9/29/2013

Dock of the bay


Otis Reddingの歌だけれど、この歌の様に一日中港にいて夕方日が暮れるまで
船の出入りを眺めていることができるのは、たぶん全てを失ってからだろうなと思う。
普通に生活できる状態だったらできないと思う。
 
 
 
たとえばこんな港で1時間海を見ていたら、そろそろ帰って何かしなければと思ってしまうだろう。
Otisの歌を聴いて、「ああ、こんなふうにのんびりしたいな、」と思ったこともあるけれど、
まあ、そういう日がいつかくるかもしれないけれど、その時は自分には何も守るものも、
支えるものも、しなければいけないことも、失うものも何一つ無くなった時だろうな、
と思う。
 
 
映画「イージーライダー」の始まりで時計を投げ捨てるシーンがあるけれど、今だったら
スマホを海に投げ捨てるシーンから始まるだろうな。
あの意味が今の若い人にわかるだろうか?
いや時計をスマホを投げ捨てることができるかどうかということではなく、
あの当時、時計を投げ捨てるということがどういう意味だったのかわかるだろうか?
ということなのだけれど。
今の若い人達はもうすでに時計を投げ捨てているように思えてならない。