10/30/2024

Aiは自分を人工知能だとは言っていない、件2

 従弟はこれを『とても「秀才的」な答えでした。』と言っています。
私もそう思います。
しかしどこかに人工知能らしいところはないだろうか?
と探してみました。
まず一番最後のところ、
It’s not fully accurate, but it has a legacy and a vision for where the field could go.
ここちょっとひっかかりました。
これちょっと自信ありげというか自慢げに言ってないだろうか。
Aiにはこれまでの蓄積と未来のビジョンがあるんだぜい
と言っているように聞こえます。
気のせいかもしれないけれど。

もうひとつ
Many are concerned about potential downsides, like privacy issues, job displacement, and decision-making fairness. The term “AI” can sometimes evoke these fears, even though it’s just technology.
ここでAiは既にプライバシー問題や職を失うことや決断の正当性などが
人間にとって恐怖だと知っているわけです。
これは考えてみるとちょっと怖いです。
おそらく膨大な社会情報を元に判断しているのでしょうが、
人間がどういう恐怖を持っているか知っている。
それは単なる技術(just technology)なんかじゃないと思う。

Aiは自分を人工知能だとは言っていない、件

 従弟にAiについての疑問を送ったら、
ChatGPTにその疑問を投げかけた結果を送ってくれました。
ChatGPTがAi(人工知能)かどうかは別問題として、
Aiの代表として質問したら答えてくれそうだからです。
その全文がこれです。Tというのは従弟です。
英語の下にこの英文をAiとされているGoogle翻訳にかけた
日本語を置きます。

T:
Hi ChatGPT, 

I would like to ask you: A.I. is only a computerized processing. In stead of that, many people say, A.I., A.I. and A.I.. Why? Is this a conspiracy?

ChatGPT:

Hi! That's an interesting question. AI (artificial intelligence) certainly has become a major topic, and it’s true that it’s based on computerized processing, algorithms, and data. But there's more to why AI is so frequently discussed:

1. **Potential for Impact**: AI has advanced significantly in recent years and now powers many tools and systems across industries, from healthcare to entertainment. People talk about AI a lot because it has the potential to change the way we live, work, and interact with technology on a large scale.

2. **Perception and Hype**: AI is often portrayed as futuristic and powerful in media, creating excitement—and sometimes fear—about what it can do. Movies and stories also add to the mystique of AI, showing it as something more than “just” computerized processing.

3. **Investment and Innovation**: Tech companies are investing heavily in AI, which drives both research and marketing. This adds to the visibility of AI and emphasizes its importance. 

4. **Ethics and Risks**: Many are concerned about potential downsides, like privacy issues, job displacement, and decision-making fairness. The term “AI” can sometimes evoke these fears, even though it’s just technology.

While there’s no conspiracy, AI's widespread use and the surrounding hype make it a popular topic. It’s a transformative tool, but like any technology, it’s worth understanding its true capabilities—and its limits—before drawing conclusions.

Q:

A.I.'s "Intelligence" should have the ability of thinking and feeling that human being did. But I doubt if A.I. can do so. Look, even ChatGPT can only process the given data. Am I wrong?

ChatGPT:

You're absolutely right to question this! AI's "intelligence" is indeed very different from human intelligence. Here’s how they differ:

1. **No Real Understanding or Feelings**: AI, including ChatGPT, doesn’t actually “understand” or “feel” things the way humans do. It analyzes data and detects patterns, but it doesn’t have consciousness, emotions, or subjective experiences. So when an AI appears “thoughtful” or “empathetic,” it’s really just following programmed rules and patterns based on the language it has processed.

2. **Data Processing, Not Thought**: AI can simulate responses by statistically analyzing vast amounts of data to predict what comes next in a conversation or task. However, it lacks awareness and personal experience. For example, if I “talk” about sadness, it’s based on language patterns, not an actual feeling.

3. **Limitations in Reasoning and Creativity**: While AI can be highly logical and can generate creative outputs, its creativity is derivative; it combines and rearranges existing information. It doesn’t have the true insight, intuition, or subjective leaps that humans do.

So, in a way, you’re correct: AI's "intelligence" is a mimicry, limited by the data it’s trained on. It can perform impressive tasks but doesn’t actually think, feel, or understand in the human sense. There’s ongoing research in AI to create more “human-like” processing, but achieving genuine thought and emotion remains far out of reach for now.

If so, why the term "A.I." needs?

That's a great question! The term "artificial intelligence" was coined back in the 1950s, when researchers were optimistic about creating machines that could mimic human problem-solving and learning. While we haven't achieved human-like intelligence, the name “AI” stuck for a few key reasons:

1. **Historical Origins**: When the field began, the goal was to create machines that could "think" in some way. The term captured the aspiration to create intelligence artificially. Though technology evolved in ways the founders didn’t fully predict, the name persisted.

2. **Marketing and Familiarity**: "AI" captures attention and interest. It implies a futuristic, powerful technology that excites people and drives investment. Companies and researchers continue to use it because it’s catchy and helps communicate that these systems are doing more than traditional programming.

3. **Wide-Ranging Field**: "AI" today refers to a broad set of technologies, from machine learning to natural language processing and robotics. Even though it doesn’t involve “intelligence” in the human sense, the term helps unify these technologies under one umbrella, making it easier to discuss developments and challenges.

4. **Aspiration for the Future**: The term “AI” still holds the hope that someday, technology may approach human-like reasoning or learning. While AI today is not genuinely intelligent, the name keeps the concept open to future advancements.

So, while today’s AI is not “intelligent” in the human sense, the term reflects the ongoing journey toward creating increasingly advanced systems. It’s not fully accurate, but it has a legacy and a vision for where the field could go.

T:
OK, thanks, by now.

You're very welcome! I'm glad we could delve into the topic. If you have more questions about AI or anything else, just reach out. Happy learning!

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Google翻訳:

T:
ChatGPTさん、こんにちは。質問させてください。AIはコンピューターによる処理に過ぎません。その代わりに、多くの人がAI、AI、AIと言います。なぜでしょうか?これは陰謀なのでしょうか?

ChatGPT:
こんにちは!興味深い質問ですね。AI(人工知能)は確かに大きな話題になっていますし、コンピューターによる処理、アルゴリズム、データに基づいていることは事実です。しかし、AIが頻繁に話題になる理由は他にもあります。

1. **影響の可能性**:AIは近年大幅に進歩し、現在では医療からエンターテイメントまで、さまざまな業界の多くのツールやシステムに利用されています。AIは私たちの生活、仕事、テクノロジーとの関わり方を大規模に変える可能性を秘めているため、人々はAIについてよく話します。

2. **認識と誇大宣伝**:AIはメディアで未来的で強力なものとして描かれることが多く、AIができることへの興奮、そして時には恐怖を生み出します。映画や物語も AI の神秘性を高め、AI が単なるコンピューター処理以上のものであることを示しています。

3. **投資とイノベーション**: テクノロジー企業は AI に多額の投資を行っており、それが研究とマーケティングの両方を推進しています。これにより AI の認知度が高まり、その重要性が強調されます。

4. **倫理とリスク**: プライバシーの問題、仕事の置き換え、意思決定の公平性など、潜在的なマイナス面を懸念する人が多くいます。AI という言葉は、単なるテクノロジーであるにもかかわらず、こうした恐怖を呼び起こすことがあります。

陰謀はありませんが、AI の広範な使用と周囲の誇大宣伝により、AI は人気の話題になっています。AI は変革をもたらすツールですが、他のテクノロジーと同様に、結論を出す前にその真の能力と限界を理解する価値があります。


T:
AI の「インテリジェンス」には、人間と同じように考え、感じる能力が必要です。しかし、AI がそうできるかどうかは疑問です。ChatGPT でさえ、与えられたデータしか処理できません。私が間違っているでしょうか?

ChatGPT:

この疑問を抱くのはまったくその通りです! AI の「知性」は確かに人間の知性とは大きく異なります。違いは次のとおりです:

1. **本当の理解や感情がない**: ChatGPT を含む AI は、実際には人間のように物事を「理解」したり「感じ」たりしません。AI はデータを分析してパターンを検出しますが、意識、感情、主観的な経験はありません。そのため、AI が「思慮深い」または「共感的」に見える場合、実際には処理した言語に基づいてプログラムされたルールとパターンに従っているだけです。

2. **思考ではなくデータ処理**: AI は膨大な量のデータを統計的に分析して応答をシミュレートし、会話やタスクで次に何が来るかを予測できます。ただし、認識と個人的な経験が欠けています。たとえば、私が悲しみについて「話す」場合、それは実際の感情ではなく言語パターンに基づいています。

3. **推論と創造性の限界**: AI は極めて論理的で創造的な出力を生成できますが、その創造性は派生的なものであり、既存の情報を組み合わせて再配置します。人間のような真の洞察力、直感、主観的な飛躍はありません。

つまり、ある意味ではあなたの言う通りです。AI の「知性」は模倣であり、トレーニングに使用したデータによって制限されます。AI は素晴らしいタスクを実行できますが、人間の感覚で実際に考えたり、感じたり、理解したりすることはありません。AI では、より「人間のような」処理を実現するための研究が進行中ですが、本物の思考と感情を実現することは、今のところは遠い道のりです。


T:
そうであれば、なぜ「A.I.」という用語が必要なのでしょうか?

ChatGPT:

それは素晴らしい質問です! 「人工知能」という用語は、研究者が人間の問題解決と学習を模倣できる機械の作成に楽観的だった 1950 年代に造られました。人間のような知能は実現していませんが、「AI」という名前が定着したのには、いくつかの重要な理由があります。

1. **歴史的起源**: この分野が始まったとき、目標は何らかの方法で「考える」ことができる機械を作ることでした。この用語は、人工的に知能を作りたいという願望を捉えたものです。テクノロジーは創始者が完全に予測していなかった方法で進化しましたが、この名前は存続しました。

2. **マーケティングと親しみやすさ**: 「AI」は注目と関心を集めます。人々を興奮させ、投資を促す未来的で強力なテクノロジーを意味します。企業や研究者は、キャッチーで、これらのシステムが従来のプログラミング以上のことを行っていることを伝えるのに役立つため、この用語を使い続けています。

3. **幅広い分野**: 「AI」は現在、機械学習から自然言語処理、ロボット工学まで、幅広いテクノロジーを指します。人間の意味での「知能」は含まれていませんが、この用語はこれらのテクノロジーを 1 つの傘の下に統合するのに役立ち、開発と課題について議論しやすくなります。

4. **将来への抱負**: 「AI」という言葉には、いつの日かテクノロジーが人間のような推論や学習に近づくかもしれないという希望がまだ込められています。現在の AI は真の意味でインテリジェントではありませんが、その名前によってこの概念は将来の進歩に開かれています。

つまり、現在の AI は人間の意味で「インテリジェント」ではありませんが、この言葉はますます高度なシステムを作成するための継続的な取り組みを反映しています。完全に正確ではありませんが、この分野がどこに向かうのかという遺産とビジョンがあります。

T:
わかりました。ありがとうございます。

ChatG"PT:

どういたしまして!このトピックについて掘り下げることができてうれしいです。AI やその他のことについてさらに質問がある場合は、お気軽にお問い合わせください。楽しい学習を!😊



10/29/2024

今日、血だらけになったこと

 午後になって妻が胸が痛い!と言い出して
「緊急病院まで連れて行って」
というのでパジャマ姿の妻を車に乗せて緊急病院まで行った。
雨で良く見えない。
病院はどうも電気が消えていてやってないらしい。
路上に車を停めて、
病院の周りを雨の中傘もささずに走り回った。
先生らしき人を見かけたのでそっちに走って行ったら
溝のようなものがあったらしく、
頭から転んだ。
「痛ってえなあ!」と思いながら起き上がって
先生の方に向かうと、頭から雨が流れている、
ああ、濡れちゃって、と思って手で拭ったら
ヌルっとしている。
街灯のあるところで見たら血だった。
顔中血だらけだった
その顔で先生に会ったもので、先生も驚いたようだ。
手に何も拭えるものを持っていなかったので
ジャケットで拭った。
でも血はどんどん流れている。
車まで戻ってティッシュをまとめて頭に当てた
でもそんなものじゃ血は止まらない。
先生が「ここは夜中しかやってないから、やってそうな病院を
調べてみます。と言って病院を調べて教えてくれた。
先生が先導してくれて病院までティッシュで頭を押さえながら
運転してなんとか行った。

病院について妻が受付で状況を話したら、もう一つ別の
救急病院を紹介された。
そこまでなんとか行って治療とCT検査をしてもらった。
結果は大丈夫ということで傷の治療と破傷風のワクチン
をうってもらった。

ところで妻の胸の痛みはそんなわけでどこかに行ってしまい、
私が「ここで見てもらおうよ」と言っても
もう大丈夫とか言って、結局帰ってきた。
なんとか無事に家まで帰れたのは良かった。

しかしその救急病院の待合室、転んだ人が私を入れて3人いた。
たぶんみな高齢者。
1時間に転ぶ人の数がすごいらしい。
気を付けなければいけない。

今日驚いた事自慢

 約2カ月ぶりにギターを弾いて歌ってみた。
ついでに録音してみた。
最初はメトロノームを入れて録音した。
でもメトロノームだとしっくりこないので
メトロノーム無しでギターを弾いて歌った。
そしたら最後のジャン!が残っていたメトロノーム付の録音
とほとんど同時だった。
「おう!」やるじゃん!
50年もギター弾いて歌ってるとリズム感も良くなるのか?

調子が良い時はチューナー無しでギターをチューニングして
メータと合わせてみると針がほぼまっすぐ上を向く。
調子が悪い時はできない。
でも
50年もギター弾いて歌ってると音感も良くなるのか?

他に何かないか? あぁ?

10/28/2024

Aiについて誰かが同じこと言ってた

 何もかにもAiということばで済ませていると前に書きましたが、
海外の人が同じことを言ってるのを従弟が教えてくれました。
https://www.inc.com/jason-aten/stop-calling-everything-ai-its-just-computers-doing-computer-stuff.html
そうだよね、「コンピュータ」でいいのにわざわざAiと言っている。
テレビの解説者などもAiと言えば格好いいだろうと思っている。
だけどAiとは何かの定義もはっきりしていないのに、
その言葉を使うのは滑稽でしかない。
上の人はChatGPTは最も有名な「Ai」だけれど、Aiではないと言っています。
OpenAiと言う会社が作っているけどAiではないと言っています。
あれは単なるアルゴリズムに従って膨大な情報を整理しているにすぎない。
日本のテレビ(の解説者)が滑稽なのはそういう表面的なことをとりあげて
「人工知能です」と言い切ってしまうことだと思う。
さらにAiによって失業する業種は何か、みたいな内容の
ことを取りあげて話題にするのはほんとうにばかげている。
まだ人工知能自体現実ではないのに。


10/27/2024

草原の実験

 という映画を観た。
2014年だそうだ。

タイトルをあまり深く考えなかった。
途中でその意味がわかった。
主人公はとても可愛らしい少女だ。
映画は全編にわたってセリフが全く無い。
誰も何もしゃべらない。
しかしストーリーは全く違和感なく伝わってくる。
最後まではとても美しい少女の恋を描いた映画
のように思っていた。
あの最後はあまりに残酷だ。
あまりに衝撃的だ。

ロシアであのような反核映画が作られたというのも驚きだ。


追記:原題はИспытание これをグーグル翻訳するとTrialとかTestとかになる。
   邦題の「草原の実験」というのはネタバレが含まれる。邦題の悪い所だ。
   単に「実験」で良かったのに。

10/26/2024

スマホはあとどんな進化をするだろう?

 結局スマホの機能ってこれまで他の機械がやってたものを継承してる
だけなんだよね。そうじゃないものってあるだろうか?
これを額に当てると熱が下がったり頭痛が収まったりしたら
それはすごいと思う。
あるいはそこまで行かなくてもスマホを額に当てると
体の情報が医師のところに直接行って診断できるとか。
そういうことができたら結構すごいと思う。
今でもそれに近いことはしてると思うけど、問診とかの返事
を送ってそれで判断してるんだと思うけど、そうじゃないて
直接体の情報を送ってくれるようになればと思う。
もう今の形状じゃなくて各センサーがスマホに組み込まれていないといけない。

翻訳なんかもまどろっこしくなくて、スマホのこっち側でしゃべると、
反対側(メインカメラが付いてる側)にあるスピーカーから
リアルタイムに翻訳された言葉が発せられるとか。
そのくらいCPUの速さが早くなれば使えるように思う。
また向こう側からしゃべってもらうと、こっち側に即日本語の
翻訳が発せられるとか。
スマホのカメラを使って車の自動運転のように周囲の状況を判断して
目の不自由な人に情報を与える、ような機能もあっていいかも。

うーーん、もっとこう画期的なものってできないだろうか。


10/25/2024

Aiって何?

 今日は妻の髪染めにつきあってショッピングセンターに行った。
終わるまでの時間暇だったので本屋に行った。
本屋を回っている間にある疑問が浮かんだ。
「Aiって何?」あるいは「Aiとは」みたいな本があるだろうか?
ということ。
それでまず自然科学の所を調べた。
しかしそういう単純な質問に答える本は無かった。
次にコンピュータ・プログラミングのところを調べた。
しかし既にAiありきで話が進んでしまい大元については
何も語られていない。
その脇にコンピュータ一般についての本が並んでいた。
さすがにそこにはAiの歴史的流れが書かれた本があった。
次に文庫、新書関係のところを見た。
文庫には無い。
新書にはAiの文字が入ったタイトルの本はいくつかあったけれど、
そこもやはり既にAiありきの話ばかりだった。
しかしその中に「Aiなき世界に戻れるか」という本があった。
これは結構ちゃんとした本に思えたのでそれを買ってきた。
まだ全部は読んでいない。

しかしわかったことは、誰も「Aiとは何か」ということを語らない、
ということだ。
「Aiはコンピュータの一種」だということすら言わない。
あるいは「Aiはコンピュータプログラムの1形態」ということすら言わない。
テレビ等ではそれが顕著だ。
「Ai」ありきで話が進む。
誰も「Aiというのはコンピュータですよね?」という疑問を投げかけない。
これをAiにやらせれば、こうなります。とか
ひどいとこでは「現在では車の運転もAiまかせですから」とか言ってしまう。
ちょっと待てAiを車に積めるのか?
まあ、いいか。
なんとかネットにつながるかもしれないから。
もしもネットに繋がらず車の中だけでやっていたら
それは「Ai」というより「コンピュータ」だろう。
まあ、そういうスタンドアローンな規模のAiがあったとしたら、
かなり限定的な能力になりそうだ。
いつか超大容量の記憶素子ができて超マルチタスクなCPUが
できたらそういうものもできるかもしれないけど。
だけどAiと言うならやはり超高速回線でインターネットに
繋がっていて、外部の情報や、他のコンピュータ、あるいはAiと
リアルタイムにつながっていてそれらを総合して判断できる
ようになっていないといけない。
そうなればそれを「Aiが運転している」と言ってもいいかもしれない。

しかしわかったことはいまのところ「Aiとはこういうもんだ」
と簡易に言うことができないということ。
Aiはコンピュータだけれども、これまでおような単一なコンピュータ
ではなく無数のコンピュータとネットワークで繋がった
巨大なコンピュータシステムだということだ。

しかし、それでもまだこう言うことはできると思う。
Aiはまだ自分で考えているとは言えない。

ネガスキャンはデジカメ撮影と同じ?

 何百枚もネガフィルムをスキャンしていると不思議な錯覚が起きる。
ネガをスキャナーに入れて1枚ずつ送りながら撮りこみスイッチを
パチパチと押して行くのだけど、時々
「この写真はいいっか」というのがあるとスイッチを押さない。
その場でシャッターを押すかどうか考えていることになる。
つまりネガに残された過去の映像をデジカメで撮っているのと
同じ行為になる。
それを考えると、過去に戻ってデジカメのシャッターを押しているのと
同じことになると思う。



10/24/2024

ネガ

 先日ハードディスクが壊れて中に入っていたデータが無くなった。
しかし他に同じものが保存されていたりしてかなりの物が復旧した。
しかしネガ写真を以前にスキャンしたものがほとんど無くなったので
もう一度スキャンしようと思いネガのスキャナーを出してきて
スキャンを始めた。
ところがスキャンされた物は全て青被りで画質も悪い。
いろいろ掃除してみたが直らない。
それで仕方なく新しいのを買った。
ディスプレーも5インチの物が付いていて、使い勝手がいい。
1枚あたり3秒くらいでできる。

問題はネガの数だ。
一体何枚あるんだろう?
この4日で600枚くらいはやった。
でもまだその4倍くらい残ってる。

やり直していて気が付くのは、
「これ一体どこだろう?」ということ。
自分も写っていて家族も写っているけれど、
全く記憶に無い。
誰かに聞くしかない。

スキャナーが新しいと色も画質もきれいだ。
そういえば最初はフラットベッドでスキャンしていた。
あれも手間がかかった。
ああ、その後電動のスキャナーを買ったんだ。
自動で送ってくれるやつ。
だけど、その全てより今のスキャナーの方がきれいに思える。

ネガには今はもういない人もたくさん写っている。
見ていると不思議な気がする。
まるで生き生きとそこにいるから。

子供達はこんなスキャンをすることは無いだろう
みんなデジタルなんだから。

10/21/2024

10・21

 国際反戦デー
高校2年生の私が友人から誘われて
高校生反戦協議会のデモに加わったのは
確かこの日じゃなかったろうか。
あんまり覚えていないのだけれど
べ平連というのを知ったのもその頃かもしれない。
次の日の学校では特にそのことは言われなかった。
しかし何も覚えていない。
いや、ちょっと待てよ、同じ日に新宿の米軍ジェット燃料火災
っていうのがあったんじゃなかったかなあ。
私とその友人はデモに行ったのだけど、
その燃料貨車の火災の消火に協力した高校生一団がいた。
それがうちの高校の登山部の連中だった。
まあ、見方によってはかなり反動的な(笑)行動だったと
思うのだけど、後で表彰されたらしい。
でも登山部がそこにいたのは学校には内緒のことだったらしい。
その登山部の先生が英語の先生だったのだけど、
学校に登山届を出さずに勝手に登山を許可してしまったとか。
でも後でニュースでわかってしまって、どうしたこうした・・・

方や反戦デモに加わった不良学生、
方や表彰された優良学生、
しかしまあ、デモに参加してたことがわかったら
何かあっただろうな、学校から。



テレビは終わっているのか?

 もうテレビはほとんど見なくなった。
ニュースの時間にニュースは見る。
あとは日曜美術館をたまに気が向いたら。
朝ご飯を食べながらジュン散歩くらい。

その他の時間は
芸人とゲストが大笑いしている。
どうでもい土地を大勢で歩いている。
バラエティーなのかニュースなのかわからない。
報道番組と言いながら延々とCMが流れる。
ネットでさんざん見た映像をネタに何かワイワイやってる。
その他の時間は誰かが何かを食べている。

この誰かが何かを食べてるシーンが実に多いように思う。

そういうわけであまり見ない。
テレビ



10/20/2024

「ベニスに死す」とか

 今日映画ファンのFBに「ベニスに死す」のことが書かれていた。
問題はその投稿ではなく、そのコメント欄だ。
ほとんどの人があの映画は理解できない、と書いている。
そうだろうね、とは思う。
我々が女装趣味を理解できないというのと同じでしょう。
我々、って言っちゃったけど違う人もいるだろうな。
だいたいあの映画の少年は少し年齢が上過ぎる。
あと3,4歳は若くなければいけない。
彼が何歳知らないけど小説では確か12歳だ。
どこかで書いたかもしれないけど

12歳という少年はちょっと特殊だ。
もっと小さな子供や、もう少し歳の行った少年に比べて
12歳の少年はたぶん特別な領域にいるんだと思う。
だけど、あの映画が理解できない人は小説も理解できないと思う。
それは圧倒的な事実だ。
なぜなら12歳の少年を知らないから。
いや、母親ならわかるかな。
小学校6年になる頃の子供を知っているから。
父親はどうだろう?
よっぽど特殊な父親でなければ12歳の少年ということに
気が付かないんじゃないだろうか。
12歳という非常に短い期間しか存在しない「少年」に
気が付かなければ絶対に理解できない。
日本では「美少年大会」とかなんだかやってるけど
あれは美少年であって「少年」ではない、
まして12歳でもない。
だいたい「美」って何だ。

自分が12歳だった時を覚えている。
とてもはっきりと覚えている。
なぜ覚えているか正確には伝えられないけれど、
自分が12歳の少年だということを自覚していたからだと思う。
その頃私は小学生だった。
同じ学校にもう一人自分が12歳の少年だと理解していた少年がいた。
その少年とは会うたびに挨拶を交わした。
クラスも別で名前さえ知らないのに。
いや、言葉さえ交わしたことは何度かしかない。
だけど彼は自分が12歳の少年だということをわかっていた。
だから私に挨拶をするのだ。
その少年の声を覚えている。
その少年の横顔を覚えている。
その少年の手の感触を覚えている。
(サッカーのチームで一度一緒になって輪を組んだ)

小学校を卒業して別の中学になり、
その少年のことは忘れた。
一度小学校のグランドで野球をしていたのを見かけた。
彼は私には気が付かなかった。
その時私は12歳が終わったことを知った。


世界旅行(続きの続き)

 あの女性はLAまで消化し、今サンフランシスコに向かっている。
LAはとにかく何もかも雑で治安も悪く、
浮浪者が多い、汚い、
だそうだ。
でも無事に見たいところを見れて良かった。
シンガポール、香港、ロンドン、カイロ、ローマ、マドリード、
バルセロナ、ニューヨーク、シアトル、ラスベガス、ロスアンジェルス
まで来て、次はサンフランシスコだ。

サンフランシスコも荒れているという話なので
ちょっと心配している。
しかしそんなに英語も堪能ではないのに、よくもまあ
ヨーロッパからアメリカまで一人で行くなあー、と思う。
私は出不精だし飛行機嫌いだから行かないけど。

思い出してみると一緒になる前から世界旅行に行くって
よく言っていた。
だいたい香港という場所が多言語だし、
まあ、なんとかなるだろう的な雰囲気だから
その乗りなんだろうな。

10/18/2024

喉の違和感と頭の不具合

 数日前から喉に何かできているような感触があった。
それがどうも朝をパンからシリアルに変えた頃からだ。
昨日などはっきりと何か詰まってるという感じだったので、
今日歯医者のついでに耳鼻咽喉科に行ってきた。
歯医者から近いところにしたのだが、それはどうも良くなかった。
小さな子供連れの親子ばかりが来ていた。
順番は10番目くらい。
そのうち一人のお母さんが子供に本の読み聞かせを始めた。
結構大きな声で。
受付の女性もどうしたものかという顔をしていた。
温厚な私はあんまり気にしなかったけど。

1時間くらいでやっと順番が回ってきて、
やたらと明るい女性の先生だった。
てきぱきとカメラで喉を見てくれて、
「大丈夫です」と。
「ただ声帯が半分動いてません」と言う。
あれ?このシーンどこかであったなぁ
と思い出した。
2年前にやはり同じ症状で横須賀の耳鼻咽喉科に行った。
その時と同じだ。
「大丈夫、特に問題はありません」
「ただ声帯が半分しか動いていません」と言われた。
同じことを言われた。

「そういえば2年前に同じことを言われました」と言ったら
その2年間何も起きてないんだから大丈夫でしょう。
癌だったらとっくにどうかなってます。と
その違和感が声帯のせいかどうかわからないけど、
喉は全く異常は無いようで安心した。

そんなわけで、そんなことをすっかり忘れていた頭の方に
問題いがありそうだ。

10/17/2024

暑い秋 昭和は遠くなりにけり

 その前に「明治は遠く・・」というのは何だったっけ?
と思って調べたら、中村草田男だった。
「降る雪や明治は遠くなりにけり」
どういう心境だったんだろう?
考えてみるとおかしなことだ。
彼がこの詩を詠んだのは昭和6年だ。
大正を挟んで明治のことを言っている。
令和に入って平成を挟んで昭和のことを言っているようなものだ。

昭和と言う時代自体は懐かしいとは思わない。
なんか街もなにもかも汚かったという記憶しかない。
渋谷も新宿も、もちろん上野も汚かった。
あの頃、きれいだな、と思った町はどこだろう?
札幌かもしれない。
札幌が汚かったという記憶はあんまりない。
あとはなぜかあんまり綺麗という印象が無い。
仙台も広島も神戸も大阪も名古屋も。
記憶の中の何かが操作しているのかもしれないが。

今昭和の写真とか見ると怖い。
写真に写っている過去のリアルが怖い。
たしかにこういう時代だったということはわかる。
それを認めるのが怖い。

一体何年前だよ!
そんなに時間が経ってるのか!
ということを実感するのが怖い
だから決して言わないだろう
「昭和は遠くなりにけり」などとは

今こうして2024年の現在を生きていることは
半分くらい夢のような気がする
あと半分は昭和を引きずっている
いまでもあそこに行けば誰かがいるような気がする
それで行ってみる
誰かがいるわけないのに
だけどその場所は覚えているような気がする
その場所が私のことを覚えているような気がする
忘れないで欲しいからまた行ってしまう

10/16/2024

誰も知らない話

 さっき思いついて、昔、一番最初に努めた札幌の会社の
人達の名前を思い出してみた。
最初に思い出したのはパートの人達(おばちゃん)だ。
今からすれば若い女性陣、皆50歳まで行ってなかったと思う。
フクダさんという人がいた。
福田さんは当時25歳くらいだったと思う。
フクダさんはトモコと言った。
その隣がイシイさん。たぶん30後半。
名前は思い出せない。
それから私が入ってからほどなくやめた人がいた。
皆から「アネゴ」と呼ばれていた人。
23くらい。
一緒にドライブしたことがあった。
支笏湖を回ってそのまま帰ってきた。
苗字も名前も思い出せない。
・・・いや、突然思い出した。
コガさんだ。名前は思い出せない。

それからクサカさん。
クサカさんはセツコだ。45歳くらいかな。
何度か家に遊びに行った。
息子さんは佐川急便で働いていた。
矢沢永吉のレコードを貸してくれた。
ライブ盤だった。
カドヤさんという一番年配の人がいた。
50は過ぎてた。
名前は思い出せない。
エホバの信者だった。
好きな人ではなかった。
カナヤさん。
カナヤさんはミエと言った。
みんなに「ミー」と呼ばれて人気があった。
ミーは20歳だった。
男の人でナヤさんがいた。
確かシゲオだ。
この人も20そこそこだった。
手稲に住んでいた。
話相手だったけれど私が入ってほどなく辞めた。
工場長はヨシノさんと言った。
名前を思い出せない。
「ヤスシ」だったような気がするけど、
ヤスシは私がついていた学校の先生の名前だったから
勘違いかもしれない。
でもヤスシのような気がする。
もうひとりイシイさんがいた。
こっちも名前は思い出せない。
ハラさんがいた。
原さんはもともと東京の人だった。
彼女の息子さんとその友人と車で東京まで一緒に走った
ことがあった。原さんもけっこう年配だった。
4年目くらいから入ってきた若い女性がいた。
たぶん一番の美人だった。
ほとんど話したことが無かった。
フクダさんと仲が良かった。
もう一人いたけど名前を思い出せない。

それだけ思い出せた。
しかし、札幌から東京に戻って働いた頃の会社の方は
名前をほとんど思い出せない。
思い出さない。
・・・思い出したくない。

その頃の得意先の会社の人の名前も前に思い出して
書き出してみたことがある。
それも4、5人しか思い出せなかった。
思い出したのはみな世話になった人たちだ。
頭の中ほとんど仕事だったからなあ、
ほんとに辛かった

10/14/2024

世界旅行(続き)

 世界旅行してる女性は今ニューヨークにいて、
これからシアトルに向かうらしい。
これまでのところ航空会社の扱いは全てビジネス扱い
だったらしいけど、どこだかの飛行機はビジネス扱いで
先に搭乗できたけどシートは普通のシートだったらしい。
ただ隣には誰も来なかったとか。
欧州からニューヨークへの飛行機はすごく良かったとか、
ほぼ個室の様なシートでもちろんフルフラットになる。
個人用の小物入れとかなんだかんだ付いてて
ファーストクラス並みだったとか。

ニューヨークでミュージカルとライブを聴いたらしい。
バリー・マニロー?バニー・マリロー??どっちか。
隣のおばさんが雑巾の匂いがするとか。
確かにそういう匂いのするアメリカ人いるね。
あと欧州は皆シュっとしているのに、アメリカに入った
とたんデブばっかしだと。
そうだね、飛んでもないデブがいるよね。

ニューヨークからシアトルはアラスカ航空だとか。
どんなやつか報告待ち。




 最近目はどうだろう?
今年眼鏡を作り直したのだけど、かけてもかけなくても
そんなに変わらない。
まあ、乱視だから遠くの景色の細かなところはにじむけど
深刻な状態じゃない。
車を運転するときは一応メガネはする。
近くは見えにくい。
メガネも遠近にしたのだけど、近くは見えにくい。
近くの小さな文字を読むときは100均の老眼鏡
をしている。

若い頃と違うところは、
遠くが裸眼でもよく見えるようになったこと。
近くが見えなくなったこと。
以前はプリント基板のピン間4本の線の割れ目
たぶん100分の1mm以下を見つけることができた。
今は絶対に無理。

右目は相変わらず上半分が真っ暗だけれど、
全く支障なく見えている。
子供の頃も右目で顕微鏡とか望遠鏡とか見ると
何か変だ、とは気づいていた。
だからそういう時は左目を使っていた。
はっきりそれに気づいたのはもう40歳くらいだったから
全く支障なく生きていたんだと思う。
人間の視野の補完能力というのはすごいと思う。


10/13/2024

たぶん耳は若いころに比べたらずいぶん劣化していると思う。
普段は、というか頑張ってもどれくらい劣化しているか
わからないけれど、
あるサイトでサイン波を周波数を変えて出してくれるところがあった。
試しにやってみた。
上は、もう10000Hzは無理、せいぜい7000Hzくらい。
これ本当に出てるのか?と思ってマイクと周波数カウンター
で確認した。

昔、若い頃(オーディオの仕事をしてた頃)は18000Hzは聞こえた。
その頃はファンクション・ジェネレータと周波数カウンターがあった。
つまり今は昔の半分以下の高さの音しか聞こえないのだ。
これではもう「いい音」とか言えない。
音が出ているのが聞こえれば御の字だ。

中学3年の時、クラシック音楽が好きだった。
当時はラジオのFM放送あるいはAM放送でクラシック番組を
聞いていた。当然音はいいわけがない。
それがあるときテレビの公開録画の応募に当たった。
日本フィルの番組だった。
その時は、早目に行って並んだ。
そして会場が開くと同時に走って一番前の真ん中の席をとった。

当然オーケストラの後ろの方はよく見えなかった。
でも左のバイオリンはすぐそばだった。
曲「田園」が始まった瞬間、
その音に驚いた。
あの経験はほんとにすごかった。
今までラジオでしか聞いたことのなかった
ストリングスが目の前で鳴っていた。
そのキメの細かさと、弓をこする音、
ほんとにびっくりした。

あれは中学生の耳はたぶん20000Hzくらいまで聞こえていたのだと思う。
倍音のさらに倍音くらいまで聞こえていたのだと思う。
あの時の感動はもう二度と得られないのが寂しい。
最近オーケストラを聞きに行っても、
レコードと同じようにしか聞こえない。

それから、静寂の音ってあるね。
若い頃はほんとに静かなところに行くと
耳にシーンという音が聞こえた。
しかしよっぽど静かなところでないと聞こえない。
最近はこうしていても聞こえる、
「シーン、シーン」と鳴っている。
別に静かな状態でなくても聞こえている。
聞こえなくなるのはヘッドフォンで音楽を聴いている時くらい。
それくらい「シーン」と言ってる。
これも耳鳴りなんだろうか?
いや、これが耳鳴りなんだろうか?

10/11/2024

箱根までドライブ

 妻はバルセロナ、明日はアメリカに向かう予定。
しかし普通ならビジネスで飛行機に乗るのにすごいお金がかかるのに、
どうして全行程で1航路分くらいの旅費で全部ビジネスに乗れるのか?
謎だ。

私はと言えば思い立って箱根にドライブした。
なんてことはない逗子から海沿いをずっと走って
ターンパイクから玄岳まで往復だ。
玄岳はハンググライダーのテイクオフがある。
丹那と呼ばれているところだ。
そこまで行った。
そこに行くのはもう何度目かわからないけれど、
そこから誰かハングで飛んでいたのは1回しかない。
後は風が悪くて飛んでなかった。
今日も追い風だから誰も飛んでいなかった。

しばらく富士山と一緒にテイクオフの斜面に立って
眺めていた。
すると大型バイクに乗った人が後ろにバイクを止めて
写真を撮り始めた。
私は邪魔になるので横にどいたら、
「あー、すみません」って。
ナンバーが徳山だった。
「四国からですか?」と聞くと、ずっとほぼ高速を使って
昨日は富士山、今日は箱根に来たとか。
その人もパラグライダーのタンデムの経験があり、
しかもグライダー(ソアラー)の練習をしてるとか。
モーター付きのグライダーらしい。
あのグライダーはちゃんとした免許が必要らしい。

その人はまたバイクに乗って下田方面に向かって走って行った。
出て行くときに手を振っていた。
私も手を振った。

あの人まだ40くらいだな。



10/10/2024

世界旅行

 妻が一人で世界旅行に出かけて15日目。
ちょうど半分。
前回はツアーだったから何の心配もしていなかったけど、
今回は全く一人で歩いてる。
シンガポール、香港、ロンドン、カイロ、ローマ、マドリード、
バルセロナで今バルセロナにいるらしい。
さっき4 catとかいうお店でパエリア食べてた。
スペインは誰も英語で応えてくれないとか嘆いていた。
カイロ以外はホテルも食事も良かったらしい。
カイロは最悪だったとか。
飛行機は全部ビジネスでゆったりしてるとか。
土曜日からアメリカだ。
アメリカに12日くらいいるらしい。
そんなに危ないところには行かないから大丈夫だとは思う。
しかし無事に帰ってくるまで、実はかなり心配している。

私は家にいる。
海外には行きたくない。
最後に行ったのは息子と行ったアメリカだ。
もうすごく昔だ。
それからは海外へは行ってない。
北海道には何度も行ってる。
一応、海の向こう
東海の小島


10/09/2024

Long Long Time

 今朝からこの曲を何度も聴いている。
リンダ・ロンシュタットのではなくメラニー・サフカの、
YouTubeで何度も聴いていて、ふとコメントに目をやったら
RIPとか書いてあった。
え?!亡くなったんだっけ?
と思って調べたら1月に76歳で亡くなっていた。
私は知ってたっけ?
いや、知ってたはずだ。
だけどすっかりそんなことは忘れている。
今改めてショックだ。

そうかもういないのか?
ルビー・チューズデイは居なくなってしまった。
・・・どこか書いたな、確か、
ということを思い出した。

まあ、しょうがないな。
あのかすれた声を生で聞く機会は永遠に失われたということだ



考えたのだけど

今日は雨
ちょっと寒い

何もする気が無いと、一日中パソコンに向かって
画面を眺めている
興味深いのもあれば、どうでもいいものもある
しかし、これは悪いことなのか?
それじゃあですね、一日中本を読んでいるというのはどうなの?
本を読んで時間をつぶすことが高尚なことで
ネット巡りをしていることは「無駄」なの?
それじゃあですねぇ、ネットで川端康成の「雪国」とか
読んでることはどうなの?
同じだよね

「アー!今日はネットで一日無駄にしてしまったぁ~!」
とかよく聞くけど、
「アー!今日は読書で一日無駄にしてしまったぁ~!」
というのはあまり聞かない
だけどどっちも同じだ
時間の無駄だ
人生の無駄遣いだ

じゃあ、こうしてブログを書いているのはどうなの?
これはクリエイティブなことなの?
川端さんが書斎にこもって小説を書いてることはどうなの?
クリエイティブなことなの?
たぶんどっちも無駄だ
人生の無駄遣いだ



10/07/2024

時計が好きだ

 今部屋に時計が5つある。
壁に2つ。置時計が3つ。
たぶんクローゼットに掛け時計が2つあるはず。
この前裏磐梯のダリ美術館でお土産にグニャっとした時計
を買ってしまった。
時計を見ると欲しくなってしまう。
以前は腕時計だったけれど今は置時計だ。

それはそうとして、時計はアナログ(丸いやつ)でないと
だめだと思う。
息子などはデジタルでないとわからないというが、
丸いやつでないと間隔がわからない。
「1時までにあと20分」などと言うときには
デジタルでは全く感覚がつかめない。

時間が存在するかどうかは置いといて、
時間はあんなふうに数字が変わるようには動いていない。
連続した時間軸の上を(上?)動いている。(動いている?)
だから丸い時計の方が時間というものをとらえるのは
いいと思う。

反対にデジタルしか読めない人は一体どういうふうに
時間をとらえているのだろう?
「1時まであと30分」と言う時感覚的にはどう感じているのだろう?
私の場合は明らかに映像だ。
短い針が12時あたりにあって、長い針が真下にある。
その映像がすぐに浮かぶ。
しかし彼らはそれをどういう風に頭に描いているのだろう?
今度息子に聞いてみよう。

Aiについて

 きのうテレビを見ていて「おう!そうか!」と思ったことを
今朝になって「何を思っていたんだっけ?」と
思い出せなかった。
それが今急に思い出したので書いておこう。

1990年ごろに自動車部品メーカーからの依頼で、
自動運転のシステムの開発をやった。
やったと言っても私はほとんど関与せず、ソフトの人達が
やっていた。私は現地(工場)で打ち合わせしたり、ソフトとの
中継ぎをしていただけだ。

その頃の基本的方法は、
道路の白線を映像でとらえ道の方向を感知して、
どちらの方向に向かうかを車に指示する。
という方法だった。
その頃に使っていたコンピュータはNECのFC9001。
今から考えると非常に遅い。
非常にというか、もうとんでもなく遅い。
ハードウェア的に車にセンサーを付けた方がいいんじゃないかと
思うほどだった。
ソフトの人は時々道の白線が途切れたり、無かったりするので
それの処理が大変だった。

ということをやっていたけれど、結局コンピュータが遅すぎて
まともな結果は得られなかった。多分スーパーコンピュータみたいな
ものでやればよかったのだろうけれど、車に積めるということを
考えてパソコンレベルのコンピュータだったのだろう。

それが現在のコンピュータはその時代からするとかなり早い、
もうとんでもなく速い。
だから今だったら当時の手法でも何かできたかもしれない。

それが昨日テレビを見ていてわかったのは、
Ai(と言われているコンピュータ)はそんなことはしていない。
見える景色を言葉としてとらえている。
その言葉によってどう行動するかを考えている。

これは人間がやってることと同じだ。
たとえば、
交差点にいる、進行方向の信号は青、右の信号は赤、左の信号は赤
横断歩道手前に人が立っている。右横に車がいる。左に自転車がいる。
進行方向の道路に車はいない。
・・・とかなんとかを言葉として認識している。
これだとセンサーは必要無い。
ただそのほかに道路の形状や何かも認識する必要はある。

これはちょっと意外だった。というか頭が古かった。
これはたぶん究極的なオブジェクト指向だと思う。
コンピュータが早いといろいろなことができる。
昔さんざん苦労した画像検査も瞬時にできそうだ。

あとは量子コンピュータが入ってきたらどうなるか
興味があるところだ。

10/06/2024

何もできない

 どうもこのところ何もできない。
ただいたずらに時間が過ぎて行く。
ちょっと前までは「まあ、それもいいんじゃないか」
と思っていたけれど、このところほんとに何もする気が起きない。
だからちょっと車を走らせてみたりしている。
でも全く建設的じゃない。
建設的の反対語は?
・・・「破壊的」「後ろ向き」「否定的」 だって。?
違うなあ「怠惰的」「無気力的」「どうでもいい的」とかの方が
ぴったりくる。
建設的は創造的?
ま、いいか。
とにかくそんな感じ

何かやらなくちゃいけない、
という気持ちがいつもひっかかっている。
そう、もう先も見えてるんだから
1.何もしないで過ごす
2.何か創造的なことをする。
3.何か創造的っぽいことをしてごまかす
4.やり慣れた何かをやってごまかす
5.上記を考えているという体で過ごす

のどれか

10/05/2024

天国のことを考えてみよう

 どうでもいいことだけど

「向こうでまた会いましょう!」とか
「天国で母に会いたい」とか
言うけれど、相手はどう思っているんだろう?
つまり「天国で両親に会いたい」とか思ってるっていうことは
両親は”親”の状態で天国にいると思っているわけで、
自分はその”子供”の状態で会うというのを想定している。
しかし親にしても彼らの両親がいるわけで、
またその彼らもその両親がいる。
それがずーーとつながっていて
天国には相当多くの肉親・親戚が集まっていることになる。
しかもたぶんみな高齢者だ。
幼くして亡くなった人たちもまあその中にいるのだろうけど。
天国も高齢者世界だろう。
私の親関係者だけでも数万人はいそうだ。もっとか?
まあ人類が何万年前に生まれたかにもよるけど、

それでだけど、かなり前までさかのぼると世界中の人が
かなり少数の親にたどり着くんじゃないだろうか?
世界中の最近死んだ人はその巨大家族に含まれることになる。
つまり天国では国籍も年齢も関係なくただ一組の両親
から派生した大勢の人達が一堂に会することになる。
「天国なんて無いと思ってごらん」とか言ってる場合じゃない。

ひとつ問題はその大勢の人達が一堂に会する場所があるかという問題だ。
おそらく3次元的な空間をイメージしたらすぐに満杯になってしまう。
だから、おそらくフラクタルの構造というかマンデルブローのような
構造になっていて、奥行きは無限にあるのだと思う。
それであれば何人いようと関係ない。

天国に行ったら謝らなければいけない人がたくさん居そうだ。
まず謝罪会見を開かないといけない。
天国に入るのはそれからだ。
それで許してもらえなかったら、
一人で天国の旅に出よう
どこかで同じようなやつに会うかもしれないし
天国で一人旅もまたいいかもしれない。