8/26/2019

表現の不自由展と放送禁止歌

なんだろうね、あれは?

多分に政治臭がするので問題なのかな?
と思ったのだけど、それじゃあスミソニアン博物館の原爆展はどうなの?
と思う。
あれはエノラゲイを展示するなら原爆展も併設しろよ、ということなんだと
思うけれど、アメリカ人に理解を求めるのは難しいだろうね。
日本の原爆展が日本国というよりも人類の悲劇を表現したいということも、
当の落とした方からすれば批難されていると思うだろうし、戦争を終わらせた
意識があるだろうから、純粋な核兵器に対する反対の意味は素直には
受け止められないと思う。

じゃあ、あの少女像は?と考えると戦争の悲劇を表現したというより
「韓国が日本から受けた被害の表現」という意味が強いと思う。
人類の悲劇ではなく韓国の対日本批難の象徴、いや違うな、武器に
近いかもしれない。たぶんかなり強力な武器だと思う。

放送禁止歌というのがあるけれど、
あれも作者ではなく周りが「放送禁止にした方がいいんじゃない?」と
いう様々な意識を忖度して放送禁止にしてしまったのだと思う。
たぶん作者は「表現の自由だ!」と怒ってるかもしれない。

たぶん歌の中の歌詞に誰かがクレームをつけたのだと思うけれど、
改めて歌詞を読んでも「どこが?」という感じがする。
受け取り方次第じゃないだろうか。
しかし放送禁止歌の中には誰かを名指しで非難したり、特定の団体を
批難したものはあまり無いように思う。
あることはあるけど、自衛隊がどうしたとか佐藤栄作がどうしたとか。
まあ、それにしてもOKだろうな。
自国の人間が自国の政治を批難するのはありだと思う。

それじゃあ改めてあの少女像はどうなんだ?
ということになるけれど、あれは自国(韓国)に突き付けた方がいい
ようにも思う。慰安婦問題は2015年に両国が合意したことになっている。
その当時の韓国政府がそうしたのだろう。
韓国が合意してしまったことが問題なのだろう。
合意せずに「韓国は未来永劫にわたって日本を批難します」と言っていれば
しょうがないなあ、ということで現在に至っていたと思う。

それはそうと「表現の不自由展」とかいう展示会だけれど、
どうもあれはだめなような気がする。
少女像に限らず政治色が強すぎる。
例えば天皇の写真を燃やしてしまう「作品」だけど作品としてはあまりに幼稚だ。
あえて「芸術作品」という言葉は使わないけれど、自分の生涯をかけた「作品」
を作るのが「芸術家」だと思う。

結果ありきの展示会のように思う。
「こうすれば誰かが反対するから表現の自由が失われたことになる」
という目論見ではないだろうか。
最初からそれを狙っていたと思う。
それは作品展ではなく「展示会の展示」なんだと思う。
一種のインスタレーションあるいはパフォーマンス。
道路で素っ裸で踊れば警察がやってくることをわかって踊る。
それと同じ。
少女像が「作品」とは思わないけれど、他の作品を出品した人は
展示会のもくろみの被害者だと思う。