さっき思いついて、昔、一番最初に努めた札幌の会社の
人達の名前を思い出してみた。
最初に思い出したのはパートの人達(おばちゃん)だ。
今からすれば若い女性陣、皆50歳まで行ってなかったと思う。
フクダさんという人がいた。
福田さんは当時25歳くらいだったと思う。
フクダさんはトモコと言った。
その隣がイシイさん。たぶん30後半。
名前は思い出せない。
それから私が入ってからほどなくやめた人がいた。
皆から「アネゴ」と呼ばれていた人。
23くらい。
一緒にドライブしたことがあった。
支笏湖を回ってそのまま帰ってきた。
苗字も名前も思い出せない。
・・・いや、突然思い出した。
コガさんだ。名前は思い出せない。
それからクサカさん。
クサカさんはセツコだ。45歳くらいかな。
何度か家に遊びに行った。
息子さんは佐川急便で働いていた。
矢沢永吉のレコードを貸してくれた。
ライブ盤だった。
カドヤさんという一番年配の人がいた。
50は過ぎてた。
名前は思い出せない。
エホバの信者だった。
好きな人ではなかった。
カナヤさん。
カナヤさんはミエと言った。
みんなに「ミー」と呼ばれて人気があった。
ミーは20歳だった。
男の人でナヤさんがいた。
確かシゲオだ。
この人も20そこそこだった。
手稲に住んでいた。
話相手だったけれど私が入ってほどなく辞めた。
工場長はヨシノさんと言った。
名前を思い出せない。
「ヤスシ」だったような気がするけど、
ヤスシは私がついていた学校の先生の名前だったから
勘違いかもしれない。
でもヤスシのような気がする。
もうひとりイシイさんがいた。
こっちも名前は思い出せない。
ハラさんがいた。
原さんはもともと東京の人だった。
彼女の息子さんとその友人と車で東京まで一緒に走った
ことがあった。原さんもけっこう年配だった。
4年目くらいから入ってきた若い女性がいた。
たぶん一番の美人だった。
ほとんど話したことが無かった。
フクダさんと仲が良かった。
もう一人いたけど名前を思い出せない。
それだけ思い出せた。
しかし、札幌から東京に戻って働いた頃の会社の方は
名前をほとんど思い出せない。
思い出さない。
・・・思い出したくない。
その頃の得意先の会社の人の名前も前に思い出して
書き出してみたことがある。
それも4、5人しか思い出せなかった。
思い出したのはみな世話になった人たちだ。
頭の中ほとんど仕事だったからなあ、
ほんとに辛かった