森を伐採し彼らが食べる木の実を激減させてきて、
沼や池も埋めて人間の住む家を建て、
川べりの野草を、火災の元だからと(都筑区)全て刈り取り、※
小川を暗渠にしてしまい水面すら見えなくしている。
それらを認知したうえで彼らは「野鳥に餌をやるな」と言っているのだろうか。

その前に(先に書いたけれど)彼らだって背に腹は代えられないのだ。
もともと渡り鳥が渡るのも彼らが生きてゆく上でその方が都合がいいから
渡るのだろう。
何も「渡ることが決まっているから」(人間が不安にならないように)
渡るわけではないだろう。
もしも人間がこのまま生息し続けるなら、人間の生活に合わせた
生き方を彼らが今後してもいいのではないかと思う。
だって彼らから自然を奪ったのは人間なのだから。
人間は責任を持って彼らが生きるに必要な餌をやり続けなくてないけない。

・・・というのはどうだろう?
あとで川の鯉にパンをやりに行こう。


誰かが川べりの草に火を点けて消防車が出動したことがある。
私はそのそばのビルの窓からそれを見ていた。
その時からか、毎年秋になる前に川沿いの草を全部借り始めた。
その藪の中には鳥の巣が結構あった。
もう一つ印象的な出来事があった。
その川の脇に大きな”高級”老人ホームが建つことになった。
そのエリアは奇麗な草原で真ん中に桜の木が1本あって、
毎年奇麗な花を咲かせていた。
ある日、その広いエリアの草木を全部刈り取り始めた。
私は橋からそれを眺めていた。
刈り取られるにに従って鳥たちが騒ぎ始めた。
そして草木がほとんどなくなった場所の上で、
ヒバリが数羽ずっと鳴きながら飛び続けていた。
痛ましくて見ていられなかった。
その鳥たちの声がまだ耳に残っている。