11/03/2013
タンデム
バイク
富士急ハイランドの近くの施設で大学のクラブの合宿があった。
あれは夏だった。クラブの中のバンド活動に限界を感じていた。
同じクラブにいたWilliam(1年下の学年だった)がある日
「もう帰りません?なんかもうどうでも良くなっちゃって・・・」と言うので
私も「おう、帰ろうか」と言う事になり、発表会の日を前にして二人でバイクに
乗って帰ってしまった。
その後私のいたバンドがどうなったかは知らないが、私は250ccのバイクの
後ろに乗り、富士急ハイランドから藤沢まで走ってきた。
途中どこかで休んだかどうかも忘れてしまったが、箱根を越える時に見えた
樹海の景色を覚えている。
今考えるとでかい男二人が250にタンデムで走っている姿は結構おかしかった
のではないだろうか。
後で知った話だけれど、あいつは本当は同じクラブのガールフレンドと一緒に
そのバイクで帰ってくるはずだった。それを私が乗ってきてしまったらしい。
ずっと後になって彼女から知らされた。
ハング
ハンググライダーを始める前に、実際はどんなだろう?と思い、タンデム体験を
したことがあった。
場所は板敷のタンデム講習(タンデムで教える)のスクールだった。
その日一日はスクールのスケジュールで一緒に行動して、飛べるようであれば
タンデムで飛ぶことができる。というものだった。
初めてハングを肩にしたのもその時だったと思う。
朝から板敷に行って、飛んだのはお昼過ぎだったと思う。
テイクオフはハーネスを着て先生の後ろに付いて一緒にランチャーの上を走る
のだが、先生の背中で足元はよく見えなかった。
後に一人で同じランチャーから飛んだが、あれは見えなくて正解だったと思う。
完全に崖だ。
前に出ていた機体が4機くらいいた。
最初先生がサーマルを探しながら上げて行き600メートルくらいのところで
操縦を交代してくれた。だからハングを自分で操縦したのはあれが最初だ。
全く怖い感じはしなかったが、思うように機体を制御できなかった。
風の音と景色がきれいだったのを覚えている。
また先生に代わってすぐの時だった、別の機体が近づいてきた。
その時先生が大声で怒っていた。全くこっちに気がついていなかったようだ。
降りてからも怒られていた。
あれがハングの初体験だった。
先日北海道でパラグライダーのタンデム事故があった。
先生が亡くなった。ベテランの方だった。
ああいう事故があると必ず「スカイスポーツは危険だ」とか「ハングとパラと
どっちが危険か」とかいう意見が飛び交う。
私が思うには、そんなことはどうでもいいと思う。
何をしようと、何もしなくとも、人生はいつも死が隣り合わせにいる。
危険だと思うこと全てから遠ざかっていると、何一つ体験せずに死ぬことになる。
「そーんなのはいやだ~♪」ということだ。
「だから君は飛ぶんーだ何処までも~♪」ということだ。