1980年以降パソコンが一般的になって行ったが、
ちょうどその時期に私はパソコンの応用システムの開発をしていた。
その時に思ったことを書き留めておこうと思う。
1.マウス
マウスは三菱総研で初めて見た。(三菱総研にいたわけではない)
その頃は中型のコンピュータ
が主流だった。VAX11とかそういうたぐいのものだった。
そこで初めてマウスを手に取ってみた。
同僚と「どうこれ?」と話した。
「これ使えるの?」という印象だった。
なぜならその頃は全てキーボードで操作していたから。
ファンクションキーとかショートカットキーとか
上下左右の矢印キーで全てを操作していたから、
いちいちマウスを動かして画面を操作するのは非常に
まどろっこしかった。
それで「使えない!」ということになった。
それがたぶん1985年頃だったと思う。
マウスを使うようになったのはNEC PC98からDOS-Vに
代わってからだ。
2.画面操作
今でこそスマホの画面のスワイプは一般的だが、最初に
画面のタッチ操作を知ったのはだいぶ前だ。
上の三菱総研の時と同じ頃だったように思う。
いや同じ場所だったかもしれない。
正確には覚えていないけれど、「2本の指を広げると・・・」
という操作をパソコン画面でやった記憶がある。
その時も同僚と話して「使えない!」ということになった。
その時もまだキーボード操作が主流だったから。
3.ディスプレイのバックライト
これはどこかの会社がサンプルを持ってきた。
ELのバックライトパネルだ。
大きさは10cm角くらいのとか25cmくらいの帯状のもの
とか何種類かを置いていった。電源をつなぐと青白く光った。
面発光だった。
「これはいいね」とか言いながらうちでは特に使わなかった。
でもあっと言う間に普及してオーディオ機器などのランプ照明
は全てEL照明になった。
それはいつ頃だったろう? 1980年頃かな?
4.トランスポンダ
今はPASMOとか非接触型のカードがほとんどだけど、
これもサンプルを持ってきた会社があった。
それはあるレーシングサーキットで車に付けて、通過した
車両を確認するために使った。
まだ電車などでは使われていなかったトランスポンダだった。
それはたぶん1990年ころだったと思う。
5.CCDカメラ
私が最初にビデオ信号処理装置を作った頃は撮像管だった。
主にビジコンの物がほとんどだった。焼き付きを起こすし、解像度も
低かった。残像もひどかった。
それがじきにCCDやCMOSに代わって行った。それはたぶん1983年頃だった
ように思う。あっと言う間にビジコンは無くなった。
しかし相変わらずビデオ信号はNTSC方式だったので解像度は
せいぜい400×350くらいしか出なかった。
走査線は480本くらいが有効だったけれど、走査線1本ごとの
解像度など望めなかった。
水平解像度が500を超えるカメラが出たのは1990年ころだった
のではないだろうか。
早いとこハイビジョンに移行すれば良かったのに、なかなか
ハイビジョンは進まなかった。
6.CD
前後するけれど、初めてSONYがCDを出したのは1979年頃だった。
WikiによるとCDの発表は1982年となっているけれど、確か
1979年か1980年のオーディオフェアーでCDが展示されていた。
私がオーディオ会社の説明員でオーディオフェアーに行った時に
展示されてデモもやっていたと思う。なにせ1979年までしか
私はオーディオの会社にいなかったから。
同僚と「あのキラキラしたやつ1枚欲しいね」
と話したのを覚えている。
もう一つの可能性としては、オーディオフェアーではなくて、
データーショーか何かに展示されていたかもしれない。
それは1981年か1982年だ。
うちの会社もデータショーに展示していたから、
そっちの方が可能性は高いかもしれない。
7.携帯電話
もう有名なことだけど最初の携帯電話はカバンのような箱に受話器
が付いたものだった。
それをいち早く使った人がいた。取引先の会社の人だった。
車にそれを積んでいた。車ででしか使えなかったけれどとても便利だった。
もちろん車から外せば持ち歩きできた。
それは1980年代中頃だったろうか。
秋葉原の街中で電気屋のオヤジがこれ見よがしに舗道にショルダーフォン
を持ち出して電話していたのを覚えている。
それから片手で持てるようになり、ポケットに入るくらいになって
ガラ携と言われるものになるまではあっという間だった。
まあとにかく昭和は目まぐるしくいろいろなものが開発された。