5/30/2022

知床半島

 映画の「コンタクト」を観た。
もう何度も観ているのだけど、ちょっと気になったことがあって見てみた。
それはあの「コンタクト」の装置が知床半島のウトロ港のあたりじゃなかったろうか?
ということ。
それで改めてみてみたら、全然違った。
知床半島のウトロとは反対側の野付半島の西側だった。



こんな半島は存在しない。
しかもUSが直接管理しているところらしく、極秘だそうだ。ひどいもんだ。
この設定はカールセーガンがやったのだろうか?

それはいいとして。
この映画の最後も腑に落ちない。
カメラの録画時間がリアル時間よりもずっと長かったなら、
何も写っていなかったにしろ、長時間のトリップをした証拠にはなるだろう。
科学者ならそれをまず検証するはずだ。
最後のところ、あやふやで終わってしまっているのは何とも残念だ。

父親?と再会するシーンはいい。
あのシーンは数あるタイムスリップもののSFの中でも美しいひとつだ。
その後のストーリーはいただけないけれど、
再会のシーンはいい。





5/29/2022

もしもあの時

 という仮定は意味が無いとよく言われるけれどどうなんだろう?
敢えてそれを考えてみようと思う。

まず私の存在だけれど、非常に危い偶然からできているように思う。
私の母は広島にいて、あの日の前日は今の平和公園になっている場所
の中にあった住宅地の友人の家に行っていた。
そしてその夜はその人のところに泊ることになっていた。
しかし母はなぜかその夜、家に帰ることにしたそうだ。
友達のところに泊っていたら悲惨なことになっていたかもしれない。
と言っていたのを思い出した。
友人はその家で亡くなったそうだ。
平和公園内の地図にはその友達の家の名前が記されていた。
残念なことに私はその名前を忘れてしまった。
それが「もしもあの時」の一つだと思う。
幸い私は生まれてこうしている。

もうひとつの大きなもしもは私が学校を卒業する時だ。
あの時、自分で勝手に就職先を決めずに先生の推薦するところに
務めていたらその後の人生は大きく変わっていたと思う。
あれからほんとうに自分のやりたいことをやってきた。
その結果は決して良かったとは言えないけれど、
そこそこの会社に勤めていたらすごくつまらない人生だったと思う。
少なくとも仕事に関してはそうだ。

もしもあの時と思うことはある。
一緒に暮らした人も違っていただろうと思う。
それにたくさんの人に迷惑をかけることは無かったと思う。
それだけが悔やまれることだ。
できることなら全ての人に謝って回りたい。
それが二つ目の「もしも」だ。

もしもあの時、どうしても考えてしまう「もしも」だ。


5/24/2022

夢だ

 確か中学校の同級生だったと思う。
だけどそれが誰だったのか思い出せない。
最初のシーンは何だったろう?
彼女は子供と一緒だった。
たぶん5歳くらいの子供。
それで僕がその二人に気が付いて
話しかけると、やっぱりそうだったとわかって
「電話番号を教えて」というとスマホを出してLINEにつなごうとする
私のスマホはぐちゃぐちゃでぼろで、画面がよく見えない、
仕方ないので電話番号を教えてもらって紙に書こうとするけれど、
紙もぐちゃぐちゃでよく見えない。
「ごめんもう一度教えてくれる?」と言う。
彼女は教えてくれるけど、私は何を書いてるかわからない。

その二人のほかにたぶんその同級生たちが大勢いる。
その中で僕は「そうだ写真を撮っておこう」と思って
カメラを出して写真を撮ろうと思うのだけど、
どうもカメラを彼女に向ける勇気がない。
なんて思われるだろう?とか考えている。

それからそこの皆といっしょにバスに乗る。
海へ行く。
海岸?で遊んでいる。
すると彼女が「今日は私たちどこのグループ?」と言う。
私はポケットにあったパンフレットを出すけれどよくわからない。
今日はどこかで同窓会(アドバイザーグループの)があるらしい。
私は自分がどこのグループだったかも覚えていない。
だいたいそれは大学の時のだ。
彼女と子供が遊んでいるのを見ているととても幸せな気持ちになる。
彼女の顔を見るけれど、見覚えがない。
でもなぜか懐かしい。

私は彼女と一緒にいたはずなのに、いつのまにかいなくなってしまっている。
もうそろそろその同窓会が始まる時間だ。
みなバスで行くようだ。
私は自分が載るバスがわからない。
うろうろしている間にみないなくなってしまう。
しょうがないので誰かに電話してみようとスマホを出すけれど、
誰に電話すればいいのかわからない。
彼女に電話するのはまずいな、と思っている。
突然隣に男がいて「あなたはどこのグループですか?」と聞かれる。
私はわからないと言うと、彼も自分のグループがわからないと言う。

みなどこかに行ってしまって、目の前には広いグランドがある。
向こうに木が何本か生えている。
その端の方にまだバスを待っている一群がいる。
その人たちを見るけれど誰もしらない人達ばかり。
とてもさみしい気持ちになる。

目が覚める















5/18/2022

故障

 ほんとに不思議なことに機械は1台壊れると関連の無い別の機械も
壊れることが多い。
仕事で工場の機械を作っていた時もそうだった。

数日前にビデオカメラが壊れた。
しかたが無いので代替品を購入した。
すると今度は古いビデオデッキ(Hi8)が壊れた。
これも仕方がないので別の物を購入した。
今日、VHSのビデオデッキが壊れた。
もうあまり使うこともなくなったので1台しか使っていなかったけれど、
それが壊れた。
壊れるとそれが必要になってくる。
困ったものだ。
そんなわけで今月は古いビデオ機器を3台も購入した。
ビデオ関連の機械は、民生器であっても今は結構な金額だ。
困ったものだ。

なんか機械同士でつながっているのだろうか?
壊れる時はみな壊れる。


5/14/2022

幼なじみ

 期せずして昨日の夜に友人の幼馴染が亡くなったとかいう知らせがきた。
私は2,3回しか話したことがなかったけど、覚えている。

幼馴染ってどのくらいから言うんだろう?
私は幼馴染と言える人とは誰一人連絡をとっていない。
子供の頃は特に親友と言える友達もいなかったし。
中学くらいからなら一人いる。
ただ一人だ。
考えてみると親しい友達と言えるのはその人しかいないかもしれない。
大学に入ってからの友達はいるけれど、長い時間の中で私しらないうちに
裏切られていたように思う。
もっとも本人たちがそれに気が付いているかどうかは疑問だけど。
そのことはちょっと前に書いたように思うけど。

そんなわけで幼(かもしれない)馴染は一人だけだ。
一人いれば幸せだと思う。
自分の昔のことを知っている人がいると思うと
ちょっとうれしい。



5/13/2022

友人が音信不通

 友人?だと思うけれど、昔一緒にバンドやってた人が連絡取れないって
別の友人2人が言ってきた。
2年くらい応答がないらしい。
でもラインは既読になってるとか。
私が最後に話したのも2年前だ。
でも死んではいないと思う。
時々すねることがあるから、たぶん何かに気分を悪くして
すねているのだと思う。

しかしこの年齢になるとそんな話が多くなってくる。
我々の先輩たちもそんなことを言っていたのを思い出す。
最近は葬儀も簡単なものになってるし家族だけでやることも
多くなっているみたいだ。

ああ、そうだあのCM
「お父さん、この前言ってたお墓の件だけど・・・」ってやつ
そんなこと言われたら怒るよね、普通。
それともまだ死んでもいないのに自分のお墓のことを
息子と相談するのだろうか?
私はしないね。
「海か湖に撒いてくれ」っていうね。

だけどまあ、あいつは死んでないよ。
そのうち「うるせいな」とか言いながら出て来るはず。

ラティス

 今日は嫌なことがあった。
ヤフオクで買ったものがダメっちなやつだった。
もういいやと思うのだけど、また返品返金のやりとりをしないと
いけないと思うと、このまま泣き寝入りでもいいやと思ってしまう。
ヤフオク!はだめだ。前からそう思ってはいるのだけど
必要に駆られるとつい。
でももうほんとにやめよう。
あれはいろいろ心を病むことになる。

それはそうと落ち込んでいる時に「ラティス」という言葉が浮かんだ。
「なんだっけ? え~~? 何だっけ?」
としばし考えた。
でもわからないので検索した。
わかった。
仕事の話だ。

プログラムできるICだ。
不思議なのはこのラティスというメーカーのものを使っただろうか?
名前を憶えているので使ったのだとは思うけど、
使った記憶が無い。
使ってたのはアルテラだ。

これは見覚えある。っていうかこれを使っていた。

今はどうしてるんだろう?
当時(20年前)でさえこの中には膨大なロジック回路が入っていた。
今はさぞすごい構造になっているんだろうと思う。
最近の電気機器の中の制御基板にはこれの小さいのが1個入ってる
だけだったりする。
どんどんね、いにしえの電子技術は変わっていくんだろうな。


5/05/2022

ギャラントメン

 というアメリカン・テレビドラマがあった。
確かあまり長続きしなかったように思う。
しかし同じ頃のどらま「コンバット」が戦闘シーンをメインに
描いていたのに比べて
ギャラントメンは戦場での人々の様子を描いていた。
兵士のこともあり街の人々のこともあった。
そもそも従軍記者の話だった。
私が小学校6年~中学生くらいの放送だったようだ。

コンバットも覚えていないけれど、ギャラントメンも
どういう話だったのかあまり覚えていないが、
ただ一つ鮮烈に覚えているシーンがある。
それは破壊された街に少女が一人残されている。
その少女が歌を歌うシーンだ。
ブラームスの子守歌を歌っていた。
記憶では少女はこんな風に歌っていた
「ナニナー ナニナー ナニナーノ バンビーノ」
たぶん Nanina~ nanina~naninano banbino とかなんとか、
イタリア語はわからない。
これは中学1年生くらいのころの1回だけ聞いた記憶だ。
ブラームスはドイツだから元の歌詞はドイツ語だと思う。
でも有名な歌だからイタリアでも歌われていたと思う。
もしもギャラントメンのその映像が残っていたら確認したいくらいだ。

このタイトルバックはギャラントメンの画像なのだけど、
なぜかコンバットのサンダース軍曹に似ている。



5/04/2022

Smapho

 たぶんこういうスペルだと思う。
いつから使っているか正確には覚えていない。
その前の「携帯電話」と言われているものはいつからだったのか?
それも覚えていない。
’80年中頃に取引先の人の車に車載型の電話が付いていたのは覚えている。
それと同じ頃かな?秋葉原のTゾーンの前であのカバンみたいな携帯で
電話していた男の人がいたのを覚えている。
珍しがって皆見ていた。

それはそうとスマホが調子悪い。
買い換えようか考えている。
しかしこれってそんなに要るものだろうか?
電話ができればいい。と思う。
たぶん世の中では「歩くパソコン」のようなものなのだろう。
私も以前は車を運転しながら電話やメールを送っていたので、
偉そうなことは言えないけれど、
無くて済むならその方がいい。

運よく自分の死期を知ることができたら、
どこかに旅にでようと思う。
その時はスマホを川か海に投げ捨てることから始めようと思う。
ちょうどイージーライダーで
時計を捨てることから旅が始まるように。

5/01/2022

「湾岸道路」と「首都高速」

 どうでもいい話なのだけれど、
1980年代にテレビで一度だけ見た映画でとても印象に残ってる
女優さんがいた。
あれは何だったんだろう?と最近になって探した。
記憶ではオートバイに乗ってるシーンしか覚えていない。
ただ、1980年頃私もそこを走った場所が出ていた。
それらしい映画があった「湾岸道路」だ。
この道はバイクに乗り始めた頃によく走った道だ。
この男は草刈正雄なんだって。
女性は樋口可南子だって。
「これかなあ~?」と思った。
でもなんか違うとずっと思ていた。
樋口可南子ってあんまり好きなタイプじゃないし、
それが当時印象に残ったとは思えない。

それでまたごく最近(実は昨日)「あれは誰だったんだろう?」と
考えていた。
そしたら湾岸じゃない!首都高だ!と気が付いた。
それで「首都高速、映画」で検索したら出てきた。
「首都高速トライアル」だ。
あのころバイクのトライアルが好きだったからバイクだと
思い違いをしていたんだと思う。
それでYouTubeで見たらそうだった。
そう、この子だ。
誰かに似ている。
映像が汚くて残念だけど、確かにこの映画だ。
しかも「彼のオートバイ彼女の島」と同じように、
彼女は死んでしまう。
なんてひどい話だ。
岡安由美子っていう名前らしい。
いや、知らなかった。
女優でレーシングドライバーでもあるようだ。
岡本かおりさんと似ている。
知らなかったけど、誰だかわかってすっきりした。

この映画は劇中でスピード違反をしているということで
販売中止になってしまったらしい。
たぶんそれよりも「首都高でそんなことするな!」というのが
本当のところなんじゃないだろうか。


親殺しのパラドックス~続き

 someone will say 「しかし写真とかが残ってるじゃないか!」
あるいは、「建物も書いたものも残ってるじゃないか!」
確かに残っているけれど、それは時間じゃない。
過去があったという証拠でもない。
ただ単に現在そこにあるものだ。
建物だって今ここにあるというだけで、それは過去ではない。

例えばだれか大切な人を亡くしてしまったけれど、
写真が残っている。
でもその写真は過去がそこにあるわけじゃない。
現在そこにあるというだけだ。
当の亡くなった人は現在はいない。
どこを探しても居ない。
絶望的に存在しない。
いくら会いたくても今ここにいない。
時間も同じだ。
過去はどこを探しても無い。
今現在がここにあるだけだ。