7/01/2024

北海道に向かって

 忘れないうちに書いておこう、の第二弾
1975年から1981年まで毎年2回は札幌・東京を車で
往復していた。
札幌からのルートはよく覚えているけれど、東京からの
ルートを想い出そう。

実家は三鷹の上連雀だった。
そこからどうやって行ったろう?
記憶にあるのはなぜか甲州街道だ。
家からまず甲州街道に出たのだろう。
そのまま新宿まで出た。
新宿から靖国通りで神田に出て、昭和通りに入り、
そのまま4号線で北上だった。

北千住あたりだろうか、左手に10階建てくらいの壁のような
アパートが建っていたのを覚えている。
いや、もう少し北の足立のほうだったかもしれない。
だけどそのアパートを何か目印のようにしていたように思う。
それから延々と街の中を走った。
春日部あたりまでは街道街が続いていた。

川口あたりだったろうか?東北自動車道の建設が始まっていた。
初めて北海道まで走った時は東北自動車道は岩槻から宇都宮まで
の工事が始まっていたが開通はしていなかった。
しかし札幌に住み始めた頃は岩槻から盛岡南あたりまでが開通していたが、
南は岩槻で終わっていた。
だから川口あたりから岩槻のインターまでは工事中の道路の脇の道を
走っていた。非常に上下に揺れる道だったように思う。

岩槻から高速に入り盛岡までは何も考えずに走れた。
仙台の文字が見えると「やっと仙台だ」と思った。
仙台から盛岡まではすぐだったように感じる。
盛岡からは一般道(4号線)だ。
延々とただ走る。
昼間はいいけれど、夜はほとんどトラックだ。
だいたい80Km/h~100Km/hくらいで走っていた。
そこを追い抜いて行く。
上下で2車線だから向こうから車が来たら終わりだ。
普通に走っていたら前後をぴったりトラックに挟まれて
本当に怖い状態になる。
車間を開けていると後ろから迫ってくるから。
夏だろうが冬だろうが同じような状況だった。

金田一温泉のところで4号線は大きくカーブした。
「ああ、やっとここだ」と思った。
三戸、八戸を経て野辺地に到着。
そこから函館までフェリーに乗った。

雪の時はフェリーも遅れているからパーキングで待った。
トラックが多かったけれど乗用車もそこそこいた。
雪威が降りしきる中、車の窓の外も良く見えない。
フェリーに乗り込む時は雪の中係りの人が車まで来て
向こうに行くようにと指示してくれる。
次の日まで出航しない時もあった。
あのオレンジの照明の下で待っていた感じが懐かしい。

フェリーに乗ったら大部屋(ただカーペットが敷いてあるだけ)
に横になって寝た。
函館まで4時間は休むことができた。

函館に着いてから札幌までは書くまでもない。
なんか書きたくない。

考えてみると一部は高速ができたけれど、
札幌から三鷹まで恐ろしく遠いんじゃないか?
今だったらあれは絶対やりたくない。