大通りのアパートに1年住んで、その後宮の森のアパートに移った。
今はもうそのアパートは無い。
名前を「バードマンション宮の森」と言った。
この写真は1980年から1981年頃。
細い中庭(通路)を隔てて両側に12軒くらいの2DKが並んでいた。
写真の正面が管理人さんの部屋だった。
管理人さんの奥さんは時々夕食を作ってくれた。ご飯が麦ご飯だった。
たぶん、麦ご飯を食べたのはその時が初めてだったと思う。
とてもおいしかった。
管理人さんの奥さんは時々夕食を作ってくれた。ご飯が麦ご飯だった。
たぶん、麦ご飯を食べたのはその時が初めてだったと思う。
とてもおいしかった。
その右側階段脇が私の部屋だった。
写真の左にある車(日産チェリーFⅡ)が私の車。
この位置を確保するために雪の日は朝晩は雪かきを何度も
する必要があった。
私の部屋のドアノブ。
北海道神宮、円山公園が近いので鳥の鳴き声がいつも聞こえていた。
ポット式ストーブのすぐ脇に大きな石油タンクを置いていたけど、
今考えると危険だな。
右のラックには当時のオーディオセットがある。
上の方に手作りのアナログ・シーケンサーが見える。
チューナーの上は、これは何だったろう?
アナログリバーブだったかな?
SONYのFMチューナー、ビクターのSEA、オンキョーのインテグラなんとか、
パイオニアのカセットデッキ。
インテグラのパワースイッチにぶら下げているのはキルビメータだ。
地図の距離を測るために買ったが、使った覚えがない。
その上SEAの一番低音部のノッブにぶら下げているのは手紙用の秤だ。
この頃は週に1回は日本、アメリカに手紙を出していたな。
このはかりは今でもある。
カーテンの前の2本の棒はディレクターチェアーの背もたれの部分だ。
ギターを弾くために腕の部分は切ってしまった。
この椅子もまだどこかにあるような気がする。
これは配置を変える前の部屋の一角。
ターンテーブルはCECのベルトドライブだったと思う。
下にオープンリールデッキがある。TEACだったろうか。
煙突には雀が入ってきたことがあった。
ストーブをガンガン焚いていた時だったので、どうしようもなかった。
すぐに音がしなくなった。
引越しの時に煙突をばらしたら煤の塊のようなものが落ちてきた。
あれがきっと・・・