今日ふとダウジングっていうのがあったな、と思い出した。
どこかの水道局員がダウジングで水道管の位置を探し出していた、
とかいう話があった。
あれはその後どうなったんだろう?
ということを考えていたら、ラジオで糸川英夫さんの
ことを話していた。「努力を表に見せないのが天才で、
努力を表に見せるのが秀才だ」とか言ったらしい。
その彼が学校のテストの時に鉛筆サイコロを使って
答えを書いたことがあったそうだ。
それは答えがわからないからではなく、
鉛筆サイコロでどのくらい当たるのかを知りたかった
からだったそうだ。正解率は30%くらいだったとか。
そんなことを考えるのが天才だと思う。
鉛筆サイコロは当たらないだろう。
同じくダウジングが何かを見つけるのも
「偶然」と「無意識にありそうなところを探している」あるいは
「無意識に過去の記憶がそうさせている」
というのがほんとうのところだろう。
ほんとうにダウジングで何か見つかったとしたら
世の中の仕組みはひっくり返ってしまう。
だから糸川さんがもしもペンデュラムでテストの
正解の番号を当てようとしたら、
無意識のうちに正解の番号を選んでしまうはずだ。
ダウジングなんてそんなものだろう。