6/25/2017

悲愴

今日久しぶりに不思議なことがあったので書いておこう。

お客さんから古いオープンリールテープを14本預かった。
中身がわからない。
中に結婚式の録音があるはず、というのでそれを探しながら聞いていた。
何本かはテープが変形してしまって再生できない。
たぶん1960年から1970年頃のテープだ。
ひどく酢酸の匂いがしてテープはワカメ状になっていた。
結婚式のテープは2本あると言われた。
1本はみつかった。
最後の1本をデッキにセットしようとしたらリーダーテープがはがれた。
良くあることだ。というよりつないだ部分はほとんどはがれてしまう。
新しいリーダーテープをつなぎながらチャイコフスキーの6番の出だしを
口ずさんでいた。
悲愴なんてもう何年も聞いていない。
テープをセットし終わって再生始めたらどこかで聞いたメロディーが
低く流れ出した。
あれ?と思った。
「悲愴」だった。
あれ?一度かけたっけ?
と思ったけれど、リーダーテープが切れていたからかけていない。

こういう数秒前に起こることがわかるのはずいぶん久しぶりだ。
中学、高校の頃はよくあった。
「デジャヴーじゃないの?」とよく言われた。
デジャヴーは何度も経験している。
でも起きたことを以前あったと感じるのではなく、
起きる前にわかるのだ。
はっきりとではなく、ぼんやりと見える、聞こえる、感じる。

人に言っても誰も信じないだろう。
でも、自分としては結構普通に起きることだ。
そういえば母は天気を言い当てた。
ほぼ完ぺきだった。
母に自分は「たぶんお母さんの記憶を持ってるよ」と言ったことがある。
前にも書いたかもしれない。
自分の夢を詳細に母に話した。

 真っ暗な空の下に壊れたビルが建っていて、その間に大きな机か台があった。
 その台の上に誰かが横たわっていた。顔は見えない。
 その人も真っ黒だった。
 言い知れぬ不安感があった。
 あまりに怖くて下を向いた。
 
「夢でもその夢を良くみるんだ」と言った。
母は驚きも否定もしなかった。
「そうねえ、それはあの時の景色ね」というようなことを言った。
どの時か私にはわかった。

考えてみると母は不思議な人だった。