ロッド・マッケンで後悔してることは、札幌から東京に帰る時に何冊もあった彼の本を
全部古本屋に売ってしまったことだ。
その中にはアメリカに行った時に買った詩集3冊も入っていた。
まあ、また 米amazonで買えないこともないのだが、面倒だ。
スルーピーの詩は彼のライブ版でも朗読していた。ストリングスをバックに。
当時聴いた時は断片的にしかわからなかった。
でも亡くした愛猫のことだということはわかった。
その詩を改めて読んでみた。
初めてわかったことは彼が猫を失った、というか彼が猫を死なせてしまった理由だ。
自分の猫だったら謝っても謝りきれないだろうと思う。
訳は適当だけどこんな感じだと思う。
間違いに気づいたらお前達が直せばいい。
A cat named Sloopy
「スルーピーという名の猫」
ロッド・マッケン
しばらく前のことになるけれど
スルーピーが知る大地は彼女の砂箱だけだった。
55番街の部屋々が彼女の領域だった。
毎晩彼女はアボカドプラントの間に座って
私の帰りを待っていた。
(私の腕はレバーの缶詰が目一杯と愛がいっぱいだった)
私たちは夜まで話しをして、それで満足だった。
でも何かが恋しかった
彼女は知らなかった地面を
私は走ることのできる丘を
(草が茂ってるうちに)
スルーピーはカウボーイの猫のはずだった
走り回る草原があり、
リノリウムの床ではなく
それに本物の生きたねずみ、
彼女自身以外、誰にも頼ることもなく
私はそれを彼女には言わずに心の中で言っていたのだけれど
私はミッドナイトカウボーイだった
想像の馬に乗って42番外を歩いていた
見知らぬ人と一緒に出かけて行き
1時間のカーボーイ人生を生きていた
でもいつでも私を一番愛しているスルーピーの元に帰ってきた
12回の夏を
私たちは世界を相手に生きてきた
島の上の島で
彼女はゴロゴロと喉を鳴らし私を心地よくした
私は笑顔で彼女を太らせた
私たちは信頼関係を増していった
海辺も蝶々も必要無しに
私にはベンという友達がいた
彼はまるでルオーの絵の男のようで、建物を塗装していた
しかし彼は逝ってしまった
私の笑いはリリアンを疲れさせた
しばらくして
彼女はただ微笑むだけの男をみつけた
でもスルーピーだけはずっと私の傍にいてくれた
冬
1959年
老人が犬を何匹か連れて歩いていた
ある犬はあまりにせわしなく歩くので
柔らかい灰色の雪の上にピンクの足跡を残していた
毛皮を着込んだ婦人達
エレガントになにげなく
雹をかぶったタクシーがその人達を乗せて
ブロックを回って戻って行く
12月が来るというのに
愛を求めない人はいないいだろう
子供達でさえサンタクロースにお祈りするのに
私には家に私の愛するものがいた
でも、私はまる一日家を留守にした
そして、その次の日も
彼らは私が狂ったと思ったはずだ。
スルーピー
スルーピー
と叫んでいた
雪が降ってきて私の周りに積もっていた
私は狂っていた
約束の時間よりも1分でも早く出かけようとしていた
私はゴールデンカウボーイだったらなと思った
彼女を窓枠から拾い上げて
優しくサドルバッグに入れて
アリゾナまで乗って行って
彼女はトカゲを追いかけまわす
今はたぶんサボテンの中にいる
辛いけど自由だ
私も辛い
そしてもう自由な人間じゃない
昔そんな時があった
ニューヨークのジャングルの中の木の中で
私が世に出る前に
他の種類の愛を探してるうちに
スルーピーという名前の猫以外私を独占したことがない
振り返ってみると
たぶん彼女は私に愛を返してくれたただ一人の「人間」だったと思う
A Cat Named Sloopy is from the book “Listen To The Warm” published by Random House.
Copyright Rod McKuen 1963-1967.