11/11/2023

そうだ!北海道に行こう!

 今年こそは雪の北海道に行こう。
何しに?
まあ行けばなんとかなるだろう、きっと
雪だ、雪が無ければいけない
しばらく雪の中に埋まっていよう。
静かに
雪が降り積もる音を聞きたい
サラサラと
永遠に降り続く雪の中で
じっとしていよう
全てが戻ってくるのを待とう
なぜ今ここにいるのか、
なぜあの場所を後にしたのか、
僕の時間はどこへ行ってしまったのか、
その答えは雪が知ってるはずだから


11/07/2023

なぜなのか?

 いまだによくわからない。
なぜ買い物から帰った時に玄関で座って迎えてくれないのか?
なぜ夜中にトイレに起きた時一緒にトイレに入ってこないのか?
なぜ皿に出してあるキャットフードがいつまでもなくならないのか?
ソファーに座ってテレビを見ている時に膝の上に乗ってこないのか?
廊下を全速力で疾走していたじゃないか。
なぜこんなに静かなのか?
なぜ好きだったマンションのベランダの手すりの上にいないのか?
わからない。

あの「肥大性心筋症」という病気は600日くらいしか生きられないそうだ。
そのうちの貴重な360日を一緒に暮らしてくれたことに感謝しかない。





11/05/2023

現状把握不能

 なぜなのかわからない。

今日の昼、出かける二人を玄関に送り出して、
一人だった私はお昼を作っていた。
ふと「あれ、オレオどこ行った?」という気持ちが起きた。
電子レンジにパックを入れたまま探しに行った。
部屋のどこにも居ない。
ひょっとしてと思って玄関ドアーを開けたらそこにいた。
横になってか細い声で鳴いていた。
「おー!どうした?!」と体に触ると濡れていた。
水をかけられたように。
お腹に血が見えた。
あごにも血の塊があった。
オレオが外に出たまま気づかずに他の階の誰かにやられたと思った。
急いで中に入れた。
よろよろと傾いたまま歩いてすぐにまた横になった。
失禁もしているしウンチも出ている。
一見してヤバイと思い、病院に連れて行くことにした。

いつも行く病院に電話した。
するとお昼から夕方までは休診だと言う。
こちらの状況を言ったら、
「連れてきてください」と言ってくれた。

色々準備しているうちにオレオはソファーの下に潜り込んでいた。
引っ張り出してキャリーケースにバスタオルを敷いて
オレオを入れた。
そのまま駐車場に行き、大急ぎで車を出した。
病院は2つ先の駅の近くだ。
そこに着くまでオレオはか細い声で鳴いていた。
もうちょっとで病院、というところで大きな声で2回鳴いた。
到着してすぐに先生のところに連れて行って
キャリーケースを開けた。
でもオレオはもう動いていなかった。

先生が「亡くなっています」と言った。
「えー!どうにかならないですか?!」
「ついさっきまで鳴いていたんですよ!」
と私。
「どうにもなりません」
と先生。
涙と嗚咽が収まってから、状況を説明した。
体が濡れていたこと、血が出ていること、家の外に出ていたので
猫嫌いな人が水をかけて蹴ったりしたんじゃないかと。
先生はその時のことを何度も詳しく聞いてきた。
先生はそれではレントゲンを撮って調べてみましょう。と言った。

レントゲン室に助手の男の人と一緒に、その初老の先生が
オレオを連れて入っていった。
ガラス窓越しに全て見えた。
男の助手の人がオレオを優しくなでていた。
先生は何枚かのレントゲン写真を撮っていた。
撮影を終えてオレオは戻ってきた。
助手の人が優しくキャリーバックに入れてくれた。

それから先生は映した写真をパソコンでしばらく見ていた。
それから「来てください」と私を呼んだ。
色々説明してくれた。
内出血は無いこと。
骨折も無いこと。
肺がつぶれていること。
口元の血の塊は口から吐き出したものだということ。
そして、外から危害を加えられたものではないです、と言った。
「これは肥大性心筋症です」と言った。
猫の病気で一番多い致命的な病気だそうだ。
オレオはまだ1歳だった。
生まれつき持っていた心臓の病気が今出たのだろう。
先生の説明を聞いて、会計を済ませて病院の部屋を出た。
するとその初老の先生も一緒に階段を降りてきて、
階段の下でしばらくその病気のことをまた話してくれた。

それから駆け付けた妻とオレオを車に乗せて家に帰った。
帰りながら先生に言われたことを話した。
妻はずっと号泣していた。
正しい意味で号泣していた。
「でも、誰かにいじめられたんじゃなかったんだよ。
 そうじゃなくて良かった。そうだったらあまりに
 可哀そうだよ」
と私が言った。

今夜中だけれど、妻は自分の部屋のソファーにオレオを
寝かせて、一緒に寝ている。
私は今日起きたことが信じられず、今でもオレオが居間で
寝ているような気がする。
オレオほど賢く静かでいい子を知らない。



 




11/03/2023

戦闘的イルミネーション

 11月1日の夜に窓の外を見たら何かがキラキラしていた。
あれと思ってよく見たら自衛隊の軍艦にイルミネーションが付いて光っていた。
「あれ?こんあことしてたっけ?」と調べたら「艦飾」とか言うらしい。
11月1日はなんでも自衛隊の日らしい。
夜の10時ころまで点灯していた。
これは日本全国でやっているのだろうか?

横須賀の広報にも書かれていなかったように思うが、
いつもちゃんと読んでないから不明。
家の窓からは艦が2隻しか見えないけれど、汐入の方に行ったら
もっと見えるのかもしれない。そこまで暇じゃないから行かない。
去年のクリスマスの時にはやっていなかったように思う。
まあ、やらないだろうな。
しかしこれの目的はいったい何だろう?と思う。
イルミを点けようがどうしようが兵器であることには変わりない。



10/31/2023

海の中の音

 前からやりたいと思っていたこと。
海の中の音を録ること。
水は空気中よりもずっと伝搬能力が高いからかなり遠くからの音が
聞こえるんじゃないだろうか? というもの。
高い音ではなく超低周波の音。
ある程度高い周波数の音は海に満ちていると思う。
でも超低周波はどうだろう?
せっかく海の近くに来たのだからそれを録音してみたい。

マイクはワンポイントのステレオマイクがあるので、それを薄いゴムで
覆って防水にしようと思う。
一般的にはコンドームをマイクにかぶせて防水にするようだが、
今それが無いし(笑)、継ぎ目のところの防水をどうするかは
別に考えなければいけない。
だったら全体をゴムのディップでカバーしたらどうだろうと思う。
液体ゴムなら全体に薄く塗れるし、コネクターのあたりまで防水
できそうだ。

それをやって、あまり寒くならないうちに海で録音してみたい。
どんな音が録れるか楽しみだ。

そういえば以前、木の樹液の音を録ろうと思ったことがあった。
確かそれはどこかに書いたようにおもうけれど、
よく聴診器を幹にあてて音を聞いたりするけれど、
あれは嘘だとわかった。
だいたい樹液が音がする状態で木の中を流れているわけがない。
それでその録音はやってみたけど、音は録れなかった。

今度はどうだろう?
まあ、何某かの音が録れることは確かだと思う。


10/30/2023

高齢者の運転

 今日の夕方。
空はもう暗くなっていて車は皆ライトを付けていた。
横須賀のメインストリートの最も交通量の多いコースカの前を
片側3車線の真ん中を走っていた。
突然左に停車していた軽自動車が私のいた車線に向かって急発進した。
私はとっさに車を右に避けた。
自分でも信じられないくらい機敏な動作だった。
なんとか軽自動車を避けることができた。
クラクションを鳴らす余裕も無かった。
バックミラーを見ると軽自動車は後ろをノロノロとライトも点けずに
走っていた。はっきり顔は見えなかったが高齢者の夫婦だった。
しばらく心臓がバクバクしたけれど、そのまま帰ってきた。

ああいうことが日常頻繁に起こる可能性があると思うと、
安心して車を運転できない。
まあ、他人のことは言えないのも事実だけれど、
ヤバイ兆しが見えたら私も運転はやめようと思う。

 誰かが言っていた。昔のことや家系のことを調べ始めたら注意した方がいい、と。

その昔のことだけれど、札幌にいた時のことでわかったことが2つあった。
一つ目は「デイビークロケット」というファミリーレストランのことだ。
前にも書いたけれどその時は気にしなかったけれど、
このお店はキングベーク石館という会社がやっていたようだ。
このキングベークと言う会社はまだ営業していて函館に本社があり、パン屋や
ミスタードーナツのフランチャイズのお店を出している。
それがわかって会社の経歴をみてみたけれど、ちょうどこのデイビークロケット
が札幌にできた頃の社歴が全く無い。そこだけ抜けている。
昭和50年前後だと思う。
なぜかは知らないがこのデイビークロケットについては書かれていない。

そのマッチに住所が書いてある。
札幌市 中央区南大通り西25丁目 とある。
これは私は勘違いしていて大通りの南側だと思っていた。
良く考えたら大通りの南側は南一条だ。
それで改めて航空写真を見てみた。
上のカラー写真が1976年。下の白黒写真が1981年だ。



赤丸が大通り25丁目のそのお店と思われる場所。
1976年は私が行って1年目。この時はまだ無かったようだ。
上の地図を見ると工事中のように見える。
下が同じ場所の1981年。この年に私は札幌を後にした。
同じ場所に駐車場ができて建物らしきものが見える。
この建物だっただろうか?という疑問はある。
建物の周りに緑があったような気がしてしているが。
でもここだったんだろうなと思う。
住所も合っているから。

もう一つは、フォークソングの集まりをやっていた、コミュニティーセンター
という場所だ。札幌コミュニティーセンターというのが正式名だったと思う。
建物は平屋で札幌時計台のような洋風の建物だった。
確か色は薄いブルーだったように思う。
あるいは時計台と同じ白だったかもしれない。
その写真も無いし、検索しても出てこない。
その場所もはっきり覚えていなかった。
それを航空写真をいろいろ見ていたら、ここだろうと確信を持てる
場所がみつかった。

大通り6丁目だ。
周りはビルだけれどここだけ背の低い建物になっている。
正面の入口を入ると広間になっていてその左右に部屋があったように思う。
奥へ行くと別の部屋があって、そこでフォークの集会をやっていたように思う。
上の写真をみると広さもちょうどそんな感じだ。

6丁目というのも感覚的に合っているように思う。
写真も1976年だからちょうどそのころだ。
・・ということはわかったけれど、正面からの写真がみたい。
あの時撮っておけば良かったと思う。

・・・ちょっと待て、ネガの中にないだろうか?
今度調べてみよう。

10/29/2023

車の運転

 ここに引っ越してきて山坂が多いので車を買って1年になる。
実にその前に自分の車を持ったのは2000年くらいだから、20年ぶりくらいに
自分の車を持つことになる。
まあ、その間レンタカーは何度も借りて運転はしていたのだけど、
最近になって気が付いたことがいくつかある。
というか知らなかったことと言った方がいいかもしれない。
いずれも自分がいかにいい加減な運転をしてたのかを改めて知るわけだけれど。

まず気が付いたのは交差点の信号だ。
直進の矢印信号、右左折の矢印信号と3連の信号のみの違いだ。
これは全く考えてしまった。
交差点内に入って待っていいのはどれか?
いままでどうしてたんだろう?と思う。
教則本を読み直してわかった。

それから右折した直後に信号があった場合だ。
これは後ろのパトカーに注意されてわかった。
てっきり同じ交差点内だと思っていたら直交路線の信号に従わなければいけない。
・・・という交差点があることだ。

歩行者横断妨害というのも問題だ。
大きな交差点、つまり片側3車線あるような交差点の向こうの舗道から
横断歩道に入ろうとしていた人に対しても止まらなければいけないのか?
あるいは前を通り過ぎたらすぐ行っていいのか?
よくわからない。
だから止まっている。
そばに警官やパトカーがいようがいまいが止まっている。
そのうちはっきりするだろう。

黄色の中央分離帯で片側1車線のところで左側を自転車が走っている場合。
どうする?
黄色を踏んだり跨いだりして追い越していいのか?
いいのか?
あるいはそのまま15キロくらいでのろのろ走るのか?
わからない。

それからゼブラゾーンだ。
気を付けて見ているとゼブラゾーンというのが多い。
合流地点とか右折待ちレーンへの誘導とか。
それが全く道路交通法の規制ではないということがわかった。
見ているとほとんどの人はゼブラゾーンを避けてその先で合流したり
している。でもゼブラゾーンは自由に走っていいみたいだ。
何の規制も無いから。
この近所にもゼブラゾーンで分岐するところが多い。
私は気にしないでゼブラゾーンの始まりから入って走っている。
前に警察官がいた時も注意は無かった。
後ろにパトカーがいた時も注意は無かった。
問題が一つある。
こっちがゼブラゾーンを走っていて、左側からゼブラゾーンを超えた
ところで合流してくる車がいた場合だ。
私は譲って入れさせるけれど、左からぶつかってきた場合、
左の車の過失が大きい。
とどこかに書いてあった。
いずれにしても注意しなければ。

横須賀はYナンバーの車が多い。
自分勝手な横柄な運転をする米兵もいる。
でもほとんどは普通に日本の法規で運転している。
先日私が右車線を走っていたら、左側をアメリカ人の女性が運転する
ワンボックスが並走していた。
交差点の少し前でなんとなく右に行きたそうな走りかただった。
すると後ろの窓からアメリカ人の少年(たぶん12歳前後)が窓を開けて
こちらに手を振って来た。
その意味が分かって私も「わかった」と言うつもりで手を振った。
その時の少年の笑顔がすごくかわいらしかった。
その車はウインカーを出さずに(笑)私の前に入って、
基地のゲートに向かう右折レーンに入っていった。

しかし自分の車を持つのはいい気持ちだ。
車が愛おしいという感覚を久しぶりに感じた。

10/27/2023

そうだ、ギターを買おう

 前にも書いたように思う。
今回のギターというのは6弦のスチール弦のギターだ。
いわゆるフォークギターのタイプ。
このタイプのギターは今2台持っている。
一台はネックが反っていてちょっとビビる。
もう1台は今主に使っているやつなのだけど、胴にひびが入っていて、
またネックも反り気味で弾きにくくなってしまっている。
もう10年以上前に買ったものだ。
この前死んでしまった松尾と一緒に買いに行った。
そうだ、その前に松尾のマーチンを買いに行ったんだ。
黒澤で5,6台を弾き比べて一番音の良いのを買った。
あの時は責任を感じて緊張した。
だけど弾きやすさも音も一番良かった。それは確かだ。
その後で私のギルドを一緒に買いに行った。
私はマーチン以外で選んだ。
でもギルドの音が一番自分に合っているように思った。
それでギルドにした。
ギルドはずいぶん使った。
それでどうも弾きやすさというのに問題があるようになってきた。
「弾きやすさ」というのは、なんというか
隣のフレット、隣の弦、にスムーズに指が動かない感じ。
コードを抑える時も弦がやけに引っかかるように感じる。
弾きやすいギターを弾いた時の押さえやすさがなくなっている。
そんな風に感じる。

だからギターを買おうか、と思っている。
たぶん今度買うギターが最後のギターになるはずだ。
高いギターはいらない。
手に馴染むギターがいい。

頭内爆発音症候群

 と言うらしい。
学生の頃、特に大学受験の頃に良くこれを経験した。
特に寝入りばなにガラスが割れる音がすぐ近くで聴こえた。
単純なガチャンという音ではなく最初の亀裂から最後のガラスの切片が
床に落ちて小さな音をたてるところまで聞こえた。
まるでレコーダに録音してあったように聞こえた。
なぜその話かというと先日近しい人がその手の音に悩んでいると聞いたから。
その人のは爆発音ではなく別な音が耳元で聴こえるそうだ。
たぶん聞こえる音は人によって違うのだろう。
同じころ金縛りによくなった。
だからどちらも精神的なものだと思う。
金縛りもガラスの音ももう何十年もあっていない。
もう経験することもないのだろう。



10/07/2023

友だち

 気が付いたのは、今話せる友だちはだれもいないということ。
昔からの親友はみな死んでしまっている。
昔からの「友だち」からは裏切られて顔を見るのもいやだ。
それで今友だちはいるの?と言われるとネットで話している人だけだ。
これは寂しいことなのか?
どうもそうは思えない。
SNSでちょこちょこ話している分には裏切られることもないし、
昔からのしがらみも無い。
だから「そのうち会おうか?」と言ってみようかと思う。
古い友だちよりは理解しあえるような気もする。

思い出してみよう、
何かの雑誌で偶然出会って一緒に歌った人、
彼は今どうしているだろう?
しばらく一緒にライブにも出たりしていた。
彼とは人生のほんの一時期しか一緒にいなかった。
でも今会っても一緒に歌えると思うし、
むかしのことを話すこともできると思う。

ある日のデモの時、向かう電車で一緒になった彼、
彼はどうしているだろう?
その日一日しか一緒じゃなかったけれど、
あれほど気が合った人もいない。
確か同い年だった。

同い年と言えば唯一同い年の友だちだったカキちゃん。
馬鹿なことばかり言いあっていた。
彼のボソっとした声と話し方が好きだった。
カキちゃんはある日突然逝ってしまった。
まだ30代だったじゃないだろうか。
また馬鹿な話をしたい。
彼は人の生活にずけずけと入り込んでくるような人とは正反対の
穏やかな人だった。
今でも友だちと言える数少ない一人だ。

言うまでもない並川は親友だったと言える。
札幌を一緒にくらした。
かれとはこっちに帰ってきても連絡しあった。
横浜まで会いに来てくれたし、松山まで会いに行った。
彼も突然逝ってしまった。
ああ、並川今もう一度会いたい。

それから松尾。
松尾にはほんとにすまない気持ちでいっぱいだ。
松尾とは一緒にバンドをやらなければもっと良い友だちだったように思う。
また一緒にバンドをやらなければ、友達であったことも無かったかもしれない。
松尾、もう一度会って君に謝りたい。
唯一の親友だったはずなのに。

いろいろ思い出すと悲しくなる。
つまり、今この悲しみを話し合える人がいない。
それが一番の哀しみだ。

10/01/2023

小保方さんとSTAP細胞

あの事件は2014年だったらしい。だからもう10年近くになる。
あの事件が起きた時すぐに真相がわかった。
たぶん研究室にいたことのある人なら誰でもわかったはず。
小保方さんは被害者でしかない。
私は大学の研究室しかしらないけれど、内情は同じだと思う。
私はただの学生だったけれど専門の学会で2回研究発表をさせてもらった。
させてもらったというのは、私は研究結果を教授に言われるままにまとめた
だけで、本当にそれを理解していたかは疑問だから。
その学会で一般学生が研究発表をしたのは私が初めてだった。
全部おぜん立てしてもらって書いた論文を読んだだけだ。
つまりああいう研究発表は研究室の成果を示すために教授が
そのおぜん立てをして研究員が研究をしたものとして発表する。

小保方さんの当時の質問への応答を思い出してみると、
そんな内情が予想できる。
あの後早々と自殺してしまった先生がいたけれど、あの人が全てを
知っていたはずだ。あの人が全ておぜん立てしたのだろう。
その後ろに理研の内情があるかもしれないけれど、小保方さん一人
を残して死んでしまったのはひどすぎる。
あの後の小保方さんへの酷い中傷や批判は、あれが自分だったとしても
不思議じゃないことがわかるから、聞いていて辛かった。

先日も常温超電導物質を発見したとして韓国の研究チームが発表し、
しかしそれは強磁性体が超電導物質のごとく振舞っていただけ、
ということがわかったけれど、あの研究チームは新発見を疑っては
いなかったと思う。
どんな研究にも間違いはある。
STAP細胞もおそらくそれらしく振舞う細胞があったのだと思う。
だから上司の先生は疑うことなく信じていたのだと思う。
それの犠牲になったのが小保方さんだった。

今思うと、もしも私が同じようなことをしていたら、やっぱり
訳もわからず研究発表をしていたと思う。