駅の前に立ってる人達の話ではないのだけれど、
私が天国を信じるのは前に書いたことが理由なのだけれど、
無いことを証明するのは難しいとか言うけれど、
これに関しては比較的簡単に証明できそうな気がする。
なぜならその証明とかいうのは科学的(数学を含めて)な証明方法だから。
科学的に問い詰めれば無いということは簡単だと思う。
生理学的に詰めればいいわけだから。
しかしこの「天国」という概念はもちろん科学の範疇ではない。
そういうところの話じゃない。
私は先に亡くなった人達はみな天国で暮らしていると信じている。
「バカ言うな人類が生まれて以来いったい何人が死んだと思ってるんだ?!
天国は既に満員だろう!」
という人がいるけれど、それも関係ない。
天国はそういう物理的な空間で構成されていないから、そこで物理的広さを
持ち出すのは全く論理的じゃない。
天国は私につながる人々でできている。
誰かが私のことを覚えてくれていたら私はその人の天国にいるはず。
まだ死んでいないけれど、いるはず。
でもそれはその人が私のことを覚えていてくれてるかどうかによる。
私のことを誰も覚えてくれていなかったら私はここにしかいない。
そうなのか?
いや、もうちょっと救いがあるだろう。
私が誰かのことを覚えていたら、私はその人と同じ天国に入れてもらえる
かもしれない。
その方がいい。
そういうつながりで天国はできているにちがいない。
うーーん。
そうすると天国はちょっとばかし広い(大きい)かもしれない。
つながってる人達全員がいるとすると、
この地球の人類くらいの数はいるかもしれない。。
ってことにならないか?
まあ、それでもOKだ。
たぶん天国もフラクタル構造になってる。
どこまで行っても階層構造になってる。
私のいる(であろう)天国もその階層のひとつ。
天国にもフラクタルツアーというのがあったら、知らない人の天国を
見ることができるかもしれない。
どこかマンデルブロー階層の深いところで。