8/10/2016

ヨーゼフ・パステルナックと「戦争の音楽」

世の中には「生かされていると感じる」と言う人が多い。
そういう私もそれをすごく感じる。
様々な分かれ道を思い出してみると自分がいま生きていることが不思議でならない。
それと同じように「導かれている」と感じる事も多い。
前にも書いたが、偶然入った本屋で「これだ」という本に巡り合うことが多い。

今日はなんとなく宮沢賢治の詩集のサイトを開いて眺めていた。
その「冬と銀河ステーション」「というタイトルが気になって、それを読んでいた。
途中にJosef Pasternack という指揮者の名前が出てくる。
全く知らない名前だ。
それを検索するとWikiがあった。
それを読んでみると1908年にメトロポリタンオーケストラの主席指揮者になった
トスカニーニのアシスタント指揮者に1年間なっていたことがあるらしい。

それがどうした?ということなのだけれど、
私はトスカニーニの大ファンだ。
それで半年ほど前に立ち寄った本屋に「戦争の音楽」(だったかな?)という本を見つけ
それを読んでいたところだったから。
その本はブルーノ・ワルター、ウィルヘルム・フルトヴェングラー、アルトゥーロ・マエストロ・
トスカニーニ、なんとかフォン・カラヤン(ひどいなぁ)、らが戦争の前後どういう行動を
とっていたかが書かれている。
当時(私が高校生の頃)はフルトヴェングラーはナチスに協力した指揮者というのが通説だった。
しかし、本を読んでみるとどうも結果的にそうなってしまったけれど、本人にはそんな気持ちは
無かったようだ。というか政治音痴だったようだ。思想にも興味が無かったようだ。
ユダヤ人の指揮者、演奏家がなぜドイツで演奏できないのかがわからなかったようだ。
それでユダヤ人演奏家が国内に残って演奏できるように総統にもちかけていたようだ。
それで総統の反感を買っても本人ははっきりその理由がわかってなかったようだ。
音楽のことしか頭になかったようだ。

一方のトスカニーニだが彼はこれまでの通説通り、ナチスには真正面から向かっていたようだ。
とても尊敬できる人だ。

それで、なんとかフォン・カラヤンだが。
どうもやはり好きになれない。
彼は自分が生きるためにそうしてきたのだろうけれど、わざわざ2度もナチス党員に
なることを自分から申し込んでいる。
それはナチスによって仕事を奪われないようにするためだった。

ワルターや他のユダヤ人演奏家は本当に時代に翻弄された。
ブルーノ・ワルターとかの戦争前後のことなど初めて知った。