10/24/2016

学校放送 「森は生きている」  Двена́дцать ме́сяцев

突然歌を思い出した。
「燃えろ、燃えろ、鮮やかに~ 夏はかっかと照るだろう…」
っていう歌なのだけど、全部は覚えていないこの部分の歌詞と、
メロディーは多分全部覚えている。
あれは三鷹の第六小学校の西の端にあった校舎で聞いた歌だ。
その頃、学校放送というのがあって、お昼休みか?授業時間かにラジオ放送を
聴く時間があった。
そこでやっていたのが「森は生きている」というお話だ。
その中で「12月の歌」という歌が流れ、それが上の「燃えろ~、燃えろ~」だった。

検索してわかったのだが「12月の歌」というのは”じゅうにつきのうた”と読む
らしい。そうだったろうか? と言っても当時は曲名は言わなかったと思うが。
そういうのだからそうなんだろう。

それで、この歌はYouTubeにあるだろうか? と探してみた。
原題が Двена́дцать ме́сяцев らしい。全く読めないが。
それで検索すると「森は生きている」の劇、アニメが出てくる。
その中の歌を探して通して聞いてみた。
しかしあの歌は無い。
さらに検索してわかったことはあの歌は日本人が作曲したうただということだ。
すっかりロシアの元歌があるのだと思っていた。
それになんかロシアっぽい曲だったからすっかりそう思っていた。
作曲は 林光 だそうだ。

あれを学校放送で聴いたのは、1960年だったと思う。





























10/17/2016

The Log Cabin (自由茶屋)

前から気になっていたことがあって、それを実行することにした。

静岡の山合いに木造のお店が有りそこで定期的にフォークソングの集まりがある。
その建物を写真で見た時になにかとても懐かしく感じた。
建ってからちょっと時間が経っているのを感じさせる色と木の質感だ。
40の頃に行ったノースカロライナのブーンにあったマスト・ストアーの感じだ。



あの木の肌の感じだ。

静岡のそのお店に一度行ってみようとずっと思っていたけれど、出不精のためなかなか行けなかった。
それを昨日実行した。

一応地図は頭に入れていた。
静岡駅前からバスでそのお店の「近くの」バス停まで行った。
もうそこはほとんど山間という感じだった。

頭の中では、あの先のカーブを曲がった先だろう、くらいにしか思っていなかった。
歩き始めてしばらくしたら車が止まって、その集まりに行く人が一緒に行きましょう、と
車に乗せてくれた。
後でしらべたらバス停からお店まで2.5キロあった。
歩けない距離ではないけれど最近足が痛いので歩いたらかなりつらかったかもしれない。
着いたお店の前は川が流れ、その向こうは山だ。
アパラチアの山の中に似てなくもない。




お店の裏は茶畑になっていた。
お店の中はこんな感じに、ライブ用に配置換えされていた。
中も感じが良い。



こういう集まりは一人ずつ順番に何曲ずつかを歌う。
結局3回回ってきて準備していた歌を全部歌ってしまった。

帰りは、来るときに拾ってくれた方に三島まで送っていただいた。
静岡から三島まであんなに距離があるとは思わなかった。
新幹線駅まで送っていただき、とても助かった。

9/25/2016

本日は晴天なり Test,one,two,three

というマイクテストに使われていた言葉がある。
「この言葉は英語のIt's a fine dayをそのまま訳して使っているので、
元の英語の周波数成分を含まないので意味が無い。」
というのが通説らしい。
しかしこれはどう考えてもおかしい。
まず周波数成分としては「本日は晴天なり」の方が高い方から低い方まで多く含んでいる。
あるいは英語の発音に意味がある、とか言う人もいるけれど、英語の発音を日本で
使っても意味が無い。それより日本語の発声の方がいいに決まってる。

これはたぶん誰かがでっちあげた都市伝説なんじゃないだろうか。
日本語でも英語でも検索したけれど、この言葉(It's a fine day)がマイクテストに使われていたという記述は無い。(…と思う)
何かの映画でマイクテストにこの言葉が使われていたのも聞いたことがない。
「アマチュア無線で使われていた」というのが誰かのサイトに書かれていたけれど、
それなら挨拶は「CQ、CQ」とかだろう。

ちょっと参考になることが書かれていた。
http://www.southgatearc.org/news/april2006/first_words.htm

The first word spoken on radio
'Hello!'  Not surprisingly, it was the first word to be heard over the radio some 100 years ago.
From the time he was a young boy, Canadian Reginald Fessenden was fascinated with the idea of transmitting voice. Upon hearing his uncle describe Alexander Graham Bell's demonstration of the telephone, the 10 year-old reportedly asked, "Why do they need wires?" He then spent much of his life trying to figure it out.
His early attempts at voice transmission were unintelligible. With government backing, Fessenden, and his assistant Thiessen, kept trying various improvements until they met with success. The first words transmitted via radio were "Hello! Test, 1, 2, 3, 4. Is it snowing where you are Mr. Thiessen?"

この最後のところだけど、「Test, one , two,」は今でも使われるマイクテストの言葉だ。
その次のところだけど、「It's snowing 」と言っている。
つまり時候の挨拶だ。
たぶん「本日は晴天なり」という言葉を思いついた人は、誰かが時候の挨拶として
It's a fine day「いい天気です」と言っていたのを、そういうもんなんだと思って
使っただけなのだろう。それは自然に出る言葉だから。

しかし、この「本日は晴天なり」という言葉は日本では広く使われてきた言葉で、
とても素晴らしいと思う。思いついた人は天才的だ。
今でも正式に無線でのマイクテストにこれを使うことが決められているらしい。
この言葉がすべて正確に再現できているかでオーディオ設備の再生精度を
確認するのにとてもいい言葉だと思う。
最近はあまり使われなくなったのが寂しい。




9/23/2016

ノスタルジック渋谷

ねえ、あれはいつだっけ?
渋谷駅前のハチ公前の広場で別れたのは。
まだ交番があったね。
あの後の記憶がはっきりしない。
あの時君は何て言ったの?

あそこで別れたということはそれまでどこに行っていたのだろうか?
なぜだろう、その前まではもっとたくさんの人がいたように思う。
どこかでみんなで集まっていたのかな?

それじゃあ、あれはいつだったろう?
地下の部室だったかな?
学校だったと思うけど、
はっきりしない。
ねえ、あの時は君は何て言ったの?

あの映画は僕は全く観る気がしなかったよ。
でも観て良かった。
あんなにすごい人だとは思わなかったから。
今でもあの映画は思い出せる。
だけど、なぜ君は僕をあの映画に誘ったの?
その映画館はもう無いけれど、
渋谷に行けばあの映画館があるような気がする。

あの地下の喫茶店。
あれももうずいぶん昔に無くなってしまった。
でもあの煙った狭い部屋で、
洪水のような音の中に僕らが居たことは
今でも思い出す。

実はあの後何度かあのお店に行ったんだ。
でも君に会うことは無かった。
じゃあ、なぜ君は僕をあの店に誘ったの?

君のアパートの狭い部屋のコタツで
朝までレコードを聴きながら話をしたね。
空が明るくなる前に
僕は眠ってしまった。
あの部屋ももう無いだろうな。
駅からの道は覚えているけれど
あの部屋まではたどり着けない。

雨の日の野外コンサート
傘の中からステージを眺めていた。
誰かが大声で歌っている時に
君は何か言ったね
よく聞こえなかったけど
あれは何て言ったの?

いつだったか君の家に電話をしたね。
あまり元気がなさそうだったけど
君は僕に聞いたね。
その時僕は何て言ったろう?

全てはまだ何もが始まる前のこと。
ずっとずっと昔、昔のこと。
たぶんあの時が世界が始まる前の
最後の1ページだった。


9/20/2016

札幌1992年 (2)

住んでいた時には近くに古い洋館のような建物がいくつかあった。
この1992年に行った時にはすでにそのいくつかが無くなっていた。
でもこの家だけは1992年には残っていた。


しかしこの辺りは今はすっかり変わってしまってもう無い。
多分大通り20の17あたり。
ここよりもう少し西の方にももう1軒あったように思うが、そこももう無かった。

私が住んでいた(下宿のようなアパート)は1992年にはまだあった。
大通り22丁目だった。

右手のシャッターの向こうに鉄製の階段があった。
そこを登ってすぐ右側が私の部屋だった。
しかしこの写真は当時と何かが違うような気がする。
何が違うのだろう?

札幌1992年 (1)

私が東京に移ってから2度目の札幌だった。
写真に1992年とあるので、多分1992年なのだろう。
写真を見ると今年行った時には既に無かったものが写っていた。

円山市場
円山市場の北側に駐車場があったけれど、それがまだあった。
この駐車場は現在は半分以上無くなっている。
その向こうに見える果物屋だけれど、現在残ってお店がそうだろうと思っていたら、
今あるお店はその隣にあったお店のようだ。
上の写真にあるビルがそのようだ。色が茶色に変わっている。

一枚、どこで撮ったのかわからに写真があった。
たぶん、昔からあったであろう家を撮ったのだと思う。
たぶん街の方だと思って地図を探したけれど、よくわからない。
それで写真にある「安全モーター商会」という名前と「54山京ビル」という名前で
調べてわかった。ここだ。Googleだとここだ。
この青い三角屋根の建物だけれど、1975年の航空写真には写っていない。
でも1985年には写っている。

だからたぶん1975年よりも後で建ったもののようだ。
現在は幅が半分になっているようだ。
しかし、なぜこの場所を撮ったのかわからない。

9/18/2016

友人とクラッシック

問題は同じことを二度書いてしまうことかもしれない。
でもこれはまだ書いていないはず。

高校は都立神代高校という高校だった。
木造のおんぼろ校舎だった。
友人に「カチョウ」と呼ばれている男がいた。
本名は小柳勇志朗と言ったと思う。  字が違うかも。
私はクラスでは一番背が高い方だったが、彼は私よりも2センチくらい大きかった。
並んでバス停まで帰る時、あいつはよく私の肩に手を置いて歩いた。
ちょっと変だったかもしれないが、その時はそんな風には思わなかった。

カチョウもクラシック音楽が好きだった。
よく音楽の話をした。
クラシック音楽の話を気兼ねなくできるのは彼だけだった。
音楽の知識は私の方が詳しかった。
でも彼の方が間違えていても決して譲らなかった。


私は短距離が得意だった。
体育の授業で50mの記録を録る時があった。
私とカチョーは同じグループだった。
ゴールの手前で横を見た時カチョーは少し後ろで顔を上に向けて走っていた。
そのグループでは私が1番だった。
でもカチョウは1番の記録時間を自分の時間と信じていて譲らなかった。
ま、いいかと思って、私は2番目の記録を自分の記録として書いた。

どこかに一緒にオーケストラを聴きに行ったことがあったような気がする。
調布だったか。
その会場がシンナーの匂いが強くて音楽を聴いてる場合ではないほどだった。

カチョーの家に行ったことがあった。
確か多摩川に近い団地の一室だった。
タンスの上でハムスターを飼っていた。
その匂いがたまらなく臭かった。
「気にならないの?」と聞いたら、気にならないと言っていた。

カチョーと付き合わなくなったのは、私が当時同じクラスの女の子と付き合い始めた
からだったのだろう。
私が彼女とバス停まで歩いていると彼は道路の反対側を一人でまっすぐ前を向いて
歩いていた。
そのシーンだけをよく覚えている。

それからずいぶん年月が経ってから、京王線の電車で偶然彼に会った。
全く以前のままの感じだった。
「元気?」とかなんとか言ったように思う。
私が電車を降りるとき「じゃあね」と言うと、
彼も「じゃあ」と言い、
まっすぐ窓の外を見ていた。

9/14/2016

Kein schöner Land , Trapp family in America「菩提樹」から

この映画を初めて見たのは実に小学校6年の時だ。
とてもよく覚えている。
特にこの最後のシーンとこの歌のメロディーは覚えている。
時々くちずさんでいた。


ずっと後になって、もう50近くになってこの映画がネットで買えることが分かって、
注文した。
海外のアマゾンだった。
DVD2枚組でTrappファミリーのヨーロッパの物語と、アメリカに渡ってからの物語
が2枚のDVDに入っていた。
ただし、これはPAL仕様のDVDだった。幸い仕事上PALの再生はできた。

そのDVDを改めて見た時思ったのは、劇中の曲は覚えているけれどシーンはほとんど覚えて
いないことだ。
この少年は「野ばら」に出ていたミハエル・エンデだとわかった。
母親役の女性は今見るととても綺麗な人だと思った。

小学生の時に見た時はこれが後のサウンド・オブ・ミュージックの元になった映画
だとは知る由も無かった。
サウンド・オブ・ミュージックは16歳の時だった。
映画の中でI am sixteenと歌っていたが、その年齢だった。

YouTubeにはこの歌を歌っている映像がたくさんある。
でもメロディーが映画のものとは少し異なるみたいだ。
とても美しい歌だと思う。






8/29/2016

無言歌 Vazha Azarashvili

昨日は日曜日。
コンビニでお弁当を買って、都筑中央公園に行って食べることにした。
いつもは人の居ない広場に親子連れがたくさん。
ベンチに座って前のバーに足をかけて、お弁当を食べた。
非常によろしくない恰好だ。

スマホでFMを聴きながら。
最近聴かなかったキラクラをやっていた。
いつもは聞き流して聞いているのだけど、昨日の最後の方でチェロの曲がかかった。
これはクラシックなのだろうか?と思った。
どこか懐かしい、いつか聴いたことのある感じの曲だった。
「ア… の無言歌でした」と言っていた。
作曲者の名前が聞き取れなかった。

家に帰って調べた。
Vazha Azarashviliという人らしい。
アザラシヴィリだろうか。
YouTubeにあるだろうと思って検索した。
あった。

FMでやってたのはもっと小編成だったように思うが、この曲だ。
いい曲だと思う。
このアザラシヴィリさん、どうやらジョージア(グルジア)の作曲家らしい。
YouTubeには本人と思われる映像がいくつかあるが、読めない!


8/19/2016

CG景観ソフト(3) Terragen

現在TerragenはTerragen4のBeta版が出ている。
Terragenは最初から使っているがTerragen3で大幅に変更があったように思う。
それまでは結構適当な設定でそれなりの絵が作れたけれど、Terragen3になって
設定が細かくなって、機能も増えた。
昔のTerragenで遊んだ画像はあまり残っていない。

旧Terragen


これは確か、グレイスケールのビットマップ画像データをマスクにして地形を変形させた
ものだと思う。この時点でも大気やオブジェクトの表面などを細かに設定すれば
かなりきれいな画像ができた。

Terragenはその名前の通り地形を作るのは簡単にできる。
また大気や霧、水、雲などリアルな設定ができる。



樹木はpopulationで植林することができるが、エリアの端っこが見えるとこのように
バリカンで刈ったようになる。
後ろの山だが、デフォルトのままだとこの山が必ず見える。



ここで使っているpopulationだがほぼ同じ2台のWindows10 64bitのマシンで片方はエラー
を起こしソフトがダウンしてしまう。何度やっても同じ。
その理由がわからない。
もう少し形のいい樹木のオブジェクトがあればよいのだが。
たぶんどこかにあるだろう。

Terragenはまるで仮想のGoogle Earthのように思える。



ま昼間からこんな風に見えるかどうか知らないが、適当にセットするとこんな感じ。


思うに、CGで景色を描かせる意味は現実には無い景色を描くことだと思うが、
やっているとできるだけ現実に近い絵を求めるようになる。
だったらどこかで写真撮ってくればいい、とは思う。

しかし、まあ現実に山に登ってこんな景色をみるのはかなり労力がいる。


しかし、すばらしいのはこんな絵を描くことができるソフトが無料ということだ。
いろいろ制限はあるが、ある程度満足できる絵は作れる。

あとは、動画だ。
動画でこの景色の中を飛ぼうと思うと6万円くらい払わないといけない。
まあ、昔のソフトに比べたら安いものだ。

8/18/2016

CG景観ソフト(2) レイトレーシング

しかし、一番最初にポイントごとのデータを表示する方法をやめて、
ワイヤーフレームにした所で、もしもポイントごとの表示をもっと
追及していたら今の自分も少し違う生活をしてたかもしれないと思う。

レイトレーシングというものが出たのはもっとあとの1980年前後だったと思う。
私がCGをやっていたのは1979年だから1年間の時間があったはず。
スターウォーズで満足してしまったのが間違いだった。

対象物の1点が画面のどこに投影されるかを計算するのは、ワイヤーフレームの
隠れ線消去よりもはるかに簡単だ。
その1点がどのような色(輝度)で画面のどこに表示されるかを計算すればいい。
はみ出した点は単純に表示しなければいい。
基本的にはそれだけだ。

まあ、当時のPC8001では色で表現することは不可能だったから、
モノクロのディスプレイを使って白黒8諧調で表示できないこともなかったかも。
それを追及して、どこかのコンピュータ会社に入り込んで1,2年で
開発したらソフト屋になっていたかもしれない。

問題はディスプレイの表示能力と計算速度だったかもしれない。
当時はBASICが便利だったのでそれを使っていたけれど、
BASICでレイトレーシングを細かな画素でやるには相当時間がかかったと思う。

まあ、今だから言えることだけれど。



CG景観ソフト(1)

CGというものを最初にやったのはNECのPC-8001だった。
1976年だと思う。訂正:1979年だった。
ASCIIに載っていた海外のソフトを参考にしてBASICで作った。
当然速度は遅いのだけれど、当時としてはそれ以外なかった。
あれはよく作ったなと今思う。

ディスプレイに線や点を描くのはBASICが持っている機能を使うだけだが、
立体的なものを平面的なディスプレイ上にどう描けばいいかについては、ほとんど
参考書が無かった。
それで考えてわかったのは、PCのディスプレイが透明なガラスだったと仮定して、
ガラスを通して向こうに見えるもの、あるいは景色の上の1点は
そのガラスのどこを通るかを計算すれば良いのではないかということ。
中学・高校の数学の記憶を駆使して対象物の1点と自分の目を通る線分が
ディスプレイガラスのどこを通るかを計算した。

それで1点が決まる。
それで何点かを計算して描いてみると、なんとなくわかるが、
対象物を描いているようには見えない。
それで当時PCでやっと使われ始めた「ワイヤーフレーム」っていうのはどうやっている
のだろう?と考えた。
対象物の外形を線分で描くことを想定して、対象物を線分で分けてデータを作った。
最初に作ったのは単純な立方体だった。
その線分データの両端の各点がディスプレイガラスのどこを通るかを先の方法で
計算した。
全ての線分を計算してディスプレイに表示すると見事に立方体が表示された。
「おう、できるじゃないか!」とうれしかった。
この時点で遠近法的に表示するにはカメラレンズの焦点距離というパラメータが
必要だと気が付いた。

次に考えたのは、当時上映されていたスターウォーズのXファイターがデススターの
溝の中を飛んでいるシーンが作れないだろうか?と考えた。
それで広い平面データを格子状のデータとして作り、その中央を溝の形状にした。
そしてその溝の中ほどに橋(普通の橋の形状)を作って、ここをくぐろう、と思った。

それをやる前までは気が付かなかったのだが、なんとなくワイヤーフレームで
データを作って先の方法で表示すれば後はPC8001の表示機能がやってくれる。
と思っていた。
ところが、当然なのだが、対象物を遠くから見ている分には全体がディスプレイの
中に納まるのでちゃんと表示するのだが、
線分に近づいて線分が画面からはみ出した時はその線分は正常に表示されない。

当時のPC8001は640×480(だったろうか?)
訂正:160×100しかなかった。
の画素しかなかったからこの値を
超えた場合は、画面を飛び出して表示される線分を想定して、
線分のどこではみ出すかを計算して、その点を新たな線分の両端にしなければいけない。
その方法はどうしたらいいかは全く参考書が無かった。
言葉の上では「隠れ線消去」(と言ったろうか?)という言葉はASCIIなどでも
見られたが、それはどうすればいいのかが書かれたのはだいぶ後だった。

その隠れ線消去の計算が大変だったように思う。
左右上下にはみ出すのはいいとして、向こうから手前に(画面を)はみ出す場合も
ある。
そのすべての場合を設定して計算しないといけなかった。

で、それら全ての計算をさせた。
それを画面に表示させるのだが、当時のPCの画面は粗すぎてきれいに見えない。
そこで考えたのはXY-プロッターに出すことだった。
会社にローランドDGのプロッターがあったのでそれで書かせることにした。
そうすると隠れ線消去の画面幅が大幅に拡大することができた。
100分の1mm精度でA3横向きの大きさに出力できた。

それで描いた溝と橋の画像は非常に綺麗だった。
バンクをかけなかがら溝に入って、橋をくぐって外に出る。という一連の画面
を十数枚のA3用紙(会社の)に描かせた。
1枚を描くのにものすごい時間がかかったけれど、満足だった。
その描いた紙が1枚も残っていない。
たぶん引っ越しの時に処分してしまったのだろう。