この法律が廃止されたのは実に1997年だ。まだ私が札幌に居た頃はこの法律が生きていた。
これが廃止されるまでアイヌ(Ainu)の人達は法的に彼らがアイヌ(Ainu)であることを禁止されていたわけだ。
私が小学校の6年から中学生だった頃、よく一人で映画を見に行った。
大体が西部劇だ。西部劇の中ではたいていインディアン達は悪者として描かれていたから、
それを見る側も当然白人サイドの立場で見てしまうわけだけれど、ませていた私は
半分はインディアンの側から見ていた。つまりインディアンの方が格好いいと思って見ていたところがある。
アメリカン・インディアンは日本人に似てなくもない。と思っていた。
少なくとも映画で見る限り我々黄色人種(yellows)はインディアン(red)に近いと思えた。
しかし息子と二人でアメリカを旅行した時、アリゾナの外れでピザショップに入ったら
我々二人以外は全員インディアンだった。彼らは我々を直視していた。
その視線を気にもせずピザを食べていたが、改めて彼らを見返してみると、
やはり日本人とはかなり違うなと実感した。
いつから彼らをネイティブ・アメリカン(native American)と呼ぶようになったか知らないが、
エスキモ(Eskimo)がイヌイット(Inuit)になったのと同じ頃だろうか。
それじゃあ彼らインディアン達は自分達をどう呼んで欲しいのだろうか?と思って調べたら、
1995年の調査(これ以降の調査は無い)で49%のインディアンが自分達を
American Indianと呼んで欲しいと思っているらしい。そして37%がNative Americanと呼んで
欲しいと思っているらしい。大多数ではないが半数のインディアンたちは自分達を「インディアン」
と呼んで欲しいと思っている。
これはある意味不思議だが、「お前らが付けた名前だろうが!」という意味もありそうだ。
"We Will Call Ourselves Any Damn Thing We Choose"
と言っている。
ところで、この旧土人法だが、この「土人」という言葉に今まで差別的な意味を感じていた。
しかし、よく考えてみるとこれほどアイヌ(Ainu)にぴったりな呼称は無いように思う。
もちろん蔑視的意味ではない。
北海道をアイヌは「アイヌモシリ」と呼んでいた。
これはもちろん「人間の土地」という意味だが。
逆にすればモシリアイヌだ。これは「土地の人」ということにならないだろうか。
つまり土人だ。
北海道で自分達を”土人”(道人ではない)と呼べるのはアイヌの人達以外にはいない。
旧土人保護法の英語訳にはAborigineということばを使っているものがある。
これはAborijini(アボリジニ)が「原住民」という言葉だからだ。
なぜアイヌ保護法という名前にしなかったのだろう?
土人という言葉が蔑称的な趣があるのは否めないが、
彼らを”土人”と呼んでしまったのは日本人だ。
なぜか今、土人という言葉はアイヌを賞賛することばのように思える。
もっとも私はアイヌではないからそんなことを言っているわけだけれど。
私は北海道が好きだ。
北海道の自然が好きだ。
北海道の木々の中にいた頃は自分の人生の一番素晴らしい時だったと思う。
そういう意味で私はアイヌ(人間)でありたい。