忘れそうなことなので書いておこう。
1965年というと中学生か高校生の頃だ。
最初に聴いたアメリカンフォークソングは何だったろう?
その頃は兄が聴いていたのを又聞きしていた。だから兄にきいてみるのが手っ取り早いの
だろうけれど、そうなると自分の記憶ではなくなってしまうので、思い出してみよう。
古そうなのでは、Kingston Trioの「Tom Dooly」だろうか。あるいはThe Highwaymenの
「漕げよマイケル Michael Row the boat ashore」あたりか。今読むとおかしな名前だ。
「漕げよ!マイケル」「やだよ!」「なんだよ!漕げよ!」って感じだ。
マイケルは在るであろう岸に向けてただひたすら漕いでいるだけなのに。
ほっといてやれよ、と思う。マイケルは今の自分だ。
それからPete SeagerのThis land is your landがあった。これはWoody Guthrieの曲だけれど、
ウッディ自身の歌がラジオで聴かれるようになったのはだいぶ後のように思う。
ラジオ(AM放送)でよく聴かれた曲はこのあたりの曲だと思う。
FM放送は東海大学が試験放送でステレオ放送を流していたけれど、この頃はクラシック
ばかり聴いていたせいか、FMでアメリカンフォークが流れたのは覚えていない。
60年も後期になるとブラザースフォーやPP&Mのコンサートをまるごと流していたことも
あったように思う。
テレビでも同様、PP&Mやブラザースフォーのコンサートを1時間番組で流していた。
あの頃ビデオデッキがあったらさぞかし貴重な録画ができたと思う。
70年前後は日本のフォークも盛んになってきたと同時に著作権の問題も起きてきた
ように思う。記憶にあるのは1972年のFM東海(か東京)の放送でPink Floydの東京公演
のThe Dark Side of the Moonを流したことがあった。その録音が残っているが、アナウンサーは
「これはいったいどこのバンドのなんという曲なんでしょうか・・・」と言っていた。
話を元に戻してフォークソングだけれど、評論家という人達がいた。
その人達の影響は強かった。
嘘も平気で言っていた。
Bob Dylanがエレキギターを持ってステージに上がって客からのブーイングに泣き泣き
ステージを降りた、とかいう話も当時は真実として語られていた。
誰が言ったか知らないが、その評論家の一人だ。
あとで映像を見たが客には大受けだった。
レコードには歌詞カードが必ず入っていたが、大嘘だった。
ほとんどでたらめに近い英語の歌詞もあった。
フォークソング歌集も出ていた。
アメリカ人でも知らなそうな古い歌が載った歌集もあった。
ギターコードが付いていたものもあるが、ほとんど大嘘だった。
当時まともな教則本として有名だったのがPete Seegerのバンジョー教則本だ。
ギターのことも少し書かれていた。
これはしかし教則本というよりも歴史書に近いようなものだったと記憶する。
フレーリングの類の弾き方やフィンガーピッキングの方法が楽譜と共に書かれていた。
この本はサイズが大きかった。あれは何サイズと言うのだろう?
A3とA4の中間くらいだったように思う。
その本にはブルーグラスバンジョーの弾き方はほとんど書かれていなかったように思う。
ブルーグラスバンジョーの教則本には東理夫のすばらしい本があった。
この本を最初からまじめにやっていくとかなり上達した。
特にスクラッグススタイルやドンレノスタイルやその当時の最新の弾き方が楽譜付きで
1曲全部紹介されていた。
ギターの方はPP&Mのギター教則本が出ていたと思う。・・・思う。
私は音楽雑誌についていた付録の教則本で練習した。
この教則本はすごかった。曲は有名なところは網羅していた。フィンガーピッキングも
きちんとした楽譜で出ていた。むしろきちんとしすぎて弾けないところもあった。
私のフィンガーピッキングは全部これで勉強したようなものだ。
PP&M以外のバンド、Brothers FourやKingston Trioなどは一応楽譜があった。アメリカの
出版社の楽譜だった。しかしコードも弾き方もほんとうだろうか?と思わせる内容だったと思う。
・・・あれでほんとうに弾けたのだろうか?
だいたいキーのままのコードで書かれていたから、カポ付きで書かれていたそのPP&Mの
教則本とは違い1カポのGで書けばいいものをG#から始まっていた。
そんな事情だったので、あの頃はみなレコードを聴いてとっていた。
それも当時の事情があって、すんなりとは行かなかった。
まずレコードプレーヤーの回転がいいかげん。
当時はほとんどアナログ制御だったので(クリスタルを使っていたとしても)聴いているうちに
微妙に回転数が変わってきた。
それに加えて音をとっているギターのチューニングも当時はチューナーというものは無く、
音叉か笛(ハーモニカの1音だけのやつ)で合わせていた。これがけっこういい加減。
なので微妙なコードはまず聞き取れなかった。
今だとCDとチューナーで合わせたギターは素晴らしく響きあうのがわかる。
それで最初に戻って、This Land is Your Landだけれど、これをみな歌っていた。
特に何も考えずfrom California to the NewYour island・・・だ。
当時の基本姿勢として、歌の内容はあまり考えない、というのがあったように思う。
反戦歌も古い民謡も外国の歌も同じように歌っていた。
たぶんPP&Mの日本公演の時が最初だと思うけれどThis Landの歌の時に日本の
地名を入れて歌った。From Okinawa to Hokkaidoと歌っていた。
それからだと思う。この歌を歌うときに皆意識し出したのは。
「ああ、これはアメリカの歌なんだ」と。
それからみなこのPP&M版の歌詞で歌ったように思う。
Mike Seegerの来日の時もその沖縄が入った歌詞だったように思う。
1965年~1970年頃の学校やアマチュアのコンサートは今考えるとひどいものだった。
・・・日本のフォークソングという流れも同時平行してあったのだけどね。オリジナルの歌を
歌い始めた日本人のフォークシンガーが同じ頃生まれていた。
どうもそれとは別の流れでアメリカン(外国)フォークはあったように思う。
PP&M,Kingston Trio,Brothers Four,Bob Dlylan,Donovan,Joan Baez,,,,,etc.
このあたりのバンド、グループのファンの人達はどうも吉田拓郎、かぐや姫などの流れ
とは別のように思う。
それでアメリカンフォークではあったのだけど、誰もが英語に堪能であるわけではなく、
むしろあまり得意でない人が多かったように思う。
当時色々な学校の文化祭や学園祭に行ったけれど、ほんとにひどい英語で歌っている
人達もいた。ほとんどカタカナで書かれた歌詞カードをそのまま歌っていた。
あるいは英語の発音がわからないからローマ字読みで歌っている人達もいた。
今でもはっきり覚えているのはある学校の学園祭でブラザーズフォーの「北京の55日」
を歌っていたグループだ。「ポネ、ポネポネポネ・・」と歌っていた。
その前になんで北京の55日だ?と、今思うけれど。当時は流行っていたのだろう。
その頃の流れで今もやってる人達もいるわけで、当時のまま演奏し歌っている。
各地のライブスポットでは今でもそれが聴ける。いや、ポネポネが聴けるかどうかは
わからないけれど、似たような英語発音は聴ける。
最近その手のライブに一日いた。
うまい人もいるし、そうでない人もいる。
ポリシーをもった人もいるし、そうでない人もいる。
時間が止まっているようでもあり、
確実に時間においていかれているようでもある。
しかし、これが我々の時間の先端なのだと思う。