札幌から東京に帰ってしばらくの間、東京の街が狭く感じた。
深川で暮らし始めた頃も広々したところに憧れた。
君は不思議に思ったろうけれど、よく夜に車で有明や葛西の方まで行って広々した空き地や海を見に行った。
夜は特に人も車も少なく、しずまり返った工業地帯が好きだった。
あんまり好きじゃなかった工場地帯にいると北海道のあの寂しい空気を味わえるような気がした。
だから夜になると車を走らせた。
あれは理由は無かったんだ。
ただ静かな広々したところにいたかった。
10/11/2018
自動二輪免許
まだアマストにいた頃だ。
小伝馬町に会社があった時。
会社の50ccを借りて会社が終わってから平井にあった教習所まで通った。
調べてみると片道7キロくらいある。
よく行ったなと思う。
普通免許を持っていたので学科の方はパスだった。
一緒の頃に教習した人はほとんど高校生で、同い年くらいの若い女性が一人。10歳くらい上の男の人が一人。いつも同じメンバーだった。
教官はけっこう若い男の人で、雰囲気は自衛官あがりのような感じだった。
格好良く、気持ちのいいひとだった。
バイクはカワサキの400。ごつい感じの重いバイクだった。
教習は結構すんなりだったけれど、失敗がいくつかあった。
一つはバイクにまたがったまま、足で少し移動しようと思い。
なにかの原因で、エンジンがかかったままアクセルを全開にしてしまった。
その時ニュートラではなくクラッチを握っていた。エンジン音に驚いてクラッチを戻してしまった。
バイクは又の下をすり抜け、すごい勢いで走っていった。
そして教習所のフェンスを半分くらいまで駆け上がった。
あれにはそこにいた全員が驚いた。
でもまあ、よくあることなのか怒られることもなく、注意するように言われただけだった。
もう一つは卒業試験の時、すべて完璧だったのに、パイロンの1つに車体をこすってしまった。それで試験をやりなおさないといけなかった。その時のメンバーで落ちたのは私だけだった。
2回目の試験はうまくいった。
その後、その10歳くらい年上の人とは何度か連絡をしあったように思う。その人はほどなく大型免許もとったと言っていた。
しかし、そもそもなんで自動二輪をとろうと思ったのかが不明だ。
何かに憧れていたのだろうか?
トライアルバイクがいいなと思ったのはあれは免許を取る前だろうか?後だろうか?
考えられるのはそれだけだ。
小伝馬町に会社があった時。
会社の50ccを借りて会社が終わってから平井にあった教習所まで通った。
調べてみると片道7キロくらいある。
よく行ったなと思う。
普通免許を持っていたので学科の方はパスだった。
一緒の頃に教習した人はほとんど高校生で、同い年くらいの若い女性が一人。10歳くらい上の男の人が一人。いつも同じメンバーだった。
教官はけっこう若い男の人で、雰囲気は自衛官あがりのような感じだった。
格好良く、気持ちのいいひとだった。
バイクはカワサキの400。ごつい感じの重いバイクだった。
教習は結構すんなりだったけれど、失敗がいくつかあった。
一つはバイクにまたがったまま、足で少し移動しようと思い。
なにかの原因で、エンジンがかかったままアクセルを全開にしてしまった。
その時ニュートラではなくクラッチを握っていた。エンジン音に驚いてクラッチを戻してしまった。
バイクは又の下をすり抜け、すごい勢いで走っていった。
そして教習所のフェンスを半分くらいまで駆け上がった。
あれにはそこにいた全員が驚いた。
でもまあ、よくあることなのか怒られることもなく、注意するように言われただけだった。
もう一つは卒業試験の時、すべて完璧だったのに、パイロンの1つに車体をこすってしまった。それで試験をやりなおさないといけなかった。その時のメンバーで落ちたのは私だけだった。
2回目の試験はうまくいった。
その後、その10歳くらい年上の人とは何度か連絡をしあったように思う。その人はほどなく大型免許もとったと言っていた。
しかし、そもそもなんで自動二輪をとろうと思ったのかが不明だ。
何かに憧れていたのだろうか?
トライアルバイクがいいなと思ったのはあれは免許を取る前だろうか?後だろうか?
考えられるのはそれだけだ。
10/08/2018
東京に帰って
東京に帰る少し前に東京に行ったことがあった。
あれは就職の面接だったろうか。
飛行機で羽田に着き、兄が迎えに来てくれていた。
だからあの時は兄の家に泊まったのだと思う。
ということはあれは浦安の家だったろうか。
兄の車に乗って湾岸の道路を走りながら外を見ていた。
大きな工場地帯を抜けてゆくとき「ほんとにこの街にすむんだろうか?」
と思った。確かそれを声に出して言ったと思う。
兄は何も言わなかった。
すごく不安だった。
それと札幌を後にすることの罪悪感があった。
あの頃何を考えていたのかはっきり思い出すことはできない。
しかし、何かやらないといけないと思っていた。
不思議なことに何でもできるという自信だけはあった。
オディオのことしか知らないくせに。
アナログ回路しかわからないくせに。
あの自信がそもそもの元凶だったのだと思う。
あれは就職の面接だったろうか。
飛行機で羽田に着き、兄が迎えに来てくれていた。
だからあの時は兄の家に泊まったのだと思う。
ということはあれは浦安の家だったろうか。
兄の車に乗って湾岸の道路を走りながら外を見ていた。
大きな工場地帯を抜けてゆくとき「ほんとにこの街にすむんだろうか?」
と思った。確かそれを声に出して言ったと思う。
兄は何も言わなかった。
すごく不安だった。
それと札幌を後にすることの罪悪感があった。
あの頃何を考えていたのかはっきり思い出すことはできない。
しかし、何かやらないといけないと思っていた。
不思議なことに何でもできるという自信だけはあった。
オディオのことしか知らないくせに。
アナログ回路しかわからないくせに。
あの自信がそもそもの元凶だったのだと思う。
10/07/2018
スピーチバルン
あれは両国のフォークロアセンターだ。
国東さんのところで歌を歌うことになったのは僕がそうしたわけじゃない。
だから君が国崎さんに連絡したんだと思う。
何曲か歌ったけど「スピーチバルン」だけ覚えている。
たしか深川のスタジオで一回練習したと思う。
その時なぜか僕の兄が一緒にいたように思う。
スタジオは門仲駅からえんま堂の方に向かった深川一丁目の交差点の南東角だった
ように思う。あるいはそこからもう少し東陽町よりだった」かもしれない。
フォクロアセンターはまだあるみたいだ。
国東さんのところで歌を歌うことになったのは僕がそうしたわけじゃない。
だから君が国崎さんに連絡したんだと思う。
何曲か歌ったけど「スピーチバルン」だけ覚えている。
たしか深川のスタジオで一回練習したと思う。
その時なぜか僕の兄が一緒にいたように思う。
スタジオは門仲駅からえんま堂の方に向かった深川一丁目の交差点の南東角だった
ように思う。あるいはそこからもう少し東陽町よりだった」かもしれない。
フォクロアセンターはまだあるみたいだ。
記憶では墨田川の西側にあったように思ったけれど、反対の東側だった。
しかも店の前の道路が広くなっているように思う。
この店?の2階だった。
二階へ行く階段の壁にダルシマが飾ってあったように思う。
2階はそんなに広くない。
国崎さんともう一人知らない人がいた。
僕らが歌った時にも一緒に聴いていた。
僕はよくしらない歌。。。
あ、思い出した。
もう1曲はジム・クローチのアラバマレインだ。
僕が適当に訳して日本語で歌った。
もう1曲がスピーチバルンだった。
確か僕の指のせいで押さえられないコードがあった。
なんとかやったのかな?
その後のことはまったく覚えていないけど、
国崎さんともう一人のために歌ったようなものだった。
公園に行こう
よう、ユキナ、トシヤ、公園行こう。
手をつないで行こう。
トトもついて来てる。
階段上って桜が咲いた木の下。
すべり台を滑って
砂場には友達が来てる。
トトはどこかの木に登って僕らを眺めている。
公園には子供の遊び声が響いて
向こうのグランドから野球のバッティングの音が聞こえる
まるでいつまでも続くと思われたあの時間は
あっというまに遠くに過ぎ去って
もう二度と戻ることができない。
過去も未来もいらない
できるならあの時間を果てしなく繰り返していたい
手をつないで行こう。
トトもついて来てる。
階段上って桜が咲いた木の下。
すべり台を滑って
砂場には友達が来てる。
トトはどこかの木に登って僕らを眺めている。
公園には子供の遊び声が響いて
向こうのグランドから野球のバッティングの音が聞こえる
まるでいつまでも続くと思われたあの時間は
あっというまに遠くに過ぎ去って
もう二度と戻ることができない。
過去も未来もいらない
できるならあの時間を果てしなく繰り返していたい
9/26/2018
再びBillさんのこと
ビルさんが亡くなって3週間くらいたつのだろうか、いまだに信じられない。
というかまた彼からメールが来るような気がしてならない。
つまり来ないことが不思議だ。
「もしも手術の後、戻らなかったら妻が伝えてくれるから」
と言って出かけた手術の後はちゃんと戻ってきた。
そして、調子は悪いけどまた一緒に歌をやりたいと言っていた。
それなのに術後に悪くなるなんて。
いつかウィスコンシンまで会いに行くのが夢だった。
もっと早くにやっておくんだった。
本当に親しい人をなくした時は皆こんな感じなんだろうか。
というかまた彼からメールが来るような気がしてならない。
つまり来ないことが不思議だ。
「もしも手術の後、戻らなかったら妻が伝えてくれるから」
と言って出かけた手術の後はちゃんと戻ってきた。
そして、調子は悪いけどまた一緒に歌をやりたいと言っていた。
それなのに術後に悪くなるなんて。
いつかウィスコンシンまで会いに行くのが夢だった。
もっと早くにやっておくんだった。
本当に親しい人をなくした時は皆こんな感じなんだろうか。
9/25/2018
The Planets (Gustav Holst) by Isao Tommita
ホルストの「惑星」も高校生の頃よく聴いた。
もちろんその時はオーケストラの演奏だったけれど。
しかしそれよりも10年くらい前にテレビドラマの音楽として「惑星」は
使われていた。アメリカドラマの「月世界探検」(だったか「月世界旅行
だったか「宇宙探検」だったか、のどれか)のバックに惑星の音楽が使われていた
だから高校の時に初めて聞いたはずなのに全部の曲を知っていた。
そのドラマは記憶の中にしかないけれど先のとがったロケットで月まで飛んで行くシーンと月面を宇宙服を着て歩いているシーンを覚えている。
2001を最初に見た時にそのドラマのシーンとダブっているように思った。
ところで冨田さんの「惑星」だけれど、これももう数えきれないほど聴いた。
考えてみるとこの曲は50分を超える長さがあるのに、よくそう何度も聞いたな、と思う。
このレコードを聴くと冨田さんが天才的だということはもちろんだけれど、ホルストが
天才的だったと思う。
特に最後の海王星はすごいと思う。
冨田さんのは海王星の後にオルゴールで木星のメロディーが流れるけれど
その音はアパートの一人暮らしの部屋を思い出させる。
もちろんその時はオーケストラの演奏だったけれど。
しかしそれよりも10年くらい前にテレビドラマの音楽として「惑星」は
使われていた。アメリカドラマの「月世界探検」(だったか「月世界旅行
だったか「宇宙探検」だったか、のどれか)のバックに惑星の音楽が使われていた
だから高校の時に初めて聞いたはずなのに全部の曲を知っていた。
そのドラマは記憶の中にしかないけれど先のとがったロケットで月まで飛んで行くシーンと月面を宇宙服を着て歩いているシーンを覚えている。
2001を最初に見た時にそのドラマのシーンとダブっているように思った。
ところで冨田さんの「惑星」だけれど、これももう数えきれないほど聴いた。
考えてみるとこの曲は50分を超える長さがあるのに、よくそう何度も聞いたな、と思う。
このレコードを聴くと冨田さんが天才的だということはもちろんだけれど、ホルストが
天才的だったと思う。
特に最後の海王星はすごいと思う。
冨田さんのは海王星の後にオルゴールで木星のメロディーが流れるけれど
その音はアパートの一人暮らしの部屋を思い出させる。
CLAIR DE LUNE (CLAUDE DEBUSSY)
前に書いただろうか?
書いたとしたら Au Clair de La Luneじゃないだろうか。
子供の歌だけど最後は大人の歌になってしまうやつ。
あれはいいのか?子供の歌で。。
今日書こうと思ったのは、ドビュッシーの「月の光」のこと。
ピアノの曲なのだけど、たぶん最初に聴いたのは高校生の時。
「ベルガマスク組曲」の中の曲だけれど、あんまり印象に残らなかった。
弦楽や管弦楽の曲が好きだったのでピアノの曲はあまり聞かなかったのかもしれない。
そのまま大学に行き、就職したのがオーディオ関連の会社だったので札幌の電気屋、その頃は電気屋にはよく通った。当時の電気店のメインはオーディオと家電だった。たいていの大型電気店のオーディオのスペースはかなり広かった。
(そういえばパソコンもゲームも携帯も無かった)
ある時すごく気になる音楽が流れていた。
ある時すごく気になる音楽が流れていた。
その音がとても気になっていた。帰ってからもその音が耳に残っていた。
また別の日に同じ店に行ってしばらくいたけれどその音楽は流れなかった。
何度かその店に行った時にまたその音楽が聞こえた。
「ああ、これだ」と思って音のするスピーカーの所に行くとレコードが飾られていた。
「冨田勲・月の光」と帯に書いてあった。
そうかこの曲か、と思った。
当時はネットは無かったのでそのレコードについて知るにはオーディオ雑誌かレコード
そのものを買うしかなかった。
それでそのレコードを買った。
その音楽が全てシンセサイザーで作られていたことに驚いた。
と言うのも私は丁度そのころ自作のシンセサイザーを作っていたから。
自作はもちろんだけれど市販のシンセも当時はまだ単音だった。3つ~6つの和音を出せるものが出たのはもう少し後だった。
和音が出せるのはシンセではなく電子オルガンの部類だった。
電子オルガンは全ての音について1つずつ発音回路が並んでいたけれど、シンセは1つの音源で全ての音域の音を出していた。そのため1つの音を出すための回路はいくつかのブロックに別れた複雑な回路になっていた。(もちろんデジタル前のことだけれど)
だから3つの和音を出すにはその複雑な回路が3組必要だった。
そういうものだと思っていた。だから冨田さんのその音が全てシンセで作られているということが信じられないくらいの驚きだった。
いまでも初めてあの曲を聴いた時の感じを思い出すことができる。
いまでも初めてあの曲を聴いた時の感じを思い出すことができる。
9/24/2018
科捜研の女
テレビはほとんど観ないのだけど、午後のの時間に再放送しているのをつい観てしまう。
科捜研というのは化学の実験室に似ているように思う。白衣着てるし。
まあ、学校の実験室はあんなではないけれど、基本形は同じだろう。
つい観てしまうのは全員俳優っぽくないからかもしれない。あんなふざけた演技は無い。
特に沢口靖子は度を越えている。それがなにかはまってしまう。彼女は女性らしい恰好
よりもちょっとボーイッシュな格好の方が似合う。
あの手のドラマでは毎回誰かが死ぬわけだけれど、「科捜研」でもその後やっている「相棒」も毎回人が死ぬ。なにか人が死ぬことが当然のように人が死ぬ。
しかしよく考えてみると人が死ぬっていうことは、本人にとってはもちろんだけど
周りの人にとっても一生に一度の大きな出来事なはずだ。
昔の朝ドラでは戦争で主人公の夫が死ぬというのがすごく大きな出来事としてとらえられていた。
刑事もののドラマを見ているとその人が死ぬことが当然のように思ってしまう。
それで、ちょっと視点を変えて、殺された人の家族の気持ちになって観てみた。
限りなく涙が出てくる。
いやいや、本当ならこのセリフは無いだろう。ということがたくさんある。
今の世の中ニュースでは殺人事件だらけだ。
まるで刑事ドラマのように。
科捜研というのは化学の実験室に似ているように思う。白衣着てるし。
まあ、学校の実験室はあんなではないけれど、基本形は同じだろう。
つい観てしまうのは全員俳優っぽくないからかもしれない。あんなふざけた演技は無い。
特に沢口靖子は度を越えている。それがなにかはまってしまう。彼女は女性らしい恰好
よりもちょっとボーイッシュな格好の方が似合う。
あの手のドラマでは毎回誰かが死ぬわけだけれど、「科捜研」でもその後やっている「相棒」も毎回人が死ぬ。なにか人が死ぬことが当然のように人が死ぬ。
しかしよく考えてみると人が死ぬっていうことは、本人にとってはもちろんだけど
周りの人にとっても一生に一度の大きな出来事なはずだ。
昔の朝ドラでは戦争で主人公の夫が死ぬというのがすごく大きな出来事としてとらえられていた。
刑事もののドラマを見ているとその人が死ぬことが当然のように思ってしまう。
それで、ちょっと視点を変えて、殺された人の家族の気持ちになって観てみた。
限りなく涙が出てくる。
いやいや、本当ならこのセリフは無いだろう。ということがたくさんある。
今の世の中ニュースでは殺人事件だらけだ。
まるで刑事ドラマのように。
9/22/2018
昨日の夢
風邪をひいてしまったのでねてばかりいる。
昨日の夢はよく覚えている。
吉祥寺の井の頭公園入口あたりの曲がり角のような街の道路を、少し高くなったところから見下ろしている。
すすと下の歩道で様子がおかしい男が暴れている。よく見ると胸のあたりが
扉のようになっている。どうも人間ではなさそうだ。
高台から降りてその歩道まで行くとさっきまで暴れていた男が車道の脇に倒れている。
倒れているが動いている。胸の扉が開いていて中が空っぽだとわかる。
人々は遠巻きに見ているがだれもどうしようと思わない。
私はこれはおかしいと思い、警察に連絡しようと思う。
見るとすぐ後ろに交番がある。
なんで警官はこの騒ぎにきがつかないんだろう、と思う。
私は交番に行って「ちょっと来てください、おかしいんです」というと
警官が一人出てきて一緒に歩き始める。
私は息子と一緒にさっきの場所まで先を歩く。
(息子がいつから一緒にいたかわからない)
大勢の人が歩いていて、さっきの場所までなかなか行けない。
「ちょっと先に行ってます」と警官に言って、先を歩く。
ずいぶん歩いた。
道は下り坂になってずっと先は住宅街になっている。
「道を間違えた!」と言うと、その道を歩いていた主婦らしい人2人が
「そうねえ、ずいぶん来たわね」という。
私は息子と一緒に道を戻る。
よく考えてみるとさっきの場所は交番と目の鼻の先だったはずだ。
どこで間違えたのか理解できない。
だいたいさっきあるいていたのがどこだったのかもわからない。
息子は「俺は家でやらないといけないことがあるから帰りたい」と言う。
そうか、付き合わせてわるいことをした。と思う。
財布の中をみるとお金は十分ある。タクシーと電車で帰れるだろう。
息子を先にどこかの駅から帰るように言おうと思うと、
息子はスタスタと坂道を降りて行く、その先がカーブになっていて見えない。
急いでカーブの先まで行くと、息子は池に飛び込んでいる。
しかし、あまりきれいな池ではなく、黒い藻のようなものが浮かんでいる。
私は「上げって来いよ」と言うと汚れた水で体が汚れている。
しかも服を着たままだ。
池の脇で何かのトレーニングをしている一団がいる。
「すみません、シャワーを貸してもらえませんか?」と言うと、
「うちのクラブの方ですか?そうでないと使えません」という。
しかたがないので近くの民家にきいてみようと思い、
民家の玄関に行って声をかける。
だれも出てこない。
別の家に行く。
返事がない。
その時「ああこれは夢だ」と思い、もうやめよう。
と思ったとたん目が覚めた。
汚れた息子をそのままにして、すごい罪悪感が今だに有る。
昨日の夢はよく覚えている。
吉祥寺の井の頭公園入口あたりの曲がり角のような街の道路を、少し高くなったところから見下ろしている。
すすと下の歩道で様子がおかしい男が暴れている。よく見ると胸のあたりが
扉のようになっている。どうも人間ではなさそうだ。
高台から降りてその歩道まで行くとさっきまで暴れていた男が車道の脇に倒れている。
倒れているが動いている。胸の扉が開いていて中が空っぽだとわかる。
人々は遠巻きに見ているがだれもどうしようと思わない。
私はこれはおかしいと思い、警察に連絡しようと思う。
見るとすぐ後ろに交番がある。
なんで警官はこの騒ぎにきがつかないんだろう、と思う。
私は交番に行って「ちょっと来てください、おかしいんです」というと
警官が一人出てきて一緒に歩き始める。
私は息子と一緒にさっきの場所まで先を歩く。
(息子がいつから一緒にいたかわからない)
大勢の人が歩いていて、さっきの場所までなかなか行けない。
「ちょっと先に行ってます」と警官に言って、先を歩く。
ずいぶん歩いた。
道は下り坂になってずっと先は住宅街になっている。
「道を間違えた!」と言うと、その道を歩いていた主婦らしい人2人が
「そうねえ、ずいぶん来たわね」という。
私は息子と一緒に道を戻る。
よく考えてみるとさっきの場所は交番と目の鼻の先だったはずだ。
どこで間違えたのか理解できない。
だいたいさっきあるいていたのがどこだったのかもわからない。
息子は「俺は家でやらないといけないことがあるから帰りたい」と言う。
そうか、付き合わせてわるいことをした。と思う。
財布の中をみるとお金は十分ある。タクシーと電車で帰れるだろう。
息子を先にどこかの駅から帰るように言おうと思うと、
息子はスタスタと坂道を降りて行く、その先がカーブになっていて見えない。
急いでカーブの先まで行くと、息子は池に飛び込んでいる。
しかし、あまりきれいな池ではなく、黒い藻のようなものが浮かんでいる。
私は「上げって来いよ」と言うと汚れた水で体が汚れている。
しかも服を着たままだ。
池の脇で何かのトレーニングをしている一団がいる。
「すみません、シャワーを貸してもらえませんか?」と言うと、
「うちのクラブの方ですか?そうでないと使えません」という。
しかたがないので近くの民家にきいてみようと思い、
民家の玄関に行って声をかける。
だれも出てこない。
別の家に行く。
返事がない。
その時「ああこれは夢だ」と思い、もうやめよう。
と思ったとたん目が覚めた。
汚れた息子をそのままにして、すごい罪悪感が今だに有る。
9/16/2018
瀬谷の緑地
名前が無い!
何かつけといた方がいいと思うけどね。

Google Mapで見ると茶色だけどストリートビューで見ると草地だとわかる。
ここは一体何だろう? と思って行ってみることにした。
上野地図の赤丸のあたりのバス停に(瀬谷駅からの)バスが停まる。そこから地図の
距離計測の線に沿って歩いた。
ぐるっと回ってるのは入り口が無いからだ。
ところどころにこの看板がある。

南関東防衛軍だったらよかったのにと思った。そしたらこの下にモゲラが埋まってるのは
確かだから。
このものものしい看板を横目に回り込んでみると森に入った。けっこう深そうな森だった。(瀬谷市民の森と言うらしい)
その入り口に猫が一匹。こっちを見ていた。さらに森に入るとまた猫が一匹。
お腹を空かせていそうだったので、かがんで持っていたおにぎりを崩して手に乗せると
その猫がやってきて、食べた。へえ、ごはん食べるんだ、と思っていると体をすりすり
させてきたのでもう少しあげた。
そうしてると何か視線を感じたので周りを見ると猫が少なくとも6匹、こっちを見てる。
「あげるよ」と言っても近づいてこないのでちぎって投げてやると飛んできて食べた。
絶対にこっちにこない猫もいたので、そっちの方にも投げてやった。みんなよく食べていた。

おにぎりはお昼にどこかで食べようと思って駅のコンビニで3個買ったものだった。
その3個は結局ぜんぶあげてしまった。
後でわかったのだけど、この近所にはコンビニもお店も無かった。帰るまで何も食べずだった。

猫はそのくらいにして、途中に横道があったのを思い出して、あそこを行ってみようと思い少し戻った。

道があるくらいだからここは通ってもいいんだろうと思い、その道を歩いた。
ここも渡良瀬と同じで日陰がほとんどない。
でもかなり広々している。

緑地の中に乗り捨てられた車があった。
でも緑地全体は草に覆われてきれいだ。
この日も確か35度超えの日だったと思う。緑地だからと言って少しも涼しくない。
水は大き目の水筒に氷と一緒に入れて持ってきたので時々飲みながら歩いた。
この木陰の道を抜けると反対側の一般道に出るはずだった。
地図にはそういうふうに載っていたから。

だけど、小道を歩いて行くと向こうで農家の人がトラックターで畑を耕していてその手前に、「ここから先通行禁止」と書かれた柵があって通れない。
しかたがないので、横から行けるだろうと思って行くのだが道が無い。
そのままどんどん歩くと緑地を出て結局保土ヶ谷バイパスの下に出た。
バイパスに沿ってあるくと八王子街道に出るはずなので街道まで歩いた。
すこし行くとバス停があってベンチがあったので、そこに座ってバスを待つことにした。
バスが来て乗り込むと「南林間行き」だった。
ずいぶん遠くまで持って行かれた。
行きは横浜回り相鉄線だったけれど、帰りは町田回り小田急線だった。
ずいぶん歩いたけど気分は良かった。
何かつけといた方がいいと思うけどね。

Google Mapで見ると茶色だけどストリートビューで見ると草地だとわかる。
ここは一体何だろう? と思って行ってみることにした。
上野地図の赤丸のあたりのバス停に(瀬谷駅からの)バスが停まる。そこから地図の
距離計測の線に沿って歩いた。
ぐるっと回ってるのは入り口が無いからだ。
ところどころにこの看板がある。

南関東防衛軍だったらよかったのにと思った。そしたらこの下にモゲラが埋まってるのは
確かだから。
このものものしい看板を横目に回り込んでみると森に入った。けっこう深そうな森だった。(瀬谷市民の森と言うらしい)
その入り口に猫が一匹。こっちを見ていた。さらに森に入るとまた猫が一匹。
お腹を空かせていそうだったので、かがんで持っていたおにぎりを崩して手に乗せると
その猫がやってきて、食べた。へえ、ごはん食べるんだ、と思っていると体をすりすり
させてきたのでもう少しあげた。
そうしてると何か視線を感じたので周りを見ると猫が少なくとも6匹、こっちを見てる。
「あげるよ」と言っても近づいてこないのでちぎって投げてやると飛んできて食べた。
絶対にこっちにこない猫もいたので、そっちの方にも投げてやった。みんなよく食べていた。

おにぎりはお昼にどこかで食べようと思って駅のコンビニで3個買ったものだった。
その3個は結局ぜんぶあげてしまった。
後でわかったのだけど、この近所にはコンビニもお店も無かった。帰るまで何も食べずだった。

猫はそのくらいにして、途中に横道があったのを思い出して、あそこを行ってみようと思い少し戻った。

道があるくらいだからここは通ってもいいんだろうと思い、その道を歩いた。
ここも渡良瀬と同じで日陰がほとんどない。
でもかなり広々している。

緑地の中に乗り捨てられた車があった。
でも緑地全体は草に覆われてきれいだ。
この日も確か35度超えの日だったと思う。緑地だからと言って少しも涼しくない。
水は大き目の水筒に氷と一緒に入れて持ってきたので時々飲みながら歩いた。
この木陰の道を抜けると反対側の一般道に出るはずだった。
地図にはそういうふうに載っていたから。

だけど、小道を歩いて行くと向こうで農家の人がトラックターで畑を耕していてその手前に、「ここから先通行禁止」と書かれた柵があって通れない。
しかたがないので、横から行けるだろうと思って行くのだが道が無い。
そのままどんどん歩くと緑地を出て結局保土ヶ谷バイパスの下に出た。
バイパスに沿ってあるくと八王子街道に出るはずなので街道まで歩いた。
すこし行くとバス停があってベンチがあったので、そこに座ってバスを待つことにした。
バスが来て乗り込むと「南林間行き」だった。
ずいぶん遠くまで持って行かれた。
行きは横浜回り相鉄線だったけれど、帰りは町田回り小田急線だった。
ずいぶん歩いたけど気分は良かった。
9/15/2018
植草甚一
すごく年配のじいさんだという印象しかなかったけれど、
植草さんが亡くなったのは71歳だったらしい。
そうですか、あと2,3年だ。
そうですか、
もののべながおきさんは何歳だったんだろう?
ああ、もののべさんは80歳だったんだ。
私が最後に会ったのは70歳くらいだったんだろうな。
稲垣足穂さんは何歳だったんだろう?
と、76歳だったみたいだ。
稲垣さんは飛行願望があったんだ。(wiki)
一時稲垣さんの本を何冊も読んだことがあった。
何が面白かったのか思い出せない。
澁澤龍彥は?
なんと59歳だ。
若いな。
などと書いてると滅入るからやめよう。
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