私の子供たち、一緒に暮らしていた人がいつかこれを読んで思うかもしれない。
なぜ…を書かない?と。
それは書かないのではなく書けないから。
そのうち書けるようになるかもしれないけれど、
書かずに終わるかもしれない。
ごめん。
今は書けない。
8/15/2016
8/14/2016
単なる連想
棒高跳びを見ていた。
ポールがケースに入って積まれているのがテレビに映った。
あれはまるでハングがケースに入って積まれているのにそっくりだ。
そう考えるとドキドキしてくる。
このドキドキはいろんな時に出てくる。
ちょっと高いところに行って前から風が来る時。
崖っぷちに立った時。
鳥が滑空して降りてくるのを見る時。
忘れないように時々書いておこうと思う。
朝6時前に起きて、テレビの天気予報を見る。
たいていは渡辺さんが解説している。
風向きと強さ、それに今日の天気を確認して、行けそうだったら準備をする。
ハーネスのケースにヘルメットとタイヤが入っているかを確認して、
手袋とサングラスも入れる。
それを持ってガレージの車に行き後ろの席に積む。
車を外に出して、フロントにステーを立てる。
ステーはパイプで作った自作のもの。
強力なマジックテープでバンパーに取り付ける。
それからケースに入ったハングをガレージから担ぎ出し、車の上に載せる。
車の屋根にはスキーヤリアを固定しているので、そこと前のステーに
ゴムで縛り付ける。
プロシード・マビーだと前後にはみ出す部分はあまりない。
固定されているのを確認して車を走らせる。
首都高に乗り常磐道に向かう。
途中空の様子が気になる。
曇りはいいが、雨はだめだ。
ハングを積んでいるとあまり早くは走れない。
外れたことはないが、バタつくことはある。
足尾のスクールに着くとかなりの人がもう山に向かおうとしている。
知り合いに声をかけ風の様子を聞く。
いつも一緒になる大学生の女性がいる。
目が合うと会釈する。とてもかわいらしい人だ。
でも筑波大の学生らしいということ以外何も知らない。
親しいハングの仲間とバカ話をする。
それからショップに行って山に登るため名前を書く。
そこからが問題なのだが、
スクールのマイクロバスに余裕があるときはなんとか載せてもらえる。
そうでない時、あるいはすでに出発直前の場合は積んでもらえない。
その時は、知り合いで車で山に向かう人を見つけて載せてもらう。
それもできない時は自分の車で山に向かうが、
たいてい誰か便乗する人がいるのでその人のハングも積んで
山に向かう。
テイクオフのあたりはハングで埋まっている。
その手前か通り過ぎたあたりに車を停めて、とりあえずハングを下す。
下したハングはそのままにして車を駐車場までおろす。
駐車場はテイクオフから歩いてちょっとある。
ハングに戻って空いている場所を探してそこまで担いで運ぶ。
空いているのはたいていはずれの方だ。
冬場はけっこう雪が積もっていたりする。
ハングを組み立てるのは一種の儀式だと思う。
他の仲間にそう言ったら、自分もそう思っていると言っていた。
一連の作業を毎回全く同じように行う。
逆に言えば、全く同じように行わなければいけない。
まずケースのチャックを開けて、バテンの束を取り出し、ハングの機体を出す。
アップライトを広げて機体を起こす。
両翼を7部ほど広げる。
私の場合、バテンをまず右翼内側から入れて行く。
入れながらいつも思うことは「こんなゴムで本当に固定できてるのか?」ということ。
両翼にバテンを入れたら、ノーズのバテンを前から差し込み、カバーをする。
そして…名前が思い出せない…
クロスバーをキールに留めるワイヤー(何て言ったろう?)をガチョンと留める。
ちょっとまて、ノーズバテンはセールを張ってから入れるのか?
張る前か?
なんとなく張ってからのような気がする。
いや張ってからだろう。風のある時は誰かにキールを支えてもらって
よいしょと入れたように思う。
それからタイヤを付けて、バリオ(高度指示器)を付ける。
ハーネスは広げてハングにカラビナで吊るしておく。
ケースもたたんでハーネスに入れておく。
それからハングは置いておいて、テイクオフのランチャーまで歩いて行く。
そして他の人にテイクオフの様子を見る。
風の強や、皆がどこに向かって飛んでいくかも確認する。
と言っても私の場合はパラがたくさん飛んでいるいわゆる「パラマエ」
には行かず「サルカベ」と呼んでいた峰の方に向かうのが常だった。
私はいつもランディングの風向きが読めないので、テイクオフ前に
確認しておくか、スターターの人に聞いておく。
微妙な風向きの場合が困る。
それから自分のハングに戻る。
ハーネスに左足から入り、右足、そして前のジッパーを留め、
レスキューパラシュートを胸の前にジッパで固定する。
たぶん全体で30キロを超えると思うが、あまり重くは感じない。
ヘルメットをかぶって、テイクオフに向かうハングの列に並ぶ。
その時が一番辛い。
中腰で機体を持ち上げて少しずつ歩かなければいけない。
自分の順番が来る。
スタータの人はたいてい知ってる人なので挨拶をかわす。
その日の注意をくれる。
風の状態が良くない時はまたなければいけない。
記憶では長く待たされた時はあまり無かったように思う。
風が強めの時は誰かが支えてくれて、
2歩ほど歩いた時にはもう機体は浮いている。
風が弱い時は、とにかく走る。
ハングを始めた頃は変な癖があって良く怒られた。
それは、なかなか浮かないと自分でノーズを持ち上げてしまうことだ。
そうすると失速して飛べないか不安定になる。
それで自分で飛び出し方を決めた。
目はノーズから離さず、機体の角度を変えない、
そのまま走り始め機体が浮いても足は止めない。
これでほぼ100%安全に出ることができるようになった。
ここまで書いていて、もうドキドキが止まらない。
あの気持ちのいい興奮と緊張状態だ。
もう一度飛びたい。
できるなら。
ポールがケースに入って積まれているのがテレビに映った。
あれはまるでハングがケースに入って積まれているのにそっくりだ。
そう考えるとドキドキしてくる。
このドキドキはいろんな時に出てくる。
ちょっと高いところに行って前から風が来る時。
崖っぷちに立った時。
鳥が滑空して降りてくるのを見る時。
忘れないように時々書いておこうと思う。
朝6時前に起きて、テレビの天気予報を見る。
たいていは渡辺さんが解説している。
風向きと強さ、それに今日の天気を確認して、行けそうだったら準備をする。
ハーネスのケースにヘルメットとタイヤが入っているかを確認して、
手袋とサングラスも入れる。
それを持ってガレージの車に行き後ろの席に積む。
車を外に出して、フロントにステーを立てる。
ステーはパイプで作った自作のもの。
強力なマジックテープでバンパーに取り付ける。
それからケースに入ったハングをガレージから担ぎ出し、車の上に載せる。
車の屋根にはスキーヤリアを固定しているので、そこと前のステーに
ゴムで縛り付ける。
プロシード・マビーだと前後にはみ出す部分はあまりない。
固定されているのを確認して車を走らせる。
首都高に乗り常磐道に向かう。
途中空の様子が気になる。
曇りはいいが、雨はだめだ。
ハングを積んでいるとあまり早くは走れない。
外れたことはないが、バタつくことはある。
足尾のスクールに着くとかなりの人がもう山に向かおうとしている。
知り合いに声をかけ風の様子を聞く。
いつも一緒になる大学生の女性がいる。
目が合うと会釈する。とてもかわいらしい人だ。
でも筑波大の学生らしいということ以外何も知らない。
親しいハングの仲間とバカ話をする。
それからショップに行って山に登るため名前を書く。
そこからが問題なのだが、
スクールのマイクロバスに余裕があるときはなんとか載せてもらえる。
そうでない時、あるいはすでに出発直前の場合は積んでもらえない。
その時は、知り合いで車で山に向かう人を見つけて載せてもらう。
それもできない時は自分の車で山に向かうが、
たいてい誰か便乗する人がいるのでその人のハングも積んで
山に向かう。
テイクオフのあたりはハングで埋まっている。
その手前か通り過ぎたあたりに車を停めて、とりあえずハングを下す。
下したハングはそのままにして車を駐車場までおろす。
駐車場はテイクオフから歩いてちょっとある。
ハングに戻って空いている場所を探してそこまで担いで運ぶ。
空いているのはたいていはずれの方だ。
冬場はけっこう雪が積もっていたりする。
ハングを組み立てるのは一種の儀式だと思う。
他の仲間にそう言ったら、自分もそう思っていると言っていた。
一連の作業を毎回全く同じように行う。
逆に言えば、全く同じように行わなければいけない。
まずケースのチャックを開けて、バテンの束を取り出し、ハングの機体を出す。
アップライトを広げて機体を起こす。
両翼を7部ほど広げる。
私の場合、バテンをまず右翼内側から入れて行く。
入れながらいつも思うことは「こんなゴムで本当に固定できてるのか?」ということ。
両翼にバテンを入れたら、ノーズのバテンを前から差し込み、カバーをする。
そして…名前が思い出せない…
クロスバーをキールに留めるワイヤー(何て言ったろう?)をガチョンと留める。
ちょっとまて、ノーズバテンはセールを張ってから入れるのか?
張る前か?
なんとなく張ってからのような気がする。
いや張ってからだろう。風のある時は誰かにキールを支えてもらって
よいしょと入れたように思う。
それからタイヤを付けて、バリオ(高度指示器)を付ける。
ハーネスは広げてハングにカラビナで吊るしておく。
ケースもたたんでハーネスに入れておく。
それからハングは置いておいて、テイクオフのランチャーまで歩いて行く。
そして他の人にテイクオフの様子を見る。
風の強や、皆がどこに向かって飛んでいくかも確認する。
と言っても私の場合はパラがたくさん飛んでいるいわゆる「パラマエ」
には行かず「サルカベ」と呼んでいた峰の方に向かうのが常だった。
私はいつもランディングの風向きが読めないので、テイクオフ前に
確認しておくか、スターターの人に聞いておく。
微妙な風向きの場合が困る。
それから自分のハングに戻る。
ハーネスに左足から入り、右足、そして前のジッパーを留め、
レスキューパラシュートを胸の前にジッパで固定する。
たぶん全体で30キロを超えると思うが、あまり重くは感じない。
ヘルメットをかぶって、テイクオフに向かうハングの列に並ぶ。
その時が一番辛い。
中腰で機体を持ち上げて少しずつ歩かなければいけない。
自分の順番が来る。
スタータの人はたいてい知ってる人なので挨拶をかわす。
その日の注意をくれる。
風の状態が良くない時はまたなければいけない。
記憶では長く待たされた時はあまり無かったように思う。
風が強めの時は誰かが支えてくれて、
2歩ほど歩いた時にはもう機体は浮いている。
風が弱い時は、とにかく走る。
ハングを始めた頃は変な癖があって良く怒られた。
それは、なかなか浮かないと自分でノーズを持ち上げてしまうことだ。
そうすると失速して飛べないか不安定になる。
それで自分で飛び出し方を決めた。
目はノーズから離さず、機体の角度を変えない、
そのまま走り始め機体が浮いても足は止めない。
これでほぼ100%安全に出ることができるようになった。
ここまで書いていて、もうドキドキが止まらない。
あの気持ちのいい興奮と緊張状態だ。
もう一度飛びたい。
できるなら。
8/10/2016
ヨーゼフ・パステルナックと「戦争の音楽」
世の中には「生かされていると感じる」と言う人が多い。
そういう私もそれをすごく感じる。
様々な分かれ道を思い出してみると自分がいま生きていることが不思議でならない。
それと同じように「導かれている」と感じる事も多い。
前にも書いたが、偶然入った本屋で「これだ」という本に巡り合うことが多い。
今日はなんとなく宮沢賢治の詩集のサイトを開いて眺めていた。
その「冬と銀河ステーション」「というタイトルが気になって、それを読んでいた。
途中にJosef Pasternack という指揮者の名前が出てくる。
全く知らない名前だ。
それを検索するとWikiがあった。
それを読んでみると1908年にメトロポリタンオーケストラの主席指揮者になった
トスカニーニのアシスタント指揮者に1年間なっていたことがあるらしい。
それがどうした?ということなのだけれど、
私はトスカニーニの大ファンだ。
それで半年ほど前に立ち寄った本屋に「戦争の音楽」(だったかな?)という本を見つけ
それを読んでいたところだったから。
その本はブルーノ・ワルター、ウィルヘルム・フルトヴェングラー、アルトゥーロ・マエストロ・
トスカニーニ、なんとかフォン・カラヤン(ひどいなぁ)、らが戦争の前後どういう行動を
とっていたかが書かれている。
当時(私が高校生の頃)はフルトヴェングラーはナチスに協力した指揮者というのが通説だった。
しかし、本を読んでみるとどうも結果的にそうなってしまったけれど、本人にはそんな気持ちは
無かったようだ。というか政治音痴だったようだ。思想にも興味が無かったようだ。
ユダヤ人の指揮者、演奏家がなぜドイツで演奏できないのかがわからなかったようだ。
それでユダヤ人演奏家が国内に残って演奏できるように総統にもちかけていたようだ。
それで総統の反感を買っても本人ははっきりその理由がわかってなかったようだ。
音楽のことしか頭になかったようだ。
一方のトスカニーニだが彼はこれまでの通説通り、ナチスには真正面から向かっていたようだ。
とても尊敬できる人だ。
それで、なんとかフォン・カラヤンだが。
どうもやはり好きになれない。
彼は自分が生きるためにそうしてきたのだろうけれど、わざわざ2度もナチス党員に
なることを自分から申し込んでいる。
それはナチスによって仕事を奪われないようにするためだった。
ワルターや他のユダヤ人演奏家は本当に時代に翻弄された。
ブルーノ・ワルターとかの戦争前後のことなど初めて知った。
そういう私もそれをすごく感じる。
様々な分かれ道を思い出してみると自分がいま生きていることが不思議でならない。
それと同じように「導かれている」と感じる事も多い。
前にも書いたが、偶然入った本屋で「これだ」という本に巡り合うことが多い。
今日はなんとなく宮沢賢治の詩集のサイトを開いて眺めていた。
その「冬と銀河ステーション」「というタイトルが気になって、それを読んでいた。
途中にJosef Pasternack という指揮者の名前が出てくる。
全く知らない名前だ。
それを検索するとWikiがあった。
それを読んでみると1908年にメトロポリタンオーケストラの主席指揮者になった
トスカニーニのアシスタント指揮者に1年間なっていたことがあるらしい。
それがどうした?ということなのだけれど、
私はトスカニーニの大ファンだ。
それで半年ほど前に立ち寄った本屋に「戦争の音楽」(だったかな?)という本を見つけ
それを読んでいたところだったから。
その本はブルーノ・ワルター、ウィルヘルム・フルトヴェングラー、アルトゥーロ・マエストロ・
トスカニーニ、なんとかフォン・カラヤン(ひどいなぁ)、らが戦争の前後どういう行動を
とっていたかが書かれている。
当時(私が高校生の頃)はフルトヴェングラーはナチスに協力した指揮者というのが通説だった。
しかし、本を読んでみるとどうも結果的にそうなってしまったけれど、本人にはそんな気持ちは
無かったようだ。というか政治音痴だったようだ。思想にも興味が無かったようだ。
ユダヤ人の指揮者、演奏家がなぜドイツで演奏できないのかがわからなかったようだ。
それでユダヤ人演奏家が国内に残って演奏できるように総統にもちかけていたようだ。
それで総統の反感を買っても本人ははっきりその理由がわかってなかったようだ。
音楽のことしか頭になかったようだ。
一方のトスカニーニだが彼はこれまでの通説通り、ナチスには真正面から向かっていたようだ。
とても尊敬できる人だ。
それで、なんとかフォン・カラヤンだが。
どうもやはり好きになれない。
彼は自分が生きるためにそうしてきたのだろうけれど、わざわざ2度もナチス党員に
なることを自分から申し込んでいる。
それはナチスによって仕事を奪われないようにするためだった。
ワルターや他のユダヤ人演奏家は本当に時代に翻弄された。
ブルーノ・ワルターとかの戦争前後のことなど初めて知った。
8/05/2016
札幌1976年 航空写真 つづき
購入したのは大通りの西20あたりから宮の森あたりまでの範囲なのだが、
けっこうきれいに見えるので他の部分も欲しくなってしまう。
ただこの1枚が¥5000近くするのでうかつに他の部分を注文する気にもならない。
こまかな部分がみえると記憶と違うことがけっこうある。
大通り西26の中通りあたりに沼があったように記憶しているのだが、
写真を見てみると材木置き場だったようだ。たぶんここに雨水がたまっていたのだろう。
けっこうきれいに見えるので他の部分も欲しくなってしまう。
ただこの1枚が¥5000近くするのでうかつに他の部分を注文する気にもならない。
こまかな部分がみえると記憶と違うことがけっこうある。
大通り西26の中通りあたりに沼があったように記憶しているのだが、
写真を見てみると材木置き場だったようだ。たぶんここに雨水がたまっていたのだろう。
あるいは除雪した雪置き場になっていたのかもしれない。それが春になって溶けて水たまり
になっていたのかもしれない。
1974年ころの大通りは13丁目あたりから西はまだ工事中で砂利道だったように思う。
確か1974年ころに研修できた時、15丁目あたりを歩いた時ぬかるみだったように思う。
<追記>
この材木置き場のあたり全体を見ると左斜め上からこの場所に流れ込み、下に流れている
ような川の形跡が見える。これは川だろうか?と古い地図を見ると山鼻あたりを源泉として
途中琴似川になって茨戸まで流れていた川があったようだ。
<追記>
この材木置き場のあたり全体を見ると左斜め上からこの場所に流れ込み、下に流れている
ような川の形跡が見える。これは川だろうか?と古い地図を見ると山鼻あたりを源泉として
途中琴似川になって茨戸まで流れていた川があったようだ。
円山市場の並びは昔のことを思い出させる。
フードセンターの向かいにドンクのパン屋があった。その先の並びのどこかに知り合いの
トンカツ屋があるはずだ。それがどれかわからない。
でもそのうちの1件は今でも残っている。先日行って確認した。
円山市場の先が駐車場で駐車場のはずれに「みよしの餃子」のお店があった。
写真で、ここがそのはずだ、と思う。
写真の下の世界は確かにこの時街は活動して人々は、自分も含め、この街で生きていた。
実際の航空写真を撮った飛行機はたぶん2000メートルくらいの高度だったのだろうか。
それを切り取って、この写真のように見ると高度300メートルくらいから見ている感じだ。
降りるとしたら円山市場の屋上しかない。
降りられたらいいのに、と思う。
8/04/2016
札幌1976年 航空写真
国土地理院の航空写真のサイトで元データのコピーを売っている。
1200dpiだ。
それはどのくらい見えるのだろう?
と興味が湧くと止められない。
それで1枚の航空写真が1976年でエリアがちょうど私が住んだ場所を網羅していた。
それを購入した。
2,3週間かかると書かれていたけれど、ずっと早く届いた。
CDに入ったデータは確かにでかい。
tifなのでフォトショップで開いた。
Google Earthよりも少し細かい感じだ。(訂正Google Mapと同程度か少し粗い)
車はなんとか判別できる。
写真の日付は1976年9月24日だ。
これを調べると金曜日だ。
写真の欄外に時計が写り込んでいる。
2時15分だ。
ということは私が赴任して2年目の金曜日の昼だから、私は会社で仕事をしてるはず。
この時は車はチェリーF2の白だ。
会社に車で行くときは傍の工場長の家の脇に停めていた。
その場所を見る。
「宮の森バードマンション」と言った。
その入り口に白い車がある。
他の車と比較すると後部の窓ガラスはセダンではほとんど写らないようだ。
私のチェリーF2は後部はハッチバックになってやや広めのガラス窓だった。
写真を見ると後部窓は大きく写っている。
たぶん、これだ。
でもどうしてアパートの外に置いているんだろう?と思った。
いつもは管理人さんの部屋の前に置かせてもらっていたはずだ。
よーく、思い出してみると、管理人さんが「置いていいよ」と言ってくれたのは
すこし後だったような気がする。
さらに思い出すと、この写真にある場所にいつも停めていたから冬は毎日ここの
雪かきをしていた。前の電信柱のところに山のように雪を積んでやっと車が停められた。
そんなことを思い出した。
ということは、私のチェリーちゃんは私が戻るまでこの路上で待っていたわけだ。
今だったら、怖くてそんなことはできない。
この航空写真はとても面白い。
昔のそのままがそこにあるような気がする。
ストリートビューがあればいいのだが。。
1200dpiだ。
それはどのくらい見えるのだろう?
と興味が湧くと止められない。
それで1枚の航空写真が1976年でエリアがちょうど私が住んだ場所を網羅していた。
それを購入した。
2,3週間かかると書かれていたけれど、ずっと早く届いた。
CDに入ったデータは確かにでかい。
tifなのでフォトショップで開いた。
Google Earthよりも少し細かい感じだ。(訂正Google Mapと同程度か少し粗い)
車はなんとか判別できる。
写真の日付は1976年9月24日だ。
これを調べると金曜日だ。
写真の欄外に時計が写り込んでいる。
2時15分だ。
ということは私が赴任して2年目の金曜日の昼だから、私は会社で仕事をしてるはず。
この時は車はチェリーF2の白だ。
会社に車で行くときは傍の工場長の家の脇に停めていた。
その場所を見る。
左右に大通りが走り、その少し上の右端の緑の多いブロックの中に建っているビルが
会社が入ってたビルだ。
私の車はその周辺にあるはずだが、無い。
このあたりは当時も駐車禁止だったから停めるとしたら工場長の家の脇なのだが。
あるいはその近くに下宿してた家があるのでその脇か?とおもったけれど無い。
そうすると車では行っていないのだろうか。
それで今度はアパートの方を見た。
アパートは茶色の長い屋根が2本並んだところだ。「宮の森バードマンション」と言った。
その入り口に白い車がある。
他の車と比較すると後部の窓ガラスはセダンではほとんど写らないようだ。
私のチェリーF2は後部はハッチバックになってやや広めのガラス窓だった。
写真を見ると後部窓は大きく写っている。
たぶん、これだ。
でもどうしてアパートの外に置いているんだろう?と思った。
いつもは管理人さんの部屋の前に置かせてもらっていたはずだ。
よーく、思い出してみると、管理人さんが「置いていいよ」と言ってくれたのは
すこし後だったような気がする。
さらに思い出すと、この写真にある場所にいつも停めていたから冬は毎日ここの
雪かきをしていた。前の電信柱のところに山のように雪を積んでやっと車が停められた。
そんなことを思い出した。
ということは、私のチェリーちゃんは私が戻るまでこの路上で待っていたわけだ。
今だったら、怖くてそんなことはできない。
この航空写真はとても面白い。
昔のそのままがそこにあるような気がする。
ストリートビューがあればいいのだが。。
8/01/2016
サハラ夢美術館
時々美術館に行きたくなる。
春に行った札幌の近代美術館は良かった。
展示もよかったし、学芸員の人と長話もできた。
今住んでいる都筑区に美術館はあるだろうか?と検索したことがある。
1軒だけあるようだった。
ホームページを見るとなんか変な宗教じゃないのか?という第一印象。
でもどうやら個人の人が自分の作品を展示しているらしい。
いつか行ってみよう。
と思ってから半年以上経っている。
昨日の日曜日は急ぎの仕事もなかったので、行ってみようと思った。
どうも駅は中川駅で降りるらしい。
家から2駅地下鉄に乗って、中川で降りた。
記憶で、こっちだろう?と思って歩き始めた。
最初から地図を確認してあるくのは好きじゃないから、
まあ、それで失敗することが多い。
歩き始めたのはいつも自転車で走っているあたりだ。
だいぶ歩いてから「どうもちがうなあ」と思いはじめ、
スマホの地図を見ることにした。
かなりちがう。
しかたないからわかりやすい早淵川まで出て川に沿って歩いた。
雨が降ってきた。
強くならないといいな、と思っているうちに激しくなってきた。
民家の庭の木立が雨をしのいでくれた。
しばらくすると弱くなってきたので、また歩き始めた。
だいぶあるいて、目的地に近くなった。
ちょっと坂を上ったところにその建物はあった。
ちょっと古風な円柱形の建物だった。
何か貼ってあって営業はしているようだった。
インターホンを押すように書いてあったので押した。
しばらくして女性がドアを開けてくれた。
500円を払って、地下の展示室に案内してくれた。
広い部屋の壁に沿って絵が展示されていた。
端から見て行った。
絵は精神世界を描いたような感じの絵だった。
自分としては好きなタイプの絵だった。
描かれている一つ一つ、背景に至るまですべてに意味があった。
また、模様に見える部分も全て何かを象徴していた。
もっと宗教がかった絵を予想していたけれど、全く違った。
いや、描かれている世界は宗教にのめりこんだ人が見ると
宗教的に見えるかもしれないけれど。
宗教がかった絵とは決定的に違うものがあった。
祈りが無い。
祈りが聴こえて来ない。
静かにその「場」だけがそこにあり、
それをただその場に居て見ている。
「アポカリプス」
と書くとどこかの宗教になってしまうけれど、
まあ、そういう感じだ。
たぶん私があまり時間をかけて見ていたので心配になったのかもしれない
沙原秀さんが階段を下りてきた。
絵についてそれぞれの絵を話しながら見た。
それから上の喫茶室に行って話をした。
沙原さんが画集を開いて説明してくれた。
それからの会話の展開は私が好きな内容だったので
2時間以上話をしてしまった。
途中ある絵を見ながら
「これは、あれ、あの人の絵…」というので私もすぐにわかった。
わかったけれど、名前が出てこない。
しばらくして私が思い出した。
「マグリット!」。
二人で大笑いした。
その手の話をするのは先日の札幌の近代美術館以来だった。
とても楽しい一日だった。
また来ることを約束してそこを後にした。
帰りは早淵川にそって家まで歩いて帰ることにした。
強い日差しだった。
日陰を選んで歩き、途中から都筑中央公園に入ることにした。
公園の森の中の階段を上っていると、雨が降り始めた。
すごく強い雨だった。
広葉樹が雨の傘になっているところを見つけて
しばらく一人でそこで過ごした。
美術館に居た間だけ空は青空だったのが不思議だ。
雨はなかなか止まなかった。
小枝を伝って雨が頭に落ちてくる。
冷たい。
この感じは子供の頃にもあったなと思い出した。
雨が弱まってきてそこから移動すると、別の木の下で
何人も同じように雨宿りしていた。
雨があがり皆三々五々移動しはじめた。
空を見ると真っ白な入道雲の下にいたことがわかった。

本当は違うけれど、あの美術館は公園の森の奥にあるような気がする。
春に行った札幌の近代美術館は良かった。
展示もよかったし、学芸員の人と長話もできた。
今住んでいる都筑区に美術館はあるだろうか?と検索したことがある。
1軒だけあるようだった。
ホームページを見るとなんか変な宗教じゃないのか?という第一印象。
でもどうやら個人の人が自分の作品を展示しているらしい。
いつか行ってみよう。
と思ってから半年以上経っている。
昨日の日曜日は急ぎの仕事もなかったので、行ってみようと思った。
どうも駅は中川駅で降りるらしい。
家から2駅地下鉄に乗って、中川で降りた。
記憶で、こっちだろう?と思って歩き始めた。
最初から地図を確認してあるくのは好きじゃないから、
まあ、それで失敗することが多い。
歩き始めたのはいつも自転車で走っているあたりだ。
だいぶ歩いてから「どうもちがうなあ」と思いはじめ、
スマホの地図を見ることにした。
かなりちがう。
しかたないからわかりやすい早淵川まで出て川に沿って歩いた。
雨が降ってきた。
強くならないといいな、と思っているうちに激しくなってきた。
民家の庭の木立が雨をしのいでくれた。
しばらくすると弱くなってきたので、また歩き始めた。
だいぶあるいて、目的地に近くなった。
ちょっと坂を上ったところにその建物はあった。
ちょっと古風な円柱形の建物だった。
何か貼ってあって営業はしているようだった。
インターホンを押すように書いてあったので押した。
しばらくして女性がドアを開けてくれた。
500円を払って、地下の展示室に案内してくれた。
広い部屋の壁に沿って絵が展示されていた。
端から見て行った。
絵は精神世界を描いたような感じの絵だった。
自分としては好きなタイプの絵だった。
描かれている一つ一つ、背景に至るまですべてに意味があった。
また、模様に見える部分も全て何かを象徴していた。
もっと宗教がかった絵を予想していたけれど、全く違った。
いや、描かれている世界は宗教にのめりこんだ人が見ると
宗教的に見えるかもしれないけれど。
宗教がかった絵とは決定的に違うものがあった。
祈りが無い。
祈りが聴こえて来ない。
静かにその「場」だけがそこにあり、
それをただその場に居て見ている。
「アポカリプス」
と書くとどこかの宗教になってしまうけれど、
まあ、そういう感じだ。
たぶん私があまり時間をかけて見ていたので心配になったのかもしれない
沙原秀さんが階段を下りてきた。
絵についてそれぞれの絵を話しながら見た。
それから上の喫茶室に行って話をした。
沙原さんが画集を開いて説明してくれた。
それからの会話の展開は私が好きな内容だったので
2時間以上話をしてしまった。
途中ある絵を見ながら
「これは、あれ、あの人の絵…」というので私もすぐにわかった。
わかったけれど、名前が出てこない。
しばらくして私が思い出した。
「マグリット!」。
二人で大笑いした。
その手の話をするのは先日の札幌の近代美術館以来だった。
とても楽しい一日だった。
また来ることを約束してそこを後にした。
帰りは早淵川にそって家まで歩いて帰ることにした。
強い日差しだった。
日陰を選んで歩き、途中から都筑中央公園に入ることにした。
公園の森の中の階段を上っていると、雨が降り始めた。
すごく強い雨だった。
広葉樹が雨の傘になっているところを見つけて
しばらく一人でそこで過ごした。
美術館に居た間だけ空は青空だったのが不思議だ。
雨はなかなか止まなかった。
小枝を伝って雨が頭に落ちてくる。
冷たい。
この感じは子供の頃にもあったなと思い出した。
雨が弱まってきてそこから移動すると、別の木の下で
何人も同じように雨宿りしていた。
雨があがり皆三々五々移動しはじめた。
空を見ると真っ白な入道雲の下にいたことがわかった。
本当は違うけれど、あの美術館は公園の森の奥にあるような気がする。
7/26/2016
レ・ミゼラブル 民衆の歌
どうでも良くないことをほっといて、どうでもいいことが気になる。
日本語題で「民衆の歌」の歌詞だけれど、
日本語歌詞は「戦う者の歌が聴こえるか?…」で始まるけれど、
「戦う者」でいいのか? と思い始めた。
確か元はSinging a song of angry men?だった。
歌っているのは怒れる人々のはずだ。
戦う人と怒れる人はずいぶん違うと思う。
怒れる人は怒っているけれど静かに我慢している感じがする。
戦う者と言うともっとラジカルな感じがする。
だいたいこの歌はワルシャワ労働歌ににている。
歌詞も旋律も。
「砦の上に我らの世界だ」
と考えたていたところに、
横から「あの歌はもともとフランス語でしょう」
と言われた。
そうかフランス語だ。
と思い、フランス語の歌詞はどうなんだ?
と検索してみたら、フランス語歌詞の日本語訳を書いている人がいた。
読んでみると、むしろワルシャワ労働歌の日本語歌詞に似ている。
それじゃあワルシャワ労働歌の原語歌詞はどうなんだろう?
と検索してみると、もう、モロ、ワルシャワの革命歌だ。
日本語のワルシャワ労働歌は原語よりもむしろフランス語版の「民衆の歌」に似ている。
とわかったところで、
どうでも良くなった。
日本語題で「民衆の歌」の歌詞だけれど、
日本語歌詞は「戦う者の歌が聴こえるか?…」で始まるけれど、
「戦う者」でいいのか? と思い始めた。
確か元はSinging a song of angry men?だった。
歌っているのは怒れる人々のはずだ。
戦う人と怒れる人はずいぶん違うと思う。
怒れる人は怒っているけれど静かに我慢している感じがする。
戦う者と言うともっとラジカルな感じがする。
だいたいこの歌はワルシャワ労働歌ににている。
歌詞も旋律も。
「砦の上に我らの世界だ」
と考えたていたところに、
横から「あの歌はもともとフランス語でしょう」
と言われた。
そうかフランス語だ。
と思い、フランス語の歌詞はどうなんだ?
と検索してみたら、フランス語歌詞の日本語訳を書いている人がいた。
読んでみると、むしろワルシャワ労働歌の日本語歌詞に似ている。
それじゃあワルシャワ労働歌の原語歌詞はどうなんだろう?
と検索してみると、もう、モロ、ワルシャワの革命歌だ。
日本語のワルシャワ労働歌は原語よりもむしろフランス語版の「民衆の歌」に似ている。
とわかったところで、
どうでも良くなった。
7/25/2016
かつて電話は
そうじゃなかった。
さっき「北の国から」の再放送をたまたまやっていて、それを見て思い出した。
じゅん君が人の目を盗んで職員室の電話で東京のお母さんに電話をする。
それを見ていて、なんでこんなにドキドキするんだろう?と思った。
携帯ではこんなにドキドキすることはないだろう。
北海道から東京に電話するのは頻繁にはできなかった。
公衆電話から電話すると100円玉がガシガシ落ちる。
話に詰まって、だまっていても落ちる。
私の父親は時々電話をくれた。
いつも決まって日曜日の夜だった。
その時は家にいないといけない。
でも日曜日はでかけているときが多かった。
今、考えると、逆の立場だったらと思う。
父はちょうど今の私のように息子に電話していたのだろう。
出なかった時はきっと寂しかっただろう。
もうこれが最後の電話になるからと、電話をして来てくれた人がいた。
札幌から東京にだった。
ひとつひとつの言葉にはすごく重みがあった。
その数日後に亡くなった。
あの電話は一生忘れない。
そういう大切な人への言葉の電話がメールやLINEになってしまって、
心は携帯とともにどこかに行ってしまったような気がする。
だから、大事な人へはメールではなく電話をすることにしている。
きっと、いい迷惑だろう。
さっき「北の国から」の再放送をたまたまやっていて、それを見て思い出した。
じゅん君が人の目を盗んで職員室の電話で東京のお母さんに電話をする。
それを見ていて、なんでこんなにドキドキするんだろう?と思った。
携帯ではこんなにドキドキすることはないだろう。
北海道から東京に電話するのは頻繁にはできなかった。
公衆電話から電話すると100円玉がガシガシ落ちる。
話に詰まって、だまっていても落ちる。
私の父親は時々電話をくれた。
いつも決まって日曜日の夜だった。
その時は家にいないといけない。
でも日曜日はでかけているときが多かった。
今、考えると、逆の立場だったらと思う。
父はちょうど今の私のように息子に電話していたのだろう。
出なかった時はきっと寂しかっただろう。
もうこれが最後の電話になるからと、電話をして来てくれた人がいた。
札幌から東京にだった。
ひとつひとつの言葉にはすごく重みがあった。
その数日後に亡くなった。
あの電話は一生忘れない。
そういう大切な人への言葉の電話がメールやLINEになってしまって、
心は携帯とともにどこかに行ってしまったような気がする。
だから、大事な人へはメールではなく電話をすることにしている。
7/23/2016
携帯
捨てたい。。
いつからこんなことになってしまったんだろう?
次のイージーライダーは時計ではなく携帯を捨てるシーンから始まる。
と、前に書いたような気もするが、
70年当時の時計と今のスマホは似てるかもしれない。
たぶん現代の生活には必須のものなのだろう。
私を除いて。
それでも会社で仕事をしてた時は、頻繁にメールもしていたし、
電話もしていた。
だいたい車で運転しながら電話してたし、メールもしていた。
そんな時があったことが今は不思議に思える。
今、携帯があって良かったと思うのは娘からたまにメールが入ることだ。
まあ、だいたい「カンパして」という内容なのだけれど、
それでも、まあ、父親としてはうれしい。
それだけだ。
なのに毎月の料金が馬鹿にならない。
だから来月、格安スマホに変えることにした。
スマホを捨ててバイクに乗ってどこかへ出かける
という勇気も無い。
いつからこんなことになってしまったんだろう?
次のイージーライダーは時計ではなく携帯を捨てるシーンから始まる。
と、前に書いたような気もするが、
70年当時の時計と今のスマホは似てるかもしれない。
たぶん現代の生活には必須のものなのだろう。
私を除いて。
それでも会社で仕事をしてた時は、頻繁にメールもしていたし、
電話もしていた。
だいたい車で運転しながら電話してたし、メールもしていた。
そんな時があったことが今は不思議に思える。
今、携帯があって良かったと思うのは娘からたまにメールが入ることだ。
まあ、だいたい「カンパして」という内容なのだけれど、
それでも、まあ、父親としてはうれしい。
それだけだ。
なのに毎月の料金が馬鹿にならない。
だから来月、格安スマホに変えることにした。
スマホを捨ててバイクに乗ってどこかへ出かける
という勇気も無い。
7/19/2016
千歳空港
札幌に住んでいた時には毎年1回か2回は東京に飛行機で帰っていた。
飛行機じゃないときは車だった。
車は青函連絡船を使ってあとはひたすら4号線を走った。
千歳空港は当時は車は何日停めても500円くらいだったように思う。
だから千歳空港までは車で行って停めておくか、雪のひどい日は
バスで空港まで行った。
バスは確か道庁のすぐ前のところから出ていたように思う。
飛行機は当時は席は早いもん順だったので、できるだけ早く行って
翼の上ではない窓側席をとった。ジャンボの時は2階席の窓側がとれる
ときもしばしばだった。
何かの理由で窓側が取れないときはほんとにがっかりした。
飛行機に乗る意味がなかった。
だいたい機内に座るとほとんど窓にへばりついていた。
飛び立つ前から飛行機から降りるまでずっとだった。
夜は地上の街や道路の灯りがきれいだった。
窓の外を見ていないと経験できないきれいな景色やめずらしい瞬間も
たくさんあった。
…ということは前にも書いたような気がする。
今回は格安航空券だったので、できるだけ早く搭乗手続きを済ませ
窓側の良い席をとった。
今回はカメラで撮影しようと思いカメラを出しておいたのだけど、
なぜかバッテリーが切れかかっていて離陸しかとれなかった。
離陸して雲の上にでると雲がきれいだった。
でも撮影できなかった。
帰りは、離陸はきれいに録れた。
映像には自機の影が雲に投影されるシーンが録れた。
8:07あたりから。
札幌ー東京というのは上昇して上がったらすぐに下降するような感じだ。
海外便だと高度も高く雲の景色は本当にきれいだ。
海外か… また乗ることあるかな。
昔録った千歳空港の写真がある。

この写真はどこで撮ったのだろう?とずっと思っていた。
今回、電車で札幌から千歳空港まで乗ってわかった。
今の南千歳駅横の国道36号線上だ。
思い出した。
車を停めて吹雪の中、窓を開けて撮った。
三脚を助手席側に立ててカメラを固定して撮った。
あの飛行機に乗りたいと思っていた。
飛行機じゃないときは車だった。
車は青函連絡船を使ってあとはひたすら4号線を走った。
千歳空港は当時は車は何日停めても500円くらいだったように思う。
だから千歳空港までは車で行って停めておくか、雪のひどい日は
バスで空港まで行った。
バスは確か道庁のすぐ前のところから出ていたように思う。
飛行機は当時は席は早いもん順だったので、できるだけ早く行って
翼の上ではない窓側席をとった。ジャンボの時は2階席の窓側がとれる
ときもしばしばだった。
何かの理由で窓側が取れないときはほんとにがっかりした。
飛行機に乗る意味がなかった。
だいたい機内に座るとほとんど窓にへばりついていた。
飛び立つ前から飛行機から降りるまでずっとだった。
夜は地上の街や道路の灯りがきれいだった。
窓の外を見ていないと経験できないきれいな景色やめずらしい瞬間も
たくさんあった。
…ということは前にも書いたような気がする。
今回は格安航空券だったので、できるだけ早く搭乗手続きを済ませ
窓側の良い席をとった。
今回はカメラで撮影しようと思いカメラを出しておいたのだけど、
なぜかバッテリーが切れかかっていて離陸しかとれなかった。
でも撮影できなかった。
帰りは、離陸はきれいに録れた。
映像には自機の影が雲に投影されるシーンが録れた。
8:07あたりから。
札幌ー東京というのは上昇して上がったらすぐに下降するような感じだ。
海外便だと高度も高く雲の景色は本当にきれいだ。
海外か… また乗ることあるかな。
昔録った千歳空港の写真がある。

この写真はどこで撮ったのだろう?とずっと思っていた。
今回、電車で札幌から千歳空港まで乗ってわかった。
今の南千歳駅横の国道36号線上だ。
思い出した。
車を停めて吹雪の中、窓を開けて撮った。
三脚を助手席側に立ててカメラを固定して撮った。
あの飛行機に乗りたいと思っていた。
時計台
しかし残念な観光地だとか言ってる人の気持ちがわからない。
明治時代からビルの谷間にこれを建てたわけじゃないし。
まあ、そんなことはどうでもいいのだけど、私はこの時計台が好きだ。
札幌に赴任して数日後に東京から車が来て、最初に行ったのが時計台だった。
夜中だった。
車を中通(当時は大阪屋があったところ)に停めてしばらく眺めていた。
鐘が鳴るはずだと思って録音機を持って鳴るのを待っていた。
それが今から何十年も前だとは信じられない。
今回も夜10時前に行って鳴るのを待っていた。
観光客はこの時計台が鳴るとは思っていないようだ。
ほとんどの観光客は写真を撮って去って行く。
しかし、10時の鐘が鳴り始めたとたん、驚いたように足を止め、
あるいは引き返して鐘の音を聞いている。
この音も好きだ。
イメージではもっと余韻があり広々した野山にこだまするようなイメージかもしれないけれど、
私はこの音が好きだ。
この音は昔と全く変わっていない。(と思う)
時計台は夜がいい。
明治時代からビルの谷間にこれを建てたわけじゃないし。
まあ、そんなことはどうでもいいのだけど、私はこの時計台が好きだ。
札幌に赴任して数日後に東京から車が来て、最初に行ったのが時計台だった。
夜中だった。
車を中通(当時は大阪屋があったところ)に停めてしばらく眺めていた。
鐘が鳴るはずだと思って録音機を持って鳴るのを待っていた。
それが今から何十年も前だとは信じられない。
今回も夜10時前に行って鳴るのを待っていた。
観光客はこの時計台が鳴るとは思っていないようだ。
ほとんどの観光客は写真を撮って去って行く。
しかし、10時の鐘が鳴り始めたとたん、驚いたように足を止め、
あるいは引き返して鐘の音を聞いている。
イメージではもっと余韻があり広々した野山にこだまするようなイメージかもしれないけれど、
私はこの音が好きだ。
この音は昔と全く変わっていない。(と思う)
時計台は夜がいい。
7/16/2016
札幌、あれから2か月
また行きたくなった。
いつも札幌に行って帰ってくると、あの街には嫌われてるな、と思っていたけれど、
今回はその感じが無い。
それに思い出にある全ての物が変わってしまっているのに、
あの街の今が懐かしい。
札幌にいたときに知り合った唯一の男の友達は豊平川のそばに住んでいた。
彼のアパートはどのあたりだったろう?と思い豊平川に行ってみたが、思い出せなかった。

土手に座ってしばらく見ていた。
ひとつ思い出した。
この写真の向かいあたりに「穀物屋」だったかな?そんな名前のジャガイモ料理とか
を食べさせる店があった。
一度は入ったことがあったはずだけれど、それ以上思い出せない。
しかし豊平川をこんなにじっくり見ることはあっただろうか。
そうだ、一度花火大会を見た。
あの時もこの向かい側のあたりに車を止めて花火を見た。
あの当時も混み合っていたけれど、たぶん今からすれば平和だったのだろう。
車を停めていても何も言われなかった。
その土手からその友人に電話をかけたけれど、3回かけなおしたけれど、
出なかった。どうしているだろう?
もし電話に出たら「今どこにいると思う?」と言ってやろうと思ってたのに。
豊平川だよ。
藻岩山が見えた。
藻岩山のケーブルカーは午後からなんだ。
時間が合わず行けなかったけれど、羽田の閉鎖で一日ずれるのがわかっていたら行くのだった。

いつも札幌に行って帰ってくると、あの街には嫌われてるな、と思っていたけれど、
今回はその感じが無い。
それに思い出にある全ての物が変わってしまっているのに、
あの街の今が懐かしい。
札幌にいたときに知り合った唯一の男の友達は豊平川のそばに住んでいた。
彼のアパートはどのあたりだったろう?と思い豊平川に行ってみたが、思い出せなかった。
土手に座ってしばらく見ていた。
ひとつ思い出した。
この写真の向かいあたりに「穀物屋」だったかな?そんな名前のジャガイモ料理とか
を食べさせる店があった。
一度は入ったことがあったはずだけれど、それ以上思い出せない。
しかし豊平川をこんなにじっくり見ることはあっただろうか。
そうだ、一度花火大会を見た。
あの時もこの向かい側のあたりに車を止めて花火を見た。
あの当時も混み合っていたけれど、たぶん今からすれば平和だったのだろう。
車を停めていても何も言われなかった。
その土手からその友人に電話をかけたけれど、3回かけなおしたけれど、
出なかった。どうしているだろう?
もし電話に出たら「今どこにいると思う?」と言ってやろうと思ってたのに。
豊平川だよ。
藻岩山が見えた。
藻岩山のケーブルカーは午後からなんだ。
時間が合わず行けなかったけれど、羽田の閉鎖で一日ずれるのがわかっていたら行くのだった。
登録:
投稿 (Atom)



