1/31/2020

空はどこまで行っても空

この事実は考えてみるとすごい。
今見ている空はずっとアメリカのアリゾナやユタまでつながっている。
あるいはフランスやスペインまでもつながっている。
リアルタイムで。
それは地面が途中で海になってしまうのとはちょっと違う。
ちょっとじゃなくてだいぶ違う。
まあ、いいんだけど。

その事実を踏まえると(笑)空の上の方を飛んでる飛行機も
誰にも邪魔されずにどこか遠くに行ける。
それをベンチに横になって見上げている。
飛行機は結構あっという間に見えなくなってしまう。

空飛ぶ円盤(UFOのことだから)は来ないかな、といつも思う。


1/30/2020

今日は天気も良く。。。

暖かいね。
仕事が無ければどこかに行きたい感じ。

事務所を借りていた時は、屋上まで行くと眺めが良かった。
だから時々階段を登って屋上に行った。
正確には屋上には柵があって入れなかったのだけど、
その手前ね。
そこの階段に横になって空を見ていた。
幸い誰も来ることは無かった。

空の写真も撮った。
その写真を貼ろうと思って探してたら
その日付を見て怖くなってきた。
・・・のでやめた。

このアパート(マンション)の屋上は出られないんだよね。
今まで防災委員として3回は屋上に上がったことがあるけど、
周りに柵が無いので非常時でも屋上には上がれないんだって。
それでも非常時には上がれるようにした方がいいと思うけど。

それでここの屋上からは、確かに眺めはいいけれど
周りがみんなビルだから解放感があまりない。
前の事務所は前が川と空き地、その向こうが公園だったから
眺めは良かった。
季節を感じることができた。

眺めのいい屋上はいいね。


マスクマン

あまり、というかマスクはほとんどしないのだけど、
昨日は都内に行かないといけなかったのでマスクをして行った。
息苦しいね。
特に電車の中。
でも周りの人もマスクしてる人が多い。
我慢してつけてる。
なんかの効果を期待して。

1/26/2020

泣いてしまう

もうなんでもかんでも泣いてしまう。

今朝は長野オリンピックのジャンプの映像を流していた。
それは特に泣かなかったのだけど、
その後に荒川静香のスケートのシーンが流れた。
これは見ていてなぜかわからないけれど
涙が出てきた。
すごく美しいと思った。
今までスケートなんか見ても、というか見なかった。
誰かが見てたら一緒に見ることはあったけれど、
それだけを見ることは無かった。
あったかもしれないけど感動とかしなかった。
それが今日の10分くらいの映像で泣けた。

それだけじゃない。
もう思い出せないけど、
なんでもかんでもジイーンと来てしまう。
困ったもんだ。


1/24/2020

雪をみたい

この前ちょっと雪が降ったね。
ミゾレだったけど。
僕の靴は黒靴と街歩き用の靴。
のみ。
もう1つあったオフロード仕様の靴は
でかくて恰好悪いということで、捨てた。
でもあれ、ごついけど歩くのには良かった。

それで、ミゾレね。
スーパーの前のタイルで思いっきり滑った。
死ぬかと思った。
でも転ばなかった。
よく見ると街歩き用の靴は裏は模様がついてるだけ。
滑るようにできてるとしか思えない。

それでね、またごつい靴を買ったんだ。
雨の日に公園まで歩いてみたら、すばらしい。
全然滑らないし、歩きやすい。
玄関に置きっぱなしにすると捨てられそうだから。
あとで片付けようと思う。

雪が何だっけ?
ああ、雪を見に行きたいな。
という話。
北海道は遠いから群馬とか長野とか電車で行けるとこ。
でも、その元気があるかなぁ。

雪まつりの前に札幌に行ったのはいつだったろう?
あの寒さは良かった。
あの時は特に防寒ウェアじゃなかった。
なんかいつも着てる茶色のコートだった。
それでもなんとか大丈夫だったな。
またいつか雪の札幌に行きたい。

1/20/2020

もっともっと前の時代に

行くことができたなら、小学5年の頃の高槻に行きたい。
きっと寂しい私がいるはず。
学校の帰りに中学生の不良に見つかって殴られたところに行って
その中学生の首を捕まえてぼこぼこにしてやる。
それから小学生の私の肩に手をやって
「元気だせよ」と泣き出しそうな小学生の私に言う。

それからあいつ(小学生の私)が山に行った時に一緒に登りたい。
それがいつだかわからないけれど、
きっとあいつは一人で登っているはずだ。

この前行った時はもうすっかり様子が変わって
いったいどこから山に入ったのかもわからなかった。
だけどあの時に戻れば、絶対にわかるはず。
あのお寺の脇の崖の隙間から登ったのだから。

あいつが登っていそうな時に私も登ろう。
そして赤いイモリのいる池や漆の木のあるところを見て、
・・・漆では一度ひどい目にあった。
登って行けばあいつがいるはず。
一人で。

ちょっと待て。。。
一度誰か男の人がいた。
途中から上まで登ったことがあった。
あれは誰だ?
これを書くまで忘れていた。
何か話した。。。
何を話した?
その後どうした?
下りる時はいなかった。
一人で降りたから。
ジャケットを着ていた。
スーツだったような気もする。
あれは私だったのか?
そんな気がしてきた。

まあ、とにかくあの山に行って小学生の私に会って
元気づけてやりたい。




あの時代へ

もしもあの時代--1975年---が今もう一度訪れたら
僕は何をしよう?
あの時代?
そう、あの頃あの時、

渋谷のマックスロードに行ってあの大きなテーブルに座って
たっぷりのコーヒーを注文して、
窓の外を眺めていると、
コマツやモチが君と一緒にやってきて、
大きな砂時計のあるテーブルに並んで座って
「よう!どうしてる?」とか言いながら
コマツは新しいセーラムのタバコの口を切って
1本を僕にくれる。
火をつけるとあの香とちょっとハッカの冷たい空気が肺に入って来る
コマツはレコードを抱えていて、それをテーブルに広げて
僕に見せる。
「今度この曲をやろう」と言ってThe Bandのジャケットを裏返して
曲を指さす。
僕は「へえー、いいね」と言う。
「これ歌詞カードは無いね」と言うと
コマツは「あ、それはもうとってあるから」と、少し自慢げに言う。
モチはそれを聞いて「はは」と笑う。
君はほかのジャケットを手にとって眺めている。
君とオリーブとジュンが入り口から入ってきてテーブルに加わる。
それから大きなリュックを背負った君もやってきて、
もうすっかりにぎやかになってしまう。
店の小さなスピーカーからコルトレーンのサックスが流れている。

お店のカウンターの向こうにいたタヌが
「あんたたちそこでなにしてるのよ~!」と
大きな声で叫んでいる。
「私もそこに行く~」とテーブルに加わる。

これからどっか行こうか?
と僕が言う。
コマツが「いい~ですねえ~、行きましょう」と言うと
皆立ち上がって外に出る。
外の歩道に停めてあったVWのマイクロバスに皆乗り込む
「とりあえず湘南行こう!」と僕が言う。
運転も僕だから文句は言わせない。

湘南の海が見えて来るまで車の中で
僕らは知っている歌をとめどなく歌い続ける
モチとコマツがその辺にあった腐ったギターを鳴らしている
ヨシノがハーモニカでせつないハーモニーを付けている

茅ケ崎の海に着いたら車を浜辺に乗り入れて、
皆で海をバックに記念写真を撮る
みんな馬鹿な格好をして写真に収まる
「この写真、いつ見るんだよ」と誰かが言う

いつか、いつか
こんなことがあったんだって
思う時が来るかもしれない









1/18/2020

我アルカディアにもあり (の3)

世の美術評論家の人は良く考えてみてほしい。
「プッサンはこの絵に死のイメージを隠した」とか、
「骸骨が死を示している」とか、
勝手なことを言ってますねえ。

まず本人が自伝の中で、そうではなく
ここに眠る者はアリカディアでも生きる、
という意味で書いていると言っているのに、
なぜ他の人がそうではなく死だ、とか言っているのだろう。

日本のサイトでも誰一人疑問も無く、
これは死を意味するものと「解釈」している。
たぶん正確には「そのように言われているから自分もそう解釈する」
ということなんだと思う。

もしもこれを読んで「馬鹿言うな」という人がいたら、
一度懐疑的に他の人の評論を読んでみてほしい。
どこにその根拠があるのか探してほしい。

・・・と思う

もちろん私は(前に書いたように)天国を信じていますから
当然アルカディアに於いても生きていると思います。
こればかりはわからないけど。
でももし墓石に書いてもらえるなら
「我天国にもあり」と書いてほしい。

1/17/2020

我アルカディアにもあり (の続き)


それでこれがmemento moriだというはっきりした理由がわからない。 わからないけれど、この言葉はプッサンの2つの絵画に出てくるらしい。 両方ともプッサンだ。 前にも書いたけれどこの言葉がmemento moriだと言ってるのは誰か知らない 解釈者なのだ。プッサン本人が言ってるわけじゃない。 プッサン本人が書いてるのは絵画の中で「我アルカディアにもあり」と書いているだけだ。 もう一つ考えたのだけど、どこかに実際にこの石碑があるのだろうか? ということだけど、検索しても出てこない。 たぶん、これは架空の石碑なのだろう。 検索で出てくるこの石碑はプッサンにインスパイアーされて作られたものらしい。
Wikiを見たらそれらしい原因がわかってきた。 これと同じタイトルの絵(墓碑にこの文字が書かれている絵画)はプッサンの 他にもあって Et in Arcadia ego (also known as The Arcadian Shepherds) is a painting by the Italian Baroque artist Giovanni Francesco Barbieri (Guercino), from c. 1618–1622. It is now on display in the Galleria 
同じタイトルでこの絵を描いてる。 この髑髏の下に確かに同じ文字が書かれている。
墓碑にそこに眠る人物の思いを書いたのはもっと古く古代ローマのVirgilius の詩の中に出てくるらしい。全文英語訳が読めるけど面倒なので読んでいない。 それでこのBarbieriの絵画にも髑髏の下にこの文字が書かれているだけで 「死はアルカディアにもある」とは言っていない。 しかし、この絵画(Barbieri)を観た人はこの髑髏から類推してしまうのは 簡単なように思える。
 たぶん後世の評論家がそのイメージを作ったように思う。
じゃあプッサンはどういう思いだったのか? ということがプッサンの自伝の中に書かれているらしい。 それによると 「ここに眠る者はアルカディアに於いても生きる」という意味だと はっきり書かれているようだ。 つまり自分を含めた死者はアルカディアでも生きることができる。 という意味だと思う。 「死はアルカディア・・」云々よりもずっと自然だし 描いた本人が言っているのだから確かだ。 ・・・と思う

これの本来の意味は、「私は天国でも生きている」ということだろう。
それが石碑あるいは墓碑として書かれているのは納得がゆくから。

1/15/2020

なんだかすごく寒くて 我アルカディアにもあり

部屋のエアコンを最大にしている。
なんでこんなに寒いんだ?
外から帰ってきて夕食を作って食べて、
寝込んだからいけないのかも。

「我アルカディアにもあり」っていう絵があるでしょう?
(正確には アルカディアの牧人たち)
あの「我アルカディアにもあり」っていうのは日本語だけど
原語ではほんとにこう言ってるのかな?
つまり
「我アルカディアにあり」ではなくて「にもあり」なのは
どういう意味なんだろう?
誰かが言ってたように、”楽園にも死はある”という意味なの?
とすると「我」っていうのは人物ではなく「事象」だよね。
そうすると「我」っていう日本語(あるいは原語)はおかしい。
「死神」というならいいけど、
むしろ「そはアルカディアにもあり」というべき。

でも、ほんとうはどうなの?
そういう意味なの?
並び変えると別の言葉になるとか、
Et in Arcadia ego -->  I Tego Arcana Dei
あたりまえじゃない?文字を並び替えたらどうにでもなる。
それにこれが memento mori と同じ意味ってどういう裏付けがあるんだろう?
「我」を「死」だと解釈した最初の人がいるはず。
それがプッサンが言ったのならしょうがないけど。
最初にそう言ったひとになぞられて、そうなってしまったように思う。

これはひょっとすると、「我」は「幸福」という意味かもしれない。
幸福はこんなアルカディアにもあるんだ。という意味。
あるいは「孤独」とか。
その方が意味が合う。
「我一人」の「我」。
桃源郷にも孤独はあるんだ、と。

まあ、どうでもいいんだけど、
この石板に書かれた意味を「死はアルカディアにもある」と
解釈するのには疑問が残る。
ともともと誰かがそう言っただけで、ネットの力で広く広まってしまって
そうなってしまったような気がする。

註:なんでまたアルカディアの話かというとさっき「アルカディア」っていう
  わけのわからない映画を観たから。

1/13/2020

Lucky (映画「ラッキー」)

という映画をさっきアマゾンで観た。
全然期待もしていなかったし見る気もなかったのだけど、
勝手に始まるものでつい見てしまった。
「みてしまった」というのは正しい。
これはとてもいい映画だった。
うっかりしていたら泣いていたかもしれない。

90歳くらいの男の話なのだけど、
「現実主義は物だ」という話あたりから物語は始まる。
というか彼は現実主義なのだ。
その彼が少し変わる、という話なのだけれど、
途中で出てくる話が私が子供の頃に経験したのと同じで驚いた。
私はそのことを人にはあまり言っていないのだけど、
私が11歳くらいの頃から死の恐怖パニックに時々襲われた。
それと同じことを彼は言っていた。

「思い出していたんだ。
 俺が12か13だったころのことを。
理由は忘れたがビューラ叔母さんの家にいた。
 突然不安に襲われパニックになり
 死ぬほど怖かった
 急に暗闇以外 何もないと思えてね。。。」

このパニックのことを他人から聞いたことが無かったからほんとに驚いた。
これだけでもこの映画を観る価値があった。

この映画は中で使われている音楽と歌がまた素晴らしかった。
この主演のおじさんも自分で歌を歌っている。
YouTubeにその歌があった。

映画は最後でバーの知人たちと口論になる。
彼は
「みんななくなる。
 無になるんだ。」
と言う。
そこで最初とちょっと違うのは
「無」にたいしてどうしたらいいか?
と言うと、
彼は「微笑むんだ」と言う。
これはなんて素晴らしい言葉だろうと思う。

大体の日本人の唯物論者は「死んだら無になる」
「何にもなくなるだけだ」
というけれど、
彼はそれに対して無に微笑むと言う。
この発想は無かった。

映画の最後のシーンで彼は砂漠のサボテンを見て歩くが、
サボテンを見上げた顔で、
全くのカメラ目線で微笑む。
これには不覚にも微笑んでしまった。








1/11/2020

カナリア

って聞くとなぜか寂しい感じになるのはなぜだろう?
飼ったことも無いのに。
カナリアのイメージは

女性

家に一人

寂しい

静か

そんな感じかな

他の鳥ではそんな気分は生まれない
あの童謡のせいだろうか
だとするとすごい影響力だ

1/10/2020

美術館で思ったこと

最後に美術館に行ってから3年はたってるように思う。
横浜美術館はたぶん10年ぶりくらいだ。
そこに行ってきた。
メインはルノアール展だったけれど、そっちは行かずに収蔵品展というか
何か横浜にちなんだ展示をやっていたのでそっちに行った。
こういう展示は最近はカメラ撮影もOKになったようだ。

古い写真がけっこうあって面白かった。
古い写真はどうしてその写真を撮ったのだろうと想像すると面白い。
たぶん我々が今何か写真を撮ろうと思って探し出した情景と同じだ。
けれど昔の写真には(今もそうだけれど)故意にその情景を設定して
その写真を撮っているものがある。
そういうものはあまり面白くない。
偶然性があった方がいい。

絵画も良かった。
昭和初期の絵は面白い。
堂本 尚郎の絵が良かった。

大きな絵でしばらくみとれていた。
この人はどんな人なんだろうと思って検索したら写真があった。
なんて格好いいんだろう。
それにほかの絵を見てもどれもいい。
今度どこかで個展があったら行ってみたい。

それから横浜の昔の絵地図というか鳥観図があった。
大きな絵でそれもずっと見ていた。
いろいろ見て回って3時間くらい美術館にいた。

あんまりほかの人のことは気にしないのだけれど、
やっぱり解説のプレートだけ見て次に行ってしまう人が多い。
何を見ているんだろう?と思う。

美術館はいい。
時間が止まっている。
絵を見ていようが椅子に座っていようがかまわない。
戻ってもだれも文句を言わないのがいい。
音が無いのもいい。

あそこでBGMがかかっていたら台無しだ。
でも今更ながらなんでBGMが無いんだろう?
なにかあっても良さそうだし、
誰も気が付かないかもしれない。







1/06/2020

雲海

さっきNHKで富士山をやっていて思い出した。
雲海を見た。
あれはいつだったろう?
たぶん中学か高校だ。
皆で山道を歩いているときに見えた。
僕はもう少し見ていたかったのだけれど、列がどんどん行ってしまうので
たぶん見たのは10秒くらいだ。
そのシーンを思い出した。
左から右の方に皆が歩いていて、木々が抜けた正面に雲海が見えた。
空は晴れていなかった。
『雲だ』と心の中で言った。
少し怖かった。

そういう山にいつ行ったのだろう?
大山からはああいうのは見えない。
箱根かなあ。
あるいは御岳山とかかな。

それ以降、雲海ってどこかで見ただろうか。
北海道では何度か見た。
乗鞍でも見た。
あとは記憶にない。
だからやっぱり学生の時だと思う。

いや、ちがう。
空は晴れていた。
太陽の光で雲が輝いていたから。

1/05/2020

仕事はじめ

そんな夢ばかり見ていてどうするんだ?
いや、別に好きで見てるわけじゃないので、、
昨日の夢もけっこうおもしろかったのだけど、今忘れた。
さっきまでは確かに覚えていたのに。
きっかけがあれば思い出すかもしれない。

今日はとてもいい天気だ。
久しぶりに散歩に行ってこようかな。
日曜日の夜はスタジオも空いてるだろうから
夜はスタジオに行ってこようかな。



1/04/2020

初悪夢

今朝の夢はひどかった。

家族で水族館に行くところだった。
私はみなを車に乗せて水族館に行った。
近くの駐車場(民家の庭のようなところ)に車を停めて
水族館まで歩いて行った。
水族館はちょっと古ぼけていて、床が水浸しだ。
そこを歩いて行くが展示がほとんど中止されていて、
見るものがない。
暗い館内を歩いて行くといつの間にか皆と離れてしまった。
どこにいるのだろう?と探すがみつからない。
それで、こんなところにはもういないだろうと考え
一度外に出ることにした。
そとに出るがそこにもいない。
私は電話をかけようとして携帯を出すが、画面で電話番号が
どこに記録されているかわからない。
しかたないので名前をいれようとするが上手くゆかない。

一度落ち着こうと思いそこにあったベンチに座ろうと思い
ベンチに近づくと、そこにいた女性が叫び声をあげた。
「びっくりしたー!」と言っている。
私は驚かすつもりはなかったと言い訳をする。
ベンチにカバンを置いて、あらためて携帯で電話をかけようと思った。
携帯の名前を押すとすぐに出た。
「どこにいるの!?」と言うと、
「レストラン。あなたの分もたのんでる」という。
そこで電話は切れて何も聞こえなくなった。

もういいや車に戻ろうと怒りながら駐車場まで行く。
途中の道が干上がった小川のように窪地になっていて
そこに1台の車がはまり込んで動けなくなっていた。
その車はオープンカーなのでみなその上を歩いて越えていた。
そこを通って駐車場に行き車に乗り込んで走らせる。
どこへ行く宛もなく怒りだけがあった。
そこで目が覚めた。
その怒りがずっと残っていた。

いやな夢だった。



2020初夢

とても長い夢だった。
思い出そうとすると端から忘れて行く。
最初の方が全く思い出せない。
その感触だけ残っている。

私は刀(長さ40センチくらい)を持っている。
なぜかはわからない。
そんなものを持っていて誰かに見られたら警察に通報される。
そう思いその刀を持って遠くに行こうと思う。
街はずれだろうか灌木のある坂道を下りて行く。
先がカーブになっている。大きく曲がってヘアピンカーブのようになっている。
向こうから人が来る。
ちょうどヘアピンの角で出会う。
その人も刀を持っている。
だけどその人は強盗だとわかる。
私は気づかれないように刀を体の脇にして通り過ぎる。

歩いて行くが、このままではだめだと思い、
近くの家に入る。
大きなテーブルがあるのでその上に刀を置いて、
そのまま逃げようと思い、奥の出口から外に出る。
するとそこは裏庭のようになっていて、地面には芝のような草が
奇麗に生えている。そこで子供が2人遊んでいる。
その先は柵があって鉄条網のフェンスになっていて、そこから先へは行けない。

こっちからは逃げられないと思い、元のテーブルの部屋に戻る。
刀を隠そうと思い、折りたたむことにする。
刀は思いのほか薄くて4つくらいに折りたたむことができた。
折りたたんだ刀を本棚の隙間に隠した。

それから外に出るとそこは会社になっている。
パソコンにつなぐ機会を作っている。
それを調べているとそこの社長が
「集荷できるものがあったら出荷してくれ」と言う。
私は出荷できる何台かを見ている。
**4000という型番の機械がある。
なんの機械かわからないけれど、それをチェックしている。

・・・・・・

わけのわからない初夢だった。

1/01/2020

今年最後の夢日記

初夢の反対は何だろう?
終夢?
・・と書こうと思ったら、忘れ始めていることに気が付いた。
今朝はとてもはっきり覚えていたのに。
思い出しながら書こう。

写真を撮っていた。
ちょっとした丘の上の道。
赤土でちょっとぬかるんでいる。
道の左側は崖になっていて、その向こうは広々とした平原とそこにある町が
広がっていた。
丘の突き出したところから写真を撮ったらきっといい写真が撮れそうだったので
道の端の方に行こうとしたら道の路肩が崩れ始めて
私は座り込むようにしりもちをついてなんとか落ちるのを食い止めた。
でもズボンと両手が泥だらけになってしまった。

その道を歩いて行くと屋根のある旧機影所のようなところがあった。
そこの脇に水道の蛇口があったので、
ちかくにいた人に断って手とズボンの泥をあらい落とした。
きれいになったときに、カメラを持っていないことに気が付いた。
あわててさっきの場所に戻るけれどカメラは無い。
(いつもの夢なら前の場所に戻れることはないのだけど、今日の夢は
 元の場所に戻れた)

近くに事務所?があり、そこの人にカメラの忘れ物はないか聞くと、
「ああ、あったよ一眼レフのやつ、こっちにあるから」と言って
案内されたが私のカメラは一眼レフじゃない。
「それは違います」と言って元の道を歩き始めた。

・・・だめだ、ここまでしか思い出せない。。。