部屋のエアコンを最大にしている。
なんでこんなに寒いんだ?
外から帰ってきて夕食を作って食べて、
寝込んだからいけないのかも。
「我アルカディアにもあり」っていう絵があるでしょう?
(正確には アルカディアの牧人たち)
あの「我アルカディアにもあり」っていうのは日本語だけど
原語ではほんとにこう言ってるのかな?
つまり
「我アルカディアにあり」ではなくて「にもあり」なのは
どういう意味なんだろう?
誰かが言ってたように、”楽園にも死はある”という意味なの?
とすると「我」っていうのは人物ではなく「事象」だよね。
そうすると「我」っていう日本語(あるいは原語)はおかしい。
「死神」というならいいけど、
むしろ「そはアルカディアにもあり」というべき。
でも、ほんとうはどうなの?
そういう意味なの?
並び変えると別の言葉になるとか、
Et in Arcadia ego --> I Tego Arcana Dei
あたりまえじゃない?文字を並び替えたらどうにでもなる。
それにこれが
memento mori と同じ意味ってどういう裏付けがあるんだろう?
「我」を「死」だと解釈した最初の人がいるはず。
それがプッサンが言ったのならしょうがないけど。
最初にそう言ったひとになぞられて、そうなってしまったように思う。
これはひょっとすると、「我」は「幸福」という意味かもしれない。
幸福はこんなアルカディアにもあるんだ。という意味。
あるいは「孤独」とか。
その方が意味が合う。
「我一人」の「我」。
桃源郷にも孤独はあるんだ、と。
まあ、どうでもいいんだけど、
この石板に書かれた意味を「死はアルカディアにもある」と
解釈するのには疑問が残る。
ともともと誰かがそう言っただけで、ネットの力で広く広まってしまって
そうなってしまったような気がする。
註:なんでまたアルカディアの話かというとさっき「アルカディア」っていう
わけのわからない映画を観たから。