9/03/2019

高槻 1961年

高槻に居た1年間というのは1961年だった。
その1961年の航空写真があった。
家があったところは新しく住宅が立ち始めていたところだったのがよくわかる。
真ん中の矢印が家だ。
そういえばこのエリアはまだ更地のところが多かった。
でもこの写真よりは家は建っていたように思う。
家の縁側からは直接国道が見えた。
このまえ(6月)行った時はもう家がびっしり建っていて国道は見えなかった。
国道を少し京都寄りに行くとオアシスというレストランがあった。
家の向かい側の国道の向こう側はネコスという椅子を作っている工場だった。
そのもう少し京都よりにユアサ電池の工場があった。
だめになった電池がたくさん捨てられていて、それを拾ってきて
残った電気で遊んだ記憶がある。
それから、そこだったか、もう少し京都寄りだったかに
工事中の場所があって、レールにトロッコが置いてあった。
友達とそれに乗って遊んでいたら男の人が来て怒られた記憶がある。
先日行った景色と比べるとずいぶん変わってしまっている。

同じ年代の学校(分校)のあった場所もわかった。
今の地図と比べてみるとずいぶんこじんまりとまとめられた場所
だったようだ。今の中学はこのずっと上の部分になっている。
音楽教室もほぼ記憶と一致する。
この前座って、「このあたりに校舎があったはず」と思って座った
ベンチはまさにちょうどこの校舎の位置だった。
偶然というか、ちょっと不思議だ。