今日映画ファンのFBに「ベニスに死す」のことが書かれていた。
問題はその投稿ではなく、そのコメント欄だ。
ほとんどの人があの映画は理解できない、と書いている。
そうだろうね、とは思う。
我々が女装趣味を理解できないというのと同じでしょう。
我々、って言っちゃったけど違う人もいるだろうな。
だいたいあの映画の少年は少し年齢が上過ぎる。
あと3,4歳は若くなければいけない。
彼が何歳知らないけど小説では確か12歳だ。
どこかで書いたかもしれないけど
12歳という少年はちょっと特殊だ。
もっと小さな子供や、もう少し歳の行った少年に比べて
12歳の少年はたぶん特別な領域にいるんだと思う。
だけど、あの映画が理解できない人は小説も理解できないと思う。
それは圧倒的な事実だ。
なぜなら12歳の少年を知らないから。
いや、母親ならわかるかな。
小学校6年になる頃の子供を知っているから。
父親はどうだろう?
よっぽど特殊な父親でなければ12歳の少年ということに
気が付かないんじゃないだろうか。
12歳という非常に短い期間しか存在しない「少年」に
気が付かなければ絶対に理解できない。
日本では「美少年大会」とかなんだかやってるけど
あれは美少年であって「少年」ではない、
まして12歳でもない。
だいたい「美」って何だ。
自分が12歳だった時を覚えている。
とてもはっきりと覚えている。
なぜ覚えているか正確には伝えられないけれど、
自分が12歳の少年だということを自覚していたからだと思う。
その頃私は小学生だった。
同じ学校にもう一人自分が12歳の少年だと理解していた少年がいた。
その少年とは会うたびに挨拶を交わした。
クラスも別で名前さえ知らないのに。
いや、言葉さえ交わしたことは何度かしかない。
だけど彼は自分が12歳の少年だということをわかっていた。
だから私に挨拶をするのだ。
その少年の声を覚えている。
その少年の横顔を覚えている。
その少年の手の感触を覚えている。
(サッカーのチームで一度一緒になって輪を組んだ)
小学校を卒業して別の中学になり、
その少年のことは忘れた。
一度小学校のグランドで野球をしていたのを見かけた。
彼は私には気が付かなかった。
その時私は12歳が終わったことを知った。