小学校6年の時近所の学習塾に通っていた。
あれはなんで行こうと思ったのか忘れたけれど、自分から母に行きたいと
言ったのを覚えている。
塾は7小の西側にあった。グーグルで見ると今は住宅地になっていて
どこがそうだったかわからない。
昔は確か畑に面していたように思う。
塾は6年生と中学生がいた。
同じクラスの子が3人くらいと別のクラスの子としらない学校の子もいた。
中学生とは別の教室だったけれど、ガラス窓で仕切られていただけだったので
お互いの様子が良く見えた。
先生は大人に見えたけれど、今考えると大学生だったように思う。
メガネをかけた優しい感じの先生がいた。
あの先生は何の科目だったのだろう。
その顔をとてもはっきり覚えている。※1
中学生のクラスにいつも挨拶をする少年がいた。
たぶん年は1つか2つ違ったと思う。
その少年は目が合うといつもにこにこ会釈してくれた。
何度か話したことがあった。
声はすこしハスキーな声だった。
なんで挨拶するようになったのか、
なんで知り合ったのかわからないけれど、まるで友達のように話をした。
今思うと、あの感じは高槻にいた別のクラスの少年の感じにすごく似ている。
今思い出した。
学習塾で合宿に行った。
富士五胡の西湖だ。
湖の脇のバンガローに何人ずつかに分かれて泊まった。
板の床に寝袋(あれは買ったのだろうか?)、ネイビーブルーの寝袋だった。
寝る時はそれに入って寝た。
湖では水泳をした。
私は泳げなかったけれど、湖には入った。
みんながどんどん泳いで行く後ろで背が立つところまでは歩いて行った。
その次に足を出した時、全く届かなかった。
すごく怖くなって焦って湖岸に戻った。
後で聞いたところあの湖は岸からかなり急角度で深くなっているらしい。
しばらく湖岸に立って皆が帰ってくるのを待っていた。
夜になって花火をやったように思う。
そうなんだ。
なんでこのシーンがとても懐かしい感じがするかというと、
その西湖でやった花火のシーンとダブるからだ。
ご飯はどうしたんだろう?
うっすらと飯盒で作ったシーンが記憶にある。
飯盒なんて他では使ったことがないから、きっとそれだろう。
おかずとかどうしたか全く記憶にない。
バンガローのあったあたりをグーグルで見るとバンガローみたいな建物が
6棟ある。
ここが同じ場所なんだろうか?
昔はずっと砂利の浜になっていたように思うけれど、今は緑に覆われている。
まあ、とにかく60年前だ。
すごい。。
※1:思い出した。あの先生は獣医大学の学生だった。
武蔵境の獣医大学に何人かで行ったことがあった。テーブルの上に白い動物の
死体がいくつもあったのを覚えている。