10/05/2024

天国のことを考えてみよう

 どうでもいいことだけど

「向こうでまた会いましょう!」とか
「天国で母に会いたい」とか
言うけれど、相手はどう思っているんだろう?
つまり「天国で両親に会いたい」とか思ってるっていうことは
両親は”親”の状態で天国にいると思っているわけで、
自分はその”子供”の状態で会うというのを想定している。
しかし親にしても彼らの両親がいるわけで、
またその彼らもその両親がいる。
それがずーーとつながっていて
天国には相当多くの肉親・親戚が集まっていることになる。
しかもたぶんみな高齢者だ。
幼くして亡くなった人たちもまあその中にいるのだろうけど。
天国も高齢者世界だろう。
私の親関係者だけでも数万人はいそうだ。もっとか?
まあ人類が何万年前に生まれたかにもよるけど、

それでだけど、かなり前までさかのぼると世界中の人が
かなり少数の親にたどり着くんじゃないだろうか?
世界中の最近死んだ人はその巨大家族に含まれることになる。
つまり天国では国籍も年齢も関係なくただ一組の両親
から派生した大勢の人達が一堂に会することになる。
「天国なんて無いと思ってごらん」とか言ってる場合じゃない。

ひとつ問題はその大勢の人達が一堂に会する場所があるかという問題だ。
おそらく3次元的な空間をイメージしたらすぐに満杯になってしまう。
だから、おそらくフラクタルの構造というかマンデルブローのような
構造になっていて、奥行きは無限にあるのだと思う。
それであれば何人いようと関係ない。

天国に行ったら謝らなければいけない人がたくさん居そうだ。
まず謝罪会見を開かないといけない。
天国に入るのはそれからだ。
それで許してもらえなかったら、
一人で天国の旅に出よう
どこかで同じようなやつに会うかもしれないし
天国で一人旅もまたいいかもしれない。