6/30/2013

シンセサイザー

1975年頃の話。
あの頃は時間だけはあった。
それで当時一般にも知られてきたシンセサイザーを作ろうと思った。
シンセンサイザーの基本はVCOとVCFとVCAだ。

VCO
まずこれを作らないといけない。最初はTTLの発振機を使って
どうにかなら無いだろうかと考えたが、良い方法が浮かばなかった。
その頃、インターシル社からPLL用のICが出ていることを知り、
そのICがそのまま使えることがわかった。
ICL8038という14ピンのICだった。
このICはサイン波と矩形波と三角波が同時に出力され、何も
考えずにVCOとして使うことができた。

VCA
これは基本形は比較的簡単に作れた。
OPアンプとトランジスタの差動アンプで作った。
ある程度ゲインを調整できるのだが、あまり気持ちよく動いてくれない。
今考えると、作動アンプ部の熱安定性が悪かったのだと思うが、
当時はあまり厳密な確認をしていなかった。
モリリカのフォトカプラーなども使ってみたが、やはり応答が遅く
てもかまわない用途にしか使えなかった。
VCA用の専用ICというのは出ていなかったと思う。
FETの回路を使ったものが一番良かったように思う。

VCF
VCFは定性的な機能はあまり必要なかったので、ある程度の効果
があれば良かったので、真面目に作らなかった。

WAVE KIT
そうこうしているうちに、WAVE-KITというところからシンセサイザー
キットが売り出された。値段もそんなに高くなかったように思う。
葉書を少し大きくしたくらいのサイズの基盤と、細長い基盤のもの
があった。細長い方が安かったのでそっちを買った。
小さな基盤だったが、基本的な構成でできていた。

キーボードが無かったので、電圧の抵抗分割で作ったと思う。
・・・WAVE-KITでも鍵盤の基盤があったように思うが、それがこの
基盤に付いていたかどうか思い出せない。

アナログシーケンサー
アナログシーケンサーを作った。
アナログシーケンサーではあるが、これが生まれて初めて自分で組んだ
デジタル回路だと思う。
TTLのデータセレクターとカウンター、マルチバイブレータで8ポイントの
データセレクトができるようにした。
アナログ電圧データはCMOSのマルチプレクサで選択するようにした。
電圧は低電圧回路の電圧を8個のボリュームで分配した。
これは非常に良く動いた。
キーボードが無くてもリズミカルなシーケンス音が出せた。

WAVE KITのアナログシーケンサー
そうこうしているうちに、WAVE-KITからシーケンサーのキットが出た
ので、早速作ることにした。
基本的な構造のほとんどは作ったアナログシーケンサーと同じだったが、
このシーケンサーの画期的なところはデジタルデータでプログラムできた
ことだった。
データはS-RAMにステップで書き込む方式で、8ビットデータを1つずつ
スイッチで書き込んだ。8ビットデータはどうやってセットしただろう?
思い出せないが、キーボードではないように思う。
恐らくDIP SWでセットしたやつを押しボタンスイッチで書き込んだので
はないだろうか。

このキットにはPink FloydのOn the runのシーケンス音のデータが
添付されていた。ひとつずつ音を出しならが入力するのだが、これで
あの音が出るの?という音の並びだった。
しかし入力し終わってシーケンサーを回すと、まさにあの音が出た
ので驚いた。

KORG MS-20
その後作るのに飽きた頃、KORGからMS-20というアナログシンセが出た。
早速これを買って遊んだ。
これは面白かった。基本的なシンセサイザーの機能は全て持っていた。
確かマイク入力が付いていなかった」ろうか。
外部から音を入れてそれを加工することもできた。

その後、POLY6を購入したが、6音までであったがやはり和音が
出せるのは嬉しかった。アルぺジエータの機能も持っていたので、
シーケンサー無しでシーケンス音を出せた。





苫小牧

この写真は1978年頃の苫小牧であることは確か。
しかし、GoogleMapで見てもどこだったかわからない。
双葉三条通か明野北通の出来た当初だと思うけれど、
この形の街灯がこの間隔で並んでいるところが見つからない。
しかし、いずれにしてもこの写真では両側には何も建っていないが、
今はびっしりと建物が並んでいる。

いつもは千歳までしか下らなかったが、この時は苫小牧まで走った。
夜のドライブは好きだった。
雪の日も雨の日も好きだった。
あまり晴れた日のドライブは好きじゃなかった。

夕暮れ時あるいは朝の日の出前が好きだった。
太陽が高く上ってしまうと全ての景色が平坦になってしまう。
嵐の日も好きだった。


Googleでもう一度捜してみた。
たぶんここだ。
国道36号のあけぼの町8丁目あたりだ。
しかし街路樹はどうした?



この写真もその近くだと思う。
支笏湖の方に向かう道だろうか。

千歳、支笏湖までは良く行ったけれど、
苫小牧へはあまり行かなかった。
この写真を撮った時はたまたま苫小牧へ行ってから支笏湖
の方に向かったのだと思う。

6/29/2013

花畔

この地名が好きだ。
山田さんの辞書によるとパナウングルヤソッケと言ったらしい。
この最初のパナウングルの訛りだと。
赴任して最初に「これ読めるか?」と工場長から聞かれた。
それで真っ先に覚えた地名だ。
まあ、いいっか。

これも1979年頃の写真
手稲駅からまっすぐに石狩の方に向かったところだが、
Googleストリートビューで見ると一見あまり変わってないように
思えるが、上空からの写真を見ると住宅地で覆われていることに驚く。
この道路の右側は、この時はまだ畑と原野だった。
左側もほとんど原野と畑で海の方まで続いていた。

この写真がその1本海側の道を小樽方向に向かったところ。
道路の両側はハマナスや野いちごがそこらじゅうに生えていた。 

しばらくすると先の道路の札幌寄りの方に家が建ち始めた。
きれいに一列だけ家が建ったのが面白かったので
夜中に撮影に行った。 
向こうに手稲山がうっすらと写っている。
10秒くらい露光しただろうか。

原野だった頃は車にギターを積んで練習にし行った。
どんなに大きな音を出しても誰にも迷惑にならなったから。
ある夜、車の中で大声で歌っていたら、
窓をコンコンと叩く人影があった。
これには本当に驚いた。
警察官だった。
自殺でもしようとしているんじゃないかと思ったらしい。

そういえば、警察官にはよく声をかけられる。
東京から車が届いた日の夜中過ぎに時計台まで
時計台の音を録りに行った時も、声をかけられた。
どうも札幌市民と行動パターンが違ったらしい。

6/28/2013

レコード屋 ディスクアップとか


記憶とは実に華奢なもので、あれほど沢山買ったレコードを
どこで買ったかほとんど覚えていない。
札幌ではどこで買っただろう・・・

一つ覚えているのは地下の小さなお店だった。
すすきのの近くだったように思う。
お店の名前も覚えていないが、何度も通ったと思う。
それで少なくともその3回は上のガイ・クラークのアルバムがかかっていた。
それで結局そのアルバムをそこで買ったと思う。
この手の西海岸系のアルバムがいろいろあったと思う。

※追記
わかった。ディスクアップだ。
マッチがあった。場所も書いてあった。

ディスクアップはDiskなんだな。


もう1軒覚えているのは4プラの1階じゃなかったろうか。
あるいはその近く。
フォークソングのコーナー、カントリーのコーナーがあったと思う。
でもそこで一番沢山買ったのはタンジェリン・ドリームだ。
今持っているTDのビニル盤の多くはそこで買った。
あそこは何だったろう?
イメージとしてはコタニとかに似ていたような気がする。

他にどこがあったろう?
パルコにあったかなぁ?・・・
4プラの北側の角の半地下に楽器屋がなかったろうか?
あそこにもレコード置いてなかったろうか。
思い出せない。
All those memories will be gone like tears in the rain...

ブレードランナーはどこで観たろう。。。

大通西18丁目


この「ホテルひぐま」は札幌に赴任した前日の夜に泊まったホテルだ。
ここに泊まったのは2回目で、1回目は会社訪問の時だった。
赴任した夜は泣けた。
ひどく遠くに来てしまった気がした。

隣の三好商会という事務用品の会社は今も同じ場所にあるようだ。
ビルも立派になってたいしたものだと思う。
Googleストリートビューで見るとこのホテルは無くなって、結婚式場の
ヤサカまでの間にはきれいなビルがいくつも建っている。

私が赴任した時は地下鉄東西線開業のちょうど1年前だった。
確かちょうどこのホテルの下に地下鉄の入り口ができたのだが、
その時は無かったので、マチの航空会社の営業所からタクシー
でここまで来たと思う。
その時はこの前の大通りは舗装中でグチャグチャだったように思う。

札幌で仕事をするようになって、会社のお客さんを何度もこのホテルまで
車でお送りした。
とても懐かしいホテルだが、今はもう無い。



6/27/2013

真駒内

地下鉄真駒内駅
(たぶん1980年頃)
だと思うのだけれど、Googleストリートビューで見ると
ずいぶん変わっているように思う。
駅舎のこちら側の煙突のようなものが無くなっている。


札幌寄りにすこし行ったところ。
大きく右にカーブしている。
今は街路樹で地下鉄のチューブは見えなくなっているようだ。



これは真駒内駅の近くだろうか。
両側のポプラ並木は今は無くなっているようだ。



これは確か五輪通りから写したと思う。
最後の年だから1981年の2月頃だ。
こういうライトが好きでいくつか写している。

6/25/2013

大通り西26丁目

大通り西26丁目のブロードハイツから撮った写真。
これはバスターミナル。
今とあまり違わないようだ。


26丁目の通りを北5条の方向を見たところ。 

同じく、少し東向き 

大通りの幼稚園バス 

北東方向
三角屋根の家は確か「極旭館」と言っただろうか。
レストラン。


私が札幌に赴任してすぐの頃はこのあたりは沼だったような気がする。
大通りは11丁目から西はまだ舗装されていなく、
泥だらけの道だった。

6/24/2013

本屋

本屋は良く行った。
今のように郊外型の大きな本屋は無かった。
何か本を探す時は、大通りの駐車場に車を置いて、札幌駅前から歩きながら探した。
駅のすぐ前の4丁目の通り沿いに、大通りに着くまでに1,2件の本屋があった。
大通りの鉄塔のところに紀伊国屋があった。でもそこはあまり行かなかった
ような気がする。
丸善が南1条の3丁目あたりにあったような気がする。

最も通ったのはパルコの中の本屋と4丁目プラザの中の本屋だった。
何れもどんな本がどこに置いてあるか全て覚えていた。
だから新刊がでるとするわかった。

パルコの中の本屋はかなり趣味的なものも置いていた。
当時としては珍しいサブカルチャー系のものも結構置いていた。
パルコ自身が確か美術関連の本を出していなかったろうか。
あの頃買った美術系の本は今でも持っている。

会社が終わるとすぐに本屋に向かったのに、
今思い出そうとすると、あまり思い出せない。

SFを良く読んでいた。
田中光二と山田正紀は新刊がでるとすぐに買いに行った。
ブラッドベリーも翻訳だけど、読んでいた。
アパートはすぐに本でいっぱいになった。

6/23/2013

電子部品屋

1975年から1981年頃まで半分仕事で電子回路を作っていた。
部品は東京に行った時には秋葉で買って帰ったが、大体は
札幌のお店で買っていた。

梅沢無線
たぬき小路の6丁目あたりだったろうか。
大体の部品はここで手に入った。
ただフィルム(マイラー)コンデンサーの大きなものや、小さな抵抗素子
などはあまりそろってなかったような気がする。
TTLや有名なアナログICはほとんど手に入った。
店内を改装しなかったろうか?初めて行った時と最後に行った時では
店の様子が違ったように思う。

北斗電子
梅沢より少し西だから7丁目あたりだったろうか。アーケードから外れて
道路沿いにあった。
小さな店だったような気がする。
初めてTK80に触れたのはこの店だった。
PC8001がいつ出たか忘れたが、TK80を欲しくていつも眺めていた。
デジタル関係の部品はここでほとんどそろったように思う。
マイコンボードで無限音階がよく流れていた。
カセットのデータレコーダはここで買ったように思う。
それはPC-8001用だった。エラーがよく出たのでこのお店で何か
アドバイスを受けたように思う。

西島無線(確かそう言ったと思う)
ここは部品屋というよりもジャンク屋だった。
南1条と大通りの中通りだったように思う。
ああいうお店はもう無いだろうな。
秋葉の山手線下の部品屋のイメージに近かった。
まるで魚屋の中を歩くような歩きにくい店内で、ジャンク品が
そこらじゅうに置いてあった。ラジオや無線機の作りかけのキットのような
シャシだけのものも置いてあった。
真空管の詰まった箱や、大きなケミコンが詰まった箱などあって、
その中に電子部品も売っていた。
そこで買ったのは何だろう?
セメント抵抗とか大きなケミコンとか・・・何か珍しいものもあったような気がする。
それが何だったのか思い出せない。
ケースか?試作用のアルミ(鉄?)ケースが安かったように思う。
1970年代後半だからこのお店は電子部品と言うより真空管回路部品という感じ
のものが多かったと思う。
ここの写真は撮っていなかった。しかしほぼ当時の写真を掲載している人がいた。
http://ifdl.ec.t.kanazawa-u.ac.jp/~akita/plan/junk.html


しかし当時の札幌にもいくつか電子部品店があったけれど、このお店が
一番懐かしく、在ったらもう一度行ってみたい場所だ。

CQハドソン、東名電子
ハドソンは2,3回行っただけだ。私は無線はやっていなかったので、特に
何か記憶に残っているものが無い。
東名電子(と言ったと思うが)、いつもトラ技の広告欄に広告があった。
一度行ってみようと思って、結局行ったことが無かった。
確か豊平の方の市場の中にあったのではないだろうか?

大阪屋
仕事の関係でよく行っていたが、ここでは部品は売っていただろうか?
全く記憶に無い。

パルコ 、 4丁目プラザ
オーディオパーツはこれらのビルの中にあった電気屋に買いに行った。
オーディオアンプや何かは全てこの辺だったのではないだろうか・・・

中古屋
大通りの東の外れのテレビ塔の下のあたりに中古屋があった。
中古のオーディオアンプやカセットデッキなど売っていた。
カメラも売っていた。何かものすごく安いヤシカの一眼レフを買ったように思う。
1年も経たないうちに壊れた。
あのカメラで撮ったネガが見つからない。

そのほか
カラー写真の引き伸ばし機を札幌で買ったが、あれはどこで買ったのだったろう?
市電の通りに「北?カメラ」という写真屋が無かったろうか。
あそこかなぁ?
印画紙とか現像液もそこだったかな。。。。全然思い出せない。

すごく高いキーボードを買った。
シンセではなくエレピに近いやつだった。
25万だったように思う。
なんでそんなに高いものを買ったのだろう?
当時のシンセは単音かせいぜい2音のポリフォニックだった。
いや高いものはもっと出たかもしれないが。KORG ,YAMAHA ,ROLANDで出ていた
シンセは帰る値段では2音だったように思う。
電子オルガンはいくらでも和音ができた。からそれを買ったのだと思う。
その後に買ったのがpoliy-sixこれはシンセサイズ恩を6音まで和音で出せた 。
それらを買ったのはパルコの中の楽器屋だったように思う。
ストラトタイプのエレキをはじめて買ったのもそこだった。

電気関係はそんなところかな・・・

6/21/2013

北5条西28丁目

地下鉄駅
これはバスターミナルの対角にある入り口

北5条通り26丁目から駅方向 


極端に露出不足のネガをスキャンしてみた。
これは今の環状線の円山公園方向から
西28丁目駅の方を見たところ(だと思う)



北5条西26丁目から札幌駅方向

同じ場所の1分後くらい

同じ場所、夜

以前、この場所に「松葉荘」というアパートがあり、
友達が住んでいた。

その人は数年前に亡くなってしまった。
ほんとうに世話になった人だった。
私が札幌を去ってからも毎月1度は電話で話しをした。
それを30年近く続けていた。
ある日の電話で、「私はもう電話に出られなくなるかもしれない」と言われた。
癌が見つかって、もうどうしようもない状態だった。
「だから、もし私が電話に出なかったら、その時はもう居ないと思って」
と言われた。
しかし、その後何度か電話で話しをすることができた。
そしてある日、「これが最後だと思う」と電話の向こうで苦しそうに言っていた。
そして、「ねえ、天国ってあると思う?」ときかれた。
僕は瞬間的に「もちろんあるさ」と言った。
どうしてそう言えたのかわからない。
「そうだよね、、、それじゃあね」と言って電話を切った。

それから数日後電話をすると、別の人が出た。
最後の時がどうだったかを教えてくれた。
電話を切った後、号泣した。


札幌を後にしたのもこの場所が最後だった。
バックミラーの中でその人が手を振っているのが見えた。
それからしばらくは何も見えなかった。
ここから定山渓--中山峠-----で東京に向かった。

白石藻岩通り

これもたぶん1980年の写真。

豊平区西岡西5-10  
「玉すし」前
正面に藻岩山

南22条大橋を越えたところ
大友運送前 

南22西9
レストラン「バークレイ」前 

これは確か平岸の方だったと思うけれど、
「コートダジュール」というレストラン前 。
夜になるとブルーのネオンがきれいだった。
また、この近くに洋館風のレストランがあったように思う。

千歳の方から36号線を上ってくる時は、
この道を通って宮の森まで帰ればちょっと早いはずだけど、
いつも何故かすすきのまで行って大通りを通って帰っていた。

6/20/2013

1981年 第32回 札幌雪祭り

鉄腕アトムと御茶ノ水博士
小学生が一緒に写っていることに今まで気がつかなかった。
後ろの建物は何だったろう?
札幌のネガをスキャンするのは10年以上ぶりだから、
前にスキャンしていないものもある。




R2D2とC3PO
スターウォーズ(1)も確かこの頃だった。

これは何だったろう?
それに「さよなら雪祭り」というのは何? 

狛犬か?シーサーか? 



この1ヵ月後に札幌を後にして東京に帰った。
これが現地で見た最後の雪祭り。

6/19/2013

カーグラTV と ベストヒットUSA

この番組は夜11時頃に続けて放映されていた。
Midnight Blue の方はオリジナルはLouise Tucker & Charlie Skarbekが
デュエットで歌っていたが、この曲は番組の途中で流れるブリヂストンの
CMに使われていた曲だ。ベートーヴェンのピアノソナタがモチーフに
なっている。

ところでそのブリヂストンのCMはベストヒットUSAの方だったろうか?
それともタイヤなのでカーグラTVの方だったろうか?
思い出せない。

まあ、いいか。
そのカーグラTVの方のメインテーマがこれ。
松任谷さんの作曲だ。
この曲はほんとに好きだった。今でもそうだが、
どこか昔の日産のテーマソングに似ている。

6/17/2013

1980年 第31回 札幌雪祭り

札幌に住んでいた時は雪祭り出かけることはほとんど無かった。
家からすぐのところでやっていたのに、見に行ったのは1979年、1980年、1981年
の3回だけだった。
一緒に働いていたパートのおばちゃん達に聞いても、
「雪祭り? 行かないねえ」ということだった。
あまり地元の人は行かないのかな?と思った。

この年の雪祭りは見に行ったことは確かなのだけど、
全く記憶に無い。
たぶん公園脇に車を停めて、カメラを持って走って写真を
撮りまわったのではなかったろうか。

地元の人が観に行くのは開場の前日の夜に観に行く人が多い
という話も聞いたけれど、
人でごった返した中で見たほうが楽しい。

写真を見てわかったが、これは西遊記だ。


この義経は何枚も写真を撮っているが、この角度が一番良い。





これは何だったんだろう?
誰かの絵を元にしたのかな?それとも昔の鰊漁をテーマに
いたものだろうか?

6/13/2013

1979年 第30回 札幌雪祭り

この年の目玉はなんと言っても宇宙戦艦「ヤマト」だ。
これは写真で見るよりも実際に近くで見ると大きさに圧倒された。
艦首の波動砲と各砲門は赤いライトがついていた。
前から見ると迫力があった。
  

桃太郎像ライティングのせいかかなり不気味に見えた。
大友克洋のアニメに出てきそうだった。

これは何の像だったんだろう?

ジェット機に乗ったポパイ
日本航空のスキーキャンペイン。

どこかの宮殿 


夜の雪祭りの屋台はすごくきれいだ