8/31/2024

アイスバーン

 まだ夏だけれどさっきYouTubeで今年正月の札幌のアイスバーン
の映像を見ていた。
あれはちょっとすごそうだった。
今の私は走れないと思う。
私が北海道にいた頃は冬のタイヤはスパイクタイヤだった。
ガチガチと道路にスパイクを突き刺しながら走っていた。
だから本格的アイスバーン以外はそんなにゆっくり走る
こともなかった。止まるときはザザザザーと止まった。

しかしアイスバーンは別だ。
例えば街中だと4丁目プラザの前の交差点などは
氷を削ったような路面だった。
横滑りがひどかった。
千歳から支笏湖へ向かう道もよくアイスバーンになった。
うねうねと上下した道なので下りが止まらない。
止まらなかった車を何度も見た。
私も何度もあぶなかった。
道路わきに雪が積んであればそこに突っ込んで止めた。

さっき見ていた映像では普通の街中の道や、国道が全面
アイスバーンになっていた。今はああいう感じなのか。
スパイクの付いていないタイヤだとあれは厳しい。
鉄のスパイクでなくても何かそれに代わるようなものはないのだろうか。

アイスバーンで止まられずに他の車にぶつけたことが2度あった。
1度は信号無視。これは絶対的に私の不注意だった。
交差点で私は赤に気づかず、左から出てきた車の側面にぶつけた。
2つ目は私のせいではない、と今にして思う。
街の国道から1本入った道で、夏なら片側1車線、両側で2車線の
道だったが、冬場は1車線になってしまう。
しかもその真ん中に轍が1つだけ。
そこで向かいの車と対面になった。
私は左いっぱいに寄ったけれど、すれ違うには余裕が無かった。
それでも対向の車が横に入ってきた。
それで私がもう少し左に避けようとしたら、
車が横滑りして対向車に接触した。
私だけのせいじゃないと思ったけれど、
どうも私のせいになった。
あれはあのあとどうしたか覚えていない。
嫌なことは忘れるタイプか。

いいや、今思い出してちょっと嫌な気持ちになった。
もう50年くらい前の話だ。

8/30/2024

思い出の夢

記憶にある夢がまるで思い出のようによみがえることがある。
それは現実のことではないのだけれど、まるで懐かしい思い出の
ように感じる。
今最も懐かしいのは、ある町を歩きながら友達の家を探し回る夢だ。
町と狭い路地をはっきり覚えている。
歩きながら「確かこの先だ・・」と思い出しながら歩いている。
でも見つからない。
電話をしてみようと思うけれど、携帯電話の画面がギラギラして
何が表示されているかもわからない。

そんな夢だ。

昨日の夢はそれによく似ている。
断片的に覚えているのは、どこかの大きな駅か何かの施設のロビー
から外に出ようとしている。
歩いていくと白い階段がある。
階段はずっと下の道路まで下っている。
私はその右側を歩いて降りている。
すると中ほどで階段は左右に分かれていて、左側は緩い段差
右側はだんだん段差が高くなっている。
そこを降りてゆくとだんだん足が追い付かなくなって、
お尻でドンドンと降りて行き、最後はかなりの高さを飛び降りた。
地面に降りて何事もなかったかのように私は歩いてゆく。

また町の人混みの中を歩いている。
「前にここで誰か友達に会ったなあ・・」と思う。
「あの時、連絡先を教えてもらうんだった・・」と後悔する。
「いや、あれから、だってもう何十年も経っているんだぜ・・」
あの時にもっと親しくしていればよかったと思う。
夢の中でちらちらとその人のイメージが浮かぶ。

そんな夢だった。
夢ならもっと自由に会わせてくれればいいのに、と思う。


8/26/2024

秋葉原ミスタードーナツ、秋月、パックスエレクトロニカ

 さっき別の記事を書いていて、グーグルマップを見ていたら、
日通ビルの脇のミスタードーナツのお店がまだあることを知った。
これはすごいな確か1975年にはすでにあったと思う。
仕事場が近くだったからちょくちょくここでコーヒーとドーナツを食べた。
だいたい松ちゃんと一緒だった。
ついでにさっきの秋月電子を見たら、場所が違うように思う。
この左のビルに「銭谷ビル」とあるけれど、そのビルの2階に会社があった。
しかし秋月(当時信越電気)はこっち側ではなく反対側(東側)だった
ように思う。場所が変わったのだろうか?あるいは記憶が変わったの
だろうか?
その並びに風呂屋があったように思う。確か。
秋月のビルの脇にいやらしい立て看板があるのが悲しい。

その頃「パックス・エレクトロニカ」と取引があった。新人だった私は
何度かその会社に行ったことがあった。
確かこの路地の突きあたりにあったように思う。
今となってははっきり思い出せないが、その時のパックスの社長
あるいは担当の人は原さんと言ったように思う。
その人から500万円の現金を預かって会社に持って帰ったことがあった。
その頃の500万円はけっこうな大金だ。
それを新人の私に託した。
会社に戻ると社長が「この一束、100万円あるかどうかわかるか?」
と聞いてきた。私は「数えなければいけなかった!」と思った
けれど、もう戻って来てしまった。
社長は100万円の束の真ん中あたりの1枚をつまんで、
「ほら、これで落ちなければ100万円だ。落ちたら1枚少ない」
と教えてくれた。でもパックスの原さんと社長は友人だったようだ。
私が数えなかったことを気にもしていないようだった。

そんなことがあった。

いつからだったろう?

 ずっと考えていたのだけど一体いつからおかしくなったのだろう?
一人で仕事するようになってからは無かった。
だからその前のタマプラ時代からだろうか?
と思ったど、その前の川崎KSPもおかしかった。
その前は目黒だけど、その頃は神津さんと二人だった。
平穏無事の時代だった。
その前は完全におかしかった。
秋葉原の日の丸時代だ。
その前が本郷、あの時も既におかしかった。
その前が岩本町。既におかしい。
その前が秋葉原電気街、秋月のとなりだった。
その辺から既におかしいのは気が付いていた。
その前は札幌だ。
札幌だ。
おかしくなったのは札幌だ。
その前は学生だったから、学生の時代はおかしいことは無かった。
・・・と思う。・・・と信じる。

北海道からおかしくなった。
あれは不思議な時代だった。
周りいいつも人は居たけれど、一人だった。
それが好きだった。
それが楽しかった。
それが辛かった。

あれからだな。
あの場所とあの時代におかしくなった。
気が付かないうちに。

8/22/2024

バブルの頃

 あれは2010年頃だったろうか、日本のネットで「中国経済がやばい」
みたいなデマが流れたことがあった、それに対して中国が根拠の無いデマを
流すな、ということを広報が言ったことがあった。
なぜか日本のネットは中国の経済発展を妬んでいたように思う。
それでそういうデマが流れたおだと思う。
それから10年以上が流れ、私は中国は順調に行っているのだろう、としか
思っていなかったのだけど、数年前から中国がおかしいという話が聞こえてきて、
さすがの私もそれに気が付いた。
ここ数年で中国の経済はかなりひどいことになっているようだ。
根本が不動産市場の下落のようだ。

日本のバブル期に私は仕事をしていたわけだけれど、良く聴くバブル期の
派手な金銭状況は経験していない。全く。
当時の社長と「近くに1部屋7億円のマンションができたから観に行こう」と
やじ馬で見に行ったくらいだ。
あれはごく一部の人達が経験したことなのだと思う。
私の知人たちもバブルで大儲けをしたという話は聞かない。
また同様にバブルがはじけて大変な目にも遭っていないし、
身近に大変な目にあった人もいなかった。

しかし中国の今の状況はそうではないようだ。
住宅を購入した一般の人達が大変な目に遭っている。
建設前にローンの支払いが始まるのもおかしいが、その住宅を売っても
膨大なローンが残るというのもひどい。
中国の不況はそれに留まることはないだろう。
これからもっと深刻になると思うのは妬みではないだろう。

ああ、思い出した。
研究・実験機器の製造販売をしていた会社の知人がいた。
彼はその会社が立ち上がる時に株式を購入させられた。
その株がバブルの頃に暴騰して、それを売って会社を辞めた。
確か数百万だったのが数億円で売って、どこかの地方で暮らしているとか。
その人ぐらいだな、いい思いをした人は。
今どうしてるかしらないけれど。
その数年後、バブルのせいではないけれど会社は縮小されたと聞いた。

バブルの頃、何も思い出せない。
ディスコにも行かなかったし、ひたすら仕事していたように思う。
一般の人はそんなものだったと思う。

8/16/2024

この前失ったもの

 が判明した。
2021年~2024年に写したデジカメ写真だ。
使おうと思って「あれはどこだ?」と探してわかった。
7台くらいあるハードディスクのどこにも無い。
つまり一番新しいハードディスクがぶっ壊れた。
そういうことだ。

九州旅行、飛騨高山・白川郷旅行、仙台旅行、北海道旅行、箱根、
娘と孫が来た時の写真(今年と去年)、そのほか諸々。
全部無くなった。
あたらしいハードディスクだから大丈夫だろう、と思ったのがいけなかった。
古い写真はダブルで保存してあるのに、新しいものはコピーしていなかった。

ふーん、しょうがないな。
でも私が撮ったものではないけれど、妻がスマホに保存してるはずだ。
まあ、だからいいか・・・・

8/14/2024

8月13日

 それがどうした? ということだけれど、
ちょっと思ったのだけど、宇宙が膨張しているということだけど、
ひょっとしてあたかも膨張しているように見えているだけ
じゃないだろうか?
つまり実際には膨張はしていない、けれども膨張している
ように見えている。
次元の問題だけど、別の次元の下でこの宇宙が移動しているだけとか。
電車に乗って窓の下の線路を見ると、早い速度で移動しているのが見える。
それと同じようにこの宇宙が別の次元の中で移動しているだけとか。
すいうことはないだろうか?
膨張はしていないけれど、絶えず動いているから、
それがこの次元では膨張しているように見えるとか。
そういうことはないだろうか?

1次元で考えてみよう。
直線上のある絶対位置となる点に平行して一つの点があるとする。
その点は直線にある点ではなく、それと隣り合った平行した位置にあるとする。
その直線が早い速度で動いていた場合、
絶対点から(移動方向を)見た時、膨張しているように見えるだろう。
同じようなことがこの3次元宇宙で起きていないだろうか?
宇宙の移動はもう一つ上の次元、あるいはさらに上の次元で起きていて
我々がそれを観測するとあたかも膨張しているように見える。
とかは?

ああ、大きな問題があるね。
近くの物も遠くの物も同じ速さで遠ざかってしまうね。
それは何か空間のゆがみとかで解決できないだろうか。


8/06/2024

8月6日

 今年も8月6日だった。
広島の原爆投下のあった日であり、
ピンクフロイドの初来日コンサートが箱根で行われた日でもある。
原爆投下から79年、箱根から53年だ。
この二つを並べるのはどうか?と言う人もいるだろうな。
でも私はそうは思わない。
どちらも自分の人生に深い関わりがあるから。
もちろん広島の原爆を私は経験していない。
だけど母と一緒にあるいた広島の町は母の目を通して
その日の原爆を私に見せてくれた。
あるいは遺伝子として母の経験が私の中にいる。
私の右目はヒロシマのせいで半分見えない。

ピンクフロイドの箱根は、あれは特別な体験だった。
もうあんなコンサートはできないだろう。
あれだけの音量を自然の中に放ったんだから、
騒音公害もいいところだろう。
だけど、あれは素晴らしかった。

50回目の記念日に一緒に箱根の会場跡に行きましょう、
と言っていた人がいたけれどドタキャンされた。
その時は一人で行って会場が見えるところから眺めていた。

今日ももうそろそろ8月6日が終わる。
あと何回私はこの日を迎えられるだろうか?


タイムマシン

 たぶん中学の1年か2年の頃だと思うけれど、
午後の映画劇場みたいな番組でやっていた映画を良く見た。
その中でタイムマシンの話があった。
映画の中に出てくる女性がとても綺麗な人だったのを覚えていた。
遠い未来に人類が原始的な二つの種族に分かれていて、
その一つの種族にいた女性だ。
主人公がその女性に出会って、最後別れ別れになってしまう。
そこまでは覚えていたけれど、そのあとどうなったのか
覚えていなかった。
それをもう一度見たいとずっと思っていた。
・・・まあ、だいたい60年くらい。
その映画と非常によく似たタイムマシンの映画があって、
そのタイトルが「タイムアフタータイム」だった。
私はずっとあの映画はタイムアフタータイムだと思い込んでいた。
それである時「タイムアフタータイム」の映画を観る機会があって
みたけれど、どうもそれじゃない感が強かった。
というかそれじゃなかった。
その前に「タイムマシーン」という映画もみたけれど、
それも違うような気がしていた。
(最初の方しか見なかったから)

それでさっきフェイスブックのタイムラインに外国人が投稿した
Time Machineの映画の紹介があって、
そのコメントを読んでいたら、
誰かの「昔、私はこの女性に恋をした」というのがあった。
あ!と思ってそのTime Machineを確認した。
するとその女性が出ていた。


そう、この女性だ。
中学生が恋するにはずいぶん大人だけれど、この人だ。
原始生活してる割にはその完璧なメイクはどうやった?
とか、その髪はどうやってセットした?
とかいうことはどうでもいいわけで、
この人だ。

この印象を中学生の頃からずっと記憶の中にいだいていた。
さっき映画を全部見て感激した。
中学生の頃の感性も今と変わらないようだ。


8/05/2024

ハードディスクが壊れた

 いつも使っているわけではない、データ保存用のハードディスクが壊れた。
認識しない。
音はしているカタカタ、チリチリ言っている。
他のPCでも試してみたけれど同じだった。
確かその中には古い写真のネガをスキャンしたやつとか
古いデジカメの映像とかが入っていたはず。
ひょっとすると私の子どもたちの昔のデジカメデータとかも
入っていたかもしれない。
製品がバッファロー製だったのでバッファローのデータ復旧センター
に送ってみた。
しばらくしてメールが入った。
1段目のデータ普及に18万円かかると。
しかもそれで回復しなかった場合さらに数万円かかるとか。

もう少し、例えば一桁台だったらお願いしようと思ってた。
でも結局20万円以上かかりそうだったので断った。
昔会社にサーバーを置いていた時にウイルスにやられて、
お客のデータが入っていたのでどうしても普及しなければならず、
データ復旧センターに頼んで復旧してもらったことがあった。
あれは確か300万円くらいかかった。
昔(2000年頃)だったのでそういう金額だったのだろう。
今はそんなにとらないだろうと思っていた。
しかし20万円はやっぱり高い。

データだけれど、見れるようになってどうだというのだろう?
だいたい今までずっとそのデータを見ることも無かった。
そうだ、子供たちのデータは全部コピーして前妻に渡したはずだ。
だから残っているデータは、たぶん、自分のどうでもいいデータだ。
もう見ることもないだろう。
遠い将来、自分が死んでから、だれかがデータを見たいという
ことも無いだろう。
そんなものだ。

とりあえず大事な、今大事だと思えるデータは、
SSDに移しておこうと思う。
少なくともハードディスクのような物理的クラッシュは無いだろう。
でもメモリー素子の電子的クラッシュとか消去とか静電気クラッシュ
とかはあるだろうな。
でもそんなことどうでもいい。
気休めにしかすぎない。
クラウドに保存したってクラウドの会社がいつまであるかわからない。
クラウドはひょっとしてハードディスク保存してるかもしれないし。
危険性はそんなにかわらない。
何重にもミラー保存してるかな?
どうでもいいや。

8/04/2024

過去に戻って・・・

 過去に戻って何かできるとしたら?
という話がよくあるけれど、私だったら?
子供の頃に戻れるなら親に「ピアノを習わせて」と言いたい。
他には何もいらない、どんなに辛くても力づくで習わせてほしい。
もしもその時既に左手を怪我していたとしても、
力づくで習わせてほしい。
きっと頑張って弾けるようになるから。

もしも学生の頃に戻れるなら、
神崎先生に「数学を教えて欲しい」と言いたい。
先生は化学の他に電子回路を教えてくれた。
それはとても役にたったけれど、
ほんとうのことを言うと私は数学を全く理解していなかった。
冗談や比喩ではなく本当に理解していなかった。
もう一度あの頃の先生の前に行けたら
先生に正直に言おう。
「先生、実は数学がぜんぜんわからないんです。
だから最初から教えてください」と。
まるでわかったように答案を書き、
全部理解していたかのように、
単位が取れて当然のようにふるまってきた。
でもそれは違うんです。
どうすれば点がとれるかを知っていただけなんです。
だから今、数学が全くわからない。
数式を見ても何もひらめかない。
「ああ、こうすれば解けそうだ」
ただそれだけ。
数式が何を意味しているかが全くわからない。
それを今知りたいと切に望む。
だから先生、数学を教えてください。
・・・神崎先生、まだ生きてますか?
あの頃先生とは5歳くらいしか違わなかった。
だからまだ健在でしょうね。
神崎先生、もう一度会いたいです。

もしも社会人になったばかりの頃の自分に会えるなら、
「お前は、お前をそこに置いた人全てに感謝しろ」
と言いたい。
「お前はこれから多くの人に助けられる。
 その人達にに感謝して謙虚に生きろ」
と言いたい。
そういう風に生きれば後で後悔することはないから。
今切に望む。


8/02/2024

 一番最初に乗った車は日産チェリー1000だった。
1000ccだ。
まだ20歳だった。
それでどこまでも走った。
三鷹から北海道の端まで走った。
あの頃の1000ccは今の1000ccとは大違いで非力だった。
思い切りアクセルを踏んでも猛烈なダッシュは望めなかった。
それどころかクラッチが滑って空ぶかしということもあった。
でも、あいつは良く走った。
ひとりでも誰かを隣に乗せても
とにかく走った。
中古で買った時が4万5千キロ、
最終的にエンジンがだめになった時が17万キロだった、
それからもずっと小型車ばかりだった。
22年前に最後の自分の車だったのは
マツダのプロシード・マービーだ。
ああ、既にどこかに書いてあるけど。
長さが約5メートルだった。
あれが一番大きな車だった。

今乗ってるMINIクーパーはとてもいい車だ。
先日香港から義理の娘親子が来た。
チャイルドシートを付けて、大きなキャリーケースを積んで
ベビーカーを積むともう目いっぱいだ。

それで、そのうち大きな車はどうだろう?
と思って調べてみた。
VWのSUVが良さそうだった。
寸法を見るとそんなに大きくない。
それでマンションの管理人に聴いてみた。
すると「機械式のところには入れられない」
「平置きの場所もこの団地全体でももう無い」
とのことだった。
MINIを停めている機械式駐車場の高さ制限が1550mm
までだった。
miniはそれより10cm以上低いけれど、SUVは限度よりも
2cmだけ高かった。僅か2cmで許可できないらしい。

残念というか良かったというか、まだしばらくはMINIに
乗っていると思う。