7/15/2017

飛燕の操縦士

仕事で知り合った人で印象に残っている人が何人かいる。
その一人は三井さんという人で知り合った時に既に80近かった。
10年くらい前の話だから今存命かどうかわからない。
逆に言えば、あと十数年経ったら自分も「あの人ご存命かしら?」とか言われて
いると思う。

三井さんは飛燕に乗っていた。
中国の方で飛んでいたらしい。
三井さんに体験記を書いてほしいと頼んだら、ワープロソフトで書いてくれた。
そうだ、思い出した。
そのワープロソフトの入ったパソコンのメンテナンスに伺ったのが最初だった。
三井さんは毎年百里基地の航空ショーに招待されていたそうだ。
たぶん特別待遇だったと思う。
三井さんのお宅に最後に伺った時には歩くのが辛そうだった。
そうだ、その後で道で奥さんと二人で歩いていた時にお会いした。
それが最後だったかもしれない。

馬さんという人がいた。
中国からの留学生だったけれど、国に帰れば大学の教授だった。
馬さん(マーサン)には仕事でソフトを作ってもらっていた。
私が身元保証人になっていた。
Cが一般に使われ始めた頃の話だ。
とても頭のいい人でNECの(MSの)OSの不都合なところを修正して使って
いたりした。
ある時、深刻な顔をして現れた。
天安門事件の起きた時だ。
一度国に帰らないといけないかもしれない。と言っていた。
理由はわからないが、仲間の学生が逮捕されたからだったろうか。
国からの連絡で警察の聞き込みや密告などがあったそうだ。
馬さんとはその後10年くらい前に中国とメールで話したことがあった。
馬さんは有名な大学の教授になっていた。
立派な先生になっていたようだ。

東京に帰ってきて最初に勤めた会社にアダルトの映画に出ていた女性がいた。
なぜ彼女がその会社にいたのかは後になってわかったのだけれど、
私にはその可憐な可愛らしい女性がアダルト映画に出ていたとは
全く知らなかった。
普通に話をしてコピーや印刷物を頼んで一緒に食事したりした。
彼女が映画に出ていると知ったのは同僚が雑誌のグラビアを見せてくれた時だ。
彼女とは半年くらい一緒に仕事をした。
その後会社には来なくなった。
1年後くらいに会社のあったビルの玄関でばったり会った。
仕事で外出する時だった。
彼女は玄関の端の方に立っていて私の名前を呼んだ。
そばに行くと、社長がいるかどうを聞いた。
それから私は会社を変わったので彼女と会うこともなくなった。
しかし、その後テレビで良く彼女をみるようになった。
名前は違っていたけれど芸名になったのだろう。
バラエティー番組でアシスタントのようなことをしていた。
それからしばらくしたら、彼女はカーレースに出ていることがわかった。
レーシングドライバーとしてだ。
すごいなあ、と思った。
その彼女をついこの前テレビでみた。
歳はとっていたけれど雰囲気はそのままだった。