9/03/2015

初夏 (ふきのとう)

「ふきのとう」の「初夏」は私が札幌に赴任したのとちょうど同じ月にリリースされた。
考えてみるとこれほど懐かしくまた心象風景としてこれほどうまく札幌を描いた
歌も無いように思う。

    噴水の前で 記念写真を
    撮っているのは 新婚さんかな
    僕は座って それを見ている
    鳩はつついてる とうきびの殻を
    夏の初めの昼下がりは
    とても馴染めず淋しくなる

赴任した頃はよく大通りの地下に車を停めて公園を歩いた。
上の歌詞はその時の情景そのままだ。
何一つ違わない。
夏になると内地からの旅行者が増える。
明らかに東京から来た人達が写真を撮ったり、
ふざけあっていたりする。
私は「僕も東京から来たんだよ」と心の中で言いながら。
彼らはまた東京に帰るんだな。
と淋しい感じがした。

    時計台を見て たむろしている
    大きなリュックの 黒いかに族
    僕は通り過ぎ 見ないふりして
    道を聞かぬよう 声をかけぬよう

東京からフェリーに積んだ自分の車が戻って来て、最初に行ったのが
時計台だった。
夜中だった。
途中パトカーに静止させられ、「時計台を見に行くところ」
と言ったら、すんなり「単身かい?気をつけて」と行ってしまった。
時計台について、しばらくすると鐘が鳴った。
余韻の無いちょっと鋭い音だった。
夜中の街に響いていた。
その音を聴いたら無償に淋しくなったて、そのまま朝まで
支笏湖の方まで走った。

    地下街はいつも 都会の顔して
    狸小路を 田舎扱い
    僕は地下鉄の 電車を待っている
    センチメンタルに 浸ったふりして

狸小路と地下街の、この感じは住んでみないとわからないだろう。
地下街は当時(1975年頃)、歩いていると東京を思い出した。
擬似東京体験だった。
通路は明るく、白く、にぎやかだった。
テレビ塔の下の紀伊国屋から4丁目の方にあった本屋、
それからパルコに入って楽器屋と本屋、
いつもそのあたりを用も無いのに歩いた。

地下鉄はたまにしか乗らなかった。
乗った時のことはあまり覚えていないが、
大通りから西28丁目まで乗って、吹雪の中を宮の森まで帰ったことは
何度もあった。
当時、自動改札は札幌の地下鉄が最初だったのではないだろうか。
また車輪はタイヤで音も静かだった。
ただ、網棚が無かった。今もそうだろうか?
カバンを頭の上に落とされた人を何人も見たことがある。

そうだ会社から街に買い物に行く時は地下鉄だったはずだ。
西20丁目から乗って大通りあたりまで。
あれは決して「センチメンタルに浸った振り」ではなかった。
なぜかわからない淋しさがあった。
あの音かもしれない。
あの地下鉄の警笛。