7/24/2024

中善寺金谷ホテル

 先日、戦場ヶ原に行こうと思い、「ちょっと日光に行ってくる」と言ったら、
「私も行く!」と言って勝手にホテルの予約までしてしまった。
私は一人で車中泊で良かったのだけど。
それでホテルに行ったらフロントが
「庭に熊が出たので注意してください」と。
どう注意すればいいのかわからないけれど、
とりあえずその庭の先の湖まで行ってみた。
他にも歩いている人がいたので気にしなかった。
それから戦場ヶ原を歩くのはやめて、展望台まで行って
写真を撮った。そしてホテルに戻る前に
竜頭の滝に寄って滝を眺めた。
あまり人は居なかった。
ホテルに帰ってテレビを見ていたら
「今日、日光の小学校に熊が出没! その後中善寺金谷ホテルの庭
に移動、竜頭の滝でも目撃された」というニュースをやっていた。
まさにぴったり我々の行動と一致していた。
しかし出会わずに済んで良かった。

そのホテルだけれど、もう結構年期が入っている。
造りはしっかりしているし、建物もいい建築だと思う。
しかしやはり作られたのが1965年だからもう60年選手だ。
壁が薄いのか隣室の声や音が現代のホテルに比べるとけっこう聞こえる。
隣の声や音は、ああ隣だな、とわかるからいい。


夜中になって寝ていると異様な声(音)でめが覚めた。
「ウゥ~」というか「アゥ~」というかそういう声だ。
結構はっきりした音だった。
「なんだ?!」と思って目が覚めたけれど、
聞き間違いではないと思った。
もう一度鳴らないかなぁ?と待っていた。
するとまた「アゥ~」という音がはっきり聞こえた。
けっこう大きな音だ。
それもこの部屋のどこかから聞こえていた。
なんだろう? と思い、目を凝らして暗い部屋を見まわした。
前にも書いたけれど最近はこういうものに怖さを感じない。
それで、何か出ないかなあと思って待っていた。
しかし部屋のどこに異常やおかしなところは無い。
しばらく待っていたけれど、その後音が無かったので
起き上がってスリッパを履き部屋の隅々からカーテンの外の
ベランダなどを見まわした。
でも何もおかしなところは無かった。

そうしていると妻が私が起きていることに気が付き
「どうしたの?」と言ってきた。
それで状況を話すと、
「私も聴いたけど集中冷暖房のパイプの音じゃない?」
という。
そうだろうか?
ホテルであんな音がするのを聴いたことが無い。
「そうなのかなあ?」と言って、寝ることにした。
するともう一度はっきりと不気味なあの音がした。
しょうがないので気にせずにねることにした。

しかしあの部屋、あの音のクレームって無いんだろうか?

7/22/2024

最悪の夢と最高の夢

 まさに昨日の夢はそんな感じだった。

何処かの工場で機械を作っている。
周りは他の機械の音で騒然としている。
タンスくらいの大きさのラックに大きなプリント基板が
何枚もささっている。
作っているのは若い技術屋さん3人くらい。
もうほとんど出来上がっている。
それを見ながら私が指図している。
なぜなら私が全部設計したからだ。
それを前にして私は一人思っている。
「これ本当に動くだろうか?」と。
動かしてみないとわからない。
とても不安だな気持ちでいっぱいだ。
目が覚めたけれど、すごく嫌な感じだ。
私の過去の仕事は全部そんな感じだった。
もう途中でやめて逃げ出したかった。
最後の仕事になった機械の製作は途中で逃げた。
あまりにうまく行かなくて、何度も調整して、
現場の人にも手伝ってもらって、
現場の大勢の人に迷惑をかけて、
結局できなかった。
ああいう思いはもう嫌だ。

もう一度眠りにいついてみた夢は。
冬だった。
膝くらいまで雪のある道を歩いている。
足が思い。
足が冷たい。
どこかの夜の街を歩いている。
とても寒いけれど気持ちがいい。
道の雪が街灯に照らされて白く光っている。
あるいているととても広い場所に出た。
見渡す限り雪原だ。
空を灰色の雲が低く覆っている。
「すごい! カメラ持ってきたら良かった!」と思う。
その景色をただ眺めている。
寒さで目が覚める。

何もかけずに寝ていた。
昨日の夜は25度くらいの外気温だったようだ。
何も書けないと寒い。
寒いとよく夢を見る。
というか寒いと見た夢をよく覚えている。
昨日の夢がそうだ。

しかし夢の中でカメラを探すことが多い。
夢を写せるカメラがあればいいのだが。

7/20/2024

科学が世論に負けたと思うこと

 中学・高校で学んだことで気になることがいくつかある。
そのうち思い出したものの一つは
「毛細管現象は間違いで毛管現象が正しい」
これはとても根深いと思う。
当時(1960~70年代)でもテレビで「毛細管現象」という人が多かった。
そのつど「正しくは毛管現象です」という注釈がついていた。
それでずっと来たからもう「毛細管現象」と言う人はいないだろう
と思っていた。しかし今Wikiを見て驚いた。
「毛細管現象とも言う」となっていた。
Wikiが正しいとは限らないけれど、ちょっと驚いた。

もう一つは「遠心力」。
これも授業では「正しくは向心力」と言っていた。
物理の先生は遠心力と言うと必ず「向心力」と訂正された。
例えばテレビ番組で紐を付けたボールをグルグル回した時など
「ボールは遠心力で飛んで行こうとします」とか言ってるけど
正しくは「紐からの向心力でボールは飛んで行きません」だと思う。
遠心力が働くとした場合、その力はどこからくるのか?が問題だ。
実際には慣性で飛んで行こうとする力と紐の力の合成だ。
しかし、あいかわらず「遠心力で飛んで行く」と言っている。
遠心力もコリオリ力も普通に暮らしていると
あたかもそういう力があるように思える。
毛管現象も毛細管と言った方がそれっぽい。
どっちも普通に生活していると「その方がわかる」という方が
採用されているんだろうな。

7/19/2024

ロンソン ガスライター

 突然思い出すことってありますねえ。
さっき「ロンソン」という名前を思い出した。
「ローソン」という名前がどこかで聴こえたからかもしれない。
これもシンクロか?

ロンソンのガスライターを父からもらって使っていた。

この写真と同じものだった。
艶消しでもないし、梨地でもなかった、つるつるでもなかった、
この細いストライプを爪でなぞって遊んでいた。
だからこれと同じものだった。

ある日の札幌から羽田行きの飛行機の中でこれを使ったのを覚えている。
まだ飛行機の中でタバコが吸えた時代だった。
そして実家に帰って来てタバコを吸おうと思ってライターを探したら
無かった。
カバンの中にあるだろうと思って気にしなかった。
しばらくはマッチを使っていた。
また札幌に帰って来てからカバンの中を探したが無かった。
二度と見つからなかった。

たぶん飛行機の中でズボンのポケットに入れて
滑り出てしまったのだろう。
あのライターはツルツルよく滑った。
それに重みがあるのでポケットからするっと出てしまったのだろう。

持った時のあの手の感触をまだ覚えている。
札幌以降タバコは吸っていないので今さら買いなおすことも無い。
あれが今あったら父の形見だったな。

7/18/2024

シンクロニシティー (synchronicity)

 今朝テレビを見ながらスマホでFBを見ていた。
FBにこの画面がでたので見ていた。   (ダリ展)
「いいけどあそこ遠いんだよね」と思った。
目をテレビに向けたらこのCMをやっていた。(ノンアル オールフリー)

「おお!シンクロだ!」と思った。
しかし少しできすぎのような気もする。
これビールのCMとダリ展とコラボしていないだろうか?
定かではないが、偶然だとしたら面白い。

7/17/2024

月面着陸


 NASAがスタンリーー・キューブリックに
「探査機が月面に着陸したと思えるような映像を撮ってくれ」
と頼んだ。キューブリックはさんざん考えた挙句に
「やっぱり現地で撮影したい」と言って、
NASAは実際に月面にロケットと宇宙飛行士を送り込んだ。

という話が好きだ。
実際は1969年7月20日に月面着陸。
ああ、3日後だ。
1969年7月と言うと最初の受験に落ちて浪人中だった。
その時のテレビを全く覚えていない。
なんとなくぼんやりとテレビを見たときの様子を覚えてはいる。
69年って安田講堂が陥落した年でもある。
69年の7月26日が新宿西口のフォーク集会の最後の日だったらしい。
たぶんその日の夜は西口にいた。
日記を付けていなかったからわからないが確か最後の日の夜に
機動隊に地下を追い出されて淀橋の方に逃げた。

そうだ、安田講堂が落ちた時は明大のキャンパスにいた。
教室に5,6人集まって討論していた。(予備校はどうした?)
「どうする?本郷行くか?」という話をしていた。
でも結局 日和見主義者の集まりだったから行かなかった。

そんな1969年7月だった

7/16/2024

気になること

 これをずっと後になって読んで、「ああそうだったなぁ」と言うだろうか。

「この機械が製品を作る機械になります」
「こちらカルボナーラになります」
「それで、こちらが先ほどの映像になります」
もっとひどいのは
「こちら、お釣りの方になります」とか
この「なります」が嫌だ。
「の方」は問題外。
街でもテレビでもこれが一般化している。
なんで「・・・です」って言えないんだろう?

もうひとつ、気になるのは。
「本屋でこの本が売っています」とか
「店でチョコレートが売っています」とか、
これ、だんだん慣れてきてしまったのも嫌だ。
「本が売られています」
「チョコレートが売られています」だろう?
あるいは
「本を売っています」
「チョコレートを売っています」だな。

「チョコレートが売っています」・・か・・・
・・・チョコレートが何を?

たぶん我々の世代の時もこういうのがあったんだろうな。
ちょっとすぐに思いつかないけど。
「ぜんぜん大丈夫」っていうのは少し後の世代だな、言い出したのは。

でもだんだんこれが普通になってしまうんだろうな。

7/15/2024

死んだらどうなる?

 という話をネットで時々見る。
本気で話しているのかどうか知らない。
だけどだいたいいくつかの案に収束するみたいだ。
その中でたぶんもっとも多いのは
死んだら「無」になる
だと思う。
たぶん識者の多くはこれだと思う。
でもこれって何の得にもならないし、何の助けにもならないと思う。

これを言った人は死ぬ間際になって
「俺はこれから無になる」って言えるんだろうか?
たぶんだめだね。
たぶんしれっと「じゃあ天国でまた会おう」とか
言ってると思う。
だったら最初から「おれはまた生まれ変わる」とか
「来世では女性に生まれたい」とか
「天国で友達に会うのが楽しみ」とか
言っていた方がいい。

もちろん私は天国に行く。



7/10/2024

エアコン不調(続き)

 今電気屋さんが直してくれている。
昨日の夜は夜中の2時で外気温28度。
室内温度29.5度だった。
それで寝ていたけど、そんなに暑くは感じなかった。
さすがに扇風機は回していたけど。

札幌に住んでいた時、ほんとに暑かったのは夏の1週間くらいだった。
「ああ、夏だ!」と思った。
でもすぐに涼しくなってしまった。
そして秋が来た。
車にエアコンは付いてなかったし、必要も無かった。
部屋にエアコンは無かったし、必要も無かった。

それで扇風機はあっただろうか?
と思い出しているのだけど、無かったように思う。
たぶん無かった。
アパートを引き上げる時に誰にも譲らなかったから。

今はどうなの?
たぶんエアコン無しでは厳しいよね。
車ももちろんエアコンは付いているだろうし。
ああ、札幌の中古車販売を調べたのだけど、
ほとんど4WDだね。
昔は4WDなんてまれだった。
タイヤがスパイクからスタッドレスみたいのに変って
2駆ではうまく走れないのだろう。

まあいろいろ変わって行くなぁ。

7/07/2024

Old friends

 家のアパートから少し登ると山の公園になる。
アパートの前の道を一人、あるいは二人連れ、
あるいはグループで登って行くのをいつも見ている。
暑いのに良く行くなぁ、と思う。

そういう私も平日に良く行く。
行くとベンチにずっと座っている人がいる。
景色を眺めているのだろうか。。
公園の道をあるいているとやはり一人で
歩いている人に出会う。
まれだけれど挨拶をすることがある。
何か話すことはまず無い。

たぶん皆同じくらいの年齢だ。
男もいるけど女性もいる。
みなほとんど一人でつまらなそうに歩いている。

若い頃は「公園歩いてるのジジイばっかしだ」
とか言っていた。
そのジジイだ。
今の私は。


7/06/2024

中国で2番目に大きな湖が決壊

 というYouTubeを見ていたのだけど、日本語の動画はまだ無いようだ。
英語版の動画に決壊の様子と現状が報告されていた。
決壊部分は最初はまだ小さかったので砂利を入れたりしていたようだ。
それでだめなので大型のトラックを何台も決壊したギャップに
落として止めようとしていた。
しかしそれは全く用をなさなかった。
それで洪水により多くの市民が避難しなくてはいけない状況に。
その湖は武漢の南西に位置していて差し渡しは100Km
を優に超える。複雑な形をした湖だ。

その動画に日本人が大勢コメントを書いている。
少し読んでいたが途中で嫌になった。
日本人ってこんなに薄情だったんだ!と驚く。
要するに「日本はこんなに素晴らしい!」とか
「外国人が驚く日本」とかに喜ぶ人達がいかに多いか。
日本人が嫌になる。
(・・・と言うと必ず出るのが、じゃあ出て行けよ!だ)

それで、それじゃあ中国系の動画はどうだろう、
と見てみた。全部北京語で全くわからないが、
コメントは翻訳で日本語になる。
それでわかったのだけど、
中国語のコメントもほとんどは中国のやり方を
批判するものばかりだ。
「なぜ救援トラックにスローガンの垂れ幕があるんだ!?」とか。
「共産党のやることは全部宣伝だ!」とか、
ちょっと驚く。
北京語で書かれているから中国人が書いていると思うけど。

だけどこの中国語のコメントは理解できる。
これは人間的に正常なものだと思う。
やはり日本人の書き込みの方が異常だ。
何がそんなに中国人を嫌っているのだろう?
その人達はおそらく同じ書き込みを韓国で何かあった場合
にも書いていると思う。

そんなに自分を優位に思いたいのだろうか?


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一日経ってわかったのは、水没した地域は思ったよりも狭いようだ。
それでも山手線の内側くらいはある。
もっと大規模かと思ったけれど、まずは良かった。


湖の左上。
この部分は湖と川で区切られているのでこれ以上洪水が
広がることは無さそうだ。




7/04/2024

エアコン不調

 今日も暑かった。
この部屋のエアコンが不調。
30分から1時間つけていると止まる。
エラーが出て止まる。
原因はわかっている。
ガスが足りない。
これまで3つの会社が来た。
最初は購入時に来たY電機の工事屋。
これがどうも問題らしい。

1年くらいで調子が悪いのでY電機に連絡。
来たのはパナソニックの電気工事屋。
その人はガスが漏れているとか言って、
パイプラインのやり直しをしてガスを入れてった。
半年くらいはそれで動いていた。

しかし冬場に今度は暖かくならないので
またY電機に連絡した。
すると来てくれた電気屋さんはいろいろ調べて、
どうも一番最初に工事したところが室外機のバルブ
との接続を歪んだまま取り付けたようだと。
それでまたガスを入れてくれた。
そしてベランダの防水工事(現在進行中)が終わったら
電話してください。と帰って行った。

その後結構使えていたが、暑くなってきてまた
エラーで止まるようになってしまった。
まだ防水工事は終わっていない。
ちょうどその頃その電気工事の人から電話があった。
「工事おわりましたか?」と親切に電話をくれた。
しかしまだ工事が終わっていないので、
室外機がまた移動する予定だ。
それで「終わったら電話します」ということにした。

(長いな)

エアコンのことはそれでいいのだけど、
私の人生でこのパターンが異常に多いように思う。
つまり、エアコン直したい、ベランダが工事中、
ベランダ工事が終わらないとエアコン直らない。
このパターン。
何かを先にしないと次がやれない、しかしその先のが
なかなかできない。

この一つ終わらないために次ができないパターン。
思い出せないくらいあったように思う。
どうにかしてほしい。












7/01/2024

北海道に向かって

 忘れないうちに書いておこう、の第二弾
1975年から1981年まで毎年2回は札幌・東京を車で
往復していた。
札幌からのルートはよく覚えているけれど、東京からの
ルートを想い出そう。

実家は三鷹の上連雀だった。
そこからどうやって行ったろう?
記憶にあるのはなぜか甲州街道だ。
家からまず甲州街道に出たのだろう。
そのまま新宿まで出た。
新宿から靖国通りで神田に出て、昭和通りに入り、
そのまま4号線で北上だった。

北千住あたりだろうか、左手に10階建てくらいの壁のような
アパートが建っていたのを覚えている。
いや、もう少し北の足立のほうだったかもしれない。
だけどそのアパートを何か目印のようにしていたように思う。
それから延々と街の中を走った。
春日部あたりまでは街道街が続いていた。

川口あたりだったろうか?東北自動車道の建設が始まっていた。
初めて北海道まで走った時は東北自動車道は岩槻から宇都宮まで
の工事が始まっていたが開通はしていなかった。
しかし札幌に住み始めた頃は岩槻から盛岡南あたりまでが開通していたが、
南は岩槻で終わっていた。
だから川口あたりから岩槻のインターまでは工事中の道路の脇の道を
走っていた。非常に上下に揺れる道だったように思う。

岩槻から高速に入り盛岡までは何も考えずに走れた。
仙台の文字が見えると「やっと仙台だ」と思った。
仙台から盛岡まではすぐだったように感じる。
盛岡からは一般道(4号線)だ。
延々とただ走る。
昼間はいいけれど、夜はほとんどトラックだ。
だいたい80Km/h~100Km/hくらいで走っていた。
そこを追い抜いて行く。
上下で2車線だから向こうから車が来たら終わりだ。
普通に走っていたら前後をぴったりトラックに挟まれて
本当に怖い状態になる。
車間を開けていると後ろから迫ってくるから。
夏だろうが冬だろうが同じような状況だった。

金田一温泉のところで4号線は大きくカーブした。
「ああ、やっとここだ」と思った。
三戸、八戸を経て野辺地に到着。
そこから函館までフェリーに乗った。

雪の時はフェリーも遅れているからパーキングで待った。
トラックが多かったけれど乗用車もそこそこいた。
雪威が降りしきる中、車の窓の外も良く見えない。
フェリーに乗り込む時は雪の中係りの人が車まで来て
向こうに行くようにと指示してくれる。
次の日まで出航しない時もあった。
あのオレンジの照明の下で待っていた感じが懐かしい。

フェリーに乗ったら大部屋(ただカーペットが敷いてあるだけ)
に横になって寝た。
函館まで4時間は休むことができた。

函館に着いてから札幌までは書くまでもない。
なんか書きたくない。

考えてみると一部は高速ができたけれど、
札幌から三鷹まで恐ろしく遠いんじゃないか?
今だったらあれは絶対やりたくない。