こどもの頃の三鷹は今とは全く違ってほとんどが畑と田んぼと林と野原だった。
小さな自転車でどこまでも走った。
あれは夏だ。
夏の記憶しかない。
未舗装の道路の土の匂い、草むらを走り抜けた時の草いきれ、雨が降り始めたときの道路の匂い、工事中のアスファルトの匂い、外れたチェーンを直した時グリスの匂い、
林の中を走った時の木々の匂い・・・
匂いだ。
記憶のほとんどは匂いだ。
映画「鉄塔武蔵野線」を見た時感じたのは匂いだ。
あの夏の匂いだ。
セミの鳴き声で感じるのは音ではなく匂いだ。
子供の頃を思い出したのではなく、あの匂いの世界に戻った感じだった。
それと「不安」だ。
子供の頃常に持っていたあの不安感は何だったんだろう。
どこに行ってもたえず心のどこかに不安があった。
映画を観ながらあの不安感を思い出した。
今、先の見えない生活をしていて、あの感じに近いと思った。
何が起きるかわからない、悪いことが起きるんじゃないかという不安。
この道でいいのか? この道で家に帰れるのか? という不安感。
子供の頃は家に帰れば親がいて、無条件の安心感が得られた。
しかし、今は親はいない。
安心できるものは何も無い。
ちょっと遠くまで来すぎた。
もう戻ることはできないから、
この道を行けるところまで行くしかない。