カレーシチューと言ってもわからないだろうな。
おやじが小学生の頃の給食にはカレーシチューというのがあった。
たいていは月曜日のメニューだ。
それがどうしたか?と言うと。
今日街を歩いていたら急にカレーシチューの匂いがした。
その匂いを嗅いだ瞬間、小学校の給食室が目に浮かんだ。
というか給食室にいる感じだった。
ほんの一瞬だったけれど。
その匂いだってホントにカレーシチューの匂いだったかわからない。
止まって見回してみたけれど、もうその匂いはしなかった。
だけど感じたのは確かに給食のカレーシチューだった。
小学校の頃は野菜を全く食べなかった。
よく生きていたなと思うほど食べなかった。
記憶では食べたのは大根の味噌汁、たくわん、枝豆、ゴボウくらいだ。
人参もほうれん草もキャベツもだめ、トマトは今でもだめ。
それであのカレーシチューは食べたのだろうか?
給食の時間を思い出すと清水を思い出す。
なぜかはわからない。
清水は漫画を描くのがすごく上手かった。
彼は教室でもよく絵を見せてくれた。
ちょっと気取った感じのする子だった。
悪い奴じゃなかったけれど好きでもなかった。
小学校それも三鷹6小のころは特に好きな友達はいなかった。
思い出せないから。
大阪に引っ越して高槻小学校に1年だけいた。
その時にやはり東京から来た同学年の男の子がいて、
クラスは違ったので話したこともないのだけど、
どこかで顔が見えるとお互いに笑って会釈した。
彼とはたぶん一度も話をしたことがなかったけれど、
彼がいたから一人で大阪の小学校に行っていても救われたように思う。
高槻小学校のときは死の恐怖症に取りつかれていて、
「死」について考えるとパニックになって何もできなくなった。
教室で起きることもあったし、校庭にいる時にもなった。
あの感じは今ははっきりとは思い出せないけれど、
例えば気が付いたら高い塔の先端にいた、というような感じだ。
ぐっとこらえて耐えないといけない。
小学5年の少年があの気持ちだったと思うと、自分のことながら
可哀そうになる。
頑張れ!と言いたくなる。
校庭でそれになった時に、校舎から出てくる彼を見つけた。
彼はいつもの笑顔で手を振ってくれた。
その瞬間恐怖症の呪縛から解かれた。
私も笑って「やあ」と言った。
その時の顔は今でも思い出す。
今会いたいと思う小学校の友達は彼だけだ。
これは高槻から三鷹に戻った頃小6の時(右)