22年間続いた小田原のメンテナンスの仕事が終わった。
昨日電話が来た。
市との間に2社入っていたのだけれど、直接市が管理することになった。
まあ、最初の状態に戻ったわけだけれど、電話をくれた私への依頼者も
厳しくなる様子で声が暗かった。
今まで毎月1回小田原に行っていた。
最初はコンピュータ(パソコン)30台くらいですべてを管理するシステムだった。
なんでもそうだけれど最初は理想的な管理体制を築いたつもりだった。
しかし数年もすると人間がやった方が簡単にやれる部分からカットされて行った。
でもシステム全体のメンテは必要なのでメンテは続いていた。
それも10年もするとソフト制御よりもハード制御の方が早いのでハード化
されて行って、最終的には監視カメラだけが残った。
その監視カメラがカットされた。
実際のところすごくすっきりした。
毎月小田原に行かなければならないと思っていたことが
気持のどこかにあって、引っかかっていた。
毎月第1週はそういうわけで旅行にも行けなかった。
それが終わった。
小田原に行った日は仕事の後で時々海へ行った。
御幸の浜まで歩いて行く。
途中に小田原城がある。
暇なときはお城にも行った。
午後何もすることが無い時は箱根にも行った。
箱根は8月のアフロディーテの記念日とメンテの日が近いので
毎年芦ノ湖畔まで行っていた。
小田原まで行く必要性が無くなるとあまり行かなくなるかもしれない。
しかし、まあ、あの大きなビルを建ててコンピュータを大量に入れて
ネットワークを作って、ケーブルを張りめぐらして、全部が動いていた時の
管理室は騒音にあふれ屋外が35度の時も室内は20度そこそこだった
あの管理室を思い出す。