10/06/2015

昨日、悲別で

このドラマは私が札幌から東京に戻って2年目の1984年3月から始まった。
悲別(かなしべつ)は架空の地名だけれど、映像からすると上砂あたりだろうとわかった。
砂川、滝川、深川、旭川はいずれもとても懐かしい地名だ。
深川は札幌の友人の育った土地だ。
一緒に小学校を見に行ったことがあった。
小学校は平屋で昔ながらの作りのかわいらしい学校だった。
それほど広くない校庭はたぶん桜の並木で囲まれていた。
写真を撮ったはずだが、みつからない。
友人は滝川でも暮らしたそうだ。
その頃の家を見に行った。
長屋のような作りで駅のすぐ脇にあった。
まるで幸せの黄色いハンカチに出てきたような住まいだった。
思い出してみると、何故かとても懐かしい。
まるで自分が育ったところのような気がする。


グラフティーのストーリーは私とは全く違っていたので、共感する部分は少なかった。
当時、あと5歳若ければもっと感じる部分があったかっもしれない。
「駅・ステーション」には共感できる部分が多かったけれど、悲別にはそれが無かった。


ただあのグラフティーの中の東京の暮らしは、ちょっと前の私の東京(実際は千葉)一人暮らし
に重なる部分はあった。
札幌の冬は大きなポット式のストーブだったけれど、東京ではこれだ。
これで十分だとわかった時、あらためて札幌の寒さを思い出した。


このシーンに至る前のシーンは車で駅まで駆けつけるシーンだ。
その途中の景色は当時の北海道だ。
道は未舗装が多く、雪が無いと砂煙を上げて車は走る。
駅前は全て駐車は無料だった。
車を駅舎の横に駐車してしばらくそのままでも全然問題なかった。
この石田えりの髪型は当時みんなこれだった。
私自身の髪もこれに近かった。

このドラマの石田えりはとても良かった。
もう一人、ビデオを見て思い出したけれど、この「大人物」はドラマでは何歳くらいの
設定だったのだろう?
たぶん、今の私より若いのではないだろうか。
大滝秀治さんは計算してみたらこの時59歳だ。
なるほどね。

ドラマの終わりには毎回「22才の別れ」が流れた。
この曲はなぜかこのドラマにぴったりだったような気がする。
歌の内容はドラマとは関係ないけれど、なんとなくだ。



ドラマの最終回だけ、終わりのシーンが違っていた。
いつもは雪のシーンをバックに「22歳の別れ」が流れたが、この最終回だけは
少女とそれを追う男子生徒のシーンだった。
そこに一匹猫が映っているのだが、この猫は偶然入ったというようなことを聞いたように思う。
とても演技派の猫だった。

この少女は石田えりだろうか?
ということをずっと考えていたりする。
いずれにしてもこのシーンはとてもいいシーンだ。