3/30/2026

古い手帳

古い手帳を探していた。
そのわけはパソコンを入れ替えたのでその手帳に書かれている
ソフトのパスワードを知りたかったから。
そのソフトは音声編集のソフトなのだけど、もう20年以上前に
ネットで購入したソフト。
Gold Waveという。
なんだかんだ便利なソフト。

それを購入した時のことを思い出した。
今みたいにサイトから勝手にダウンロードするという方法ではなく、
アメリカの作者のホームページからメールで申し込むとそのソフトをダウンロード
できるアドレスを教えてくれるというものだった。
ただではなく確か1500円くらいだったと思う。
それを一度ダウンロードして使う。
そのソフトは定期的に更新されているので、もう何十回も更新している。
最初は確かWindows95だったように思う。
それで、パソコンをW95からW2000に変えた時だったろうか、
パスワードを無くしてしまい、再インストールができなくなってしまった。
それで仕方なく、作者のところにメールをしてその件を伝えた。
もう一度お金を払うことを覚悟してのことだけど、
その人はお金のことは何もいわず新しいパスワードを書いてくれて、
「これを使って」と言ってきた。
私は支払いはどうしますか?と聞くと、
「要らないから、それを使ってくれると嬉しい」
と言ってきた。
お礼を言った。
それ以来使っている。

その手帳を見つけたのでめでたく再インストールできた。

3/27/2026

加給年金

 加給年金というものがある。
65歳になった時に65歳未満の配偶者がいる時に年金を上乗せ
してくれる制度だ。
私はこれを知らなかった。
それで65歳になった時に年金事務所に行ってこれについて聞いた。
するとその時私は既に65歳だったので加給年金は受けられません。
ということだった。
なぜ65歳まで気がつかなかったのかというと。
前妻との離婚がその年までできなかったからだ。
今の妻とは10年以上一緒に暮らしていたのにだ。
確か横浜では区役所でその手続きは65歳ではできないのか?
と聞いて、できないと言われた。
それから数年して、今度は横浜年金事務所に行って聞いてみた。
するとやはりできないということだった。

それから横浜から横須賀に引っ越して、
年金事務所に行った。
その時に「私が死んだら今の妻に遺族年金がでるのか?」
と聞いた。
そしたら「出ます」と言われた。
その額は4分の3くらいらしい。
その時に加給年金を受けているか聞かれた。
それで「横浜の区役所と年金事務所でできないと言われた」
ことを伝えた。
そして今の妻はいつから一緒にいるのかを聞かれて、
もう20年以上一緒だと言った。
そして正式に籍を入れたのは65歳の時だと伝えた。※
すると横須賀年金事務所の人は
「申し立てをすれば受けられるかもしれません」
というのでそれから2カ月くらい、資料集めと
書類作成に奔走した。
5,6回年金事務所に通って書類を出した。

そして3カ月後の年が明けた2月になって
年金事務所から知らせが来た。
無事、加給年金をもらえることになった。
ただし妻が65歳になるあと2年間だけだ。
そして今から5年前までさかのぼって支給されることになった。
その分は結構大きい。
しかし5年前以前の分は無効になっていいる。
でもそれはしかたない。
これだけでもとても助かる。

追記:籍を入れたのは64歳の年だった、でも誕生日を過ぎていた。その
   誕生日から過ぎた日数が1か月くらいだったので申し立て
   できたのだと思う。あれが1年以上過ぎていたらどうだったか
   わからない。

映画を観た(Project Hail Mary)

 理屈はともかく、面白かった。
宇宙物のSF映画は見てるだけで面白い。
「グラビティー」の映画でもそうだったのだけど、
大きな宇宙船がグルグル回るシーンは目が回る。
メニエル持ちなのでどうしてもだめだ。
でもなんとか我慢して見た。

横浜は雨だった。
映画館のあるビルの中のレストランでお昼を食べた。
ちょうど目の前にランドマークとその隣のビルが見えた


ランドマークは半分雲の中だった。
その隣のビルが薄暗い雨の中に建っていて
SFっぽい眺めだった。


3/24/2026

コヤニスカッツィ

昔、1985年頃、六本木にWAVEという映画館があった。
そこでみた映画は2つ。
ひとつはPink FloydのThe Wall、
これは確かYMOの高橋幸宏さんが企画して日本での上映が
叶ったのだと思う。
当時The Wallはレコードでしか知らなかったので、
映画を観てその音楽の全てがつながった思いだった。

もう一つの映画は(The Wallとどっちが先か忘れたけれど)
コヤニスカッツィ
変な映画だった。
あれはなぜ観にいったかというと、確かパルコがWAVEという
本を出していて、そこにこの映画の紹介があった。
それで観に行こうと思ったのだけど、
あの本は札幌のパルコで買った本ではなかったろうか?
そうすると買ったのは1981年だ。
映画は確か1982年。
それがどうつながるのだろう?

変な映画だった。
語りや説明は一切無く、音楽をバックにただ映像が流れる。
映像はスローモーションや微速度撮影やタイムラプス、拡大、広角
様々な映像だった。
音楽は一種の効果音に近いアンビエントな音楽だった。

今YouTubeで全部を見ることができるけれど、
あの映画をよく見たな、と思う。
今はちょっと見れない。
タナトフォビアが再発しそうだ。

あの時代だったから見ることができたのかもしれない。
怖いもの知らずだったから。

ああいう映画があるということが驚きだ。

3/21/2026

夢は叶う話(前に書いたことに似ている)

 ずっと前、学生の頃から海が見える家のイメージがあって、
海の見える家にいつか住めたらいいな、
と思っていた。
今、その海が見える家にいる。
しかも昔のその家のイメージに近い。

一戸建てではなくアパート(マンション)ではあるけれど、
遠くからみたイメージはそのままだ。

もう一つは、
横浜の都筑に住み始めた時、25年前、
アパートを探した。
そのうちの一つが、ふれあいの丘にあったアパートだ。
4階建てのアパート群だった。
そのうちの3階部分の部屋を見に行った。
エレベータは無い。
階段を3階まで上がると、思ったよりも広い部屋だった。
4室とロフトが付いていた。
築年は経っていたので少し古い感じはしたけれど、
気に入ったのは正面の窓からの眺めだった。
その建物の前は鴨池公園という池のある公園だった。
その公園の緑が目の前にあった。
ずっと先まで森が続いていて
そのはるか先に富士山が見えた。


もうその景色だけでそこに決めたいくらいだった。
しかしそこの価格は予定よりもかなり高く
またエレベーターが無いのが決定的だった。
その頃はまだ今より20歳も若かったから
体力的には良かったのだけど、その体力も
そのうち無くなるだろうと考えて、
そこは諦めた。
だけでそこでみた景色は忘れられなかった。

それで、横浜を離れることになり、不動産屋が探してくれた
アパート(マンション)を見に行った時、
南側の広いベランダの前が公園だったのに驚いた。
4階だけれど目の前に木々の緑がある。
その向こうは山膚になっていた。
北側のベランダからは海が見えた。
もうほとんど夢のような場所だったので
そこに決めた。

まあ、一つ難儀なところは
駅からここまでがなだらかな上り坂なことだ。
涼しい時はいいけれど、真夏の暑い日は家までの道が遠い。
どこかに行く時は車で行くことがおおい。
でもそのうち車も運転できなくなったら、歩くしかない。
その時がちょっと問題かもしれない。

面白い夢だったけれど忘れた

 昨日と言うか今朝見た夢は面白かった。
またどこかに行く夢なのだけれど、
その細かな部分を忘れてしまって残念だ。

私はどこか行ったことのない町にいる。
そこから家に帰ろうと思う。
それでたぶんこれで行けるだろうと思うバスに乗る。
バスは全く知らない道を知らない景色の中を走る。
そしてどこかのバス停に着く。
とりあえず違うみたいだからここで降りよう、
と思ってそこで降りる。
しかし全く知らない場所だ。
ここはどこだろう?と思って少し歩くと
崖になっていてその向こうは海になっている。
海には対岸があるが霞んでいる。
こっちではないな、と思い元のところに戻ろうとする。
元の所にバスの運転手がいて、
「どこに行くの?」と聞かれる。
私はどことも答えずにスマホで今の位置を調べようと思う。
しかしスマホの画面は良く見えない。
指で操作しようとしても変らない。
仕方ないので歩いて帰ろうと思う。
道はわからないけれど、歩いて行くと民家の立ち並んだ
ところに入り込んでしまう。
こっちではないだろうと思い、
戻ろうとするが元の道がわからない
----------------
その後の展開がすごかったはずなのだけど
どうも思い出せない。

3/16/2026

異世界の渋谷へ行って来た

 親戚の人がライブをやるので来てください、というので
渋谷まで行ってきた。
学生時代を過ごした街だけれど、全くわからない。
マジでわからない。
品川から山手線で渋谷で降りた。
降りた所がどこだかわからない。
人々は右や左あるいは真っすぐ、てんでバラバラだ。
勘にまかせて歩いたらハチ公前にでた。
よかった。
まだ時間が合ったのでハンズの方に歩いてみた。
だいたい方向は覚えていたので無事着いた。
ハンズをうろついて、そこからBIGに行くのだけれど、
どうやって行ったっけ?
と適当に歩いたら一周してまたハンズに出てしまった。
落ち着いて考えて無事BIGにたどり着いた。
BIGは昔何度も来たことがあった。

ライブは私のいなかの新屋の女性と男性で、
私の母と同じ姓だ。
母の家の隣の家だ。
その人とはどうも会ったことがあると思う。
昔母と一緒に行った時に庭で遊んでいた小さな女の子の
うちの一人だと思う。
その女性がブルースハープを吹き、男の方がギターで
伴奏する。曲はオリジナルだけれど、
もろブルースだ。

ライブが終わって挨拶に行き名前を言ったらわかってくれた。
会って驚いたのは私の娘とそっくりなのだ。
ちょっとぽっちゃりしていて、どこかおどおどした
話し方で、しかし明るい感じの人だった。
会うまであまり考えていなかったのだけど、
私の母と彼女の親は家系図の上の方で繋がっているはず。
だから似ていてもおかしくはない。
私の娘も音楽をやっていたらあんな感じだったかもしれない。

ライブが終わって道玄坂を駅の方に向かって歩いていくと、
まず昔は無かった巨大なビルに驚いた。
それから道玄坂を10台くらいのマリオカートが走っていて、
皆外国人が運転している。
それだけではなく、道を歩いている人もほとんど外国人だ。
夜のビルは巨大でまぶしく、全く見覚えが無く
しかも威圧するような形だ。
私はその間を逃げるように歩いて交差点についた。
そこでもスクランブルダッシュに巻き込まれた。
「あーやだ」と思いながら速足で駅に入り込んだ。
そこも昔の勘では行きつけなかったが、
何とか山手線に乗り込んだ。

品川駅で京急に乗ったらなにかほっとした。
やっぱり田舎がいい。














3/14/2026

子供の頃は怖がりだった

 とにかく何でも怖がった。
記憶をたどると、井の頭公園にあった遊園地のジェットコースター、
ジェットコースターに乗ったのはあれが初めてだと思う。
たぶん6歳くらいの時、怖くて泣いた。
今見たらたぶん全然怖い部類じゃなかったとおもうけど、
とにかく怖かった。
音かもしれない。
音と言えば井の頭公園の外れの井の頭線の鉄橋の下。
あれが怖くて電車が来ると逃げた。
だいたい大きな音はだめだ。
だからかなり大きくなって、車のレースとかをテレビで
見るようになっても実際のサーキットには行けなかった。
きっと大きな音だったろうから。
お化けや幽霊も怖かった。
大きな建造物も怖かった。

ジェットコースターを克服したのは、前にも書いたと思うけど、
後楽園遊園地のループコースターだ。
その時の妻と二人で後楽園遊園地に行って、なぜか理由はわからないけれど、
ループコースターに乗ろう!ということになった。
列に並んでいる時に既に後悔していた。
足が震えていた。
でも順番が来て仕方ないので乗り込んだ。
走りだしてからループを回って向こう側に行き、
そこからバックでループを回って帰って来る。
たぶん十数十秒だったのではないだろうか。
降りる時に足がふらついた。
でもなんとか歩けた。
その時、ものすごい快感を感じていた。
それが最初で後はフジヤマでもなんでも平気になった。

音はもう大学生になるころには克服していたと思う。
それからオバケ、幽霊の類はあいかわらず怖かった。
特に不気味なのがだめだった。
「リング」を見れたのは50歳くらいになってからだと思う。
ああいうのは苦手だった。

ところが、その後幽霊とか暗い場所とかが平気になってきた。
日光のホテルに泊まった時に夜中に人の声のような音が聞こえて
来て、目が覚めた。
目を開けて次に音がしたらどこから聞こえてくるのかを確認
しようと思っていた。
5,6分そのまま目を開けて待っていたら、音がした。
女性が口を開けずに何か言ったような音だった。
天井から聞こえた。
ベッドを降りて、だいたいの場所の下に行って、上を見上げて
次の音を待った。
ほどなくして音が聞こえた。
けれど場所を特定できない。
音はやはり女性の声のように思えた。
音が何度か聞こえた。
そうしているうちに妻がそれに気がついて、
「何してるの?」と聞くので
状況を話した。
すると「あれはスチームパイプの軋み音よ」と言ってまた寝た。
そうかスチームパイプか、とわかって私もまたベッドに戻った。
しかし、あの音他の客からクレーム来ないのだろうか?

そんなわけで幽霊は全く怖くなくなった。
今住んでるマンションは南側が公園になっている。
講演は広い公園で街灯が何本か立っている。
だから公園の中の道は明るく照らされている。


夜中に目が覚めた時、ベランダの方に行って
公園を眺めている。
何かいないだろうか?とか 夜中に誰か散歩していないだろうか?
とか眺めている。
ベンチに誰かいたら、とか考えながら。
何かあったらカメラを持ってベランダに出て撮影しようと思う。
ベランダに誰かいたりしたら、それはそれで面白いかもしれない。








3/12/2026

自衛隊の潜水艦

 私のアパートからは海が見えます。
そこはほぼ自衛隊の船が停泊する港なのですが、
右側にも自衛隊の基地と米軍基地があり、
そこには軍艦の他に3隻くらい潜水艦が泊っています。
また左の方には自衛隊の田浦港がありそこにも
3,4隻潜水艦がいます。

そしてうちの前の湾には消磁気のための消磁所というのがあり、
四角いブロックの様な物がいくつも設置されています。
船や潜水艦は航行中に磁気を帯びるので
そこで潜水艦や船の磁気を消すということです。
このところ3/9~3/12頃は毎日のようにその消磁所に
潜水艦が入っています。


アメリカがイランと戦争をしていますが、イランが設置している
機雷は磁気機雷だということです。
恐らく自衛隊もそこに駆り出されるように思います。そのため
潜水艦の消磁を行っているのだと思います。
アメリカから要請があったら日本は断れないでしょうから。
今、前の海で行われているのはその準備の様に思われます。

3/11/2026

欲しいと思ったけど意地でいらないもの

 コーラスだ。
最近の音楽アプリはAiを使って(ここはいろいろ疑問があるけど)
ハモやコーラスや歌を歌ってくれるものがある。
自分の声があまり高い音程は出ないので、そういうのがあれば
高いハモも入れられる、と思ったことはあった。
高い方が入るとだいぶ感じもちがうから。
しかし、それって何なんだろう?と思う。
曲についても最初から自動で曲全体を作ってくれるものもある。
適当に曲想とかを入力すると作ってくれる。
だけど、それって何なんだろう?
絵にしてもそう。
文章にしてもそう。
言えることはそれは自分のものではないっていうことだろうな。
下手でも自分でやらないと意味が無い。
自分が死んだ後、それが残っても何の意味もない遺物だ。



3/06/2026

興味が尽きたら終わり

 これまでの人生ほとんど好奇心で生きてきたように思う。
いつも何かについて興味を持っていて、
それをやってみることで生きて来た。
車もバイクも仕事もハングも写真もビデオも歌もギターも
シンセもパソコンも何もかも。

最近やっていたのは動画配信。
家の窓から見える景色をYouTubeで配信している。
先日まではフルHDのカメラを使っていた。
しかし大画面で見るとどうも画像が粗い、
パソコンのモニターで見てるくらいならあまりわからないけれど、
確実に粗い。
他のライブカメラ配信を見てみると4Kで配信している画像はやはりきれいだ。
それで4Kで配信してみたらどうだろう? と思った。
それでまず4Kのカメラを入手しないといけない。
これが中古でもけっこう高い。
それで部屋にあるもので使っていない機材を売ることにした。
メルカリに6点ほど出して全部売れた。
それで5万円くらいになったので、足りない分はお金を出して
4Kカメラを買った。
4K用のキャプチャーも購入した。
これはUSBの小さな物だ。
こんなもので大丈夫か?と思うほど。
以前使っていたのはAVermediaとかいう会社の箱型のものだった。
それはハードエンコーダ式の物だった。
しかもフルHD画像だ。
今回のはソフトエンコード式の物だ。
データ量が4倍になってこんなもので行けるのか?
と思っていたけれど、これが全く問題無くできた。

4Kで配信した映像を大型のテレビで見るとさすがに4Kはきめ細かく
綺麗な映像だった。
それが意外にすんなりできてしまったので拍子抜けだ。
問題としては夜は映像がほとんど真っ暗なこと。
カメラの感度をナイトヴューにしてはいるけれど。
これはこの場所がそういう場所なので仕方がない。
都内のビル街の夜景を配信しているのを見ると
ビルの夜景もいいなと思う。

それで4K配信の興味が終わってしまったので、
次はどうしようか?と考えた。
今は家の海側の景色だけど、山側の映像も配信しよう、
と思う。
山側のベランダはここから15メートルくらいある。
ケーブルを這わすことはできない。
向こうにもパソコンを置けばいいのだけれど、
それだといつも管理することができない。
それで電波で飛ばそうと考えた。
HDMIの送受信機を購入すればここまで届くはず。
うまくここで受信できれば山側も配信できる。
とりあえずそれをやろうと思う。





3/03/2026

寝過ぎだ

 と思う。
夜の7時以降に水気のものを飲まなければ
朝7時頃まではトイレに起きずに済むことがわかったので、
最近は11時くらいに寝てしまい8時か9時頃まで寝ている。
一度朝7時くらいに起きてトイレに行くこともあるけど、
その時は猫のハッチも一緒にトイレに行く。
そしてまた一緒に寝る。

猫はそんなに寝たっけ?
これまで家に来た猫は2,3時間おきくらいに起きて歩き回っていた。
あるいは夜中に騒いでいたりした。
だけど今いるハッチは一緒に夜11時くらいに寝て・・・
ハッチは私の枕の横に木の板でベッドを作ってやった。そこで寝ている。
そして私がずっと起きない時は朝の8時くらいまで寝てる。
かと言って昼間も居間やベランダで寝ている。
すごくよく寝る。




2/28/2026

地震と急降下

ハンググライダーの練習中のこと。
練習場の斜面は山のテイクオフからちょうど1Kmくらいのところにあった。
今はハングをやっていたスクールは無くなってしまい、
他のパラグライダーのスクールになっているようだ。
この斜面に10人くらいの人達が順番を待っていた。

何時だったか私もその順番を待って斜面に座っていた。
ほとんどは学生だった。
中に4人くらい社会人の人がいた。
女性も3分の一くらいいた。
良い風が無いとずっと待たなければいけない。
でも無風の場合は飛べる。
その時も夏の無風だったように思う。
3人くらい前の人が飛んだ後だった。
向いの石岡の方からゴーという音が聞こえてきた。
何だろう?と思っていると急に地面が揺れ出した。
たぶん震度4くらいあったと思う。
皆「オー!」という声を出した。
地震の経験は数え切れないけれど、
あんな地鳴りの音を聞いたのは初めてだった。


その斜面で練習していると上の山から飛んで来たハングが
ランディングに入るコースがちょうど練習斜面の上のあたりだった。
時々真上で急な降下をするハングがあった。
下にいると「ヒュー」という大きな音が聞こえる。
あれはどのくらいの降下なんだろう?
といつも思っていた。

自分が山の上のテイクオフから飛ぶようになって、
そうだ、あれをやってみようと思い
600メートルくらいの高度から思いっきり降下してみた。
ほんとに思い切りバーを引いた。
私のグライダーはパイロットが乗るクラスの機体ではなく
翼の半分くらいがダブルになっている機体だった。
あれは大丈夫だったのだろうか?と今にして思うけれど、
かなりの降下だった。
降下している途中で速度計(ピトー管式の)を見ると
60Km/hくらいを示していた。
それが正確だったか知らないけれど、
そのくらいの速度だった。
ヒューという音は聞こえなかったけれど、
耳の横で風を切る音はかなりすごかった。
たぶんその間3秒か4秒だったと思う。
あれは下で聴いていたらどんな音がしたのだろう?

それ以降何度も飛んでいたけれど、実際にランディングの為に
降下する以外では試していない。
面倒なので速度計は付けなくなった。
バリオ(上昇下降のセンサー)だけは付けていた。

時々あの降下を思い出す。

2/27/2026

夢の(中の)マイホーム

 今朝見た夢で私は家にいた。
それは確かに私の家だったけれど、
どうも落ち着けなかった。
そのことを夢の中でも思っていた。
どうしてここは落ち着かないのだろう?と。
部屋は3部屋あった。
最初の部屋は居間で8畳くらいの広さだった。
特に何も無い明るい床板の部屋だった。
入って左側に窓があって外の景色が見えていた。
部屋で子供が遊んでいる。
子供は4歳か5歳くらいだ。
奥にもう一部屋あったけれど、覚えていない。
居間の右奥にもう一部屋あった。
そこは居間よりも一段低くなっていた。
そしてその奥はもう一段低くなっていた。
部屋の右手は外に解放されていて、その向こうは海だった。
波がすぐ近くまで来ている。
青い空と深い色の海。
その部屋の天井近くに錆びた鉄骨でできた
高圧線鉄塔の上の部分のような物があった。
その鉄骨に外から太いワイヤーが2,3本来ていた。
電線なのかどうかわからない。
でも妙に不安にさせる造りだ。
息子(5歳くらい)がその鉄骨に登ろうとする。
私は急いでそれをやめさせる
鉄骨とワイヤーは鈍い赤茶色だった。

2/22/2026

エレガットギター

 既に1本持っているのだけれど、ずっと以前に持っていたオベーションの
エレガット、あれは手放さなければ良かったと思っている。
今持っているのは音は抜群に良いのだけどネックが太い。
だから思うようにフィンガーピッキングができない。
前のオベーションは鉄弦と同じ44mmだった。
今のは48mm。
だからリードを弾くには適している。
でもフィンガーリングがうまく弾けない。
まともな手の人ならいいのだろうけど、私にはむていない。

それでネック幅の狭いギターを探していたらAreaのエレガットが
47mmで売られているのがあった。3万5千円くらいだった。
それを買おうかどうしようか悩んでいるうちに製造中止になって、
新しく出た同じようなネック幅のが10万円近くする。
それで買う気が失せた。
ところが先日リサイクルショップに行ったらその前の機種のもの
が売られていた。
弦が張られていない。
サドルが無い。ナットも無い。
サウンドホールのロゼットも無い。
AMB-35と札に書かれている。
それで¥3500。
これは例のエレガットだろう。
と思いこれを買って直そうと思った。
ダメだったとしても3900円だ。

これを買ってきて、その辺にあったナットとサドルを付けて
弦を張ってみた。
すると別に何の問題も無く音は出た。
しかもピックアップからの音もちゃんと出た。
そこまでは良かった。
問題はいくつかある。
まずこれに合うナットは45mmなんもだけれど、
そんなものはアマゾンに無い。
削るしかない。
それと高いポジションを弾くと音がビビる。
サドルが低いようだ。
と言っても使ったのは高さ9mmある。
それより高い、たぶん10mmの物が良いようだ。
弦高は高い方がいい。
10mmというのはヤマハ用のしかないのでそれを注文した。

それが来たらもう一度調整してみよう。

このギターは札に書かれていたAMB-35ではなく、
AMB-50Cというギターだった。
定価¥40000
ネックも反っていない。
なぜこれがバラバラになって売られていたのかは謎だ。









2/17/2026

日本すごい! ?

 やっと最近は落ち着いてきたと思っていたのだけど、
相変わらず「日本すごい」ネタの話が現れる。
別に、ほんとにすごいならいいのだけど
明らかに作られた記事だと思われる物がある。
読まないからいいのだけど、タイトルだけでそれとわかる。
そんなことばかりしているとほんとに落ち目になるよ。

それと道徳的なこととか社会常識のこととか最近多いね。
さっき読んだ「ETCカードを入れっぱなしにするリスク」という話、
こじつけっぽいことをああでもないこうでもないと書いていた。
入れっぱなしにするリスクより料金所のゲートで
「あ、入れてなかった」リスクの方が大きいと思うけどね。
へたすると短い距離なのに首都高全額の2000円近くとられる、
取られないようにすることもできるだろうけど、係員が来るまで
延々と列ができたままだ。そっちの方が怖い。

「こうすることが常識です」とか余計なことが多すぎる。
例の「~になります」はもうほんとにうんざりだ。
しかもそれがもう一般常識みたいになってる。
先日テレビを見ていて「こちらの機械が新しい機械です」
と技術屋が言っていたので拍手した。
たぶんその会社の広報だったら「新しい機械になります」
と言っていたと思う。
しかし技術屋が「新しい機械です」と明言すると
すばらしい機械に思える。
なりますと言われてもぴんと来ない。

前にも書いたけど「様」付けもうざい。
「投稿者様」とかほんとに気持ち悪い。
そのうち「演奏者様」とかとか言いそうだ。
コンプラとか異常に気にし過ぎだと思う。

何の話だったかというと、日本すごいの話だった。
ちっともすごくない。
ちっともすごくなくていいと思う。
もっとゆっくり生きよう。

ああ、さっきどこかの記事で「リニアモータカーの静岡地区は5年延期する」
ということが書いてあった。何十年やってるんだ?
もうあれほんとにやめた方がいい。
金の無駄。
何のためにやっているんだろう?
「日本は世界に先駆けてリニア鉄道営業事業を始めました」
と言いたいだけなのではないだろうか。
あれ?リニアってもうどこかで既に営業してなかったっけ?

もう今までかかった費用は埋没費用にした方がいい。
そうすればこれからかかる費用が不要になるから。

2/16/2026

4歳の記憶

 今日京急電車に乗って外を見ていたら急に思い出した。
まだ小さかった頃に汽車に乗った。
蒸気機関車だったと思う。
ボックスシートの進行方向側の席の窓側に座っていた。

記憶のシーン1:
席の皆があわただしく窓を閉め始めた。

あれはたぶんトンネルに入ったから窓を閉めたのだろう。
確かではないが、慌ただしく私の上に乗りだして窓を閉めていた。

記憶のシーン2:
私はすごく眠くなり窓枠に頭を乗せながら、
必死に眠りとたたかっていた。
それを、左の方に座っていた知らないおじさんが
「ほーら、お目めに鳩ポッポがとまったねえ」
と言っていた。
その言葉を音付で記憶している。

たぶんその後すぐ眠ってしまったのだと思う。
あの時の列車は何だっただろうと考えると、
いなかから東京に移ってきた時だと思う。
たぶん母と一緒だった。
父が一緒だったかはわからない。
兄がいたかもわからない。
とにかく母と一緒に汽車に乗って、たぶん上野まで乗った。
乗車したのは内原だと思う。
水戸ではないように思う。
その後何度もいなかには行ったけれど、駅は内原だった。
いなかから東京に移ったのは私が4歳の時だった。

それがかなり古い記憶だと思う。
前に書いた田舎の土間で鳥を解体していたよりも前だと思う。

2/11/2026

未来の話をしよう

 そんなことは忘れて未来の話をしよう。
1950年代の誰かが書いた100年後の未来では車は空を飛んでいた。
全てはロボットに管理され道は歩かなくても移動できた。
あの慎重なキューブリックでさえ40年後には人類は木星に
行っているビジョンを描いていた。
ほとんどのSFの世界では50年や60年後は素晴らしい未来
を描いていた。しかしそんな年月では世界はそんなに発展しなかった。
だから今私達が「未来」というビジョンを描くには少なくとも
200年後くらいが必要なんじゃないだろうか?
200年すればたぶん車は空をとんでいるし、人類も火星くらいまでは
行っているのではないだろうか。
今「AI」と呼んでいるインチキ人工知能ではなく、もっと違った、
HAL9000くらいの知能ができているかもしれない。
私の子どもたちがどこまで続いて行くかしらないけれど、
年代的には3世代くらい後の世界だ。

だけど懸念としては人々はそれほど幸福な人生を送っているとは思えない。
それに戦争だって、まだやっているだろう。
戦争がいつか無くなる要因が考えられないから。
数千年前から人類は戦争してきたのだからたったの200年後くらいでは
戦争はなくならないだろう。
また「死」も克服できていないだろう。
そんなに簡単に行くもんじゃないように思う。
ただ、長生きはするかもね。
平均寿命で100歳くらい、死亡年齢ピークが120歳くらいの分布になると思う。
そうすると最高年齢の人はたぶん150~160歳くらいになると思う。
定年が90歳くらい。
そんなふうになるだろうか?

じゃあ、200年後の未来はどうなっていて欲しいかというと、
日本の道路や鉄道(あれば)の路線の周囲は自然あふれる景色で
あってほしい。今のような防音壁や看板や密集した民家ではなく
もっと美しい景色の中を走ってほしい。
ああ、あのリニアモーターカーは無くなっていてほしいね。
なんであんなものを何十年もかけて作っているんだろう?
人々はもっとゆっくりしていてほしいね。

人々は宇宙に行っているだろうか?
どうだろう?
過去の大航海時代のように人々は宇宙をめざすだろうか?
月へは行くかもしれないね。
月の地下にホテルでも作って観光とかいいかもしれない。
でもそれが200年後にできているだろうか?
200年って長いようで短いよね。

どうなるにしろ私はそこには居ないから。

みんないなくなる

 古い写真をみていたら、大学のクラブの部長だった太田さん
が亡くなったのが2005年だったようだ。もう20年前だ。
長野までお葬式に行ったのはよく覚えている。
あの時は車ではなく電車で行った。
帰りの電車で酒井君と一緒だった。
いろいろなことを話して面白かった。
年収の話をしてこれまで最高だったのは2000万円だったと言ったら、
彼も同じくらいだと言っていた。
かれは警備会社をやっていた。
私は電子機械を作っていた。
それからは年収は右肩下がりで落ちて行って、膝かくるぶしあたりまで
落ちた。
それから友達の話で、ある友達が浮気をしていることを知らずに
そのことを彼の奥さんの前で話してしまい、ばれた。
ということを言っていた。それ以来その友達とは喧嘩中らしい。
酒井君は学年では1年下だったけれど、確か同い年だ。
ギターを沢山持っていたけれど、その後だいぶ整理したと言っていた。
キタローと酒井君でビートルズの完璧なコードを付けた歌集を
作ったと言っていた。
あの二人ならきっとほんとに完璧だったのだろう。

キタローも酒井君もしばらく会っていない。
どうしているだろう?
報せは入ってこないけれど、その後もクラブの人は誰か亡くなって
いると思う。
それを聞くのも怖い。

「みんなどうしてるだろうね?」と一番に話をしたい花輪も
去年亡くなってしまった。
突然だった。温泉旅行でお風呂で倒れたらしい。
ヒートショックだと思う。
お風呂は怖い。
しかし松尾と朝倉は一緒のグループだった。
松尾と花輪もまた別のグループで一緒だった。
何かつながっているようだ。

私も入る前にお風呂場を暖めてから入る。
風呂場から出る時も体を先に拭いてから出る。
そうでないとかなり寒い。

冬が終わればたぶん誰かと会うと思う。
その時に悪いニュースが無ければいいけれど。

2/07/2026

メモリアル・アルバム

会社も仕事もやめているのだけど、葬式用のDVD作成 だけは
以前から付き合いのある葬儀屋さんからの依頼があるので
作っている。たくさんの人の葬儀用のを作っていると思う。
今日もそれを作っている。
(ここで思い出した、前にもこの件について書いたことがある)
以前は亡くなった人はほとんど自分より年配の人ばかりだった。
だから他人事のように写真を整理しDVDを作っていた。

最近はもうすでに自分より若い人が多い。
時々同年齢の人がいるけれど、希だ。
60代の人が多い。
「えー、まだ若いのに」と思う。

若い人の写真はほとんどデジカメのJPEGデータで来るので
いいのだけど、年配の人はアルバムの写真をスマホで撮った
ようなのが多い。
葬儀屋さんの所にはプリント写真が来るのだろうけど、
葬儀屋さんが1枚ずつスキャナーに通すことはしない。
だからそれを修正しながらデータにしていく。
そこまでは機械的にやればいいのだけど、
問題はその人の歴史に合わせて選ばなければいけないこと。
それを集合写真にどこにその人がいるかを判別しなくてはいけない。
なぜならだいたいその人にズームするように編集するから。

男の人はだいたいわかる。
だけど女性がわからない。
若い頃と年を取った頃では全く違う。
私が男だからかもしれないけれど、
ほんとにわからない人がいる。
そういう時はズームせずにパンしてごまかす。

そんなことをしながらDVDを作る。
明後日までに作らねば

2/06/2026

妻が入院している

 去年の暮れに強烈な腹痛で病院に行った結果
胆のうから胃につながる管に胆石が詰まっていることがわかり、
それは胃カメラでなんとか取り除くことができた。
しかしその後の検査で胆石がいくつかあることがわかり、
3月に海外旅行にいくのでそれを取ることにした。
その手術が昨日あり、腹腔鏡で取り除いた。
胆のうも取り除いたようだ。
胆のうが無くても問題ないみたいだ。
医者はむしろ無い方がいいくらいなことを言っていた。

胆石は5個くらいあった。
お腹にはおへそを入れて4か所穴が開いた。
4時間くらい待って、手術室からエレベータで出て来る
ところから会うことができた。
本人はもうろうとしているのに、
「痛い?」と聴くと痛いと言う。
すぐ治るからね、というと小さくうなづく。
病室に寝かされている間もずっとうなっている。
穴を開けたお腹が痛いみたいだ。
手を握ると強く握り返してきて、痛い、痛いと言っている。
そのうち痛み止めの点滴を入れてくれて、少し弱まったみたいだ。
もうその頃には面会時間も大幅に過ぎてしまっていた。
でも看護師さんが、手術終わるのが遅かったので
もう少しいいですよ。
と言ってくれた。
半分寝ているような妻といろいろ話をして、
おちついたみたいなので帰ってきた。

それで今日の面会時間に合いに行ったら、
起きて歩き回っていた。
「歩いた方がいいんだって」と言う。
昨日のことを聴いてみたけれど何も覚えていない。
ほとんど眠っているような状態だったみたいだ。
今日もまだ痛みがあって、薬が効かないと苦情を言っていた。
でもジュースを飲んだりチョコレートを食べたりは
許されているらしく、チョコレートを食べていた。

あとは痛みが治まれば、かなり元気は回復するようだ。
昨日の死んでしまうような状態から考えたら
もうすっかり回復したと言えそうだ。
まずは、良かった。

2/05/2026

あの時の渋谷

 別に若くなりたいとかは思わないけど、
もう一度だけあの時の渋谷に戻りたい。
あの時に戻ってそこにいる自分を見てみたい。
自分はどんなだったのか
自分は何を思っていたのか
なぜそこにいたのか
その後どうしたのか
知りたい
今となってはただ一瞬の自分の反射しか見えないから

1/30/2026

記憶

 もともと記憶力は良くなかった。
思い出しても学生の時の伝言ゲームで前の人の伝言を全く覚えられなかった。
いやな思い出だ。
さっき気がついたのは中曽根康弘の顔を思い出せなかった。
どうしても佐藤栄作の顔になってしまう。
中曽根ってどんな顔だっけ?と検索して思い出した。
でも、今その顔を思い出そうとしても
やっぱり佐藤栄作になってしまう。
「いいですよ新聞は出て行ってください」と言った時の顔だ。
あの顔が強烈でどうしてもあれになってしまう。

他の記憶については言うまでもない。
1秒前のことを忘れる。
忘れるのだけど、思い出すことはできる。
つまり何かのきっかけか時間がかかるけれど思い出せる。
それが何だったのかを思い出すことができなくなったらヤバイ。
つまりどこかにメモで書いておいたことを見ても
それが何だったのかわからなくなったらヤバイ。
そうなったらちょっと考えよう。
そうしないといろいろ問題が起きそうだ。

それがいつになるのかは、まだわからない

1/27/2026

そんなことはたいしたことではない

 腕の痛みはなくなった。
また何かのきっかけでなるのだろうけれど、その理由がわからない。
でも腕の痛みなどたいしたものじゃない。
ちょっと眠れなくなるだけだ。
体中に痛みのある人に比べたらへのようなものだ。
と思う。
私はまだ幸せなほうだ。
いままで一番痛かったことは?
いままで一番苦しかったことは?
人に言えるようなことは何もない。

1/26/2026

腕が痛い

 左腕の手術を40年前に受け、神経が磨り減ることは無くなったけれど、
すでに神経が無くなった左手の小指が痛い。
手術前から左手の小指と薬指は神経が無く、思うように動かないのだが、
両方とも神経が無いので触ってもわからない。
だのに痛い!
今朝の4時頃から再発した。
だから4時からは眠れていない。
今も(お昼)時々ピキッツ!と電気が走る。
電気と言うより針が刺さると言った方がいいかもしれない。
これが治まるまで待つしかない。
病院に言っても「神経が無いのだから痛むはずはない」
なのでどうしようもない。
きっとこれは脳のバグなんだと思う。
足の無い人が足が痛むのと同じなんだろう。
もっと年取ってこれが永続的に起きるのはいやだ。

1/25/2026

同期会便り

 小学校から中学校まで同窓会の類は全く知らない。
たぶん連絡先を誰も知らないから。
高校だけは一度同期会に出たことがあるのでホームページを知っている。
私は第21期卒業。
ホームページには同期会の写真が載っている回がある。
私が行った回はもう消えている。
私の兄も同じ学校なので出ているかと写真を見たけれどいなかった。
そういうのには出ていそうだけど出なかったみたいだ。

そのページには最近の20回分の記事がある。
一番年長なのは第14期だ。
私より7歳年上の人達だ。
写真があったので見てみた。
なんか自分たちとあまり変わりない感じだ。
そうか、ある程度年齢が行くとあまり変わらないのかもしれない。
70過ぎも80過ぎも変わりないのかもしれない。
私が見てそう思うのだから若い人が見たら
もう全部同じだろう、きっと。

じゃあ10年後の人達はどうだろう?
と思って第33期という人たちの写真があった。
これは、ちょっと違う。
けっこう若い。
あるいはけっこう若く見える。
この世代の違うはけっこう顕著かもしれない。
私も70を過ぎて老人顔になってきた。
妻からも言われる。
だけど70前はそんなことはなかった。
YouTube の過去の動画を見てもそう思う。
たぶん老人顔になるのは70歳が境のように思う。

そんなことはどうでもいいけど、
最近特に人の名前を思い出せない。

1/21/2026

駐車場の料金管理

 最近ここら辺の大型ショップの駐車場料金はタダか時間で料金を取る
方式だけれど、昔の様に駐車券を出口で清算するというのはほとんど
無くなっている。
皆入口で車のナンバーを読んでその番号で管理している。
特に横須賀に引っ越してきてからその方式のお店が多いことに気がついた。

車のナンバーを読み取る機械だけれど、
私も1990年~2000年くらいの間にそのシステムの開発に
かかわったことがあった。
その頃はコンピュータのCPUの構造がまだ古風な構造だったから
ひとつのCPUが全てを行っていた。
しかもクロックが数メガHzだったから画像処理を行うには遅かった。
それでもナンバープレートの位置や大きさを限定すれば
数秒で読めたと思う。
そのアルゴリズムを考えていた頃を思い出すと、
もうほんとに基本的なやり方でやっていた。
気の利いた方法をやるにはCPUがあまりにも遅すぎた。

最近はクロック自体その当時の1000倍から数千倍に早くなっているし、
CPUもマルチコアになって、当時からは考えられないほど早くなっている。
CPUだけでなくGPUを使っているかもしれない。
だから瞬時にナンバープレートの番号は読めると思う。

そこで思ったのだけれど、車が入ってきた時にその画像だけ
撮影してメモリーしておいて、あとでゆっくり処理すれば
昔のコンピュータでもできるかもしれないなと思う。
たぶんコンピュータを2台くらい並列にしておけば次々入ってくる
車にも対応できるんじゃないだろうか。

そこまで行かなくてもとにかくその客が帰るまでに処理できれば
いいわけだからそんなに高度なことはしていないかもしれない。
ほんとうはどうなんだろう?

と思っていたが、調べてみると1台のカメラで数レーンの
ナンバー読みとりを瞬時にできるのが今のシステムらしい。
時代は結構すごいことになっている。







1/18/2026

理工学部消滅?

 私は青山の理工学部だったのだけど、つい最近のニュースで
中央大学の理工学部が無くなる、という話があった。
中央大学の理工と青山の理工は当時同じくらいのレベルだった
と思う。少なくとも私はそう思っていた。だから中央大学の理工は
受けなかった。上智と工学院を受けた。
めでたく上智は落ちて、工学院と青山は受かったので
青山に行ったわけだ。
たぶん中央も受ければ受かったと思う。
なぜ青山にしたのかよくわからない。
なんか御茶ノ水の方って好きじゃなかったからかも。
理科大も受けなかった。
じゃあなんで上智は受けたか?というと上智はちょっと離れていた。
四谷だからね。

ああ、それで受験の時のことは上智ははっきり覚えているけれど、
青山も工学院も全く覚えていない。
上智は駅から土手の道を歩いて学内に入ったのをよく覚えている。
松の並木で右にお濠が見えていた。
教室に入って問題用紙が配られた時も
なぜかすごくよく覚えている。
青山は覚えていない。
どこで試験を受けたのかも覚えていない。

上智は受からなくて良かった。
どっちにしろ大学に入ったら勉強しなかったから。
あれはなぜだろう?
高校の頃はあんなに好きだった数学も
大学に入ったら全く見るのもいやだった。

ほんとに卒業できたのが不思議だ。
だから今でも試験問題が全くわからない夢や、
単位が足りなくて卒業できないんじゃないか?
と焦る夢をよく見る。
なんで今になってまだそんな夢を見なくちゃいけないんだ?

青学の理工学部は継続するのだろうか?
一説には文科系学部で集めたお金が全部理工学部に行っている。
というのがあったけれど、ある程度ほんとなんだろうな。
計測器や研究機器の値段って並みじゃないもの。
青山の理工が継続しようがどうしようが、もう関係無いけれど
日本にとって理学部、工学部は必要だろうな。

1/16/2026

宇宙は膨張していない?

 昔は宇宙の大きさ、他の星や銀河系までの距離を測るのは
赤方偏移による方法だった。
ところが最近は他の方法が色々と開発されて星や銀河系の距離
が正確に測れるようになったらしい。
ところがその方法で計った距離と以前の赤方偏移による方法で
計った距離とでは値が異なるという現象が起きているらしい。
つまりどっちが正しいのか?ということになる。

様々な解釈があるらしいが、面白いのは両方とも正しい、
という説だ。
考えてみると赤方偏移により算出した距離は正しいはずだ。
観測した光の変移から算出したのだから、観測値として正しいはずだ。
一方最近の観測方法も理論的にも技術的にも正しいらしい。
だから最近の観測値も正しいのだろう。
その両方が正しいとして、なぜそうなるかを考えた時に
「宇宙は回転している」ということにすると両方の観測値が
正しくなるらしい。
そこには宇宙が「膨張している」という仮定は必要なくなるらしい。
宇宙が回転していることによっても赤方偏移が起きるらしい。

その理論が正しかった場合、宇宙は膨張する必要が無くなる。
ビッグバンも必要ない。
必ずしもそうでは無いかもしれないけど宇宙はビッグバンによって
生まれ今どんどん膨張しているという考えも必要なくなる。
宇宙はかなり静的な状態にあるのかもしれない。

これによってもたらされるのは
「ビッグバンの前には何も無かった」という説、
はありえないことになる。
あるいは宇宙の膨張により宇宙の端(?)では光の速度を超える、
ということも必要なくなる。
宇宙は静止した巨大なニューロン構造のまま
永遠に存在して来たし、これからも永遠に存在し続ける。
というつまらないことになるらしい。

1/15/2026

Arctic

 という映画を観た。
いい映画だったけれど疲れた。
字幕も翻訳も吹き替えも無い映画だった。
たぶん英語だと思うのだけど文字は何かどこか他の国の文字みたいだった。
北極圏に墜落した飛行機のパイロットが一人、生き残ろうとして
氷の下から魚を釣ったりしている。
それでたぶん毎日の日課として救助信号を山の上で出していると、
たぶんそれに気づいたヘリコプターが助けに来る。
しかし強風のためそのヘリコプターも墜落してしまう。
ヘリの胴には韓国国旗がある。
墜落したヘリに行くと機内に女性が一人瀕死の状態でいる。
外には男の遺体がある。
何とか女性を助けようと考える。
それでヘリにあった地図を元に人のいるところまで彼女を
そりに乗せて連れて行こうと考える。
そこからがとにかく疲れる。
とても大変な苦労をする。
1時間40分ずっとそれだ。

やっと何かを成し遂げるとその先に絶望が待っている。
何度も。
ああ、そういうことってあったよね。
と思う。
ほんとにこれで行けるのか?
って何度も思ったよね。
でも今ここにいるのはそのなんとかをやってきたからなんだろう。きっと。
そういうことにしておこう。
絶対にもうどうしようも無い、と思っても
なんとかなるものだ。
映画を観ながら自分のことを考えていた。

映画は最後の0.5秒くらいのショットでハッピーエンドとわかる。
それが救いだった。





1/04/2026

夢の中の曲

 初夢はおかしな夢だった。
友達が病気になった。
彼は家に帰って寝るという。
彼が家に帰る時に歩きながら歌を歌っていた。
英語の歌だ。
フォークソング。
それもオールドタイミーのフォークソングだ。
その歌は知らない歌だったけれど、
メロディーは聞いたことがあるように思った。
彼は完全に1番の歌詞を全部歌った。
歌い切った。
とてもい歌だった。

目が覚めた時にはメロディーも歌詞も思い出せなかった。
だけどその歌の感じだけは覚えている。
もう一度聴きたい。