昨日昔の友人に会った。
「昔の」と言ったのはちょっと間が開いてしまっていたから。
彼はずっと日本に居なかったし、時々彼が日本に戻ってきて
何かやった時に私が参加しなかったから。
その彼が日本に帰ってきた。
つまりこれからは日本で暮らすことになった。
永久にかどうかは知らない。
またしばらくしたらやはり国に帰る、と言うかもしれない。
それはわからない。
私だって北海道にいたけれどこっちに戻って来た。
そして今また北海道に戻りたい気持ちもある。
だからそんなことは誰にも、本人にもわからない。
その彼と鎌倉で会った。
なぜ鎌倉なのか、それは鎌倉ではいろいろなことがあったからだ。
あれはひょっとして法に降れたのでは?ということにも参加した。
私にとってはいくつかのことでしかないけれど、
彼にとっては人生の大事なパートなのだろう。
もう遥か昔のことだ。
コンサートもやった。
ちょうどその日に彼の母親が亡くなった。
だから彼抜きでコンサートをやった。
ひどいものだった。
その時のことは少し覚えている。
不思議なお店もあった。
確か「談話室・モンセギュール」とか言った。
今Yahooで検索したけれど出なかった。
誰かその店のことを書いていても良さそうだけどね。
駅から行くと大仏の少し手前の右側のお店の2階だった。
階段を上がって店に入った。
私はそこには彼と一緒に2回ほど行ったように思う。
今だにそこが何のお店か知らない。
まんじさんとかジュンペイさんとかに会ったのもそこだった。
まんじさんはその後自殺してしまったと言っていた。
モンセギュールの向い側が鎌倉病院だった。
鎌倉病院のことは前に書いたけれど、
行ったことは確かだけれどその時のことを覚えていない。
病院で私が原因で大騒ぎがあったことを後で知った。
あれは・・・1976年頃だったかな? ねえ?
前にも言ったけれど病院の廊下の窓から見えた木々の緑が
太陽に輝いていたことを映像として覚えている。
大仏の前の道からモノレールの下に出て大船を通って
三鷹に帰ったことがあった。
1度か2度。
いやちょっと待て、鎌倉山での録音の時はその反対側
から来て山を登って大門邸に行ったな。
そうだ、あれが鎌倉山だった。
何だよ鎌倉山って、あんなことよくやったなあ。
あれに参加しなかったら人生の3分の1くらい無かった
ように思うな。
それで、鎌倉から江ノ電に乗って江の島に行った。
江の島に最後に行ったのはいつだったろう?
もう15年くらい前だろうか。
初めて江の島に行ったのは・・・あの時だ。
まだ20代だった。
なぜだろう?とても鮮明に覚えている。
岩場の穴から聞こえてくる波の音を聞いたり、
洞窟に入って、
奥にお宮があった。
懐中電灯もろうそくも持たずに、
真っ暗だった。
それが最初の江の島だった。
彼に連れられて江の島の海岸に沿って長い階段を、
高低差の激しい階段を歩いて岩場についた。
その場所が昔行った場所かどうかわからないけれど、
たぶんその場所だ。
でも最初に行った時は海沿いから行けたように思う。
気のせいかもしれないけれど。
彼にとっての江の島は私にとっての江の島とは
また全く違う物だのだろう。
私には幼い頃の哀愁と言うものは無いから。
しかしさすがにあの階段は疲れた。
横須賀も山坂が多いので慣れてはいたけれど、
あれだけ一気に登るのは疲れる。
無事に江の島駅まで戻ったけれど、
食事をしているうちに夕方になってしまった。
彼はモノレールからの景色を観たかったようだが、
すっかり暗くなってしまった。
だからモノレールから彼の居たアパートのあたりとか
真っ暗で何も見えなかった。
ひとつ気が付いたことがあった。
対面シートに座って真っ暗な窓の外を
その彼と話しながら
いつだったか同じように見ていたことが
あったのを思い出した。
それが箱根の帰りだったようにも思うし、
どこか別な所へ行った帰りだったかもしれない。
だけど同じように窓側に向かい合わせに座って
真っ暗な窓の外を眺めながら
話をしていたことがあった。
それをまた同じようにやっていることが
不思議で愛おしく思えた。
それがその日の出来事だった。
もう一人、友達が戻って来たことが嬉しい。