同い年の友達がいない、と書いたけれど、いた。
小沼だ。
小沼とは大学の5年間一緒だった。
もっとも彼は大学院に行ったので、たぶん7,8年いたのだろう。
小沼は都立三鷹高校だった。
三鷹に住んでいた私は都立神代高校だった。
基本的に彼の方が頭が良かった。
あるいは彼の方が論理的思考に長けていた。
小沼は写真と山登りが趣味だった。
他に何の趣味があったのか知らない。
横田基地の近くに住んでいた。
学校の友人と彼の家に行ったことがある。
彼のお父さんがいた。
お父さんは紙に何か問題を書いて私達に示した。
確か「・・・これの答えがわかるかい?」とか言い残して消えた。
あれは数学の問題だっただろうか、ちょっと記憶が確かではないが、
少し考えただけで答えが出そうな問題だったけれど、
考えてみるとすごく難しい問題だったような・・・・
と、書いていて思い出した。
魚の焼き網のような回路網を描いて、「このそれぞれの抵抗素子に
流れる電流を出せるか?」
だった。なぜか今急に思い出した。
その時は計算できなかった。
彼の叔父さんには海法泰治さんという人がいて確か雫石事故の裁判で
独自の解釈を行っていたように思う。
彼は確かNECの関連会社の***アネルバとかいう会社に就職した。そしてドイツの
どこかの研究所に研修でずっと行っていて、そのままドイツに住むことになったとか。
彼の奥さんは確かピアノの先生で生徒さんがたくさんいたように思う。
小沼は学生の時もドイツ語が得意だった。
その後、彼はMax Planck Institute for Metals Research, Stuttgart にいた。
ということを私の先生からお聞きした。
どうしているだろう?と思ってマックスプランクのEメールが公開されていたドイツ人と
思われる(名前が・・・)研究員の人にメールを書いた。
今思うとよく書いたなと思うけれど、「小沼という日本人の研究員を知っていたら
私のアドレスにメールをくれるように伝えていただけないでしょうか?」
とかなんとか書いたと思う。
どうせメールは来ないだろうと思っていたけれど、1週間後くらいだったろうか、
小沼からメールが来た。
ローマ字で書かれていた。
それから何度かメールを交換したと思う。
そのあと会社が引っ越したりでそのままになってしまった。
今もマックスプランクにいるのだろうか?
まだドイツにいるのだろうか?
あるいは日本に帰っているのだろうか。
今会うと30年ぶりくらいになるが、これだけははっきりしている。
もう一度会った時彼はこう言うだろう。
「なんだよ、どうしたんだよ?」と
まるで数日前にも会ったように。