1/09/2019

フォークソングブーム黎明期

なんとなく「若者」という言葉が「歌舞伎者」と同じくらい古臭い言葉に思える。

その「若者たち」をブロードサイド・フォーが出したのが1966年だそうだ。
高校生の頃だ。
ボブディランの「風に吹かれて」が1963年だそうだ。
サウンド・オブ・サイレンスが1966年。たぶん日本ではその一年後くらい。
マイク眞木の「バラが咲いた」が1966年。
「帰って来たヨッパライ」は1967年らしい。
「この広い野原いっぱい」が1967年
高石ともやの「かごの鳥ブルース」が1966年、「赤いヤッケ」が1967年

Wikiの「フォークソング」に1965年に「日劇フォークソングフェスティバル」が開催されたとあるが、これは間違いで1966年12月24~30日が正しい。
フォーク・クルセダーズや伊東きよこ高石知也らと他グループが出ていたらしい。
学生¥350、一般¥400だったようだ。
自分のギターを持って行くと250円割引になったらしい。

上記は新聞記事を調べたら第二回が1966年だった。だから第一回は
1965年だったのかもしれない。

ピートシーガーの「花はどこへ行った」は1956が最初の録音だったそうだ。
キングストン・トリオも古く1961年。
ザ・リガニーズが1966年らしい。

いずれにしてもどうやら1966年というのがマイルストーンのようだ。
1966年のことを思い出してみると、私はアメリカンフォークを友人とやっていた。
日本のフォークソングは聞こえてはいたけれどあまり興味はなかったかもしれない。

その頃の世の中というか高校生としての雰囲気としては、何か社会的なことが重要だったように思う。すくなくともそう思っていたことは確かだ。
だからよく意味も分からず英語のフォークソングを歌っていた。
意味もわからずということが重要で、ほんとに意味をわかっていたら歌わなかったろうという歌もあった。

1966年の大晦日に紅白でマイク真木が「バラが咲いた」を歌ったのは見ていた。
ギターではなくリュートを弾いていた。ついでにジーンズで紅白に出た最初の人だったらしい。
確かに今で言う「弾き語り」の形態ではあったけれど、全く惹かれなかった。
ギターじゃないのか?と思ったし、その頃既に大ヒットしていた歌だったけれど、歌に内容が無かった。それで?という感じがしていた。
形だけのような感じがしていた。
たぶんあの歌はフォークソングブームには影響を与えていないと思う。

当時、高校生、大学生は各地でフォークソングコンサートをやっていたけれど、
「バラが咲いた」を歌っていたのは見たことが無い。
当時よく聞いたのは「花はどこへ行った」「この広い野原いっぱい」「500マイル」
とかそのあたりの歌で、「若者たち」のテーマもよく歌っていた。
たぶんフォークソングブームのもとになったのはどちらかというと社会性のある歌だったように思う。
私がいた世界がそうだっただけなのかもしれないけれど、
しかしその流れは1969年までは続いていたように思う。
69年以降はだんだん社会性は薄れてきたように思う。
東大安田講堂がその次のマイルストーンのように思う。