気が付いたのは、今話せる友だちはだれもいないということ。
昔からの親友はみな死んでしまっている。
昔からの「友だち」からは裏切られて顔を見るのもいやだ。
それで今友だちはいるの?と言われるとネットで話している人だけだ。
これは寂しいことなのか?
どうもそうは思えない。
SNSでちょこちょこ話している分には裏切られることもないし、
昔からのしがらみも無い。
だから「そのうち会おうか?」と言ってみようかと思う。
古い友だちよりは理解しあえるような気もする。
思い出してみよう、
何かの雑誌で偶然出会って一緒に歌った人、
彼は今どうしているだろう?
しばらく一緒にライブにも出たりしていた。
彼とは人生のほんの一時期しか一緒にいなかった。
でも今会っても一緒に歌えると思うし、
むかしのことを話すこともできると思う。
ある日のデモの時、向かう電車で一緒になった彼、
彼はどうしているだろう?
その日一日しか一緒じゃなかったけれど、
あれほど気が合った人もいない。
確か同い年だった。
同い年と言えば唯一同い年の友だちだったカキちゃん。
馬鹿なことばかり言いあっていた。
彼のボソっとした声と話し方が好きだった。
カキちゃんはある日突然逝ってしまった。
まだ30代だったじゃないだろうか。
また馬鹿な話をしたい。
彼は人の生活にずけずけと入り込んでくるような人とは正反対の
穏やかな人だった。
今でも友だちと言える数少ない一人だ。
言うまでもない並川は親友だったと言える。
札幌を一緒にくらした。
かれとはこっちに帰ってきても連絡しあった。
横浜まで会いに来てくれたし、松山まで会いに行った。
彼も突然逝ってしまった。
ああ、並川今もう一度会いたい。
それから松尾。
松尾にはほんとにすまない気持ちでいっぱいだ。
松尾とは一緒にバンドをやらなければもっと良い友だちだったように思う。
また一緒にバンドをやらなければ、友達であったことも無かったかもしれない。
松尾、もう一度会って君に謝りたい。
唯一の親友だったはずなのに。
いろいろ思い出すと悲しくなる。
つまり、今この悲しみを話し合える人がいない。
それが一番の哀しみだ。