9/18/2013

3・11地震とガイガー管と私とテレビの嘘  (東日本大震災の時)

あの日は別に何の予兆も予感もお告げすらなかった。
私はいつものように横浜の会社で毎日の作業をしていた。
棚に並べて置いてある機械をセットしてした。
最初の揺れで、「おお!大きい」と思った。
作業をやめて静まるのを待っていた。
でも1分を過ぎてもおさまらなかった。
その時に本当に大きいのが来た。

「ついにその日が来た!」と思った。
後に知り合いの何人かに聞いたがみな同じように思ったそうだ。
揺れはますますひどくなり棚が倒れそうだった。
私は棚を押さえながら「やめろー!もういい!やめてくれー!」と
大声で言っていた。
頭の後ろを何かが落ちて行った。
反対側の棚が倒れた。
一瞬だったが停電になった。
揺れていたのはすごく長い時間だった。

揺れがおさまった後、私の後ろに大きなオシロスコープが落ちていた。
あれが頭にぶつかっていたらただではすまなかったろう。
棚の上に置いてあったオシロは15キロくらいあったから。

棚以外のところもこんな感じ。
まあ、普段も同じような状態なのだが。

会社のある地区は特別区なので停電が無い。
一瞬停電したがあとは全く停電が無が無かった。
テレビをつけてみた。
震度の表示が見る間に大きくなって行った。
じきに津波の映像も入ってきた。

横浜では建物が倒れるほどではなかったが、アルバイトに出ていた娘が心配だったので
携帯に電話してみた。
電話は”すぐに”繋がった。娘も仕事を中止して家に帰るところだった。大勢の人で駅はあふれていて帰れない状態だったが、なんとか帰れるということだった。お互い泣きそうな感じだったが、
とにかく無事で良かったと思った。
電話を一度切って他の人とも連絡を取ろうと思い電話をかけようとしたが、もう回線がつながることはなかった。考えてみると娘に繋がったのは奇跡的なことだった。


私はチェルノブイリの事故の時にガイガー管を買っていた。もう30年近くも前のことだ。
この機械は単にガイガー管に入ってきた放射線の数を音で表すだけのものだ。
メーターがついているが、定量的な何かを示しているとは思えない。
当時5万円した。あの頃はお金があったんだなぁと思う。
このガイガー管で色々なものを調べてみたが、明確に何かを検知することはなかった。
感度を上げてテレビのブラウン管に近づけると「ボツンボツン」というだけだった。


福島原発の水素爆発の報道があったとき、「これはやばい」と思った。
テレビで学者が言ってることが大嘘だということはきいていてすぐにわかった。
いままでも原発関係の情報は大嘘ばかりだったから。

それで30年ぶりにこのガイガー管を引っ張り出してきた。
電池が入れっぱなしで腐っていたので、きれいに清掃して新しい電池を入れた。
電源を入れるとちゃんと動いた。

試しに会社のベランダや手すりを調べてみた。
やはり以前のように「ボツン、ボツン」と他の部分と変わらない音を出していた。
水素爆発の報道があってから、数時間おきに調べていた。

あれがいつだったか忘れてしまったが、ベランダの室外機の上を調べた時に
ガイガー管が「ボボボボ」と連続的な音出した。
「何!」と思い、ベランダの手すりを調べてみた。
音はさらにひどくなりブザーのような音で鳴り出した。
「これはだめだ!」と直感した。

すぐに家族全員に連絡して外には出るなと伝えた。
メールで知り合いにも知らせた。
一人の友人は「いまさら騒いでもしょうがないだろう」と言っていたが、
そいつの家は埼玉だった。
幸い家族はみな建物の中にいた。地下鉄と車で外に出ることなく家に帰れそうだった。

会社のベランダはマンションと同じように上には上の階の屋根がある。
だから手すりも室外機も空から直接何かが落ちてくることはない。
その状態で、あれだけの音で鳴っていたのだから、さえぎるものが無い場所ではどれだけひどい
状態だったかわからない。
ニュースでもどれだけの放射線量だったかが報道されたのはだいぶ後になってからだった。
あの日、あの時にどれだけの放射能が撒き散らされていたかわからない。

その日は結局、会社に泊まって外には出なかった。
家族にも外に出るなと言った。

あれから2年たって、依然として原発報道は嘘が多い。
東電は何もしていない。
汚染物質を海や空に撒き散らし続けている。