ウッディ・ガスリーのトリビュートアルバムの一番最初の曲はDear Mrs Rooseveltとか
いう曲だった。確か。その冒頭でジェス・ピアソンがウッディの文章を朗読している。
とても劇的な伴奏が付いている。
その話の中で、兵隊たちがPXで酒を飲み歌を歌うシーンがある。兵隊たちは戦争の歌
を歌っていたのではない。彼らはHome coming songsを歌っていた。
歌を歌い故郷を懐かしいんでいた。
ということが語られている。
私の父は(私が子供の頃は)よく軍歌と言われる歌を歌っていた。
私はそのいくつかをよく覚えている。
しかしその後70年も近くなってくると軍歌を歌うシーンはほとんど覚えていない。
60年安保、70年安保と世の中は反戦・反戦と騒いでいたから、歌を歌うわけにも
いかなくなったのだろう。
父は終戦の時、何歳だったのだろう?と思って計算してみた。
30歳だ。
私が札幌から東京に戻った頃の年齢だ。
私がその年齢の頃に聴いていた音楽は今でも好きで聞いている。
父にとってその年齢の頃に戦争に行っていたわけだ。
つまり軍歌は父にとって青春の歌だったのではないだろうか。
それじゃ軍歌とは何だろう?
軍歌が戦意を高揚させる歌だとすると、今軍歌と言われている歌の中には
そうではない歌が多数含まれている。
「ラバウル小唄」だけれど、父はこれを良く歌っていた。
父はラバウルには行かなかった(と思う)けれど、よく歌っていた。
しかし、これが軍歌だろうか?
戦意を高揚させるだろうか?
まったく逆のように思う。
これは日本に帰る時の歌だ。
「異国の丘」は?
これだって故郷に帰るまではがんばろう、という歌だ。
「麦と兵隊」は?
こんな歌を歌って戦意が高揚するわけがない。
しかももともとは死なずに帰りたいという歌詞だったらしい。
「戦友」は?
これなどは「腰まで泥まみれ」の歌に近いと思う。
軍規に背いてまで友を助けようというのだから。
一つ前の戦争からの歌だけれど、よくこんな歌を軍はほっておいたなと思う。
みんなHome coming songsだ。
日本で今日「軍歌」と言われている歌の中には「戦時中の歌謡曲」が多数
含まれていると思う。そういう歌を一緒くたに「軍歌」と言って忌嫌うのは
間違っているように思う。