8/14/2013

泳げない

スキーも出来るし、車もバイクも乗れる。ハングも飛べるしパラも少しできる。
自転車にも乗れる。
でも子供の頃から泳ぎができない。

大阪に引っ越した時、1度だけプールの授業があった。
泳げないし、水に入りたくもなかったのでプルーサイドで友達と話をしていたら、
通りかかった先生が「なんだお前泳げないのか?」と言うので、泳げないというのが
いやだったので、「いいえ」と言った。
すると先生が「じゃあ、そこから飛び込んでみろ」と言った。
私はプールサイドから思い切り飛び込んだ。そして潜水したまま反対側までなんとかたどり着き、
水面から先生に手を振った。先生はきっと泳げると思っただろう。

大学2年の夏にクラブの仲間で三宅島に行くことになった。
その時は自分が泳げないことは公言していた。だから島一周のサイクリング競争には参加した。
しかし目的は海なので、当然海で泳ぐことになった。
穏やかな海でボートを浮かべて皆はその周りで泳いでいた。
私もボートにつかまって水につかったりしていた。

ボートの上から海底を見ると白い砂と、岩と、小さな魚が泳いでいるのが見えた。
海底までは何メートルくらいだったろう。
たぶんそんなに深くない、せいぜい5メートルくらいだったろうか。
その時誰か一緒にボートにいたと思う。それが誰だったかずっと忘れていた。

私はあの海底まで行って、あそこの石を持ってこようと思いついた。
ボートからゆっくり水に入って、頭から思いっきり潜った。
なかなか体が沈まなかった。息はどのくらい続くだろう?と考えていた。
なんとか海底に近づき、思いっきり手を伸ばして小石を握った。


それから頭を上にして海面を見た。
それはすごくきれいな眺めだった。
海面に太陽の光が反射してキラキラしていた。
あんなにきれいな眺めは見たことがなかった。

それからがむしゃらに海面に向かった。
頭が海面に出たときに周りを見たが、ボートはちょっと遠くにあった。
どうやってボートまで行ったのか覚えていない。
でも誰か女の子が「こっちこっち」と言いながら、
手を差し伸べてくれたのを覚えている。


8/13/2013

空で思ったこと その2


足が地面を離れて風の音しか聞こえなくなると、ほとんど自分と話している。
初めて空を飛んだ時からそうだ。
声を出している時もあるし声に出さない時もある。
テイクオフしたすぐ後からだ。
「よし、今日はどっちへ行く?」
「あそこでだれか上げてるな、あそこに行こう」


高い高度に一人でいると孤独感が強くなる。
初めてスキーで急な斜面に立った時もそうだった。
自分を少し後ろから見ているような感覚だ。
あるいは自分という体を操縦している感じがする。

他の機体に接触したことがあった。
私が上げ始めた時、遥か上に誰かの機体が見えた。
高さも十分あったし、先に上がって行くだろうと思っていた。
そこでしばらく回していた。バリオの上昇音はかなり強かった。
700メートルくらいまで来た時、上でバリバリと音がした。
とっさに誰かにぶつかったと直感した。
すぐに、機体が回転しているのがわかった。
どこか壊れたかどうかはわからないが、とにかくかなりの速度で下の森が近づいてくる。

その時は声を上げていた。
「ちょっとまて、レスキューだ」
「レスキュー、レスキュー」
「なんでだよ! 出ない!、出ない!」
そんなことを言っていた。レスキューというのは緊急パラシュートのこと。

思い出してみると、私はぶつかったと思った瞬間から機体をコントロール
しようとは思ってもいなかった。だからきっと両手でベースバーをがっちり握って
固まってしまっていたのだと思う。
見ていた人に聞いたら回転しながら落ちていた、と言っていたので、
ベースバーをいっぱいに引いたままだったのだと思う。

左手で胸のレスキューを出そうとするが手が震えて出なかった。
「レスキュー!レスキュー!」と叫んでいた。
左手では無理だと思って両手で引き出そうと思って、右手をレスキューの
端に持って行った瞬間に機体が”ブファ”と音を立てて水平に戻った。
そのまま何も無かったかのように穏やかに水平に飛んでいた。

たぶん両手を離したために、機体が自由になり、自分で水平を取り戻したのだろう。
後で考えたことだけれど、あの時緊急パラシュートを投げても、開かなかったろう。
それにもし開いたとしても高度が400mくらいしかなかったから、ちゃんと降りられたかどうか
疑問だ。

私は独り言癖があるのか?いやそんなことはないだろう。
誰でも空の上ではそうなんだろうか?

秋の足尾はすばらしくきれいだ。
上空から見る紅葉は絶対に他では経験できない。
1000mくらいを飛んでいると紅葉をバックに他のハングが遥か下を飛んで
いるのが見え、紅葉とハングの機体の色が実にきれいだ。

ハングは下を見ると自分の下の視野にさえぎるものが何も無い。
だから自分が飛んでいることを怖いくらいに実感できる。
体を水平にして飛んでいるのは夢の中で飛ぶシーンと同じだ。

自分の飛んでいる影が山肌に映ることがある。格好いいと思う。

思い切りベースバーを引き込むと、ものすごい風きり音とともに下降する。
地上からはヒューという音に聞こえる。
斜面で練習していた時は、いつかあれをやってみようと思っていた。



家の近くの公園へ時々行く。
50mくらいの高さの丘があり、そこから街が一望できる。
斜面の上に立つと前からいい風が入ってくる。
目をつぶるとそのまま飛べそうな気がする。

8/12/2013

空で思ったこと その1


結局、ノイマンさんが言っていた風を切るシューという音はキャノピーのあるグライダーでないと聞くことはできないことはわかった。
ハングでは飛んでいる時は両耳に風を切るボワーという音しか聞こえない。
でもそれが止まる時がある。
ソアリングしている途中でふいに静かになり地上の音がかなりはっきり聞こえることがある。
たぶん空気に対して静止した状態が起きるからなのだろう。


また、よく聞く話で、鳥と一緒に飛んだというのがある。
私も何度か御一緒したことがある。
足尾は鳶やチョウゲンボウなどの鳥がハングと同じ場所でソアリングしている。
考えて見るとあたりまえなのだが、我々が彼らのエリアに踏み込んでいるようなものだ。
サーマルを見つけて上げようとして回していると横を猛禽類が一緒に飛んでいる。
しかし彼らは私の倍以上の角度で上昇して行く。
やはりプロだと思った。

よく聞く話で、雲底まで行ったというのがある。
私も何度か経験があるが、はっきりと雲の底だと思ったことはない。私の場合がそうなのかどうか知らないが、境目ははっきりしない。臆病なのでやばいと思ったら降りる。
だからちょっともやもやしてるなということと、遠くを見ると、ああここが雲底だな。と思った程度だ。

テイクオフで失敗するのをスタ沈、山に降りるのを山沈、木の上に降りてしまうのをツリーランとか言うのだけれど、スタ沈とツリーランは一度ならず経験がある。
山沈しそうになったことがある。
その時は調子に乗ってあまりいい条件じゃなかったのに、そのうち上がるだろうとぐるぐる回っていた時だった。急に機体が激しく沈みだした。もう木の梢に着きそうな感じがしたと同時に、自然が悪意を持って私を落とそうとしているような感じがした。
自然が悪意を持っていると感じたのはその時だけではないのだが、不意打ちをくらうとよくそう感じた。 その時はそのまま山の斜面に沿って飛び、そのままランディング場までたどり着いた。

一緒に飛び始めたAさんも私と全く同じような状態で木の上に引っかかってしまったそうだ。
彼は不幸なことに木に降りたことを誰も気づかず、無線も届かず、自分でなんとかハーネスを脱いで、自力で木を降りてショップまで帰ってきたらしい。


ランディング場に戻れなかったことがある。
いつものように尾根の上で回していたのだけど、あまり上昇しなかった。そこでやめればよかったのに、深追いしすぎて、気が着いた時は尾根の反対側にいた。
そこから上昇せずに尾根を越えるルートが無かったので、あきらめてどこかに降りられそうなところを探した。1600mくらい先に茶色の地面があった。あとは畑と林だったと思う。
そこに向かって飛んだ。高度は大丈夫だろうか?電線は無いか?風向きはどっちだろうか?誰か見てくれているだろうか?とその時ほど考えて飛んだことはなかった。
降りられそうな場所の上空を2回ほど回って高度を落として行ったが、途中農家の人がいた。
上空から「すみませーん!おりまーす!」と叫んだ。(この時ビデオを撮っていたのでその声も残っている)
そこは無風だったようだ。敷地ぎりぎりに降りられた。畑ではなかったようだが、急いであぜ道に移動して機体をたたんだ。
それから機体をそのままそこに置いて、歩いてショップまで帰った。ずいぶん歩いたような気がする。自分の車に乗って機体を取りに行った。
ランディング場以外の場所に降りるのは違反なので、それを報告して罰金を払った。
罰金はそのままお酒に変わって農家の人に届けられたそうだ。
それがB級ライセンスでやった唯一のクロスカントリーだった。

8/11/2013

空の友人へ

私がスクールに入った時君はすで大先輩だった。
ハングの練習をしていたのは私を入れて6人くらいいたけれど、
いつのまにか4人になってしまったね。

私はいつも君が飛んでいるのを下からみていた。
格好良かった。
自分も早く飛びたいとずっと思っていた。
そしてずっと君は私の先を行っていた。

校長の好意で私が大池を離れてから、一度大池で飛ぶことができた。
その時は君も一緒だった。
私は200mのテイクオフはその時が初めてだった。
同じ空を一緒に飛べたことを嬉しく思う。
その後、もう一度別の山で会ったね。
その時は風の状態が悪くて飛べなかった。
あれが地上で君に逢った最後かな?
そのうち私もそっちへ行くので、
また空で会おう。



3人とも私より20以上若かったのに、タメで付き合ってくれてありがとう。
あそこで過ごした時間はほんとに楽しかった


ずっと練習に付き合ってくれたインストラクターの力也さん、感謝しています。


校長すっかりお世話になりました。
その後、遊びに行った時に、皆の飛びを見ていた私の口に
後ろからミニトマトを入れてくれましたね。
私、実はトマトが一番の苦手です。
でも、その時は別の食べ物のように思え、おいしくいただきました。
また遊びに行きたいと思っています。

今井浜フライングスクールは他のどこよりもすばらしいスクールです。


8/10/2013

高度1200メートルへ その4

最も長時間飛んだのは冬だった。
テイクオフしてから1時間ちょっと飛んでいた。その時のことをメモを見ながら思い出してみる。
テイクオフは11時くらいだった。寒い曇り空だったが日が差し始めていたので、皆次々と出て行った。私はゆっくりと機体を組みながら皆が次々出て行くのを横目で見ていた。
実は機体を組み上げる作業は自分にとっては大事なことだった。儀式に近いかもしれない。
それに早く飛びたい気持ちを落ち着かせるのにも必要な時間だった。

機体を組み上げて、私も列に並んで何番目かに飛んだ。
いつもの様に左側の尾根に向かって飛んだ。いつも上げているあたりまでくるとバリオ(高度計)が強い上昇音を上げ始めた。 そこで機体をターンさせながら上昇するのだが曜日によって回す方向が決まっていた。その日は左だった。

機体を回している時は、体をベースバーの端近くに寄せて、なおベースバーを押し出すようにする。
その日のサーマル(上昇気流)によって程度は違うが、その日はそれほど強いものではなかった。
だいたい800メートルあたりを上下しながら、尾根からテイクオフの真上、パラのテイクオフの真上、パラのランディングの真上、そしてまたさっきの尾根の上。
これを何度か繰り返していた。
降りた時は1時間以上経っていた。
しかし、その時もう40歳代後半だったので、それ以上は無理だと実感した。

この写真は板敷のテイクオフ
me on the take-off at Itajiki 

最も高く飛んだ日も冬だった。
大体いつもと同じコースで飛んでいた。
その日はちょっと寒かったが、雲は薄く、太陽が見えていた。テイクオフした時は空気が冷たくアップライトを素手で持つととても冷たかった。
いつもの尾根のあたりまでくると空気の暖かさを感じた。ほんのわずかだが下から来る空気が暖かだった。それと同時にバリオは強い上昇音を立てはじめた。
機体は回転するごとにどんどん上昇して行った。結局場所を変わることなくその場所で1200メートルまで上昇したのを確認した。
私の機体は上の写真のバディーという機体だった。前淵のみダブルになっていた。
1200メートルで周りをみると同じ位の高さを飛んでいたハングが数機、あとは皆自分よりも下だった。
しばらく尾根とテイクオフ上空を回っていた。1200まで上げたら筑波の方にも行けそうだなと思った。学生は皆筑波山まで行って帰ってきた経験があった。
しかし私にはその勇気は無かった。
足尾山のあたりで飛んでいるだけで十分だった。

1200mというのはこんな感じではなかったろうか。
(この写真は私のものではない。クレームがあれば削除します)







高度1200メートルへ その3


そんなわけでなんとかB級ライセンスを取って、晴れて足尾で飛べることになった。
足尾のSETには3つテイクオフがあった。
ハングの東とハングの西、それとパラの東だ。
ハングは東と西のテイクオフから飛び、東はショップ横のランディング、西は東よりも少し遠いランディングに降りる。ただ西のランディングはたびたび変わっている。

東のテイクオフは斜面(下写真)とその右にランチャー台がある。だいたいは斜面の方から出る。

東のテイクオフを出ると伐採してあるエリアのすぐ先に木が林立している。風の良い日はいいがそうでないときは木の先端に触れそうな気がして怖い。しかしそこを過ぎると谷だ。谷はランディングのあるショップの脇まで続いているので、全く上がらない日でもなんとかランディングにたどり着ける。

足尾は風の良い日はだいたい下の写真のようにテイクオフしてすぐに上昇できる。
出て左の尾根に向かうか、右のパラグライダーのテイクオフの方に向かうか、だ。
私は出ると左の尾根に向かう。
上の写真の左側の山並みだ。
パラグライダーのテイクオフの前はパラとハングが沢山飛んでいて、素人には怖い。
2,3回行ってみたが、とても無理だと思った。

ハングのテイクオフ上空はこんな感じで何機もソアリングしている。

私はここで120回くらい飛んだ。飛んだ記録は全部、飛行経路とともにメモしてある。
ハングのライセンスにはA,B,C,パイロット、クロスカントリーなどがあるが、私は結局
Bしかとっていない。Bしかとっていないが足尾では自由に飛べる。ただし他のエリアに下りたり、
好きな場所に下りたりすることはできない。
それでも私には十分だった。

8/09/2013

高度1200メートルへ その2


<転校>
伊豆の大池には1年2ヶ月通った。
しかしまだ山から飛ぶことはできなかったので、気分を変えようと思い、スクールを変えることにした。富士山麓のスクールや筑波のスクールをいくつか見学した。雰囲気で筑波のSETに決めた。
伊豆の雰囲気は現代的でスマートな感じだったが筑波ははっきり言って田舎だ。私が生まれたところなのでそれははっきり言える。

練習場の感じはだいぶ違う。SETは整地された斜面のような感じだ。
着地側の先は田んぼだ。そこまで飛ぶことは無いけれどその手前にネットがあり、
そこにひっかった人は見たことがある。 

私はこのスクールに中途で入ったような扱いをしてくれた。そのため本来ならまた1年間ここで練習しなければいけなかったのだが、確か4ヶ月で山から飛べるB級のライセンスを取れた。
伊豆と筑波の違いは筑波の方が体育の授業的なやりかただったことだ。
他のスクールではもっと本格的な体育会的なスクールもあった。ベテランと新入生の上下関係があった。そこは絶対に行きたくないと思った。

<初飛び>
SETで練習して、B級ライセンスを取るため山から初飛びを行うのだが、初飛びは足尾山(筑波)ではなく、山形県の南陽市にある十部一山だった。泊り込みの合宿のような形で初飛びツアーに行った。合宿などというのは学生の頃以来だったが、これは非常に楽しかった。
同じ時にBをとった仲間と親しくなっていたので、社会人、学生関係なく一緒に初飛びを楽しむことができた。

十部一山はそれほど高い山ではないが、秋の刈り入れが終わると山から見た見渡す限りの場所に下りることができた。
テイクオフの場所は平らになっていて、その片側がゆるい崖になっていた。ハングはその崖を駆け下りる感じだった。(ランチャーではなかったと思う)
その時の写真が無いのだが、雰囲気はしたの写真のような感じだ。(この写真は後に板敷で飛んだ時の私のハング)。十部一山はこの写真の緑の部分がほとんど畑だった。
初飛びは確か決まった順番に飛ぶのだが、それで上手く飛んでちゃんと降りられないとB級ライセンスはもらえない。 みんな結構うまく飛ぶのだが、中にはちょっとトラブル人もいた。
学生の一人は無線が切れたままで飛んでしまったようで、どういう風に降りればいいかをインストラクターから指示が得られない人がいた。
しかし彼は休憩所のテレビアンテナを壊しただけで無事降りることができた。もしもそれが私だったらと思うと、うまく降りられたかどうか疑問だ。
女性(社会人)の一人はテイクオフしてそのまま固まってしまって、遥かかなたに降りた人がいた。
普通はテイクオフしたらすぐに体を水平位置に持ってくるのだけど、彼女は直立した状態だった。

私の番になって、テイクオフに立った。その時は風がきれいに入ってきていた。
確か3歩走る前に体が浮いていた。無線もきれいに聞こえていたので結構すんなり飛んで降りることができた。その時のインストラクターは板垣さんという世界的にも有名なフライヤーだった。
その時のフライトではまず問題なくB級がとれる内容だった。

順番が回るのが予定よりも早く、2回目を飛べる人は飛ぶことになった。
私も何番目かに飛ぶことにした。
2回目は風の状態が悪く、なかなか良い風が来なかった。そのため無風状態で飛ぶことにした。
無風ではかなり走らないと飛べない。
タイミングを見て私は走り出したが、途中でつまづいた。そのまま機体を肩に崖をすべり落ちてしまった。
何人かが助けに来てくれた。
機体はアップライトが折れたけれど、大丈夫だった。
私は前歯の1本がぐらぐらになってしまった。

一応テイクオフの失敗は危険行為になるので、B級を取るのは難しかった。
2本目をやらなければ良かった、と後悔した。
しかし発表の時に、板垣さんは1本目が良かったからと、私にB級をくれた。
これは本当に嬉しかった。
バイクの失敗の時と同じようにまた何度も練習しなければいけないかと思っていたから。


8/08/2013

高度1200メートルへ その1

要するに私が一人でたどり着いた一番高い高さだった。
ハングのことも忘れないうちに書いておこうと思う。

空を飛ぼうと思ったのは、結局ノイマンさんの話が元だったように思う。
ノイマンさんはマイクロフォンで有名なあの会社の社長さんだった。
ソアラーを自分で飛ばしていて、その話が実に面白かったからだ。

その話から15年後、伊豆の大池という場所にあるフライングスクールに通うことにした。
なぜそこにしたのか理由がよくわからないが、そこにして良かったと今思う。
スカイスポーツの中で自分で動力無しで”飛べる”(落ちるのではなく)のはハンググライダーとパラグライダーだけだ。あとは何がしかの動力、助力が必要だ。

パラで山から飛べるようになるのは1ヶ月くらい、ハングは1年と聞かされていた。
どちらかを選ぶわけだが、全く考える余地無くハングにした。
機体と飛行姿勢を考えてそう決めた。


大池というのは山の中腹にある盆地のような場所だ。
そこに練習バーンと200mと300mのテイクオフがあった。
練習バーンは上の写真の場所だ。約30メートルの処から斜面を駆け下りる感じだ。
下から見ているとたいした高さには見えないが、この場所に実際に立つと見え方は全く違う。
下の写真が上から見た景色。


ハングやパラは向かい風か無風状態でないと飛べない。一般的な会話では「追い風」は調子がいいことを意味するが、ハングやパラでは「追い風」は最悪の状態だ。

だから、一日のほとんどは良い風を待っている状態だ。
それはどこのスクール(エリア)でも同じだ。
良い風が来ない日は飛べない。片道3時間かけて行っても飛べない時は飛べない。

ハングの場合、約20キロから25キロくらいの重さの機体をかついでこの斜面を何往復も上り下りする。真夏はまさに地獄のような労働だ。
でも誰もやめようとはしない。
皆早く山から飛ぼうと思っているからだ。
ハングの場合、夏も経験するが真冬の練習も経験することになる。王道はありえない。


私と同時期にハンググライダーを練習していた人が6人いた。他の多くの人はパラグライダーだった。だからハングの練習をしていた一団はちょっと特異な存在だったかもしれない。
私のほか、Mariちゃん、Mayumiちゃん、Mitsuki、Tsuji君、もう一人あまりこない人がいた。
この時40歳だった私はもちろん一番年上で他の人は20台だった。

30メートルのテイクオフでも皆トランシーバを付けて飛ぶ。
インストラクターが着地するであろう場所に立って無線で全ての指示を与えてくれる。
その状況を再現するとこんな感じだ。



インストラクター(以下イ): そっちの風はどうですかー? こっちは結構いい風入ってます。
                  よければいつでもいいですよ。

私(以下ワ): 大丈夫そうです。

イ:  じゃあ、行ってみましょう!

わ:  (無線ではなく) 行きまーーす!  

私は走り始める。 機体の先端を見ながらとにかく走る。
風が機体を持ち上げて、足が空回りするが、走るのは止めない。

完全に機体が浮くと眼下に見える景色は違って見える。
たぶん人間は慣れないうちはあんな風に見えるのだろう。
全てが魚眼レンズを通して見ているように見える。
飛んでいる自分の周りは大きくゆがんで見える。

30メートルからの飛行ではそんなに長い飛行時間ではない。
せいぜい数十秒だと思う。
その間にハングの姿勢制御を学ばなければいけない。

降りたらまた機体を担いで斜面を登る。
それを1年間くりかえした。

大池(今井浜フライングスクール)の校長の西野さんは第一回日本ハンググライダー選手権の優勝者だ。とてもお世話になった。
その息子さんの力也氏が私の先生だった。年齢差は20以上だったと思う。若くて元気な人だ。
とてもお世話になった。
私はスカイスポーツのスクールをいくつも知っているが、今井浜ほどアットホームな雰囲気で皆が楽しんでいるところを他に知らない。

8/07/2013

夢の論理

先日ある作業をしている時に、その作業の視野に重なって別の映像の断片が見えた。
それはゲーム盤のようでもあり曼荼羅のようでもあり、一瞬のことなのではっきり
確認できなかったが、
今やっている作業を別の視点で見ているような映像だった。
また既知感に近いものだった。

だから、どこかで見たはずの映像なのだけど、思い出せない。
しばらくして、それは夢のシーンだったのかもしれないと思った。


夢の話は自分にしかわからない。
たぶん覚醒している時に夢の中の行動は理解できないだろう。
しかし、夢の中では成立している行動なのだ。
その断片的映像は現実にやっている作業を夢のロジックで置き換えたものだったように思う。

夢で私はよく電車に乗る。
しかし行き先はたいてい自分が望んでいる方向ではなく、別な場所についてしまう。
そこから帰りの電車は無く、歩いて戻ろうとする。
恐ろしく長い道のりを歩き続ける。
途中、海峡を渡るとても細い橋を渡ったり、水の底をあるいたりする。
足を下ろすのがいやなくらい汚いところを歩いたりする。
途中で自分の車が停めてあったはずの場所を探しまわり、
街中を歩き回る。
いつのまにか車に乗っているが、その車はなかなか動こうとしない。
どたばたしているうちにそれが自転車に変わってしまう。
自転車は曲がりくねったスロープを矢のように駆け下りる。

そんな夢をずっと見ている。
それでも夢の中では普通のことのように世界は動いている。

夢の中のシーンに実際に出会ったことは少なくとも3回はある。
その場所に出る前に、その景色が見えた。
その瞬間自分は夢の中に戻ったような気がした。

夢の中で既知感にあったことがある。
家の中には私にかかわる全ての人がいた。
亡くなった両親やめったに会わない兄弟もいた。
子供もみないた。
子供の体を抱きしめた時、「あ、この感じは前にもあった」と思った。

親の記憶を夢で見たことがある。
私がほんとうにまだ小さな頃から恐ろしい夢を時々見た。
大きな黒い台があり、私はその脇にいてそれを見上げている。
黒い台の上には何かが載っていて、煙を上げている。
その上の空は灰色の雲が渦巻いている。

そんな夢を時々見て、泣きながら目を覚ました。
私はその夢の話を母親に話したことがある。
母は何も言わなかった。

母が広島にいたことを私に話してくれたのは私が30歳になってからだ。
それまでは全く話してくれなかった。
それを聞いて一緒に広島に行こうと言った。
母はあの時以来広島には行っていなかった。

広島空港(昔の海の傍の)について、そこから母の家があったところまで歩いた。
歩きながら母は昔ここには何があって、誰が住んでいたのか、
母の父親が県庁で被爆して、家まで自転車を引きずって帰って来て、
家族の無事を知ってから亡くなった話や。
その父親を河原で荼毘にふしたことを聞いた。
その時のシーンを私は記憶しているのだと思った。

記憶が遺伝するものかどうか知らない。
しかし私が母の記憶を持っていることは確かだと信じている。


8/05/2013

バイクー2 夏は心の状態



バイクの話だが、この映画は昔だったら絶対に観なかったと思う。
しかしYouTubeにアップされていた断片を何の気なしに見ていたら全部を観てみたくなった。



原作はずっと昔に読んでいた。片岡義男の「僕のオートバイ彼女の島」だ。
まあ、片岡義男だからそういう話だろうなと思って読んだのだが、やはりそういう話だった。
ただ、最後のところの言葉だけ記憶に残っていた。その言葉がこの話だったことをすっかり忘れていた。

映画を観た。
ストーリーはどう贔屓目に見ても最悪だろう。
しかしバイクで走るシーンは涙が出るほどいい。
他にストーリーはいらない、バイクのシーンだけで映画を作ってくれ。

Kaw(コー)は私の昔のあだ名でもある。
主人公には似ていないが走りたい気持ちはわかる。
夏は心の状態なのだから。



8/02/2013

私の音楽ー15 YouTubeの1

YouTubeを始めて、一番最初にメールをくれたのはLarryというアメリカ中部に住んでいる人だった。Larryはキングストントリオのファンで自分はYouTubeにアップしていないが、彼の友人のバンドをアップしている。
Larryとメールのやり取りをしているうちに一緒に何かやろうということになり、お互い良く知っているキングストントリオの曲をやることにした。私が最初に歌を歌ってそれを彼にメールで送り、それに彼が彼のパートとギターを録音するというやりかただった。
何曲か一緒にやったがそれはYouTubeにはアップしなかった。

それからしばらくしてJohnさんという人がメールをくれた。かれはFloating House Bandのメンバーと知り合いだった。私もレコードを持っていたので話が合っていろいろなことを話した。
Johnさんと私は色々なことで一致することが多く、驚くべき一致だとか言い合っていた。
Johnさんはその後もう4、5年くらいになるだろうか、ずっとメールをやりとりしている。

JohnさんはMartinのギターを持っている。ビンテージのギターだ。だけど彼の歌も演奏も未だに聞いたことがない。
Johnさんと話をしていうちにcllaborationはどうだろう、という考えが浮かんで、Johnさんもそれはすばらしい考えだと言っていた。

それでYouTubeにアップされている沢山の人の中から一緒にできそうな人を見つけて勝手に伴奏とコーラスを付けることにした。
最初の犠牲者はBillさんだった。BillさんがDonald and Lydiaをひとりで演奏している映像に私の映像を編集して、一緒にやっているようにした。


それを非公開でBIllさんに知らせて、アップしていいかどうかを尋ねた。
Billさんはその映像を見て驚いたようだった。またすごく喜んでいた。すぐに公開するように言ってきたので、公開した。
それがcollabの最初だった。
まだ他にもcollabビデオをアップしている人はそんなにいなかった。
Billさんとはその後も沢山のcollabビデオを作った。
BIllさんはアメリカだが、アメリカでは他にRichさん、Donさん、Micheleさん、Bethさん、Peterさん他何人かの人とcollab友達になった。

またスウェーデンのGittさん、やフィリピンのDamselさん、ほかドイツ、アイルランド、イギリスなど他の国の人ともcollab友達ができた。

グループでコラボはどうだろうと思い、MochidukiやYoshinoに手伝ってもらい、一緒にコラボビデオを作った。曲は前からやりたかったMy Back Pagesで、それを各verseごとに一人ずつ歌ってもらうことにした。

メンバーは Rich(US), Mart(Japan), Michele(US), Gitt(Sweden), Beth(US),Bill(US)と私とMochidukiとYoshinoだった。
もう一人Damselを加えたかったのだけど、連絡がとれなかった。

これがそのグループコラボ

実は私はほとんど連絡係で、演奏のほとんどはMochiがやっている。
全然出てこないのも寂しいので最後に1番を繰り返し入れて歌っている。

これは各人のサウンドとビデオをそれぞれ編集でまとめたのだが、思ったよりも上手く行ったと思う。私はきれいにできるよりもライブっぽいのがすきなので、こんな感じがいい。

Micheleさん(黒いロング髪)は、ギターを持って歌いたがっていたのだけれど、アカペラで歌ってもらった。アカペラで歌うのがよっぽどきらいな様で、次はギターを弾きながら歌うから、と何度も言っていた。

Bethさんは静止画を送ってきたけれど、彼女の歌はすごくいい。
ブロンドのGittさんはいつもセクシーかつキュートだ。
先頭のRichさんは自分で改造したHarleyに乗っている。メールの書き方もぶっきらぼうで好きだ。Veriginiaに住んでいる。
日本人のMartさんは北海道からだ。

Billさんには最初からトリをやってもらうつもりだった。
オリジナルキーは男性には高すぎて、女性には低いので、Mochiにキーを何度もシフトしてもらった。それによってみなちょうどいいキーで歌うことができた。

私は演奏はしなかったが、この時のメール交換は実に面白かった。
そのうちまたやりたい。



8/01/2013

私の音楽ー14 バンド(続きの続き)

札幌フォークでやったコンサートが最後だった。
それ以降ずっと長い間バンドは組んでいない。

さて、いつの写真だろう?

1990年に学生の時のバンドを再結成してCDを作ったのがバンドと言えばバンドだった。
その後2000年にも何jかCDを作ったろうか。
あるいは同じようなメンバーでその後も何度かライブをやった。
また、学生の頃のもう一つのバンドも再結成して何年かやっていたが、これもまた昔のぶり返しでいやになり、やめてしまった。

今は、Mochi, Yoshinoと年に何回か集まって「音楽をやっている」。
バンド活動ではないのだろう。
インターネットを利用して音データをやりとりしたりして音楽を作っている。
またYouTubeを通じて知り合った海外の人たちとも音楽をやっている。

バンド活動というのはもうやらないだろう。
音楽の好きな人と、好きな時に一緒に音楽をやるのが音楽なんだと思う。